花の色が過ぎたとしても

花の色が過ぎたとしても



白魚のような手と言うには少しばかり骨張った指が、かき混ぜるようにして頭を撫でる。

撫でる……というには些か乱暴に思えるその動きはそもそも撫でることが目的ではなかったはずだが、当初の予定など忘れたかのように愉快そうな顔をしている。


「はは、可愛らしいなァ惣右介!まだ付いとるわ」

「取るならぐちゃぐちゃにしないで取ってください」


外から帰ってきた僕を見るなり指を指して笑いだした失礼な平子隊長は、にやにやしながらこちらに手を伸ばすと「随分お洒落やないか」と髪に付いた花びらをつまみ上げた。

そういえば下を通ったときに花は散っていたかもしれないと思い返してみるが、気に止めていなかったので分からない。


「惣右介の髪、ほんまふわっふわやな」

「気は済みましたか?」

「なんやねんケチ臭い、減るもんやないしええやろ。そんなん気にしとると禿げるぞ」

「では髪を大事にしたいので離してください」

「ああ言えばこう言う!ふわふわなんに可愛げないわァ!」


平子隊長が身勝手にも呆れたように頭をふると、彼女の金の髪がさらさらと流れた。

相変わらず綺麗に手入れされたそれは絡まることなく真っ直ぐに地面に向かって伸びていて、賑やかな彼女のものとは思えないほどの静謐さでそこに並んでいる。


もしも彼女の頭に花びらが降り注いだとしても、その髪に留まることもできずに地面に落ちていくだろう。

まるで絹糸のようだと言えば気色悪いと顔を歪めるだろうが、事実として指で掬い上げても水のように逃げていく髪をそれ以外に例えようもない。


「お前の根性曲がりなとこが出てるみたいな髪やけど、手触りは悪ないわ」

「性格が表れるなら隊長の髪が真っ直ぐなのはおかしいですよ」

「なに言うてんねん、俺ほど品行方正で真っ当な隊長はどこ探してもおらんやろ」

「自分で言っていて空しくなりませんか?」


ちっとも、と言って目を細めて笑う姿はまるで猫のようだ。少しでも機嫌を損ねると姿を隠してしまうところもよく似ている。

探しに行くこちらの身にもなって欲しいが、なんだかんだと必要なことは終わらせているので文句も言いづらい。


「ほれ、これで全部や」

「ああ……本当に取っていたんですね」

「男前にしてやったんやから礼の一つも言わんかい」

「別に自分で取れましたよ」


無造作に摘まんだ白い指が花弁の色を際立たせているようだ。いや、白が浮き上がって見えているのかもしれない。

いずれにせよ似ているようで相容れない色を見ると、己と目の前の彼女の間にある形にならない隔たりを幻視するような気分にさせられた。


それは肌に触れたところで越えられるものではなく、かといって近づくことを拒絶するわけでもない。

理解できないものを理解しようとしているのか、おかしな所で生真面目な性質が離れることを良しとしないのはある意味で滑稽ですらあった。


「あなたの髪では、花びらも長居できそうには無いですね」

「素直に流れるほどお美しいですねとでも褒めんかい」

「褒めても受け取ってはくれないでしょう」

「気分やな、気分が良ければ酒の肴にでもしたるわ」

「それも最悪ですね」


鼻を一つ鳴らして身を翻した平子隊長は、こちらへの興味を無くしたようだった。流れる金の色を無意識に捕まえると、ひどく機嫌を損ねた様子で振り返る。

先ほどまで向き合っていたのに、やっとこちらを見たような感覚に笑みをこぼしそうになってしまった。


「僕から落ちた花びらが付いていましたよ」

「ほんまやとしてももうちょっとやり方あるやろ」

「まるで嘘をついたみたいじゃないですか」

「みたァやなくてそうやろが、俺の髪には付かん言うたんはお前やぞ」


すると手から逃げた金糸には花の名残はどこにもない。我ながら拙い言い訳だと思ったが、平子隊長はそれもからかった仕返しの一つだと解釈したらしかった。

性格が悪いとぶつぶつ文句を言いながら机に戻っていく後ろ姿を見ながら、衝動的な行動を追求されなかったことに安堵した。

自分でも説明できないような感情は、どう取り繕った所で言葉にするのは難解すぎる。


ただもしも、彼女の髪に落ちた花びらが付いていたとしたら。それはきっと美しかったのではないかとそう思った。

しかしそんなものは、一時の感傷であってもはや思い出すことも無いような遠い記憶になって久しい。

それを思い出すきっかけを見下ろしたために、遠い春の色が頭を掠めたにすぎなかった。


ベッドに横たわり、静かに寝息をたてる娘の髪をそっと指で掬い上げる。うねるような金の髪は彼女のそれのように絡まることなく指からこぼれ落ちて、シーツに刺繍のように散らばった。

その様子がどうしようもなく気に触るが、記憶の中の美しいものを汚したのが自らの血であると考えると奇妙な心地がする。


明らかに自分のものではない髪をした赤子を見た時に平子真子は一体なにを思ったのだろうか。

考えを巡らせてみたところで、結局は相も変わらず理解ができないことが分かりあえる唯一であると察せられるだけだった。

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