自分語り〜女性不信について〜

自分語り〜女性不信について〜


 自分語りは苦手だ。他人に自分語りをするメリットがわからない(だからほんとはSNSをやりたくない)。だが寮生の自分語りは需要があるらしい。何かしら自分語りをアドベントカレンダーに書いてみないか、という誘いを受けたことを思い出した。そこで自分語りを投下してみることにした。


 早速だが本題に入る。俺は女性が苦手だ。話しかけるなど怖くてできない。話しかけられて会話になると頭が真っ白になる。そして次の瞬間には「怖い」「この場から立ち去りたい」と考えてしまう。頭では怖くないとわかっていても、心が、本能的に女性を恐れてしまうのだ。ずっとコミュ力不足が原因だと思っていたが、大学に入って女性との会話にある程度慣れてきた時分においても、この病的なまでの恐怖感情は消えなかった。そこで俺は思い至った。私の生い立ちに理由があるのだ、と。

 俺は小学五年の頃から母親に対して「恨み」「母の裏切りに対する喪失感」の感情を抱いていた。それと同時に、自分がメンヘラ気味の母親のマイナス感情を受け止めないと、家庭が、あるいは母親が壊れてしまう、そう考えており、母親の気持ちを受け止め、家庭内の調和を保つ、そんな役回りをもまた一家の中でずっと演じていた。


 怨恨の対象を、いたわる。


 「したくもないこと」だった。


 ゆっくりと、だが着実に精神が消耗していった。そしていつしか、その「一家の中での役目」が義務的なものとして重くのしかかり、高校生になった頃には母親の足音を聞くだけで怖くなってしまうほどになってしまった。小学校を卒業して中高一貫の男子校に入学した自分はその六年間女性との関わりを持たずに生活していたため、いつしか「母親に対する恐怖」「義務感に対する恐怖」が「女性に対する恐怖」になってしまったのだろう。実際、他人が何か悩んでいる場面に直面すると、謎の義務感に追い立てられて感情を受け止める役回りを務めようとしてしまう。特にそれが女性だとその傾向が強く、自らの意思に関係なく話を聞いてしまう。


 「自分がなんとかしなければならない」


 小学生の頃から味わい続けてきたこの呪縛に、一瞬にして囚われてしまうのだ。そしてさらに恐ろしいことに、自分自身はずっとこの現実に対して無自覚であったのである。自覚がないまま、ただ精神だけが擦り減っていたのである。この現実に気づいたのが、今年になってから。実に10年もの間、俺は呪いの中でもがき苦しんでいた。

 そんな俺にも転機が訪れた。実家暮らしからの解放である。私の下宿に否定的であった家族が、寮ならば・・・ということで了承してくれたのだ。そしてこれが、先述した“無自覚”に対する自覚の契機となった。母親と離れて暮らすことによって、これまで母親の存在が俺に与えていた重圧に気づいたのである。これに気づいたことは僥倖であった。コロナの自粛期間を利用し、寮での生活を通して少しずつこの呪いを解いていくことに専念したのである。ひたすら自己と向き合い、自己に内在する歪んだ認識を改める。女性恐怖症はその過程の中で見つけた特に重度の歪みであった。

 この歪みと向き合うことは容易なものではない。本能的恐怖との対面である。怖い。治したい。でも怖い。性別などというただの付加要素でしかない内容で人を判断したくない。でもどうしても怖い。負の連鎖を断ち切りたかった。俺が人の悩みに寄り添うのはその人が悩みを乗り越えた先で俺に見せてくれる笑顔のため。だがこのままではそれを見るより先に恐怖感情によって自分自身がダメになってしまう。正しく人と接したい。でも本能的恐怖の克服なんてどうすればいいのかわからない。八方塞がりだった。

 だがそんな状態にも変化が訪れた。かねてよりよくしてくれていた先輩に、思いきって上記のことを打ち明けてみたのだ。彼女の「なにか手伝えることがあればなんでも言ってほしい」といった趣旨の言葉に乗じてのことであった。以前の自分であったら考えられないことであった。女性=母親=裏切られるという構図が脳内を支配していたため、自分の過去を曝け出すことはそのまま不利益になると考えていたからだ。言い終わった後、「あ、また知り合いを一人失ってしまった。」そう思っていた。

 しかしこの予想とは裏腹に反応は意外なものであった。彼女は俺を、俺の言葉を優しく受け止めてくれた。「もう一人で頑張らなくていい」という言葉とともに。あまりにも意外な反応であったため、最初は理解できず思考が停止していた。しかしやがてこの言葉の意味が理解できるようになると、自分の心の奥底から何か仄あたたかいものがこみあげてくるのを感じた。

 そこから先はよく覚えていない。ただひたすら泣いていたことだけは確かであった。今思えばあの瞬間は、俺が母親から本当に受けたかったもの、恨みや哀しみではなく他者からの無条件での肯定、思いやりというもの、それをはじめて認識した瞬間だったのかもしれない。俺を女性不信に陥れたのが女性であれば、そこから脱却する手立てを示してくれたのもまた女性であった。

 それからは抵抗なく自己の歪みと向き合うことができるようになった。なんとなく、なんとでもなるような気がしていた。おそらく自己肯定感が上がったのであろう。女性とも別段恐怖を感じることなくふつーに話すことができるようになった。恋人も作ってみた。だがうまくいかなくて、言いたいことをほとんど伝えられないまま別れてしまった。申し訳ないことをしてしまった。まともな人間になるためには、まだまだ険しい道のりを辿る必要があるのであろう。

 ここまでつらつらと自分語りをしてきたが、俺の言いたいことの本質は、上のクソ長長文の中にはない。上の文章は、自分語りをしてみたら?と言われて、自分の身の上話のうちのほんの一部だけだが、これが刺さる人がもしかするといるかもしれない、という予感をもって載っけてみただけのものである。俺が本当に言いたいことは、「こんな感じで話すネタならいっぱいあるから、年齢性別問わず話しかけてみてよ。」ただそれだけである。たぶんめっちゃよろこぶから。以上。


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