続き
凪くん、帰って来たら鎖ごと俺が居なくなっててビックリするだろうな。
ここにはいない主人のことに思いを馳せてぼんやりと遠くを見つめ、雪宮の焦点の行先は空想の彼方へと飛び立っている。
足枷の鎖を引っ張られているとはいえ、引き摺られて無理やり歩かされてはいない。が、花になってからの雪宮は自己主張が弱いので逆らうこともなくカイザーの後ろについて静々と廊下を進んでいた。
華やかで支配者然とした立ち振る舞いの美青年が儚げで虚ろな眼差しの大人しい美青年を文字通り引き連れている姿は、監視カメラ越しにこの光景を見ていた絵心とアンリの脳味噌をしばしフリーズさせた。
そして彼と彼女が現実に引き戻されるよりも早く、カイザーは雪宮を伴ったままイングランド棟からドイツ棟まで戻って来る。途中で誰ともすれ違わなかったのは今が本来であれば練習の時間帯だからだ。流石にオフの時間帯であれば、このシーンを目撃した監獄生がツッコミを入れるなり物理的に止めに入るなりしていただろう。
扉を開けると、内側から吹き込む空調の風が二人の伸びた前髪をさらっていく。サッカーコートは動き回る選手のために廊下よりも送風が効いていた。
途中で抜けたカイザーを除いたドイツ棟の面々は、今はマスターの指示で模擬試合をやっている。
「今帰った、ノア」
「そうか。なら早く練習に戻……」
カイザーに声を掛けられて振り返ったノエル・ノアと、雪宮のオレンジアンバーの瞳がかち合う。
深煎りしたコーヒーみたいな色の髪をさらりと揺らして、雪宮はドイツ棟のトップたる彼に軽く会釈をした。
頭を上げても、まだノアは固まっている。
ノエル・ノアでもこんな表情をすることってあるんだ。自分を蚊帳の外に置いて、他人事みたいに雪宮は考えた。
「え、あれって凪がペットだって言い張って連れて来たモデルのイケメンだよな?」
「何でドイツ棟に……っていうか凄い格好してはるわ。あれ凪くんとカイザーくんのどっちの趣味?」
「SMプレイ! SMプレイ!」
「何でサッカー施設で棟を跨いだ痴情の縺れの気配を感じなきゃなんねぇんだよクソが!!」
「イングランド棟の凪まで知らせに行ったほうが良いのかコレ?」
「うちの皇帝がそちらの恋人を略奪して申し訳ありません、ってか? 流血沙汰は勘弁だぞ」
表情を強張らせたドイツ棟の監獄生の面々が、遠方で声を潜めてひそひそと話し合っている。
無理もない。これから闇オークションにでも出品されそうなやたらフェティッシュな拘束をされた美青年が、これまた美青年であり普段から横暴な王様みたいに振る舞っているカイザーに鎖を引っ張る形で連れて来られている。こんなものを見てしまっては慌てふためくなというほうが厳しい。
彼らの頭の中では、背景に薔薇が咲き誇る中で雪宮を顎クイしているカイザーが「喜べ剣優。俺の物にしてやる」と傲岸不遜に囁いているし、それを見た凪が凄まじく機嫌の悪そうな声で「あ゛?」と髑髏を背負って威嚇している。雪宮は「俺のために争わないで……ッ」などと言い出しそうな表情で二人に挟まれて涙を流していた。
何がBL(ブルーロック)だ。これではBL(ボーイズラブ)ではないか。
突飛な現実と耽美なイメージ映像のあまり監獄生たちの様子がちょっとおかしくなる傍ら、カイザーは蝶の羽に似たまつ毛に縁取られた目元でじっと雪宮のチョーカーを見つめて口を開く。
「……今から取り寄せると後日にはなるが、俺の名前か青薔薇を刻印したチョーカーをお前に贈る。もし首に何か付けていないとお前の気が休まらないなら、気に食わないが暫くそのままでいい」
自身もストレスがぶり返すと昔のことを思い出して首を絞めてしまう悪癖があるので、雪宮も『花』としての習性で誰かに所有されている証が無ければ落ち着かないかもしれない、との懸念からそう提案したまでのこと。
しかし外野にそんな事情は関係が無いため、彼らの中ではこのやり取りを以って、凪と雪宮は束縛の強いSMをやるタイプの関係だったしカイザーは凪からMを略奪愛した束縛の強いSだということになった。
雪宮も被虐体質の従順なMだと思われたが、これは一部間違いでもないのがややこしい。そもそも花になってしまえば望まずともSMのMみたいな扱いは受けるものだ。