胸一杯の紅茶

胸一杯の紅茶


〈1〉

「先生、突然の事で申し訳ありません。先週のパトロールに関して、少々お時間よろしいでしょうか…」

ドアを開け、その大きな羽を折り畳みながらシャーレ執務室に入った彼女を迎え入れたのは、彼女にはあまり望ましくない声だった。

「先生なら今……あれ?あなたは確かトリニティの…」

「………正義実現委員会・副委員長、羽川ハスミです。ゲヘナ学園…確か給食部の方ですね。はじめまして」

丁寧ではあるがどこか険のあるハスミの自己紹介を受け、慌てた様子で調理場を飛び出す。

「あっ!えっと、はじめまして…!給食部・部長の愛清フウカですっ!……先生は今外に出てまして…」

それを聞いたハスミは少し思案するように顎に指をそわせた後、

「ありがとうございます。ではお戻りになるまで待たせて頂いても宜しいですか?」

と問いかけた。

ゲヘナではお目にかかれない丁寧で隙のない礼儀作法に面食らいながらも、自身に対する警戒心と威圧感に気圧され思わずコクコクと首肯する。


ソファーに腰掛け書類を眺めながら部屋の主を待っているハスミを調理場から気にしていたフウカだったが、お茶の1つも出していないことに思い至り、慌ててお湯を沸かし始める。

「えと…ハスミさん、よろしければどうぞ…」

書類整理の目処が立ち始めた彼女の前に、フウカの入れた紅茶が芳しい香りとともに差し出された。

(トリニティの人と関わることはあまりないけど、確か紅茶が好きだったはず!とりあえずこれなら失礼はない!……はず!)

予想外の出来事に思わず作業の手を止めたハスミに対しお茶菓子はクッキーで良いかと確認を取ろうとしたフウカの言葉を、ゆっくりと美しい笑顔になった彼女の言葉が遮った。

「どうぞ、おかまいなく」


〈2〉

先生に協力して頂いたパトロール、そしてその結果。

今後の相談も含め正義実現委員会の副委員長としてシャーレを訪れたハスミは、ゲヘナの生徒に迎えられた。

(…確かに先生は生徒であれば誰だって救いの手を差しのべる方。当番でなくとも色々な学校の生徒が顔を合わせるのは想像に難くありません…。ですがよりによって『ゲヘナ生によるトリニティ自治区での被害』について先生にご相談したかったというのに、これは…)

思わず渋面を作りそうになる自身の表情筋を押さえつけ、まずは感情を押し殺して相手の出方を探ることにした。

(給食部…聞いたことはありますが、普段私たちが関わるゲヘナ生とはいささか雰囲気が…?いえ惑わされてはダメですハスミ!機密も暗部も関係なさそうな一般生徒とはいえ、ゲヘナ生はゲヘナ生…。決して油断も隙も見せてはなりません!)


部屋の主の不在を告げられ、待ち時間の間に書類の整理でもと作業を始めたハスミであったが、考えていたことは1つ。

(心苦しい話ですが、フウカさんには何とかお暇して頂けないでしょうか…)

その願いを知ってか知らずか、おずおずと近づいてきたフウカはハスミの前に1つのティーカップを置いた。

「えと…ハスミさん、よろしければどうぞ…」

作業の手が止まる。

まず驚いたのはその香り。

(ダージリン…)

茶葉の中でも特に香りの高いものではあるが、そのフルーティな芳しさを欠片も損なうことなく丁寧に入れられていることはすぐに分かった。

(蒸らしも丁寧…カップもシミ1つなく手入れが行き届いている……)

ゲヘナ生が紅茶の繊細な扱いを心得ていると思っていなかった彼女にとって、その一杯はまさしく青天の霹靂であった。

(はっ…!いけませんハスミ!他ならぬ私が隙を見せるわけには!)

内心の動揺を悟られぬよう、深く笑顔を作って言葉を返す。…チクリとした胸の痛みに気付かぬふりをして。

「どうぞ、おかまいなく」


〈3〉

「えっ………?」

美しさすら感じさせるその微笑みは、しかしフウカにとっては強烈な拒絶にしか見えなかった。

「あっ!すみません…もしかして紅茶はお好きではなかったですか…?」

怒りも何もなくただショックを受けたように問いかけるその顔を見て、流石の彼女もどこかバツの悪そうな顔になり訂正する。

「…っいえ、失礼しました。紅茶はとても大好きですし、フウカさんのお心遣いには感謝しています。ですが私はトリニティ治安維持組織の副委員長であり、貴女はゲヘナ学園の生徒です。……お互いに立場があり、すべき事があります。…ですので申し訳ありませんが、お気遣いは結構です」

なぜかフウカの顔を見れず、早々に会話を切り上げようと一方的に理由を告げたハスミだったが、それに帰ってきたフウカの反応は想定外のものだった。

「………えっ?それだけ?」

抑えきれず思わず顔をあげる。

「っ!それだけとはどういう事ですか!学園間での確執は貴女もご存知でしょう!」

「あっ!いや、それはそうなんだけど…だってそれなら『シャーレ』にいる限り私達には関係ないし、それにほらっ!『私とあなた』にも関係ないでしょ…!?」

取り繕うことも忘れて目の前の小さな少女へと詰め寄ったハスミは、思わぬ反撃を受けて言葉に詰まる。

「……っあー…ほら!取り敢えずお茶でも飲みません!?わたし今回、結構うまく入れれたと思うんですよ!」

クッキー取ってきますね、と言いながら調理場に消えていったその背中に唖然としながら、何やら毒気の抜けるような、警戒の解れるような、ハスミはそんな虚脱感に見舞われた。

力が抜けたようにソファーに座り込む彼女を見て、クッキーを手に戻ってきた少女が慌てて声をかける。

その心底心配そうな声に包まれていると、気を張っている自分がとても馬鹿馬鹿しく思えてきて、

「……紅茶、ありがたく頂きます。ですがダイエット中ですのでクッキーはご遠慮させて下さ…」

はっ、と気付いたときには口からポロリと余計な言葉まで漏れていて、慌てて訂正しようと顔を上げた彼女は

「!…ちょうど良かった!先生の健康のために試作した低カロリープリンがあって、誰かに味見して欲しかったんです!今とってきますねっ」

しかし嬉しそうに顔を綻ばせた少女の笑顔の前に何も言うことが出来ず、諦めて書類の束を片付け始めた。


〈4〉

「あぁ、あの美食研究会の…」

「そうなんです!部長のハルナがいつもいつもっ………あっ、先生からモモトーク…。えっ、『今日はまだかかりそうだからフウカは先に帰っていいよ。ごめんね』だそうです…」

「…いえ、連絡もなしに突然押し掛けたのでこうなることも想定していました。むしろ突然の来訪で、先生にご迷惑をおかけしなくて良かったです」

短時間のお茶会ではあったが、初めて合った時より随分と表情の柔らかくなったハスミは静かに言葉を返す。

「それじゃあ私も流しを片付けたらすぐ帰りますね」

てきぱきと2人分の食器を片付け始めたフウカを手伝おうとしたハスミだったが、馴れない者が半端に手を出しても却って手間を増やすかもしれないと思い至り、ここは礼を告げて厚意に甘んじることにした。

「ありがとうございます。ご馳走さまでした、フウカさん。………それと、本日はずいぶんと失礼をしてしまい申し訳ありませんでした…」

謝罪の言葉は自分でも思ってもみなかった程簡単に口をついて出た。

「警戒するばかりか、せっかくのご厚意まで私は…」

深く謝罪を述べようと頭を下げながら続けた言葉は、ぎょっとした顔で慌てたフウカに遮られた。

「わーっ!ちょっとちょっと…!別にいいですって、そんなの!…というかトリニティとゲヘナは確かに揉め事ばっかだし、ハルナ達みたいなメチャクチャなヤツがあちこちで騒ぎを起こしてるのも知ってるし…!だからっ…まぁその警戒も妥当って言うか…!!」

「フウカさん…」

「えっと、何が言いたいかって言うと……んー……まぁ、えへへ…謝罪よりプリンの感想、聞きたいかなって…」

ジトッとした目から難しげな顔から照れたような微笑みへと表情豊かに移り行くフウカに驚いていたハスミだっが、続けられたその願いに、返す言葉は決まっていた。

「はい、とてもおいしかったです」

「…その、宜しければまた食べさせてください」


「はいっ!是非!」

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