色は匂えど

色は匂えど



 なにもない空間にパッと金の花が咲いたように見えて、そちらに目を向けると場違いな晴れ着に身を包んだ娘がいた。

 その着物に見覚えを感じ、それが私が長年手入れをして保存していた物だと気づいて、あの母娘の神経は思っているよりも随分と太いものだと驚嘆する。


「よくこんなところに来たものだ」

「アタシ京楽さんと仲良しやねん。誰かさんとちごてコミュニケーション能力抜群やから」

「弱いものが庇護されるのは、そう珍しい事でもないさ」


 不機嫌そうに鼻をならした娘の肩越し、少し離れた場所に京楽春水の姿が見える。本当に総隊長自ら連れてきたらしい。

 おそらくは晴れ姿の娘に会わせてやろうなどという慈悲ではなく、外にある幸福の一端を見ることで失くしたものを強く想い後悔しろとでも言いたいが故の行動だろう。

 愚かなことだ。私のものであったことなど一度もないというのに。


「用もなんもないけど、色々あってこっちにも晴れ姿見せに来たからついでに一人寂しいおっさんに喧嘩売りに来てやっただけや」

「親孝行な娘で涙が出るな」

「はっ、泣けるもんなら泣いてみぃ」


 不機嫌そうな顔をすると平子真子によく似ている。そして私相手のわずかな情を捨てきれず、無いものとして扱うことが出来ないところもよく似ている。

 着物を長い間保存していた相手に着た姿を見せないのは失礼になるとでも気にしたのだろう。妙なところで律儀なところも、本当によく似ている。


「それは私が保存していた着物だね」

「一目でわかるとかなんなんキショ……」

「百年手入れしてきたのは私だ、わかるとも。それを分かっていて君も着たのだろう?」

「着物に罪はないし、なによりアタシが着んとオカンはもう着れんから捨てる言うんやもん勿体ないやん」


 高いんやろ、と袖を持ち上げながら言う姿は最後に見た時よりも少し成長している気がする。それでも幼さが残ると思うのは、私が見慣れた顔が母親である平子真子のものだからだろう。彼女も随分と童顔だった気もするが、娘と比べれば十分に成熟した大人の姿をしていた。

 それでもあの時あそこまで振り袖を着るのに難色を示すほどの姿であったとは思わない。むしろあの外見であれば留め袖を着るよりも振り袖のほうが似合いであっただろうに。変なところで自己認識がズレているところがある人だった。


「そんなに記憶に残るような晴れ姿やったん?」


 そう言った娘の瞳には割れた鏡を見るような、取り返しのつかないものを見る色があった。なにかしら吹き込まれたか、もしくは血の繋がった父というものへの拭いきれない憧憬というものがあるのかもしれない。愛があったはずだと。

 そんなものがあったほうが悲惨だとは考えないのか、それとも理解ができない相手を自分が理解できる枠に収めたいと考えるのか。どちらにせよまだ年若く経験の少ない相手にそこまでの思考を要求するのは酷であるのかもしれない。


「美しい着物ではあるからね」

「似合うてるくらい言えばよかったのに」

「………………言ったさ」


 見開かれた瞳は暗がりで見ると鳶色に光り、平子真子の色ではなく私の色に近くなる。光の中の彼女の瞳は金に見えることもあったので、娘の瞳は色が混じりあい濃くなったのだろう。

 あの日、珍しく薄い唇に紅を引いていた彼女は絹糸のような金の髪を結い上げて、濃い藍色の振り袖の金の刺繍のひとつのように完成された姿で不機嫌そうに雪の残る道に立っていた。


 こちらを見てあからさまに不快であると言うように顔をしかめて「惣右介」と呼んだ声も呼びかけたというよりは咎めるような響きを持っていた。おそらくはその姿を揶揄されると思ったのだろう。

 だから私が思わず似合っていると口にした時、ちょうど今目の前の娘がしているような表情で目を丸くして。それから猫のように目を細めて笑ったのだ。


 嘘つきなあの人は明日になれば私の言葉など忘れているくせに覚えていると言い、私が頭を下げて願えばもう一度着てもいい等とまで軽口を叩いていた。

 結局あの振り袖はもう一度袖を通される事はなく、持ち主は尸魂界から現世に落ちのび、私はあの日の美しさを思うと捨てる気にもなれず。


 もしくは独り言のように溢された「娘でもいたら譲れるんやけどな」の言葉を心のどこかで覚えていて、継がせるために残していたのかもしれない。そんな存在がいるはずもないというのに。

 しかしどういうわけか、いるはずのなかった存在が今こうして振り袖を身につけて私の前にいるのだから何の因果だというのだろうか。


「ほんとはこれ、オカンにもう一度着て貰いたかったんちゃうの」

「まさか」


 戻ってきて振り袖に袖を通す事になったとしても、あの頃の姿にはけっしてなり得はしない。薄氷の上の関係は崩壊し、全ては変化している。

 私が惜しいと感じたあの日の姿は、振り向いてこちらを見た金の色は、もはやこの世には存在しない色になった。


「美しいものを惜しむ感情は私にもあるということだよ」

「…………惜しいと思うなら、手ぇ離さへんかったらよかったやろ」

「さすがの私も、手の内にないものを手離すことなど出来はしない」


 体を重ねても子をなしても、手に入らなかったものを手離すことなど。神にだって出来ようはずもない。

 そもそもが愛してもいない男の子供を産む選択をするようなあの人の事を、私が理解できるはずもないのだからその間に分かりあえたが故の関係など築けるはずもないだろう。できたものは以外にも健やかに育ったらしい娘だけだ。


「君も似合っているよ、さすが私の娘だ」

「世界で一番いらん文字がくっついたお褒めの言葉をどうも」


 そこまで嫌ならば来なければ良いとは言わなかった。私が言ったところでおそらくは反応は鼻で笑う程度で、そもそも親の言うことを聞くような娘であれば、こんなところに出向いてきて大罪人の父親と顔を合わせるはずはない。

 話は終わりとばかりに去っていく娘の姿を見送ると、意味深な目線を送ってくる京楽春水と目があった。企み通りにいかなかったことがわかれば、もう二度と娘を連れてくることはないだろう。それで私は構わない。


 全てが去れば、変わらずあるのは静寂と虚無ばかりだ。ふとあの香が香った気がして顔を上げたが、もうそこに金の色が見えることはなかった。

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