背中

背中


ワンクッション


逃亡者←旅程 風味


逃亡者に相手がいる描写(相手は出てきません。存在だけほのめかし程度)


ほんとにごく僅か、薄いぬるい描写あり



来訪客のないホテルの受付ほど暇なことがあるだろうか?

さぞ閑古鳥も鳴き飽きただろうし、今は代わりにラジカセが賑やかし役だ。時折自分の名前が聞こえてくるそれは、決してナルシシズムのためではなく、あの時の背中にもう二度と届くことなどないと自分に分からせるために。今日も今日とて寂れた場所に垂れ流されるのだ。

それを可哀想に思ったか、受付の電話が鳴る。外線にランプが灯るそれを、珍しいことがあるものだと緩慢に受話器を持ち上げる。

「こちら黄金旅亭です。ご用件は?」

『少しお尋ねを。今度そちらを利用しようかと思うのだが、自分は足が悪くてね。施設内を一度下見してもいいかな?』

変な客だ、と訝しんだ。わざわざラブホを下見しようだなんてどんな発想なんだ。

『実はすぐ近くまで来ている。そちらがお手隙なら、で構わない』

本来ならこのような面倒なことは断るか、適当な身内に代わりにやらせるところだ。ただ今日は生憎誰もいないし、客もどうせ来ないだろうし。たまの暇つぶしには丁度いいかもしれない、等と気変わりがした。

「簡単な案内でよければ」

『ありがとう。では、程なくお伺いするよ』

お待ちしてます、なんて上辺ばかりの挨拶を言う前に通話が切られ、また緩慢に受話器を元に戻した。

一応客商売であるし、髪でも結い直そうと解いた。その時ちょうどラジカセから、一層ひどいノイズを立て始めた。

「……一着サ…………ズカ、見事逃げ、……二着……イ、…ールド、……、──────」

何度も何度も繰り返し再生されたテープがとうとう擦り切れたらしい。何も言わなくなった機械を睨め付け、乱暴に頭を掻いてから髪を束ね直した。

……もう、音ですら追わせてくれないのか──。




それから五分と経たないうちに入り口に影が浮き自動ドアが開かれた。確かに足が悪そうに、杖をつきながら入って来たので電話をかけてきた本人に違いはなさそうだ。

「すみません、先ほどのお電話した者ですが。」

「ああはい。ちなみに具体的にどこを見たいとか……あ?」

電話越しと違う、直接の声を聞いてようやく気づいた。忘れたくても忘れられなかった、あの声だ。

「君がいる部屋を案内してほしいな」

「お、まえ…!!」 

ガタンッと椅子が派手な音を立てて倒れる。その衝動は受付を仕切るアクリル板が受け止めることになる。

「なんで、なんで、今更…!」

「まあまあ。ひとまず部屋みせてよ。見たら分かると思うけど,立ちっぱなしって結構キツいんだよね」

見るからに疲労があります、なんてわざとらしい振る舞いに盛大な舌打ちを返して、適当な部屋の鍵を引っ掴んで早足で受付室から出てエレベーターの方へ向かう。杖をつく自分にお構いなしのその速度をゆっくり追いかけながら、こちらを振り向かないことをいいことに愉快そうに静かに笑うのだった。




部屋の前に到着し、鍵を差し込んでふと手が止まる。今更だが、この状況はなんだかとても。二人で部屋を利用しにきたみたいではないかと。そんな逡巡で止まった手に、背後に追いついた手が重なってそのまま鍵を回される。ぎょっとして固まるのを他所に、扉を開け中へ歩み進んだ。重ねた手はそのままなので、連れ込まれる形だ。

「っおい、放せ!」

「中も案内してよ。どうせ暇なんだろ」

扉が無情にも閉じられる。と同時に、先程まで柔和だった口調が崩れる。ああそういえば、コイツは表と裏でだいぶ印象が変わる奴だった、と。思い出すべきタイミングは今ではないのに。

そんなこちらの気など知らない風で、部屋内を見渡していた。ほどなく一通り視界に収め終えたようで、つかつかと部屋のメインたるベッドの方へ足を向ける。手は未だに放されていないので、ずるずると連れられてベッド側まで来てしまった。杖をベッドサイドに立てかけて、彼はベッドに腰掛ける。必然、彼の金髪に似た栗色の髪を見下ろすことになる。

「ところで。電話した内容覚えてる?」

「あ?まず手ェ放せ。部屋は見せた、だからもういいだろ」

「『利用するつもりがあって、下見にきた』って言ったろ?実際、今度うちのと利用する候補の一つなんだよねココ。だからさ、知りたいわけ。部屋までの動線とか、部屋の内装の配置とか、ベッドがどう軋むのかとか」

「…………」

「足が悪いとさ、大変なんだぜ?でもスプリングの跳ね具合を上手く使ってイイとこ突けたりするし割と大事だったりするの」

「それで?」

なんで自分はこいつの性事情を聞かされているんだ。すでにパートナーがいることが確定的になったその先を、一体どんな気持ちで聞けばいいのだ。早く帰りたい。

「言わなきゃわかんない?君そんなに物分かり悪かった?」

栗色の頭が上を向いて視線がかち合う。こちらを試すような色を含んだ目がそこにあった。

睨み合いはどれだけ続いたかわからない。

喉が急速に渇くのを感じる。捕まった手から熱が伝わらないでほしい。


ベッドがもう一人分の重さに沈んだときの、あの厭らしい顔はしばらく忘れられそうにない。






行為に対して最終的に諾を返したのは自分自身の意志だ。だからと言って、及ぶまでの準備も自分でやることになると誰が思うか。

何かと理由を述べてはこちらに手を出さなかった。そのくせに、最後までやることを望む口ぶりなのは一体どういう了見なんだと食い掛かりたくもなる。

先に進むには、自分がやるしかなかった。自分で後ろを解して、あれも勃たせてやった。幸い場所が場所なので、道具には困らない。

しかしこれではまるで、自分が、彼に、抱いてほしくて、しょうがなく淫らを晒しているようだ。

あながち間違いでもないのが、末恐ろしいのでもあるが。

「はぁ、スゴイね。見てるだけでも結構クる」

「ハッ、そりゃどーも。……なぁ、もう」

「…挿れてほしくなった?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ。おまえが、挿れたくなったんだろ」

「メスみたいな痴態晒して言えたクチかよ。まあいいや」

これまで手を出さなかったやつが動いたと思えば、両肩を掴まれてベッドに押し倒される。肩を押さえつけられて上から見下ろされる格好になった。今から自分が抱くのだ、と誇示せんばかりのその行動に、無意識に喉が鳴る。熱が集中していくのがわかる。

「どうした?ほら、さっさとこいよ」

見下ろされたままでどうにも焦れて下から煽ると、ここでようやく余裕をなくした顔つきになって、もっと言えばその目に欲が宿るようになって。


心が、ひどく満たされていく。その顔が、みたかった。


そのまま欲の塊が入ってきて、その質量と熱を内側で確と感じて、歓喜で身体が仰反る。

動くたびに熱は上がって、奥にくるたびに声になる。

ごく自然に背中に手を回した。

ずっと、ずっと。目の前にあって届かなかったその背中。

やっと、やっと。今、触れることができた。

もしかしたらこの背中は、すでに誰か触れたものかもしれない。でもそれはこの際どうでもよかった。

ようやく触れることのできたそこに、深く強く爪を突き立てた。できればずっと、その証が消えないように願いながら。




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