芽吹

芽吹



1874年12月 アキツ 京都


アキツの古都…と言うには帝が移って日が浅い京都中心部より少し南、石清水八幡宮周辺。冬の京都を人力車が進んでいく。


「いやいや、中々面白いですね。驢馬や駱駝が少ないからヒトミミに引かせるとは。もちろん我が国でもウマ娘が引く車はありますが」


「地形や入り組んだ市街地といった環境もあるのでしょうね。数年前から西洋や我が国を真似て作り始めたそうです」


「数年でこれですか…しかもここで発明されたものではないのでしょう?」


「はい。製造開始は東の方です」


「なるほど、アキツという国はかなりエネルギーがあるようですね。将来有望な市場になると良いのですが」


人力車に揺られつつ、乗客二人がウズベク語で雑談をしている。


「あれが石清水八幡宮ですか」


「アキツの土着宗教に出てくる神の一柱、八幡神を祀る重要な神社だそうで」


「神戸からこちらにくる時に生田神社を見学しましたが、こちらは山の上にあるのですね。あとで見学するのも大変そうだ。いや、そもそも外国人が登るのをよしとしない可能性もありますか」


そうこう話している内に、人力車がある大きな屋敷の前に止まる。


『逹?縺阪d縺励◆縺懈率驍」縺後◆』


『縺ゅj縺後→縺?#縺悶>縺セ縺吶?ゅ§繧?≠莠コ蜉幄サ雁●繧√※蠕?▲縺ヲ縺ヲ縺上□縺輔>』


人力車の引き手と片方の男が言葉を交わす。どうやら目的地についたようだ。


「カリモフさん、こちらです」


「了解です。引き手の方も、ここまでありがとうございました」


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シアマク・カリモフ。数ヶ月前に大銀行家、モルガンにエジソンのメインスポンサーの地位を譲り、改めて母国で自分を事業を立ち上げんとしている若手の実業家だ。普通ダートで仕事をしていたウマムスタンのビジネスマンが祖国へ帰還するとなれば、東海岸から喜望峰、あるいは1869年に開通したスエズ運河を通りカラートへ、そこから本国中心部へ行くのが普通だ。


それに対しこの男はスエズ運河と同じく1869年に開業したばかりのダート大陸横断鉄道を経由して西海岸へ、そのままサンフランシスコから太平洋横断船に乗りアキツを経由して帰ることにしていた。その理由はひとえにここ、石清水八幡宮周辺だ。


「なるほど、こうやって切り出しているのですね」


先ほど到着した屋敷に住む、地元の事業を取り仕切る有力者に挨拶をした後、雪がちらつき始めたため和傘を手にしつつカリモフは通訳とともに竹林に向かう。多くの職人が竹を切り出す作業をしている真っ最中だ。


『おかげで最近儲かってて助かります。まさかここの竹が欧米兎列強の製品に使われるとは思いもしませんでした』


「私も祖国からはるか中山を超えた先、ダートから見ても海の先に最適な素材があるとは思いませんでしたよ。世の中何があるか分かりませんねえ」


エジソンがつい最近発明した実用的白熱電球、そのフィラメントに最適とされたのがここ石清水八幡宮周辺の竹であった。エジソンが指示した通り竹の収穫は10月から12月に行われており、カリモフが訪れた12月は収穫期の終わり頃だ。


(懐かしいな…フィラメントの原料探しのために色々やっていた頃が)


エジソンにフィラメント原料の相談をされた際、カリモフも色々手を尽くした。後の大企業家らしく学生時代、ダート赴任時代に築き上げた多くの人脈と氏族社会ネットワークを駆使して各地に手紙を書いた。材料候補の独自入手や提供、捜索に向かったエジソンの助手の手助けをあちらこちらに頼み込んでいた時代が懐かしい。


通訳と案内をしてくれる地元の名士の後に続き、竹林における伐採及び簡単な加工作業を見て回る。竹林で働く職人たちがカリモフを好奇の、あるいはあまり好意的とは言えない視線で見つめてくる。


(まあ、無理もないか)


カリモフが訪れた1874年は内国旅行免状制度がようやく整い、外国人のアキツ国内旅行がある程度可能になった年だ。まだまだ外国人というのはアキツ人からすれば珍しい。


(話はある程度ついている。気にせず気楽に行こう)


カリモフが独自に企業を立ち上げるとなれば、原材料の仕入れが必要だ。特に白熱電球は今後会社のメイン商品となる。エジソンのスポンサーやフィラメント捜索時代の伝もあるため比較的楽にアキツの事業者とは連絡がとれ、カリモフとして独自に竹を仕入れたいと申し入れていた。あちらとしても事業の拡大は願ってもないことだっただろう。仕入れ量は今後調整するとしても売買取引の合意はすぐに取り付けられた。


(竹の数にも限りがある。エジソンと競争にならなければ良いが…やはりウマムスタン国内での栽培についても研究が必要だな。あるいは代替フィラメント)


竹の切り出しを見学しつつ、竹の栽培方法や品種の持ち出しを検討する。気候条件がアキツと大幅に異なる以上難しい道のりなのは間違いない。金属フィラメントの開発にしてもあのエジソンが今の所開発できていないのだ。先は長そうだ。


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「お世話になりました」


『いえいえ、今後ともご贔屓に』


数日後、決済などについて話し合い幾つか書類を書いた後にカリモフは屋敷を後にする。来た時と同じように通訳と共に人力車に乗りこみ、人力車が動き始める。


「〇〇さんもありがとうございました。色々面倒くさい話にも付き合ってくださって」


「いえいえ、通訳はそれが仕事ですから」


動き始めた人力車はさらに北上し、京都を目指す。折角アキツでの旅行制限が緩和されたのだ。この機に観光しない手はない。それに、もしかしたら何か気づきや新しいアジアにおけるビジネスの種でも転がっているかもしれない。


(東寺、清水寺、金閣寺…やはり宗教施設が多いな)


屋敷の主人やここにくる途中、神戸や大阪で聞いた観光名所をまとめた冊子や英語で書かれた外国人向けガイドブック、『The guide to the celebrated places in Kiyoto & the surrounding places for the foreign visitors』を読み返しながら景色を楽しむ。


(ここでの用が終わったらシンガポールを経由しての帰国か…ついに世界一周、ふふ、なんとも面白いことになったなあ)


ダートに赴任した頃には思いもしなかった流れになったことに思いを馳せる。世界に冠たるウマムスタンの国民、それも下級ながら貴族とはいえ世界一周をした者はそう多くはあるまい。


(さて、帰ったら皆んなにどんな土産話をしてやろうか…)


そんな事を考えつつ、ホジェンドの厳冬期に比べればマシなものの、厳しい京都の冷え込みの中を人力車が進んでいく。時は二代目カガンの御代の24年目。いずれ世界に冠たるウマムスタン経済の支柱となる男は、芽吹きの時を待っている。


補足

竹について

1894年までカリモフを支えてもらうかもしれない。

外国での竹の栽培についても調べたけどイマイチ資料がない

日本からほぼ輸入してたのだろうか?

史実だとエジソンの助手が色々偉人に会ったりして情報入手しているようだが、カリモフはただ仕入れに来ただけだし特に誰かに会うことはないかな?

いや、当時の外貨獲得手段の貴重さを考えると何か事業関係で当時の京都府知事他要人に会う可能性はあったりするのかな?

https://www.rias.or.jp/wp-content/uploads/2022/03/taketori-monogatari.pdf

https://note.com/soyu_shimayoshi/n/neee15a18ab85


人力車

すでに京都にあった様子

>京都でも明治5年に、「天長節ヲ祝シ奉リ、八坂新地・先斗町等ノ歌妓、人力車百五十両余リヲ連ネテ行列シタルタメ、往来ヲ止ムルニ及ベリ」という記事がありますので、かなり普及が早かったといえましょう。

https://www.kyotohotel.co.jp/history/chapter_03/chapter_03_36/


旅行免状について

ちょうど1874年制定

ビジネス目的の国内移動とかこれ以前どうなってたんだろう…

https://www7b.biglobe.ne.jp/~aki141/inp1ch22.pdf


The guide to the celebrated places in Kiyoto & the surrounding places for the foreign visitors

この時代の京都の有名人にして大河ドラマ八重の桜でもお馴染み山本覚馬さんが書いたガイドブック

https://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/tenji2.html


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