絶望の箱、底に残った最初の奇跡の名前は『災厄』

絶望の箱、底に残った最初の奇跡の名前は『災厄』


“………ダメ、かな”


「申し訳ありません、先生。私たちもユウカちゃん、ゲーム開発部のみんな、そして他生徒も一定数犠牲になっている以上、アビドスを……小鳥遊ホシノへの処遇を矯正局送りだけに留めることはできません。……先生ご自身が彼女を捕らえた際はまた別ですが、我々ミレニアムが捕らえたのであれば、容赦できません」


“そうか。……うん。仕方ないね”


「本当に申し訳ありません。……あ、その、近々ユウカちゃんやミカさんに会ってあげてくださいませんか?二人は今、必死に頑張っていますから。先生の顔を見れば、いくらか禁断症状も落ち着くかも……」


“うん。そうするよ。それじゃあね”



ノアとの連絡の後、ため息をついた。これでミレニアムサイエンススクールもダメ。連邦生徒会の下に記載される文字にそっと横線を引く。連邦生徒会も、トリニティも、ゲヘナも、ダメだった。そもそもゲヘナとトリニティは被害が最も大きい、まともに政治もできないぐらいの分裂が起きているのだが……



“ホシノ……私が、私は……”



私のせいだと思った。私がもっとホシノを気にかけていれば、止めることはできたはずだ。ホシノをここまで苦しめることはなかったはずだ。私は、ホシノを苦しめた。生徒が泣かない世界にすると、あの世界の私と誓ったはずなのに。目の前に聳え立つのはどうしようもない失敗だった。

だからこそ、私は責任を取らなければならない。ホシノを泣かせたまま終わらせない。ホシノが現実を見ないまま終わることは認めてはいけない。それが大人の責任だ。それが私の責任だ。なのに………



“………どうしたら、いいのかな………”



胸にあるのは後悔だけ。絶望までは踏み込まないけど、多分あと一歩後ずされば絶望に呑み込まれるかもしれない。気づくのが遅れたから。ホシノに寄り添えなかったから。なんと罪深い。地獄の業火では飽き足りない。それでは足りないのだ。

頼れる学校はない。当たり前だ。いてたまるか。これは私の責任で、私が背負うべき苦痛。彼女たちの受けた騒動の怒りと悲しみは、至極当然のものだ。それをアビドスに……ホシノにぶつけること自体は間違いとは言えないのだから。

とりつく島がない?そこに至るまでに事態を抑えられなかった私のせいなのだから当たり前だ。泣き言を言う暇があるのならば、一刻も早く方法を探さなければ。手伝ってくれる人がシロコと、アロナと、プラナと、それと、それと……それと……?


“……私は………”



「あらあら、先生。なんともおいたわしい。ですが、先生?誰かお忘れではありませんか?私(わたくし)というあなた様の生徒を」


“………ワカモ………”


「はい。あなた様だけのワカモです♡」


久しく顔を合わせていなかった彼女は、いつもの面を取り払っていた。その表情は柔らかで、いつものような妖艶さやそこはかとない邪悪さは見当たらない。誰かを慈しんでいるようで……それは……私?


“ワカモは……大丈夫?”


「あのあまーいお砂糖の中毒についてですか?ええ、大丈夫。私は服用していませんよ。私の周りの環境で言うのなら……そうですね……ヴァルキューレも私に構う暇がないようで。そこらのチンピラの皆様方も一部を除いてお薬に溺れていますねぇ」


“そうか。よかった……”


「────いいえ。全くよくありませんとも。私、気分が最悪です。何故だかわかりますか?」


何故、何故と来た。ワカモは自他共に認める破壊衝動の持ち主だ。私との約束があるから必死に堪えてもらっているけれど、本来は何かを扇動したり、破壊したり、そういうことが大好きだ。考えられる線といえば……みんなが自制しなくなったこのキヴォトスで、未だ私との約束によって自制し続けることの不満、とか?


「まだ、理解が及んでいませんのね。いいですか?……あなた様が泣きそうなお顔でいらっしゃる。それが、何よりも私の我慢ならないことなのです」


“……え?”


「もう、先生ったら!私があなた様をお慕い申し上げておりますこと、何度も言ってらっしゃるでしょう?」



そう言いながら、彼女は私の頭を撫でる。優しい、慈愛に満ちた手つきだ。ここ最近ずっと徹夜で駆け回っていたから、髪の毛はボサボサで。けれど、それでも、毛先を通してじんやりと、頭にぬくもりが伝わってくる。なんだか目がしばしばする。



「……癪な話ですが、私だけではありません。ゲヘナではなく、トリニティではなく、ミレニアムではなく、連邦生徒会ではなく─────あなたに。あなたに尽くしたいと思う人は、少なくないのですよ。探すことを諦めないでください。あなたの奇跡は全て崩れましたが、奇跡だけがあなたの道のりではないことを」



そうやって笑った後、ワカモの表情は一変する。それはかつてのワカモの……災厄の狐の表情。破壊衝動に満ち満ちた、七囚人としての相貌。



「まあまあ。なんて可哀想なあなた様。大事な生徒に裏切られ、気づいた時にはもう手遅れ。今まで積み上げてみた奇跡の数々が全て破壊され、仲間となったものたちも疲労困憊。勝ちの芽ひとつ見えない状況だなんて」



笑っている。こちらを嘲笑っている。失敗した私を、笑っている。



「確かにあのお砂糖……いいえ、お薬は危険ですね。私が今もなおあなた様の虜でないのならば、アレを使って今よりも二倍……いや、五倍は酷い状況にできていたでしょう。それほどまでに凶悪で、醜悪です」



そうだ。それはあながち間違いではないのだろう。だが何故、彼女はそうしないのか。彼女の破壊行動は今この場においても、そして麻薬に沈んだキヴォトス内でも、聞いた覚えはない。それは、本当に……私を好いてくれているからなのか。



「ですが、ね?ご安心ください、あなた様♡私はあなた様のために、この衝動を奮いましょう。あなた様がこの甘味に沈んだ世界の破壊と再建を目指すのであれば、私はそのお手伝いをしましょう!壊すことは得意ですので。ですから、あなた様。どうか、ね♡」



その妖狐は、面白いものを見たように、お気に入りの玩具を見つけたように、そっと私の顎に手を添えて。



「私は、先生の……あなた様の大事な生徒です。ですからどうか、頼ってくださいまし。あなた様は一人ではありません。私が居ます。本当に気に食わないですが他にもたくさんいらっしゃいます。奇跡など、また起こしてしまえば良いのですから」



誰かに頼ることも大事だなんて、絆を信じるべきだなんて、そんな当たり前のことを。焦るあまり忘れてしまっていた。



『だから先生、どうか……。この、絆を……。私たちとの思い出……過ごしてきたその全ての日々を……どうか……』



………いつのことだったか。同じようなことを、誰かに言われたような気がする。



「責任は、一人で抱えるものではありません。それを生徒たちにお教えしたのは、あなた様ではありませんか。私はあなた様以外いりませんが」


“……そんなこと、言っちゃダメだよ”


「おや、いつもの調子が出てきたようですね♡……それで、何か言うことはございませんか?」


“力を貸してほしい、ワカモ”


「………勿論。私は、あなた様だけのワカモですから♡」

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