『英雄達の哀歌』⑤
「…なんだこりゃ…」
シャンクスが熱風に揺れる麦わら帽子を片手で抑えながら呆然としたように呟く。
その視線の先には、炎に包まれたエレジアの街と…なおもそこを蹂躙する、巨大な怪物が映っている。
「…くそ…ウタ…」
その怪物を睨みつけながら唇を噛み締める。
あのとき、確かにウタを取り込むようにあの化け物が出現したのは目撃していた。
それならば何故なんなものがと考えるシャンクスのもう片手には、嗚咽を上げる小さな子どもがいた。
「…っ…ぐっ……シャンクス……!!」
「心配するなルフィ、すぐにホンゴウに診せてやる!!」
シャンクスがルフィを励ますように声を出す。
上げられたルフィの顔、その左目の下には大きな切り傷が出来ていた。
あの怪物の出現と共に吹き飛ばされたルフィが、シャンクスに守られる前に同じく宙を待っていたガラス片で深く斬ってしまったものだった。
「それより…ウタは…ウタは大丈夫なのか……?」
「大丈夫だ、必ず助ける!!お前は自分の心配をしろ!!」
熱の高まる島を駆けながらシャンクスが叫ぶ。
やがて二人の元に、赤髪海賊団と副船長に守られたゴードンが合流した。
「……すまない…私の責任だ…っ!」
合流するや否やゴードンが頭を下げる。
「私が彼女の歌を島中に届かせてしまった…だからあれが…トットムジカの楽譜が目覚めてしまったのだ…!」
「…どうすればあれは消えるんだ」
「…現状、ウタが取り込まれる前に力を消費させれば、力の根幹のウタが眠って消えるかもしれない」
「…そうか、分かった」
シャンクスがゴードンに背を向け、ホンゴウに傷を診察されるルフィの頭に手を置く。
「シャンクス…おれ…っ」
その先を言うなとばかりに、ルフィの頭に置いた手でシャンクスがくしゃくしゃと撫でる。
「泣くなルフィ、男だろ?…分かってる、安心しろ…お前は悪くない」
一通り頭を掻きむしって、シャンクスが歩んでいく。
そのにらみつける先には、雄叫びを上げる魔王、トットムジカの姿があった。
「…ホンゴウはルフィとゴードン、そして他の生存者の手当てを!ルウはここで二人を守れ!」
「ああ!」
「分かった!」
シャンクスが腰にかけられた愛剣、グリフォンを掲げ、その切っ先を魔王に向ける。
「あとのやつ全員であいつを相手にする!…絶対に、ウタを助け出す!!気合い入れろよ野郎共!!」
『オウ!!!』
雄叫びとともに、赤髪海賊団が武器を掲げ、魔王に向かっていく。
その場に残された四人の一人、目の下に針を縫われガーゼを貼られたルフィが、その背中を見送る。
「…シャンクス…皆……」
「安心しろルフィ、お頭達なら絶対にウタを助ける!」
ルウが励ますように背中に手を添える。
しかし、それでもルフィの顔は晴れることはない。
「…おっさん……あの魔王、歌を歌うと出ちまうんだよな」
「あ、ああ…トットムジカ、まさかその楽譜が封印を破って出てくるとは…」
頭に包帯を巻かれながらゴードンが想定外の自体に唇を噛む。
その悲痛な表情にいつもの笑顔を消していたルウが、己の手が添えられた背中が震えているのに気づいた。
「やっぱり…なんだな」
「…?どうした、ルフィ」
「…おれの、せいなんだ…!」
目からボロボロと涙を流しながら、ルフィが膝をつく。
何度もその小さな拳を地面に叩きつけながら懺悔する。
「おれが…あいつに落ちてた楽譜歌わせちまったんだ…そのせいで…ウタがあんな……!!」
「っ落ち着けルフィ!お前が悪いわけねェ!!」
「彼の言う通りだ、君は何も知らなかった!君の罪ではない!」
「……っ…でも……っ!!」
ルフィが駆け出していく。
その突然の行動に反応できなかったルウを置いて、ルフィが炎の舞う街に向かっていく。
「ま、待てルフィ!危険だ!」
「止めろルウ!おれもすぐに向かう!」
走り出すルウの背中にホンゴウが叫ぶ。
ゴードンの傷を手当する今は、ホンゴウは手が離せない。
「…くそ…すまないが少し手当てを急がせてもらう」
「私は大丈夫だ…ルフィ君…」
ゴードンの視線の先には、既に小さくなる二人の背中しか写せなかった。
「ハァ…ハァッ…」
何度もつまずきそうになりながらルフィが森を駆けていく。
その脳裏には、つい先程の光景が何度も映し出される。
『しょうがないんだから…たまにはルフィのリクエストも答えてあげなきゃね』
「ハァッ……ウッ……ウタ…!!」
あの時、自分が楽譜などウタに渡さなければ。
ウタに話しかけようなどと思わなければ。
パーティーに参加などしなければ。
…自分が、船に乗りたいなどと我儘を言わなければ。
様々な後悔が涙とともに溢れてくるのを止められなかった。
今なお、目の前で魔王は赤髪海賊団を相手にしながらエレジアを破壊しようとしている。
既に多くの人間が死んでいるのだろう。
「おれのせいなんだ…おれが…なんとか…!!」
その引き金をウタに引かせてしまったのは自分なのだ。
その自分がこのまま何もせずにはいられないと、後ろからの静止にも気を止めず走り続ける。
何かを持って叫ぶ男の横を通り過ぎ、かなり近づいた怪物の中のウタにルフィが呼びかける。
「ウター!!戻ってきてくれウター!!頼むー!!」
ただひたすら、ウタに必死に呼びかける。
そんなルフィにやっとルウが追いつきそうになった。
その時、怪物が腕を振った。
吹き飛んだ家の瓦礫が、その場にいた三人に襲いかかる。
「…っ!あんた、逃げろ!」
「!?しまっ」
ルウが呼びかけたのも遅く、電伝虫を抱えていた男は岩の下敷きになった。
ゆっくりと辺りに血が飛ぶのを見てルウが歯を食いしばる。
一瞬、一瞬ルウが意識をルフィから男に変えてしまった。
その一瞬が命取りだった。
「あ…」
腕を振りながら呼びかけるルフィの眼前に影が迫る。
その衝撃とともに、ルフィの意識は闇に沈んだ。
〜〜
「ハッ…ア…アア……」
電伝虫が地に落ちる。
ルフィが震える腕を抑える。
すべて…すべてが思い出された。
「ンブ…ウエッ」
突然の吐き気に思わず咽る。
胃の中のものが出るのは堪えられたが、荒ぶる呼吸は抑えられない。
「ハァ…ハァ……ッ!!」
10年以上己の内に隠れていたその記憶に悲鳴を上げる頭を抱える。
目の焦点も合わぬルフィの脳裏に連続するように流れてきたのは、あの日の後、自分が確かに覚えていた記憶…
そして、闇の中で己が聞こえていた、彼らの声だった。