『英雄達の哀歌』⑥
〜〜
「ん、う…?」
ルフィが目覚めて最初に見えたのは、ここ数日よく見たレッドフォースの天井と、視界の端で動く見慣れた髪だった。
「あ、起きた…ルフィ全然起きなかったんだよ?」
ウタがルフィの顔を心配そうに覗き見る。
ウタによると、ルフィは丸一日寝ていたらしい。
「…なんか頭いてェ…なにしてたんだっけ…?」
「私もよく覚えてないけど…かなりひどかったらしいよ?ほら鏡」
そう言って差し出された鏡をみると、目の下に大きな傷跡が残っている。
「…?なんだ、これ…?」
ルフィがその跡を撫でると同時に、扉が開いた。
「…起きたか」
「…あ、シャンクス…それに二人も」
部屋に入ってきたのは、シャンクスとルウ、ホンゴウだった。
「…シャンクス、もう海の上なのか?…おれ、何してたんだっけ?」
「…なんだ覚えてねェのか?しょうがねェな…」
そこから、シャンクスがこれまでの経緯を説明し始めた。
ウタが出航前に疲れたのか寝てしまったこと。
エレジアを出航したあとの酒盛りでルフィが間違えて酒を飲んでしまったこと。
酒の勢いで勇気を「見せる」などと言ってナイフを自分に刺して痛さで気絶したこと。
目を覚ましたウタがそれを聞いて泣きながら眠るルフィの頬をつねったところ、異様に伸びたこと。
「ルフィお前、こんなの食わなかったか?」
シャンクスの後ろにいたルウが一枚の絵を見せる。
そこに描かれていたのは、奇妙な果実だった。
「あ、それ前シャンクスが宝箱に入れてたやつ」
「うーん…見たこと…あるような…」
頭を抑え考えるルフィにシャンクスがもういいと手をかざす。
「お前…こいつはゴムゴムの実っていう悪魔の実でな…食えば一生ゴム人間のかわりに泳げなくなるって代物なんだぞ?」
シャンクスの説明にルフィが顎をあんぐりと開ける。
「えェ!?おれもう練習しても泳げねェのか!?」
「そうだな、全く馬鹿野郎…ま、ゴム人間になれたから良かったかもな」
「マジかー…まァ船から落ちない海賊になればいいか」
「いや、切り替え早いねあんた…」
すぐにポジティブに戻ったルフィにウタが思わずツッコむ。
元よりカナヅチなルフィが対して気にするのもやめて笑うのを見ながら、シャンクスが立ち上がる。
「とりあえずフーシャ村まで時間がかかる…ウタは怪我人のルフィが部屋から出ないよう見ててくれ」
「はーい」
ウタの返事を聞き届け、ドアノブに手をかけたシャンクスの背中に、ルフィが声をかけた。
「…シャンクス?なんかあったか?」
「………」
黙り込んだシャンクスが、ゆっくりと笑みを浮かべながら振り返る。
「…なんにもないさ、気にするな」
ただ一言そう言い残し、シャンクス達は部屋を出た。
それからしばらくして船はフーシャ村に着港し、ルフィはマキノに泣きながら説教され、村長の大目玉を喰らい、ゴムになった以外は再びいつもの日常になった。
そう、思っていた。
「駄目だウタ、危ねェ!」
「離して…離してよルフィ!!」
港でルフィが暴れるウタを抑える。
その二人の視線の先で、すでに小さくなりつつある船影が朝日に消えていく。
「なんで…なんでだよ…置いてかないでよ、シャンクスゥ…!!」
「……っ……!!」
泣き崩れるウタのそばに寄り添うルフィの頭には、シャンクスの被っていた麦わら帽子があった。
その日、レッドフォース号はフーシャ村を出航し、戻ることはなかった。
赤髪海賊団は、村に娘だったはずのウタを置いて出航した。
二人が数日前に発行されたエレジア壊滅、生存者僅か、犯人赤髪海賊団と記された記事を手にしたのは、それから数日後のことだった。
〜〜
「…………」
空が少しずつ緋色に染まり始める。
木に寄りかかるようにルフィは座っていた。
その手の中には、お守りと映像電伝虫がある。
「…はは…やっぱり、シャンクスは悪くなかったんだな」
乾いた笑いが口から漏れる。
かつて自分が憧れを抱いたあの海賊は、やはり世間で言われるような極悪な存在じゃなかったことに安堵の息を漏らしてしまう。
そして何故、自分がウタの横にいながらシャンクスを憎めないのかも分かった。
「…シャンクスは、すげェな……」
あの時、魔王に向かっていくあの大きな背中…記憶を失ってもなお、きっとあの背中に憧れていたのだろう。
あの戦いに行かせたのは、自分だというのに。
「………」
表情に何も映さぬまま、やがてゆっくりとルフィが立ち上がった。
「…行かねェと」
電伝虫も手にしたまま船のある方を見る。
今頃ウタは船でいつものように予定に遅れる自分を待っているに違いない。
「…ウタにも、教えねェと…それで…謝って…」
『あんたのせいで、私はシャンクスに置いてかれたんだ』
耳元でウタのものではないウタの声がする。
「…やめろ」
ウタがこんなこと言わない。言うはずがない…そう思おうとしても、それでも声は止まらない。
『あんたのせいで私は海賊になれなかった』
「やめろ…」
『あんたのせいで私は何度も死ぬような思いをすることになった』
「やめてくれ…」
『許さない』
「…やめろ…」
『大嫌い』
「ハッ……ハッ……!!」
ルフィが自分の手を見る。
既にその手の中には探すように言われたあのお守りしかない。
手が振りかぶられた先を見ても、ひたすら続く木々しかない、電伝虫はもうどこにも見えない。
「……っ…!」
飛ぶようにルフィが街へと走り出していく。
その日、"海軍の英雄"と呼ばれた男は逃げた。
己の罪からも、かつての友の背中からも、何より大事な相手への秘密からも。
何もかもから目を逸らし、日常へと戻ろうとした。
〜〜
そして、現在。
「………ウタ…」
かつて逃げたはずの過去。
それが今、崩壊した日常の中最悪の形で自分達に這い上がってきていたのをルフィも理解していた。