美学に反する

美学に反する

松本道弘

摘自松本道弘《難訳・和英「語感」辞典》,さくら舎,2018

松本解釋爲什麼「美学に反する」應該譯成 against one's principle:


美学とは、日本がこだわる行動倫理(Code of Ethics)のひとつだ。そこに「美(Beauty)」があるかが問われる。自分と相手の間にwin-winの関係を結ぶことは、どの文化圏にも必要とされる価値観だが、そこにDo others feel it?という美学、valueが加わるとどうしても日本が誇るwin-win-winの商道徳が必要になる。

両者が密談でwin-winを達成しても、第三者が「美談だ」と認めなければ、「醜」に終ることが多い。感銘を与えるか(Do they feel it?)というaesthetic valuesの存在を問うのが「道」であろう。

日本の美学は、自分のハラの中に潜む他人の心、そして美意識のことだ。この道の美を説くのが美学(esthetic principles)という普遍的な哲学だ。

この日本的なemotional aesthetics(美学を私なりに直訳すると、こうなる)は外国人には不透明な概念であるので、思い切ってaesthetic(美学的な)を省くこともある。

That goes against my principleでも通じる。欧米人は「美」をmoral principleの中に含めるだろうからだ。ただ日本の美学はもっと「深い」(spiritual)。道徳的には悪でも、それが美に昇華されることがある。

歌舞伎俳優の片岡仁左衛門は述べる。「歌舞伎は、心は現代でも型は古典で演じる。それでこそ、残酷な殺しの場面が美学になる。型も現代風になると、ただ残虐なものになってしまう。」深い。

映画の字幕翻訳にヒントを得ることがある。Spiritualが「深い」と訳されていたことに、感動した。殺しの場面は、倫理的にも、道徳的にも、宗教的にも「醜い」が、それが「深い」となると、spiritualしかない。

日本の美的センスもspiritual valuesに含めるのだ。そうすれば、ガイジンに日本人の美なんかわかってたまるか、という危険な独断と偏見から解放されるはずだ。AIのdeep mindもspritual mindとすれば、日本の美はAIの力を借りても、世界に通じるはずだ。

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