続き

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Telegraphの量に限界ってあるんだね



6


 これだけ状況がわかれば何が起きたのか否が応でも想像できる。一連の事件の犯人は彼の彫師で、ついこの前まで話していた男はそいつに襲われたのだ。

 そういえば、彼の男は黒髪でおれより背も年齢も低そうに見えた。胸元の刺青はわからないが、それ以外は犯人が狙っていた特徴と一致していた。

 おそらく犯人だとは思わず、話を聞くつもりで接触したのだろう。そうでなければこんな事はあり得ない。

 彼の時、一緒に行くべきだったのかもしれない。いや、そもそも口を出すべきではなかった。おれが何もしなければ彼の身には何もなかったはずだ。

 今回の原因は中途半端に関わったおれにある。

 だが――まだ間に合うかもしれない。

 見つかったと言われているのは右腕だけだ。生きる上で最悪失っても問題のない部位だ。

 彼が単独で調べに行った以上、公的な捜査を待っていられない。それでは時間が足りない。間に合うとするなら犯人が彫師の男だと気付いたおれが動いた場合だけだ。

 だが、今のおれでは犯人の居所を即座に掴む事は出来ない。だから、目の前の男の協力が必要だ。彼の占いなら居場所を特定する事は容易だろう。

「前に占いを頼むなら金を払えと言っていたな。いくらだ。いくらあれば占ってくれる」

「何が言いたい」

「この事件の犯人がわかった。居所を知りたい」

「――ほう?」

 この前の話を蒸し返されて不服そうだったが、途端に興味を持ったらしく、片眉を上げていた。

「どういう経緯でその思考に至ったか洗いざらい話せ。占いはそれからだ」

「いや、しかし」

「占うなら情報は必要だ。第一、そちらは何も事情を話さないくせにこちらには占え要求するのは失礼だと思わないか?」

「これは――いや、お前の言う通りだ。わかった。ただ、他言無用で頼む」

 これに関しては向こうに一理あった。話す他ない。

 頷いたのを見て、何故犯人がわかったの大まかに話した。ずっと何の反応も見せていなかったが、最後に犯人の名前を伝えると暫しの沈黙の後、大きな溜め息をついた。

「荒唐無稽だが、あり得なくはないな。いいだろう。貸しにしておいてやる」

「いいのか?」

「金は嫌いではないが、占いをして稼ぐつもりはない。それに、今回はこちらにも利がある。

 お前が犯人だと思った男におれの仲間が刺青を頼んだ事がある。おれの仲間がただの一般人に負けるとは思わないが、仲間が害される可能性は少しでも排除しておくべきだ。先ずはそいつが犯人か確かめなければな」

 そう言い切るとその場でカードを取り出した。


「五つの事件の犯人である確率は80%?おかしいな」

「おかしいのか?」

 カードを動かす手を止めたかと思えば首を傾げた。十分高い確率だと思ったが、何がおかしいのだろうか。

「ああ。未来ならともかく、過去の事を占った結果がこんな中途半端な確率になるのはおかしい。『はい』か『いいえ』かの質問に『だいたい合っている』と言われたようなものだ。こういう場合は、細かい条件で占えば原因がわかる。そうだな――共犯者がいる可能性はあるか?」

「そこまでは調べていないからわからないな」

「そうか」

 短い返事と共に、またカードを動かし始めた。今見ただけではどんな法則でカードを動かし、占いをしているのかさっぱりだ。

「気が散る。何かしたいなら他に要因がないか考えろ」

「す、すまない」

 舌打ちと共に軽く睨まれた。そんなつもりはなかったが、彼に頼るしかない以上、邪魔は一番してはいけない事だ。

 後ずさりで彼と距離を取った。相当集中しているせいかこちらを少しも見なかった。

 ともかく、彼の確率になった理由について考えよう。先ずは何を知っているか、何を話したかについて思い出すか。


「共犯者がいる確率は0%か。おい、何か思い付いたか」

 占いが終わったらしく、こちらを振り返った。

「一つだけなら、ある」

 考えて思い出したのは刺青について調べた事を話していた時の事だった。彼の時確かに彫師が疑われていない理由について話していた。だが、その理由はある条件を付ければ瓦解する。

 おれが考えたのは前提をひっくり返すような仮説だ。推理小説ならこれは三流以下だろう。だが、生憎と推理小説ではないのだ。なら、こんな仮説があっても良い筈だ。

「事件によって犯人が違う可能性はあるか?確か、一番最初の事件では彼の彫師は遺体の第一発見者だった」

「なるほど。最初の事件だけ犯人が違うなら彼の確率にも納得出来る。なら、事件ごとに確率を調べてみよう」

 無理があると思ったが、存外素直に受け入れられた。思い付いた可能性をとにかく調べていくつもりなのかもしれない。

「五番目の事件の犯人である確率は100%。四番目、三番目、二番目、同様に100%。一番は――ほう、なるほど。おい、大当たりだ」

 動きを止め、カードが並べられた場所を指差し笑った。目線をそちらへ遣るが、何が言いたいのかさっぱりわからなかった。

「最初の事件の犯人がお前の言う彫師である確率は0%だ。つまり、手口は似ているが違う犯人の事件を同一犯だと想定して調べていたのか。確かにそれは難航するだろうな。模倣か?それとも偶然の一致か?」

「頼んでおいて言うのも何だが、それは今関係ないだろう。ともかく、犯人だと確定したんだ。居所を探ってくれ」

「――それもそうだな。可能性のある場所は知っている訳がないか。とりあえず、方角からいくか」

 そう呟くと、カードの方へ向き直した。

 そして暫く経った後、またこちらを振り向いた。

「場所がわかった。付いて来い」

「一緒に来てくれるのか?」

「おれとしては面倒だが、お前についてついでに占ったら『一人で行かせると凶』と出ていた。お前がどうなろうと知った事ではないが、犯人を取り逃がされるのは厄介だからな」

 犯人に何かされるとは思わないが、彼の占いは侮れない。だからこそ、居所の特定を頼んだのだ。それに、ここまで頼ったのに向こうのやりたい事を止めるのもおかしな話だ。

「わかった。人手が多くて困るなんて事はないだろう」

「手伝うかどうかは知らん。とりあえず一緒に行くだけだ」

 手短な返答と共に、前を歩き出した。これ以上話す事もなかったから、大人しく彼に続いた。


 暫く歩いていく内に細い裏道のような場所を歩いていた。ある程度知っている場所だからわかったが、ここに来るのなら表の道を歩くべきだ。人がいないのは表も裏も同じだが、表の道はここまで複雑ではない。

「なあ、ここに来るなら表を歩くべきじゃ――」

 言葉を続けようとすると手で制された。反射で黙ると黙って表の道を指差した。

 意図を理解し、黙って覗き込む。


 前を歩かれたから、覗くまで目の前の人影に隠れて見えなかった。だから今の今まで知らなかった。

 そこには犯人と――到底想像のつかない人物がいた。



 何故だろう。何故上手く行かない。遣り方が下手なのか。身体を削る事は慣れている筈だが一向に上達しない。出来ない事ではない筈だ。絶対にやり遂げてみせる。


 醜い。醜い醜い醜い。おかしい。何故出来ない。

 体液がどろどろと流れ出てくる。彼の青年にはこんなものは無かった。こんなに醜くは無かった。


 最後まで仕上げても腐敗が進んでいく。何を間違えているのだろうか。それとも完璧になった結果腐敗した魂が身体を侵食しているのだろうか。

 だとするなら、創れないに決まってる。海賊に汚されたここで腐敗していない魂なぞ、有る訳がないのだから。

 やはり彼の匣だ。彼の匣を見つけなければ。


 とりあえず外へ出た。とにかく探さなければ。探さなければ見つからない。

 誰かに聞かなければならないのに、誰も居ない。

 おかしい。いつも人が少ないとはいえ、一人もいないなんて事があっただろうか。

 仕方ないので、一人で探し始めた。


 どれほどの時間がたっただろうか。気づけば目の前に色眼鏡をかけた大男がいた。


 その大男は匣を持っていた。


 ああ、匣だ。

 彼の匣だ。

 彼の青年の入った匣だ。


 気付くと堪らなくなった。


 その男が酷く羨ましくて仕方がなかった。



7


「ああ、いた!いた!見付けた!」

 彫師の男は大声で叫びながらもう一人へと近づいて行った。いや、近づいて行ったのは匣の方かもしれない。男が見ていたのは一抱えもある大きな匣だった。

「どうかその匣を譲ってくれ!おれにはそれが必要だ!」

 今にもすがり付きそうな様子なのに、それを向けられた相手は平然としていた。

「何故、おれがそんな事をしなくてはならない」

 七武海の一人、既にない国の元国王、闇市場の商人、その人間の持つ肩書きは幾らでもあった。その中の一つにはこの国に関わるものもあった。

 だから彼がここへ来ているのはおかしくない。ただ、そんな男がただの彫師の男と縁があるとは思えない。おれも今まで当たり前のように思っていた。

 だが、彫師の男の態度はまるでその男と会った事があるかのようだ。

 これは一体どういう事なのだろうか。

 そう声を上げたかったが、そうする訳にはいかなかった。今会話に横入りしたら、彫師の男が逃げる可能性があった。それだけは避けたかった。

 おれはただ裏道でじっとしていた。


「何度――何度創っても上手くいかない」

 やがて、彫師の男は自身の手を見ながら呟いた。

「何度同じように削いでも、埋めても完成しない。削げば醜い体液が流れ出る!匣へ入れても醜く腐っていく!何度遣っても調和が取れない!完璧にならない!でも、お陰で気付いた。やっぱり、彼の青年は特別だ。この国の者ではない、醜くない魂を持っている青年なんだ!同じものが創れる訳がないんだ!」

 一体何を削いでいるのか、男の言う体液が何から出たものなのか――それがわからない程おれは馬鹿じゃない。おれの予想と彼の占いの結果は正しかった。それが嬉しいのか、外れていて欲しかったのか良くわからなくなっていた。

「だから、寄越せ。匣を今すぐに寄越せ。彼の時見た、彼の青年を見せろ!」

 大声を上げながら掴み掛かろうとする。その様子は明らかに常軌を逸していた。

「一つ、教えてやろう」

 何の技術もないそれは軽々と避けられた。相手は強力な海賊、こうなるのは当たり前だ。

「失敗するのは、お前が下手なだけだ。おれなら血の一滴も流さねェ――こんな風にな」

 身体に手を置く。それだけだった。


 それだけなのに、彫師の男の四肢がほどけた。


 訳がわからないが、そうとしか表す事の出来ない光景だった。まるで彼の四肢が元から糸で出来ていたかのようにほどけ、糸となり、そうした張本人の男の手元に糸玉となって集まっていた。

「あ、ああ……!」

 当然、彫師の男は身体を守る事が出来ないまま地面に倒れ伏した。その様子をつまらなさそうに眺めると、糸玉を放り投げた。

 雑に扱われた糸玉は地面を転がり、絡まっていく。まだその糸と感覚が繋がっているらしく、彫師の男は悲鳴を上げていた。

「――煩ェな」

 指をほんの少しだけ動かすと、彫師の男は声を発しなくなった。能力をどうやって使ったのかは不明だが、話せなくなっていた。

 そうやって静寂が広まった中、こうした張本人は抱えていた匣へ顔を向け、語り掛けていた。その様子は先程の無関心さとは打って変わり、強い何かが見られた。

「また、お前を奪おうとする奴が現れるとはな。怖かっただろう?なあ、――ロー?」


 ろお。

 ろー。

 ――ロー。


 彼の男はそう言っていた。確かにそう言っていた。

 その名前で思い出すのはある海賊だった。その男はおれと同じ世代、ハートの海賊団の船長だった。

 だった、というのはその男は死んだとされているからだ。国が滅んだと同時に死んだとされていた。おれもそうだと思っていた。

 だが、国を滅ぼした男は自身の持つ匣へその名前を語り掛けていた。

 見聞色の覇気はその匣の中に生きた人が居る事を示していた。


 見たい。匣の中が見たい。

 おれは匣の中のローが、どうしても見たい。


「まさか、お前を奪おうとするどころか同じようなものを創ろうとする奴が現れるとはな」

 おれの前にいる男を押し退け細い道から出る。

「確か、三ヶ月前だったか?その時この国でお前を見せたときはただ奪おうと匣へ手を伸ばしただけだったのにな。それにしても姿を見せるだけで人を狂わせ、人殺しを起こすとは、お前は恐ろしい奴だ」

 匣へ向かって歩いていく。一歩進めば、一歩匣へと近づいていた。

「ん?ああ、安心しろ。お前が人を何人殺そうとも、狂わせようとも、おれだけはお前を手放さない。ちゃあんと、守ってやるからな」

 声が聞こえる程の距離にあったせいか、直ぐに距離は縮まった。

 あと少し、あと少しだけだ。

「ああ、そういえば居たな。――お前も、この匣の中が見たいのか」

 匣へと熱心に語り掛けていたのに、急にこちらを向いてきた。

 その手は匣の扉へと掛かっていた。

 匣の中の気配が揺らいでいるのが感じられた。

 匣があと少しで開く。



 最初に感じたのは激痛だった。

 激痛を感じた場所を見ると、おれの身体がほどけていた。

「外には出してやるが、逃がすつもりなないからな」

「手も足も、無ければ逃げ出せねェだろう」

「安心しろ。移動するときはおれが抱えてやる。お前を入れるための匣も用意した。良い子にしていたら、偶には匣も開けてやろう」

「そうだ。お前を生かすために必要な臓器は隙間に入れておいてやる。せっかくだから美しく形も変えておいてやろう」

「まあ、口は開けなくなるが呼吸は出来るから問題ないよな」

「何か話す必要はないもんな」

「お前はただ眺めていれば良い」

 その時上げた絶叫は痛みから来るものなのか、恐怖によるものなのか良くわからなかった。


 気付けば、匣の中に入っていた。


 先程まで感じていた激痛と恐怖のせいで、暫くはぼうっとしていた。でも、また恐怖が侵食してきた。

 手足は動かせなかった。

 口を開く事も出来なかった。

 匣の中は暗くて何も見えない。

 移動する音と、形を変えられた臓器がどくどくと蠢く音が聞こえる。

 一体、この状態はいつまで続くのだろうか。

 匣の中では永遠に思われる時間が経っていた。


 匣に入れられる事は何度もあった。

 匣の中の感覚に慣れる事はなかった。

 また、匣の中へ入れられる。匣の中へ入れるときは随分と楽しそうで、それがまた恐ろしかった。


 匣の中では本来有るべきでない場所に臓器がある感覚がする。

 隣り合わない臓器が密接に絡み合い、一つの形を取っている。

 もう、自分がどういう形を取っているのかすらわからなくなっていた。


 外から声が聞こえる。二つあった声はやがて一つになっていた。

 匣に手が掛けられているのがわかる。それが恐ろしくてたまらなかった。

 匣が開いたときには決まって誰かが居た。それから起きる事は二つだ。

 ただぼうっとおれを見るか、まともでない様子でおれへ手を伸ばし、そして殺されるか。二つに一つだった。

 おれは何もしていないのに、人は狂って死んでいった。自分のせいで誰かがおかしくなるのは耐え難い程辛かった。


 出して

 見ないで

 助けて

 死なないで


 相反する思いが渦巻いていく。その思いに整理が付かないまま顳顬に力を強く入れた。

「 」


 だけど、もうおれは、誰かへ訴え掛ける事すら出来なくなっていた。



「おれ達の仕事に客人の荷物を改める事はない。折角のお誘いだが、遠慮させたいただけないだろうか」

 いつの間にかおれが押し退けていた相手がおれの横に立っていた。匣を持つ男もそれに気付いていたようだった。

 匣の扉に掛けられていた手はいつの間にかなくなっていた。

「――興がそがれたな。なら聞くがお前達の仕事は一体何だ?」

「敢えて言うのなら、この国の維持――つまり、治安を乱すその地面に転がった男を捕まえることだ。会話を盗み聞きしたことは謝罪する。確実に捕まえる機会を伺っていただけで他意はない。どうか、引き渡して貰えないだろうか」

 打診を受けて暫し沈黙していたが、了承した。

「まあ、良いだろう。こんな男、どうでも良い。そうだな。特別に戻しておいてやろう」

 そう言うと何かを操るように手を動かしていた。糸玉は消え、四肢が戻っていた。

 慌てながら逃げ出そうとしていたが覚束ない動きをしていた。そんな男捕まえるのは容易だった。

 捕まえたときには、もう匣もそれを持つ男も居なくなっていた。


「占いで『一人で行かせると凶』と出たのはこういうことか。

 おい、もう二度と惑わされるなよ。あれを人間だと思うな。あれはもはや――魍魎だ」

 捕まえた彫師の男を然るべき場所へ届けた後、脈絡もなく告げられた。そいつはそう言うと満足したようにおれを置いてその場を立ち去っていった。


8


 それから起きたのは、さほど面白い事ではなかった。

 おれ達は彼の彫師の男を不審者として突き出したが、言動からバラバラ殺人事件の犯人である可能性が浮上し、家を調べる事が決まったらしい。そして、その結果証拠が発見され、犯人として再度捕まえられたそうだ。

 おれはそれを瓦版を読んで知った。そこには何が見付かったのかも書かれてあった。


 犯人の家では凶器の数々に加え、今まで見付からなかった部分の遺体も五人分発見された。遺体は全て匣に詰められ、胸元にはハートの刺青が施されていた。

 犯人にその証拠を突きつけると『同じものを創ろうとしていただけだ』という旨を訴え始めた。


 瓦版に書かれていたのは概ねそういう内容だった。

 犯人の言う『同じもの』が誰の事なのかは予想が付いた。彼の男の胸元は見たことがない。だが、自身の海賊団の名前を刺青にして入れるというのは不自然な考えではないだろう。

 それから、おれが瓦版を読んでまだ間に合うと思っていた時には、もう殺されていたという事もわかった。おれが死んだ原因を作ってしまった、おれの勝手な調査に巻き込んでしまった彼の男を助けることはどうやら無理だったようだ。


 事件の顛末が広まっても花の都の喧騒は変わらなかった。いつも通り華やかで、支配されていたままだった。


 おれは今、最後に同行してくれた男の元へと向かっていた。色々と助けてくれたお礼と、一つ聞きたいことがあった。

「――ホーキンス」

「何しに来た、ドレーク」

 見覚えのある姿に声を掛けると、不機嫌そうに振り返った。

「この前は助かった。ありがとう。感謝してもしきれない」

「あくまでも彼の件は貸しだ。何が返ってくるかわからないが、そうお前が思うのなら、多少期待しても良さそうだな」

「今度何かあれば出来る限りの助力をする。それで良いか?」

「そうだな。今のところはそれで良いだろう」

 何を要求かわからないが、先に頼んだのはおれだ。よっぽどの事でない限りは受け入れる覚悟をしておこう。

「それから一つ聞きたいことがある。最後に言っていた魍魎とは、一体何の事だ?」

「魍魎?ああ、確かに言っていたな。そうだな――まあ、お前なら説明すれば理解出来るだろう。さて、どう言うべきか――」

 顎に手を当て、少し考えていたが説明して貰えるらしい。


「魍魎はこの国特有の存在だが、端的に言ってしまえば境界に存在し、人を惑わすものの事だ」

 言葉を選んでいたのか、何度か口を開いては閉じていたがとうとう魍魎について説明を始めた。

「境界は境界である以上、どちらにも属さない。彼の人間を思い出してみろ。あれはおれ達のような人でなしとは違う。かといって真っ当な人間かというともっと違う。ほら、どちらにも属していないだろう?」

 言われた通り、彼の時の事を思い出す。確かに、あれを自分達と同じ存在だとは呼びたくない。あそこに居たのはもっと異質な何かだった。

「更に言えば、彼の時お前は惑わされていた。境界に存在し、人を惑わす。それを満たしている以上、魍魎と呼ぶ他ないだろう。――彼の時も言ったが、くれぐれも惑わされるなよ。惑わされたら最後、もう今と同じには戻れない」

「同じ、とはどういうことだ?」

「言葉の通りだ。一度境界を越えて変わってしまえばこちら側へは戻れない」

「いや、確かにそうだがそうではなくだな――そもそも、同じという事自体は有り得るのか?」

 疑問と呼べるかもわからない、違和感のようなものだった。つい口に出てしまったが、まともに答えて貰えるとは思っていない。無視されるか屁理屈だと切り捨てられると踏んでいた。

 だが、実際は違った。少し呆気に取られたかと思えば、声を上げて笑い始めた。彼を少しでも知っていれば、有り得ないと思う程の表情と声色だった。

「ああ、そうだ。お前の言う通りだ。過去、現在、未来、どの場所においても全く同じものなんか存在しない!同じものがあると思うのは、同じものを創れると考え、そしてそれが出来たと確信するのは――狂人の所業だ」

 今回捕まえられたバラバラ殺人事件の犯人の事を思い出した。今言われた言葉を借りるなら彼の男は狂っていたのだろう。そして、それは魍魎の仕業なのだ。



「海」

「霧」

 バラバラ殺人事件が収束し、色々と話をしてから数日後、海軍としての仕事をしていた。

 そういえば彼の話をした時、境界はどちらにも属さないものだと言っていた。なら――おれはどうなのだろうか。海軍としては名目上辞表を出し、かといって海賊なのかと言うと違う――とおれは思っている。

 もしかしたら、おれ自身も境界なのかもしれない。

 いや、大事な報告をしている時に何を考えているんだ。おれは海軍だ。今行っている内容が内容である以上、そこはしっかりと自覚していなければならない。

「あ、そういえば事件という程ではありませんが、最近捕獲した海賊団にいる海賊の身柄が想定より少ないことがあるそうです。仲違いなどで捕まえる少し前に居なくなっている線が有力ですが、賞金が掛かっているような海賊がいない場合もあるので少し噂になっていますね」

 報告も終盤になった頃、偶々思い出したといった様子でそんな話が出てきた。境界の事を思い出していたせいか、彼の事件が脳裏に浮かんでいた。

「それは、身体の一部だけがあったり、行方不明になった人物に特徴があったり、そういうのは――」

「いえ、そういう事はないです。やけに具体的ですが何かあったんですか?」

「少し前までそういう手口の事件があったんだ。犯人も被害者もただの一般人だから報告はしていない」

 当たり前だ。ただの偶然だろう。

 だが、つい考えてしまった。

 匣を持った彼の男は海軍の施設へ入る事が可能だ――と。



 報告は程なく終わった。直ぐに戻らなければいけないが、戻れる程頭が整理されていなかった。

 ある事が頭の中をずっと占めていた。

 匣を持った彼の男は魍魎だ。なら、匣の中にいる人は一体何者なのだろうか。

 それがおれの予想通りなら、彼は匣の中で何を考えているのだろうか。

 これが魅入られるということなのだろうか。だとしたら手遅れだ。

 考えても意味のないことだとわかっている。

 それでも

 おれは、何だか酷く――

 匣の中が気になってしまった。

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