絶交

絶交


補習授業室室長、浦和ハナコは珍しくワクワクしていた。

彼女の友人をアビドスに迎えられることが決まったからだ。

アビドスと他校の境界で待つことしばし、やがて待ち人が姿を現した。

「………あっ!こちらですよ!ヒフミちゃん!」

大きく手を振って待ち人を迎える。

「………久しぶりですね、ハナコちゃん」

彼女の名は阿慈谷 ヒフミ。ハナコがトリニティに所属していた頃の友人だ。

久方振りにあったハナコの顔を、彼女は悲しげに見つめていた。

「ええ、お久しぶりです。お元気でしたか?」

「…ええ、まぁ」

「そうですか!それはなによりです。今日はトリニティからアビドスの方に移りたいとのことでしたが…?」

「…はい。『砂糖』の味がどうしても忘れられなくて…こちらの方が、手に入りやすいですから」

「成程…」

彼女の顔色はいたって正常だ。『砂糖』を使用した形跡など見られない。

これなら仲間に迎えても問題ないだろう、ハナコは満足そうに頷いた。

もっとも、元々何の心配もしていなかった。それはハナコが今日のために用意してきた準備からも明らかだ。

早く仲間に馴染んでもらえるように、”地下”に誰も近寄らない部屋を用意した。

より『砂糖』を好きになってもらえるように、ミヤコに”地下”の3人と同じ食事を特別に用意してもらった。

今日までの準備を反芻し、問題がないことを改めて再確認したハナコはヒフミに微笑む。

「それでは行きましょう!ヒフミちゃん!歓迎の準備もしてあるんですよ♡」

「………そうですか…それは、楽しみです」

ヒフミは力なく笑い、ペロロのバックのショルダーハーネスを握りしめた。


アビドスへの道行は順調だった。

既に万を超えるとされる生徒数に対して極端に人通りの少ない道を通り、数少ない出会った生徒も、ハナコを見るとお辞儀をしてすぐさまその場から立ち去った。

「………凄いんですね、ハナコちゃん」

そんな光景を見て、ヒフミがぽつりと呟く。

「ええ、それはもう♪微力ながらアビドス発展に尽力していますので♡」

「………そう、ですか」

やがてその道行は完全に人気が失せ、地下へと下る。

そして地下の寂れた一室で終わりを迎えた。

「寂しいところでごめんなさい。これからはヒフミちゃんにはこちらで過ごして貰いますね♡」

「…はい」

「さあさあ、遠慮せず入ってください♪歓迎の準備もしてあるんですよ♡」

ヒフミが扉を開けると、中は外見とは比べ物にならない程整理された一室が広がる。

若干手狭だが、一人で暮らすにも十分な設備が整えられていることが一目で理解できた。

「歓迎に料理を用意してあるんです♪ただ、別の場所に用意してあるのでヒフミちゃんは少しこちらで待っていてください」

「…わかりました」

ヒフミが部屋の奥のソファに座る。

「それじゃあ、私は料理を運んでーーー」

「---ハナコちゃん」

ハナコが部屋を出ていこうとドアノブに手をかけたとき、ヒフミが彼女を呼び止める。

「どうかしましたかーーー」

ハナコが振り返った時、ヒフミはペロロのバックの中身ーーータイマーの付いた機械を取り出し、膝元で抱きしめていた。

規則正しく時を刻む”それ”は、ヒフミの来訪目的を何より雄弁に語っている。

「………」

ハナコは、動けなかった。

本来であれば人を呼ぶなり直接対処するなりなんなりとでき、するべきである筈だった。

だが、ハナコは動けず、ドアノブに手をかけたままその場に立ち尽くしていた。

「………」

ヒフミも、動かなかった。

再会したときと同じ悲しげな表情で、終わりに向かって突き進むタイマーをただただ見つめている。

静寂がその場を支配して、しばし。

「…ハナコちゃんは」

ヒフミがぽつりと呟く。

「…今、トリニティがどうなってるか、知ってますか?」

「…人からの報告で多少は…ただ、直接見知っている訳ではありませんね」

「皆、泣いてるんです」

タイマーに視線を落としたまま、ヒフミは淡々と告げる。

「ある子は、友達がアビドスに行ったまま帰ってこないって泣いてました」

「ある子は、『砂糖』を食べてからイライラが止まらなくて友達を殴りつけてしまったと泣いていました」

「ある子は、友達に『砂糖』入りのお菓子をあげてしまったことを後悔して泣いていました」

「………」

「………ヒフミちゃんは、どうだったんですか?」

「………私は」

「私は、補習授業部での日々が大好きでした。アズサちゃんがいて、コハルちゃんがいて、ハナコちゃんがいて、色々苦労したことや、大変なこともあったけど…それでも、あの頃は私にとってとても大切な"青春の物語"でした」

ヒフミが時計から目を離し、ハナコの目を見据える。

「---だからごめんなさい、ハナコちゃん。私、あなたのような皆の"青春の物語"を壊して、歪めて、滅茶苦茶にするような人とは、友達じゃいられません」

「---そう、ですか」


再び部屋を沈黙と時計の音が支配する。

永劫とも思える沈黙の中、それでも時は終末へと向かって歩みを進める。

そのまま間もなく終末を迎える、その直前ーーー


「---それでも、私は補習授業部の皆のことが大好きですよ」

「---ええ、私も好きでしたよ。ハナコちゃんとのお友達ごっこ」


時が来た。

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