美は朽ちぬものver10
鈴澄 音夢注意
・総集版
・ver9の続き
少し歩いた先にアンティーク調の黒檀の外壁が目立つ店があり、勝手知ったる他人の家に上がり込むように、慣れた様子の彼女が私の腕を引いて店内に入る。
湿気の強い空気がザワリと頬を撫で、古い紙の匂いと溶剤のシンナー臭に混ざる、ノリが腐ったのであろう僅かに甘い匂いが何処か懐かしいガネ。
「じゃあ、ちょっと見てくるね」
スルリと離れた温度が消えて行く。やっぱり彼女に触れるものじゃ無いガネ。閉じ込めた筈の名付けてはいけない衝動があの子に縋ろうとするのを抑え、後ろ姿を視界から逃す。
あの子の隣に居ない事で傷付ける事になったとしても、あの子が漸く歩き始めた夢追う道に私は居なくて良いんだガネ。私には、振り返れば金波銀波の跡がある。闇風に吹かれるのは私だけで良い。
店内を見渡すと、懐かしさは気のせいではなく、確かに昔来たからだと気付き、思い出したくない思い出に頭を抱えそうになるが、上げた腕を引っ張る長袖の布の違和感の方が気になって考える事を放り出したガネ。
私がカービングで使うナイフの様に特殊な物は取り扱っていないが、材質や太さの違いで分けられた道具が博物館よろしく並べられた様は壮観であり、ある種鬱々とした空間に差し込む窓の光は晴れやかで、違う世界を貼り重ねた様な異様さにも似た美しさに、共が変わっただけでこうも変わるかと己の単純さに笑いそうだガネ。
暖かい日差しが彼女に降り注ぎ、蝶の鱗粉の様にぼんやりと輪郭を光らせる横顔は真っ直ぐに画材と向き合う芸術家のそれで、子供の頃のままに見える姿でも、成長しているのだと良く分かる。
「その二つで悩んでいるのカネ?」
「うーん、今まで使ってたのより絵の具が落としやすいらしいんだけど、太いからちょっと迷っててね」
まだしばらく悩むつもりらしい彼女を待つ間に、店内に入っても付いてくる視線の主を探す。棚の高さからして彼女は見えていないだろうが、私の視界ではハッキリと分かるガネ。
「時間はたっぷりあるから満足するまで考えると良いガネ」
スッカリ自分の世界にいる彼女が頷いたのを見て離れ、視線の主に顎をしゃくって外に促せば、あの子に直接手を出す気はまだ無いのか大人しく付いてきたヒールの音に安堵する。黒檀の外壁に良く映える、ギラギラと賑やかな『成金』の名に相応しい金色のローブデコルテから見える高いハイヒールに、ヒールの高さはプライドの高さという言葉を思い出したが、この女にピッタリだガネ。
「あらあら、こんな所でなんて運命ね」
「ええ、こんな所で会う様な方でもありますまいに。まあ、貴女の言う運命とやらのタネに予想は付きますガネ」
未来の宝の為ならば、荒波超えたこの手で自分の運命まで掬い上げてやるガネ。
ふと視線を上げると、ギャリーがいない。そこまで大きいお店じゃないからすれ違う事なんて無いのに。
「何年前の事を掘り返すつもりカネ」
外から聞こえた声に振り返り、筆を棚に戻して声のする方に向かう。ピリピリとした様子に何事かと顔を出すと、金色のドレスを着たアテウさんと口喧嘩をしているところだった。
昨日もだけど、あんまり仲が良くないのかなって考えていると私に気付いたアテウさんが寄って来るのだけれど、何だか視線が合わせにくい、変な感じがするわね。
「ご機嫌よう。領主夫人のマーノですわ」
「モナルダ!近寄るんじゃないガネ!」
「ご機嫌よう、マーノ様。ギャルディーノと仲が良いんですね」
「モナルダさんの好きな様に受け取って貰って宜しくてよ」
取り敢えずで返した当たり障りの無い言葉へ返って来た言葉に違和感を感じ、彼女の後ろにいるギャリーに視線を向けると、神妙な面持ちで首を横に振られた。
「昨日も言ったが、顧客と担当だったというだけだガネ」
「そう?仕事の話なら、向こうで待ってるわ」
「その必要は無いガネ」
理由は分からないけどこの場を離れるべきかと思ったら、もう対処は終わっていたらしく、後ろ髪を引かれながらも少し離れたレストランまで早足で向かう事になった。
「先程のは、この街の領主であるマーノ・ステゴの妻で昨日君と会ったアテウの妹にあたるマーノ・イキウだガネ。異名の成金から分かると思うが、良くない噂が多い只管に自分の欲に忠実な女で、担当の私を呼び出す為だけに何百万ベリーも借りては翌週に利子ごと返す様な真似をしてくるし、人間屋を懐に入れているから、下手に手を出せない相手だガネ」
アテウと接触している事を把握されていなかったのが幸いして直ぐにボロを出したが、次はこうも行くまい。予想よりも早い接触に内心舌を打つが、途中で注文した料理が来て中断されたガネ。
「あらら!マリアンヌちゃん?おめかししてお姫様みたいね!」
「本当?ありがとう」
彼女と知り合いらしい店主があげた声で注目が集まり、ワラワラと寄ってくる店内にいた客達の多さに、何処まで可愛がられているのか見当が付かない彼女の人たらしを垣間見た気がするガネ。
「ねぇ、おじさん!マリアンヌちゃんとどんな関係なの?」
「おじさん?!」
見知らぬ少女におじさんと呼ばれ、素っ頓狂な声が出たガネ。テーブルの向こうで笑っているマリアンヌは、おっさんにエスコートされて出掛けている事になるが、それで良いのカネ。
「元同僚の天然娘だガネ」
不満そうながらも大人しく引き下がった少女と違い、私の返答に満足しなかったらしい二十歳位の男が食い下がる。
「マリアンヌちゃんからだとどんな関係なの?親の同僚とお出かけするくら「そうね」
彼の言葉を遮った彼女が絵画の様に不自然なまでに自然に笑顔を浮かべて男を見下ろす様は、慈悲深い宗教画の女神にも似て、淡々と放たれた言葉は無慈悲な死神の鎌に似る。
「目覚めの紅茶にガムシロップを注いで貰う関係よ。少なくとも、私と彼が元同僚だと知らない貴方よりは、ずっと深いわね」
彼の心情を表す様に光ったピアスを引っ張る店主によって店から追い出される姿を一瞥もして貰えないのはいっそ滑稽だガネ。
あーあ、下手こいたな。手柄を焦って追い出された競争相手の行く末を心の中だけでも笑い飛ばしてスカッとした。最近の奥様は商品の入りが悪くてピリピリしているから、きっとキツめの仕置きが待っている。
「ギャルディーノ、少し寝るわ」
「此処で寝るんじゃないガネ。君も飲食店で働くなら回転率の事を考えたら如何だね」
デザートのカップケーキも平らげた年若い女はマリアンヌという真名か偽名かも分からない情報と、あるカフェでウェイトレスのバイトというある意味綺麗すぎる経歴の持ち主であり、この街に来る前について誰も知らない。
そのバイトも生活費を賄える程出ている様では無いらしく、血の繋がらない保護者達は何かの職場の元同僚が集まったという、これまた簡単な情報しか入って来ない。
間違い無く過去を隠している上に、あの『成金』のお手付きの『闇金』と連んでいる時点でヤベェ事を察しておかずに、無謀に死にに行った馬鹿のお陰で中途半端な情報が手に入っただけだ。
「移動するカネ」
「何処かのベンチでなら寝ても良い?」
「もう、勝手にするガネ」
すぐ後ろを付いて行く訳にも行かないと言い訳しつつ、先に自分が注文していた分を腹の中に入れる。俺みたいな家なし子が飯を満足に食えるのはこんな時だけなのだから、少しくらい良いだろう。
行った方向にあるベンチを探せば、すぐに見つかると思ったが、目当てを付けていた公園のベンチに二人の姿は無い。まだ遠くに行っていない筈だと不自然にならない様に辺りを見渡すと、微かに歌が聞こえて来た。
「こんな宝を見つけると
語るその目は母に似る
いつか今日を思い出す」
レストランの時とまた違う、穏やかで低い声が囁く様に父の唄を歌う。誘われる様に声の方へと向かうと、屋敷の壁にありそうな、そんな景色。俺達には決して来ない、そんな景色。
「海の果て行くその先で
輪をかく鳥が笑うとて
土産話にゃ足るからな」
心臓の音を聞きながら眠る少女と女性の間の年頃のお姫様は、優しすぎる父の顔をした騎士の膝を温める猫の様に丸くなっている。
「海がこの背を押す限り
いつまでも歩むだろう
海の果ても踏めるだろう」
絵の中の人物に嫉妬した所で俺が何か変わる事は無い。だが、俺は手にする事が無い未来を掴んだ男が、ほんの少しだけ羨ましい。
「その目に郷愁灯る頃
君は母と同じ目で
愛しき宝愛でるだろう」
彼らと同じ白いベンチに俺が座る事は無い。俺達が座るのは、白い砂利の上だ。それでも、チクりたくねぇなぁ。
「夢を見て来たその目で
未来の宝育つ様
見守り続けあげなさい」
あと1番だけだから。誰にも歌って貰えなかった歌を聞かせてくれ。
慣れた動きで私の上に座った彼女は、呑気に眠りながら頭を擦り寄せて来るが、髪が乱れる事を気にするのは私だけなのだろうな。
強請られて歌う歌も随分と慣れた音程で、おっかなびっくりしていた自分が懐かしいガネ。この子が自分を寝かし付けるのが、見ていられなかっただけなのだガネ。
この子が13になる頃、私の膝に乗れば赤銅色の髪が視界に入る様になり、漸く平均的な重さになった重みにスッカリ慣れていたガネ。毎日の様に梳いてやっていた髪は枝毛も無くなり大人しく、成長期に追い付かない細い手足から擦り傷が消えて滑らかな肌が見える様になっていた。
まだ膨らまない胸と裏腹に、括れは既に出来始め、ずり落ちる度に身体が腕に引っ掛かる時の、無意識に強調された細さのアンバランスに宿る少女時代特有の美しさを失いたくないと思ったのは、いつからなのか覚えていないガネ。いつか世界の醜さに染まった彼女が変わる前に朽ちる事ない美しいままの、いや、エゴに染めた彼女は白くないガネ。
今だけの仕事上の関係しかない彼女は私の物じゃないと言うのに何を考えているのカネ。此処まで育てたのに芽を摘む必要は無い。
「そろそろ十分経つガネ」
「まだ寝てるわ」
「起きてるじゃないカネ」
「寝言よ」
降りるつもりが無い彼女の駄々が懐かしいのだガネ、まだ本命が釣れた訳ではないからオマケが寄って来る前に移動した方が良い。
「時間があるうちに煎餅屋が見つかれば、おやつに買ってやろうと思ったのだガネ?」
「私は商店街の西側にある和菓子屋のが好きよ」
おやつの一言で釣られるのは相変わらずで、シャラリと軽い音を立てて離れた温もりに何も感じていないフリで手を差し出せば、何も知らない顔で身を任せる様な無垢な娘に、私がどうこうしようと言う方が無粋というものだガネ。
能力で出していた蝋のベンチを消して彼女が希望した西の和菓子屋への案内を頼めば、グイグイと力強く引き摺られて、こんな所で感じる成長に笑ってしまいそうになる。
「慣れてない靴なんだから、急ぐんじゃないガネ」
何故か接触して来なかった、視界の外に流れて行く姉妹の手駒を意識からも追い出し、ジリジリと暑さが増した昼下がりの大通りに向かう。
遠くから見れば大抵のものは綺麗に見えるが、食えるモノを食える時に食わねば死ぬだけだガネ。次にすれ違う時は地面と靴になるだろう顔なんかに、見る事すら無く忘れるぐらいで十分な存在に食われてやるつもりは無いガネ。