ごめんねスレッタ・マーキュリー─美しい男 (前編)─

ごめんねスレッタ・マーキュリー─美しい男 (前編)─


※性格の悪いモブ視点、一人称SSです。とある病気を彷彿とさせる描写があります




「若、見ました?新しい新入り」

 今日もいつものように重役出勤をした『俺』に、腰巾着をしている部下が面白そうに喋りかけて来た。

 ウチはアーシアンには珍しく幾つかの工場を持っているそれなりの金持ちだ。生活に困る事はなく、家は長男が継ぐために、三男である俺は悠々自適な毎日を過ごしている。

 ただ何もしないでいるのも世間体が悪い為、小さな工場の取締役として勤務している。特に仕事はせず、ぶらぶらと工場内を見学したり、工場長と世間話するだけの役職だ。

 だいたい昼くらいになってから出勤して、少々の退屈な時間を過ごしたら日が沈む前に帰宅する。家に帰る前にふらふらと遊びに出かけて、実際の帰宅は深夜くらいになる。そんな毎日だ。

 なので工場のことなど何も知らないし興味はない。実際それでいいと家族にも許されている。その代わり問題は起こすなよと口を酸っぱくして言われているけれど、はいはいと適当に返事をしている。

 そんな俺だから、もちろん新入りの事なんて知らない。工場長もわざわざそんな面白味もない事を口に出したりなんてしない。大体、工場に人が新しく入るなんて珍しい事じゃないだろう。

「知らないよー、そんな事。なに?そんな面白そうなヤツが来たのぉ?」

 でも優しい俺は、話に乗ってやることにする。会話をしやすいように疑問を投げてやると、相手は嬉しそうに乗って来た。

「すっごいのが来ましたよ。何ていうかこう、存在感がやばいというか、オーラがやばいというか、こんな工場に居ていいのかってヤツが…あ、すいません」

「いいよいいよー、この工場小さいしねぇ。兄貴たちの工場なら大きいけど、俺はいわゆるミソッカスだからー」

「す、すみません。そんなつもりじゃ…」

「もういいってー。…で、その新入りってそんなヤバいの?」

「やっばいです。もう一目見たらヤバさが分かると思います」

「ふ~ん、そいつ今どこにいるの?」

「あ、どこだろう。多分組み立てのラインの方か、倉庫の方かもしれません」

「も~使えないな~」

 自分で話題に出したならその辺りは詰めておいて欲しい。探しに行くのも面倒くさいので、後で覚えていたらそいつの顔を見てやろうと思う。たぶん覚えてないだろうけど。

 さて今日は何をして時間を潰そうか。

 端末で動画でも見ていようかな、そんな事を思っていると、何だか周りが騒がしくなっているのに気が付いた。

 工場なんだから下品で大きな音が響き渡るのは当たり前だけど、それとは違う。…悲鳴も混じっている?

「な、なに…?なんかさ、騒がしくない…?」

「何でしょうね?行ってみますか」

「えぇ…?」

 取り巻きはさっさと俺を置いていってしまった。正直怖い事が起こってそうなので逃げてしまいたい。だってスペーシアンが攻めて来てたならまずいだろ。

 でも腰抜けだと思われるのもしゃくなので、取り巻きの後を付いていく。

 事態は倉庫の方で起こっているようだ。うちの工場は小さいけれど、それでも倉庫はそれなりに広く作られている。なんと旧型だけどモビルクラフトもある。兄貴の工場のおさがりだ。

 倉庫に近づくごとに、音も大きくなっているようだ。上方の方から、ガゴンッ、ゴギンッ、て大きな音が響いてくる。ミシミシミシ…ッ倉庫全体が軋むような音もしている。もしかして本当にスペーシアンが攻めて来たんだろうか。

 取り巻きが何の躊躇もなく倉庫への扉を開く。怖い物見たさで覗き込むと、その光景に俺は目を見開いた。

 出来上がった製品が床にぶちまけられている。備え付けられた大型の棚が倒れ、変形した台車や千切れたパイプなどがオモチャのように散乱している。

 その中心で、俺の工場唯一のモビルクラフトが大暴れしていた。アームを振り回しては、時に急発進をして、かと思えば旋回をして、予想もつかない動きで手当たり次第に物を壊している。その度に悲鳴が上がる。

 従業員たちは近づくことも逃げることも出来ずに、その様子を遠巻きに見ているだけだ。俺だってそうだ。扉の近くで固まって、何かをしようという発想すら浮かんでこない。

 俺のぬるま湯のような人生の中で、今が最大のピンチだと言える。幸いなのは、遠い場所に取り残された従業員たちと違って、俺のそばには今入って来た扉が近くにあることだろう。あいつらと違って、俺だけは本当にやばくなったら逃げられるはずだ。

 最低限の保証はされているけど、それでもすごく怖くてブルブル震えてしまう。ボーっと突っ立っている取り巻きに指示をして、早くここから出て行かなくちゃ。

 そう思った時に。

 俺のいる扉とは別の入り口から、誰かが倉庫に入って来た。

 俺と一緒で音が気になって見に来た暇人だろうか。…馬鹿なやつ。そう同情しかけたけど、俺とそいつでは決定的に違う所があった。

 そいつは中の惨状に一瞬足を止めると、怯える素振りもなく素早く倉庫全体を見渡していた。

 中心で暴れているのはすべての原因のモビルクラフト。…そして周りにいるのは逃げ遅れた馬鹿な従業員たちだ。

 中心部分に人が居たかは考えたくもないが、今この場にいる奴らはヘタに動いたら潰されるとでも言うように、怯えながら留まっている。腰を抜かしている奴もいる。

 このままの調子で暴れられたら、人死にが出るのは時間の問題だった。

 それが分かったんだろうか。そいつはモビルクラフトをじっと見たかと思うと、次の瞬間猛然とダッシュして暴力の中心地へと向かって行った。

 俺は一瞬、そいつが発狂したのかと思った。だって自分から危険に飛び込むなんて、そんな馬鹿な真似、常人ならするはずがないからだ。

 でもそいつは明確に目的を持っているようだった。床に散乱した障害物を器用に避けて、最短距離でモビルクラフトに近づいている。

 早い。まるできちんと整備された競技場を走っているみたいだ。そいつはその勢いを保ったまま、モビルクラフトにぶつかって行った。

 いや、ぶつかったと思ったのは俺の目の錯覚だった。そいつは信じられないような身軽さで、さっさとモビルクラフトに取りついていたんだ。

 まるで重力なんてなかったかのような軽い動きだった。タン、と床を蹴った後、モビルクラフトの折り畳まれた足をもう一度、今度はダンッと強く蹴り上げ、人間からしてみたら遥かに上にあるだろう腕の部分にぶら下がっていた。

 モビルクラフトの腕なんて、太すぎて鉄棒替わりになんて絶対にできない。そう思うのに、そいつはいつのまにかくるりと回って、体ごと腕に乗り上げていた。

 モビルクラフトの腕は4本ある。左右それぞれに上腕と下腕があって、それがバラバラに動くんだ。そいつが乗っている腕だって、いつまでも大人しくしているとは限らない。

 案の定モビルクラフトはまた暴れ出した。けれど腕を振り回す直前にそいつは器用に移動して、今度は運転席があるだろう前の装甲部分に取りついた。そこには運転席を開けるためのボタンが付いている。それを押して停止させるつもりかと思ったけど、残念ながら操縦中に押しても動かないはずだ。

 ハラハラしながら釘付けになって見ていると、そいつはどうもボタンではなく、別の部分をどうにかしようとしているようだった。

 たしかその辺りには、頑丈そうなガラスに守られている部分があったはずだ。そこに尖った何か…ナイフみたいなもの、を何度も叩きつけている。もしかして緊急停止用の何かがあるんだろうか。

 ガラスを叩きつける音が変わった。もう少しで割れる、と思ったところで、モビルクラフトはまた急に大きく動き出した。左腕を横に広げたかと思うと、そのまま腕で棚をなぎ倒しながら前進していく。

 そいつは装甲部分にしがみついて耐えていたようだが、モビルクラフトの向かって行く先には荷物運搬用の頑丈な車があった。このままだと確実に腰から下は挟まれる。

「あぶないっ!!」

 誰かが叫んだが、直後モビルクラフトは激突していた。これまでにない轟音に身がすくむ。

 悲鳴が上がった。誰もがモビルクラフトと車に潰されてそいつが死んだと思っていた。俺だってそうだ。

 俺は目をつぶりながら、血や肉が飛び散っている所を想像して恐怖に震えた。今ならきっと簡単に悪夢が見れる。

 けど、俺の予想に反して、すぐに周りから感嘆したような声が響き始めた。

 もしかして、逃げ出せた…?

 直前で飛び降りたか何かしたんだろうか。俺はそっと目を開いて、床に倒れているだろうそいつを探した。でもいない。

 俺は何となしにモビルクラフトの上に目をやって、驚きのあまり目を見開いた。

 そいつはまったくの無傷のままモビルクラフトの上にいた。腕の力と腹筋を使って、見事にぺしゃんこになるのを避けていた。

 そのままだったら確実に下半身は潰れていたのに、長い足がモビルクラフトのように折り畳まれて、頭の上に掲げられていた。腕の位置は違うけど、まるで逆上がりの途中で一時停止したみたいだ。

 ぶつかった時の衝撃は相当なものだったと思うのに、よく手を離さないでいられたものだ。

 その証拠に車の方は衝撃で弾き飛ばされている。相当強くぶつかったのか、モビルクラフトも前進をやめて少し静かになっている。

 呆気にとられながら見ていると、そいつは折り畳んだ体をすぐ元に戻していた。そして再びガラスを攻撃して、今度はあっさりと壊すことに成功した。

 その後も何か作業していたようだが、十秒もしないうちにモビルクラフトは機能を停止した。左右の上腕下腕がゆっくりと床に着いていき、駆動音もしなくなる。

 操縦中じゃなければ外のボタンは使用可能になる。そいつは運転席を開いたかと思うと躊躇なく中に乗り込んで、暴走させた犯人を連れ出していた。

 犯人は何かの発作を起こしていたのか、泡を吹いて痙攣していた。ものすごく不気味で怖い姿だったが、そいつは気にせず丁寧に床に降ろして人を呼んでいた。

 俺はフラフラとそいつに近づいて行った。だってすごい奴だ。あんな動き、テレビの中の安っぽいヒーローみたいだ。

 でも実際に見ると全然違う。こいつはすごい奴だ。

 そうして近づいて気が付いた。その男が恐ろしいほどに整った外見をしている事に。

 褐色の肌に黒髪という、この辺りではありふれた色彩をしているのに、まったくの異質な空気を纏っていた。

 背は高く、足は長い。全体的にすらっとしていて、けれど先の挙動から実践的な筋肉も付いていることが分かる。

 立ち姿も綺麗だ。背筋が伸びて、ピンとしている。

 何よりも顔の作りと表情がよかった。人形のように整った顔に、人形のような無表情。

 けれど瞬きする目や、喋る度に動く唇が、彼が生きている人間だと俺に感じさせた。

 さっきまでの荒々しい態度とは別人のような静けさで、それがまた魅力的だった。

「お、おい、あんたさぁ…」

 俺はドキドキしながら声を掛ける。こんなこと、十代前半の時に、狙ってる人妻をナンパした時以来だ。

「さっきはよくやってくれたなぁ、褒賞モノだぞ。お、俺から父さんに頼んで金一封出してあげようか?」

「…君は?」

 首を傾げた彼は、こちらに問いを投げかけて来た。この工場にいて俺を知らないなんて、そんな人間いるんだなと微かな衝撃を覚える。

 彼は間近で見るとますます綺麗さが際立っていた。

 黒髪に褐色の肌をしてるのに、瞳の色は何かの宝石のように薄く輝く緑色だ。顔立ちは西洋風だろうか。でも大ぶりじゃなくて、すべて小ぶりなパーツで構成されていて、それが絶妙な配置で形の良い輪郭に収まっている。

 声も、いい。平坦な声のようで、いつまでも聞いていたくなる穏やかな声だ。

「お、お、俺は、この工場の…」

 そこまで話したところで、とんでもない大声で乱入して来たヤツがいた。

「こらあぁー!お前!新入り!!なんて危険な事をしたんだ!!」

 怒り心頭といった風でズカズカと近づいてくるのは、俺のおじい様の知り合いだと言う技師の『クーフェイ爺さん』だ。

 どこからかやって来たこの爺さんは、おじい様に請われて半年ほどこの地域で人材を育成することにしたのだという。

 ハッキリ言って、迷惑だ。この爺さんはおじい様の知り合いだというのを笠に着て、俺にも色々とうるさい事を言ってくる。

 兄貴たちの工場で人材を育成していたのに、何故か最後の最後に俺の工場まで来てしまったのだ。おじい様に命令された俺の父さんの決定だけど…。父さんはおじい様には頭が上がらないんだ。

 いや、今はそんな事より目の前のクーフェイ爺さんのことだ。せっかく彼と喋っていたのに、爺さんは俺から彼を奪うようにして怒りを爆発させている。

「すみません。緊急性があると判断しました。この型のモビルクラフトなら、停止方法を知っていたので…」

「だからって単身で乗り込むやつがいるかぁ!!話を聞いて肝を冷やしたぞ!一歩間違えれば潰れてたんだぞ!!」

「それは…」

「言い訳をしようとするなぁ!!」

 あ、と思った時には彼は殴られていた。あんな綺麗な顔なのに、思いきり拳で殴りつけられていた。

「っ、……すいませんでした」

「お前は後で説教だ!!…若!お前もボーっとしてるんじゃねぇ!!被害状況を確認して後片付けだ!!なんでも人にやってもらってんじゃねぇ!!」

「うえぇ…っ!」

 怒りがこちらにまで飛び火して来た。そうは言っても、俺にはやれることなんて何もない。名ばかりの役員だし、もう工場長や各班長が、てきぱきと救急車の手配をしたり、片づけたりの指示を出している。

「じゃ、じゃあ、俺は被害状況をまとめて父さんに報告する書類を作るよ」

 大嘘だ。でも後で事務員にでも作らせた書類を持っていけばいいだろう。

 そう思った俺は、後ろにいた取り巻きと一緒にそそくさと逃げ出したのだった。

「うわー、若、すごかったですねぇあの新入り。ヤバいと思ってたけど、別の意味で想像以上にヤバかったっす」

「あ…ヤバい新入りってあの彼かぁ…」

 取り巻きの言葉でようやく思い至った。ヤバいというから、よほど強面なヤツが入ったのかと思っていたが、方向性が違っていた。

 先ほどの彼を思い出す。

 動いている時は、格好良かった。まるで安っぽいヒーローのように。

 静かにしている時は、綺麗だった。まるでガキの好きそうな人形みたいに。

 そいつは、総じていえば『美しい男』だった。

「後で名簿持って来てよ。俺、彼の事もっとよく知りたいな~」

 名前と住所さえ分かれば、クーフェイ爺さんにいびられて工場を辞めても、彼とまた話せるだろう。

 俺は彼に興味を持っていた。


 …この時は、ただの強い興味だった。






美しい男 後編


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