美しき泡沫を手放さぬように

美しき泡沫を手放さぬように


 生者が“感情”を持てるのは、とても幸福だと。今の僕にはハッキリと言える。

 何かを受け取り、感じ、想うことができるのは、感情があってこそだから。


 かつて、僕はソレを奪われていた。

 自我すら無い亡霊のような有様を晒しながら、僕は星を渡る旅をした。



 ──何が起きたかはサッパリだが、敗者は勝者に従うモンだからな。この俺が力を貸してやるんだ、お前の旅路に“恐れ”なんざ要らねぇよ!──


 ──彼女たちを怖がらせるな、って? ハッ、これはまたモノを知らない男だね! この私が与えるのは恐怖じゃない、奏でられるような極上の“哀しみ”さ!──


 ──この俺が、貴様のように不出来な男の分身に過ぎんなどと! そのような屈辱に“怒り”を覚えずして何とする! 俺こそ真なるヴィサス=スタフロストだッ!──


 ──思い出してくれ、キミの“喜び”を。このボクが保証する。星々を巡る旅路の中で結ばれた絆が色褪せない限り……キミは負の感情になんか負けないはずだ!──



 恐怖。悲嘆。憤怒。歓喜。

 正の感情も負の感情も、無くてはならないものだと。今の僕なら理解できる。

 何かを訴え、共有し、語り合うことができるのは、感情があってこそだから。


 今の僕には感情がある。だから……



「──よーしよーし♡ なーでなーで♡ しーこしーこ……♡♡ うふふ……気持ちいいですか、ヴィサス様……♡♡」


「…………ああ、うん。とっても気持ちいいよ、キトカロス」



 ……彼女の柔らかな膝を枕にし。彼女の豊かな胸の先に口を付け。彼女の手で昂る一物を甘やかされている、今。

 この状況に堪らず“羞恥”を覚えることも、できてしまうのであった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 キトカロスは好奇心旺盛と言うか、何でもよく吸収するタイプの女性と言うか……まだまだ知らないことが多い僕に対して、色々と目新しい提案をしてくれる。

 それは、こういった情事に関することであっても例外じゃなく。


 ──いつもは優しいヴィサス様が好きですが、今日は乱暴なヴィサス様に虐められたい気分です♡ ──

 ──今日のヴィサス様は夜のお客様♡ 私とは気持ち良くなるための一晩だけの関係なのです♡ ──


 等と、彼女は様々なアプローチで僕のことを誘惑してくる。

 この前なんかは「私を存分に甚振ってほしいのです♡ 涙を流してしまうほどに♡」なんて言いながら見覚えのある鞭を手渡してきて、本当に良いのか、と思わず訊いてしまったほどだ。

 そして、今回の提案は見ての通り。


 ──貴方のことを、赤ちゃんみたいに甘やかしてあげたいのです♡ ──


「ちゃんと私に体を預けてくれて、ヴィサス様は偉いですね……♡ 甘え上手な貴方も素敵です♡♡ 私も、上手に貴方を甘やかすことができているでしょうか……♡」


 僕が彼女からの提案を断る理由は無い。

 彼女が僕に与えてくれるのは、新鮮な驚きや楽しみばかりで。


 今回のコレだって、恥ずかしくはあるけれど……彼女から甘やかされるというのは気持ち良さと同時に温かな安心感で包まれているようで、少しでも気を抜けば完全に溺れてしまいそうなほどだ。……恥ずかしくはあるけれど。


「心配ないよキトカロス。とても心地いい気分だ……君は本当に、僕が喜ばせるのが上手だよ」


「ふふっ、勿論ですとも♡ 思い付きとは言え、私が貴方を悦ばせるために手抜かりなどするはずもなく♡ 今回だって、シェイレーンに相手役をお願いして、ちゃんと練習してきたのですから♡」


 ……どうやら次にシェイレーンと顔を合わせる時までに、苦労人な彼女の刺々しい視線から逃れるための言い訳を考えておく必要があるみたいだ。

 以前ライヒハートも「よくハゥフニスのことでガミガミ言われる」とボヤいてた。姉妹を想ってこそなのだから無下にはしたくないけど、変な誤解は解いておきたい。


「あ……もう、ダメですよヴィサス様♡ 今は私のことだけを考えていてください♡ 私にたっぷり甘えて、私にどっぷり溺れてください……♡♡」


 そう言うと彼女は上体を傾け、胸の双丘を僕の顔へと押し付けてくる。一物を扱く手付きにも緩急が加わり、より一層の快感を与えてきた。

 圧迫感と同時に溢れる幸福感。興奮のボルテージが高まっているのがわかる。

 ……けど、それでも僕が気になってしまうのは、一つ。


「ぷはっ……ねぇ、キトカロス。これ、僕ばっかり気持ちよくなってるように思うんだけど……?」


 自我や記憶を失った経験のある僕には、もう自分が赤子だった頃のことなんて思い出せないけど……今の状況は、まさしく与えられることしかできない赤子のソレだ。

 僕だけが一方的に奉仕される側、というのは落ち着かない。キトカロスにも一緒に気持ち良くなって欲しい。そんな意を込めた問い掛け。


 それに対し、彼女は微笑みを湛えながら返してくる。


「うふふ……やっぱりお優しいですね、ヴィサス様♡ ご心配なさらずとも、貴方の気持ちよさそうなお顔を見ているだけで、私まで幸せな気分になれちゃいます……♡ お腹の奥からじんわりと幸せな熱が溢れ出てきて……私、このまま泡になって消えてしまいそうです♡♡」


「…………」


 ──泡になって消えてしまいそう。

 感極まった時のキトカロスは、そういった旨の冗談を口にすることがある。

 人魚であれば分かる比喩表現なのかもしれないけれど、僕がそれを初めて聞いた時には情けなく狼狽したのを憶えているし、今でもドキッとしてしまう。


 それは、どうしてなのか。今の僕なら、自覚できる。

 何故って、僕には感情があるから。その感情を誤魔化すことは、できないから。


「……キトカロス。僕、そろそろ起き上がっても良いかい?」


「えっ……ご、ごめんなさいヴィサス様! 私、何か粗相をしてしまったのでしょうか……?」


「いや、それは違うよ。気持ち良かった。だから……お礼がしたいんだ」


 甘やかな抱擁から脱して、見当違いな哀しみに焦っている彼女を優しく押し倒す。


「今日は僕、たくさん伝えたいんだ。君が好きだって……手放したくないってこと」


「ヴィ、ヴィサス様……んっ♥」


 二の句は継げさせず、その艶やかな唇を奪った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ──貴方の隣に居られるのが幸せで……私、泡になって消えてしまいそうです──


 キトカロスから初めてソレを言われた時。

 僕の胸中に湧いた感情は、“喜び”と“恐怖”の二つだった。

 同居することなんてないと思っていた感情が混ざり合うことに、僕は困惑した。


 だから、頼れる相手に相談してみた。

 僕に最初の感情を与えてくれた、友であり相棒である、彼に。


 ──そりゃお前、あの嬢ちゃんが好きだってことに決まってんだろうがよ──


 ここでようやく、僕はキトカロスのことが好きなんだということを自覚できた。

 僕を慕い、その朗らかな笑顔を向けてくれる彼女。かつて世壊が新生した際にも、一番に僕の元へ会いに来てくれて、共に戦ってくれた彼女。

 そんな彼女が、僕と共に居ることに幸福を感じてくれている。それを知れたから、僕にも“喜び”の感情が湧いたんだろう。

 僕が彼女を好いていることへの違和感は一切無かった。むしろ、気付くのが今更になって申し訳ないくらいだった。


 ……じゃあ、どうして僕は同時に“恐怖”の感情まで抱いたのか。

 再び尋ねれば、やはり何てことの無いように彼はすぐ答えを返してくれた。


 ──相手が好きだからこそだろ。もしソイツが急に自分の前から居なくなったら、って想像すると怖くなるのは、おかしなことじゃねェさ──


 なるほど、とすぐに理解できた。

 いつの間にか、僕の傍に居てくれることが当たり前になっていたキトカロス。その愛しい彼女が、いきなり泡になって消えてしまえば……間違いなく僕は想像を絶するほどの“哀しみ”に襲われることだろう。それに“恐怖”してしまうのも当然だ。


 ようやく合点がいったことに僕が満足すると、そこで彼は吹き出すように笑った。


 ──いや、ずいぶん今更なことを自覚してやがると思ってな。俺からすりゃ、お前が意外と怖がりな野郎だなんてことは、とっくに知ってたことだからよ──


 そうだったのか? 僕自身も気付かなかったのに、それはどうして?

 素直に訊いてみれば、彼はひとしきり笑い終えた後に話してくれた。


 ──俺がライズハートの野郎に吸収された、あン時のこと。憶えてるか?──

 ──今だから言うんだがよ。どうにも感情の薄かったお前が、俺を奪われる“恐怖”で一丁前に顔を歪めたのを見て……俺ァ柄にもなく“安心”しちまったのさ──


 それは、かつての戦い、その一瞬の出来事のこと。あの時の僕は、彼が残した最後の言葉通りに肆世壊の力を右腕へ取り込むことが何よりの先決で、それ以外のことはハッキリ思い出せないけれど。

 他ならぬ彼が言うなら、そうなんだろう。……あの時点で、僕の中には確と芽生えていたんだ。大切なモノを喪失することへの“恐怖”が。


 ──獣だろうが人魚だろうが、生まれ落ちてすぐの命なんざ空っぽなのが当然だ。それでもお前は──


 思い返せば、恐怖だけじゃない。たくさんのモノを、僕は旅の中で獲得していた。


 ──未知への恐怖を知り。虐げられる哀しみを知り。奪われる怒りを知り。なおも残ったモノへの喜びを知った──


 そして、今の僕が此処に在る。


 ──その旅路で得た自我だけは、俺たち分身だって関係ねぇ、紛れもないお前自身のモノだ。誤魔化す必要があるものかよ──


 だったら、ソレは伝えなければ。大切で愛しい彼女へと、自分の言葉で。


 ──欲しいと思ったんだろ? 手放したくねェと思ったんだろ? なら格好なんざ付けずに、がっつけや。今の“恐怖/俺”なら、そうするぜ?──



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「ふぁ、あっ……ん、ふぅ……♡」


「今日は、一段と良い反応してくれるね。さっきの甘やかし、そんなに良かった?」


「そ、それは……私に甘えてくれる貴方が、可愛らしかったから……ひぅっ♡」


 僕が気持ち良くなる姿を見ているだけでも幸せ、という言葉は本当みたいで。既に彼女の身体はずいぶんと出来上がっていた。

 改めて彼女の胸を揉みしだくだけでも、実に聞き心地の良い嬌声を返してくれる。


「可愛いのは君の方だよ。……ありがたく、もう少し甘えてみようかな」


「ひゃっ、ヴィサス様♡ ……ん、う、くぅ……ああっ♡♡」


 左腕で彼女の体を搔き抱いて密着し、右腕はその秘所へと伸ばす。

 互いの体温を分け合いながら、濡れそぼったソコに指を侵入させた。


「ふ、ぅあ、あぁん……♡ あったかくて、気持ち良くて、幸せです……♡♡」


 白濁した蜜を秘所から溢れさせながら、とろんと蕩けた顔のキトカロス。

 彼女からすれば、先ほどまでの僕の顔も、こんな風に見えていたんだろうか。

 だとすれば……見ているだけで幸福だという彼女の言葉も、理解できそうだ。


「あぁ……あっ♥ ん、んぁ、はぁぁ……♡ ヴィサス様、私……♥」


 指への締め付けが強くなると同時、彼女の息遣いも荒くなる。

 どうやら、そろそろ達してしまいそうらしい。僕も指を更に深く、速く動かす。


「キトカロス、イキそうかい? ……いいよ、イッてくれ」


「は、はい♥ い……イキます、イッちゃいますっ……んん~~~~~~ッ♥♥♥」


 キトカロスは声を上げながら体を仰け反らせ、僕の指をひと際強く締め付ける。

 彼女が落ち着くのを待って指を引き抜けば、まるで名残惜しんでいるかのように、指の先では蜜が糸を引いていた。


「はぁ、はぁ……♡ ヴィサス、様……♥♥」


 ……まるで、というのは誤りか。実際、彼女は名残惜しむように、モノ欲しげな顔で僕を見つめている。

 僕は衝動的に、その艶めかしい唇を、再び奪った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「──あんっ♥ あっ、あああっ……♥ ん、ぅう……♥♥」


 互いの指を絡ませ合いながら、僕は彼女に腰を打ち付ける。

 僕の分身が彼女のナカを貪る、その熱と快楽。何度肌を重ねても、際限なく溺れていってしまいそうな感覚に襲われる。僕も、彼女も。


「いっ♥ ん、あぁ……イッぐぅう♥♥ ——ぁ♥ いっ♥ イッてるの♥ にぃぃ♥♥ イきっぱなしの、ぉ♥ ナカ♥♥ パンパン、するの♥♥ らめれすぅ……♥♥」


 彼女が達する度、膣の締まりも、僕らの指の絡まりも、より一層強まっていく。


「本当に、ダメなのかい……!? 気持ち良さそうじゃないか、キトカロス……!」


「はい、はいっ♥♥ イッてるのに、それでもグチャグチャにされるのっ♥♥ すっごく幸せで♥ 気持ちいいです♥♥ 幸せ過ぎて♥♥ これじゃ私、本当に泡になって──」


「──その言葉。それ以上は言わせないよ、キトカロス」


 腕を彼女の両肩へ回し、上から覆いかぶさるようにして強く密着する。

 彼女を、決してどこにも逃がさないように。


「ほわっ♥ ……ヴィサス、様?」


「キトカロス。君が消えてしまうかもだなんて、僕は怖いよ。もし本当にそんなことが起これば、僕は哀しい……それ以上に、君を手放してしまった愚かな自分への怒りが抑えられないだろう」


 だから、もうそんな冗談は口にしないでほしい。


「僕は君が好きだよ、キトカロス。僕から離れないでくれ、僕の傍に居てくれ。……それが僕の、何よりの喜びなんだ」


 これまでだって、彼女に好意を伝えたことは何度もあったけれど。

 これほどまでに、僕という男の感情をぶつけたのは、これが初めてで。


「……ふふっ♥ やっぱり甘え上手な貴方も素敵ですね♥ ごめんなさい♥ もう貴方を不安にさせるようなことは言いません♥ 大丈夫ですよ♥ 私はずっとヴィサス様のお傍に居ますからね……♥♥」


 その感情を、愛しく想う相手に受け入れてもらえたとなれば。

 もう、止まらない。止められない。


「キトカロス……キトカロス……ッ!!」


「あぁ♥ あぁーっ♥♥ いきなりぃ♥ はげしくっ♥♥ いっ♥ イッちゃいますっ♥♥ またすぐにぃ……んっ~~♥♥♥」


 体も、心も、通じ合って。一つに溶け合ってしまいそうなくらい、交わり合って。

 こんなにも熱く激しい幸福に包まれてしまえば……間もなく限界はやって来る。


「ヴィサス、さまぁ♥♥ 私、もう♥ さいご、最後は貴方と、いっしょにっ♥♥♥」


「ああ……出すよッ!!」


 導かれるように、僕は最後の一突きを彼女の最奥へと叩き込む。

 絶頂を迎え入れた瞬間、視界がスパークする快感は、一気に全身へ駆け巡った。


「──イっ♥ ッグ♥♥ あァ~~~~~~~ッ♥♥♥」


 後には、彼女のナカへと自分の全てを放出していく感覚だけが残されていて。

 頭の中は真っ白だけど、でもそれが気持ち良くて、たまらなくて、幸せだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「それにしても、ヴィサス様には悪いことをしてしまいましたね。私なりの気持ちを言い表していたつもりだった冗談に、貴方がそこまで思い詰めていたとは……」


「いや……さっきはああ言ったけど、そんなに重く受け止めないでよ。これは単に、僕が意外と怖がりな男だったらしいってだけの話だから」


「いいえ、そうはいきません! その恐怖は、貴方が私のことを大切に想ってくれるからこそのモノ──であれば! 私は貴方を決して哀しませることのないよう、今後とも精進していきますねっ!」


 むんっ、と気合いを入れるように両の拳を固く握ってみせるキトカロス。

 その溌溂とした彼女の在り方を見て……僕はまた、友の話を思い出していた。



 ──あん? あの時、どうして“哀しみ”の支配を“恐怖”で相殺できたのか、って?──

 ──そりゃ俺の力があのキザ野郎よりも強かったから……と言ってやりてェがな。半分は、あの嬢ちゃん自身の踏ん張りだ──

 ──哀しみに泣きじゃくるのを止めて、恐怖に立ち竦むことも拒んで……あいつは剣を手に執ってみせた。心が強ぇ、ってのはああいうのを言うんだろうよ──



「……うん。君は強いんだね、キトカロス」


「当然ですとも! ペルレイノの支配者があの男だったのは、もう過去の話。そしてこの私は、ヴィサス様と共に世壊の守護者としての力を全て受け継いだ、正統後継者なのですからっ!」


 共に肩を並べ、語らい、笑い合う。幸福な時間がゆっくりと過ぎていく。

 これからも、僕はこの世壊で生きる。

 何かを恐れることも、哀しむことも、怒ることもあるだろう。

 ……それでも、決して手放さずに居たい。愛しい者と分かち合う、喜びの感情を。


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