給餌ラウグエ.tex

給餌ラウグエ.tex


「どれから食べる?」

配膳されてきたトレーを片手に、グエルは笑った。

焼き立てのパン。玉ねぎとトマトが入ったスープ。肉類を香草で焼いたものに、みずみずしい果物が入ったバスケット。ラウダはベッドに寝ころんだまま、「じゃあ、冷めないうちに、主菜から……」と呟いた。

どれもこれも、栄養状態を整えることを目的としているものだ。どれもこれも、咀嚼しないと飲み下せないものだ。こんなに広い部屋の中で、グエルはラウダの隣に座る。そうしてラウダの言葉に従って、肉をナイフで切り分け、フォークに刺す。それはラウダの隣を通り抜けて、グエルのくちびるの中に納まった。彼はその繊維を、丹念に断ち切り、崩し、解す。そうして、ふっと、顔を上げる。

「おなかがすいているだろう。すぐに食べさせてやるからな」

「ん、ぅ」

グエルは、そうっとラウダの顎に触れる。乱暴にならないように、丁寧に丁寧に顎を開け、グエルの唾液と混じった食事を、ラウダのくちの中に流し込む。ラウダのそれより微かに温かい舌が、必要最低限の動きでラウダの歯列をなぞり、開かせる。それがやけにざらついていて、ほんの少しも逃したくなくて、ラウダは餌を求める雛鳥のように、舌を伸ばして、グエルのそれに絡ませる。くちびるの端と端を、不要な動きでくっつける。グエルは何も言わない。ただ、ラウダに食事を与える、それだけの動きだ。その証拠に、すっかり口腔の中のものを与え終わると、グエルはゆっくりとくちびるを離した。

交じり合って生まれた銀色の糸が、二人の間に、伸びる。切れる。ラウダの頬を、濡らす。グエルがナプキンを取り出して、それがベッドに落ちる前に、拭うのを。やけに名残惜しく感じて、言い出せないまま、閉口する。

「おいしいか?」

「う、うん。とても」

「よかった。好き嫌いせず、食べられる間に食べておけ。ただでさえ最近、食事ができていなかったんだろう」

これはラウダに対する慈愛、アガペーなのだ。と、ラウダは脳で理解している。

食事はあまり好きでなかった。内臓の中に異物がおちて、解かされていく感触は、嫌いだった。父が死に、兄が行方不明になり、そして『事故』で重傷になった後は、それがより顕著になった。そうしてまともに固形食が摂取できなくなったラウダに、帰ってきてくれたグエルは、毎食必ずこうして給餌してくれる。

冷蔵庫で冷やされていたたっぷりの野菜がかみ砕かれて、人肌の生温さになり、ラウダのくちびるに移される。もちろん生理的な嫌悪感はあった。だけども、この兄の、おそろしく気高くうつくしいくちびるに触れ、その愛を一身に受けるのは、この上なく幸福なことであった。

「あまり慌てるな。ゆっくり、だ。咽喉に詰まらせてしまう」

水分やスープは、服を濡らしてしまわないように、ほんの少しずつ。ナプキンをラウダの顎にあてがい、猫がそうするように、舌先で与える。グエルはいつも目を閉じている。生理的なものなのか、それともそうしたいからなのか、ラウダは未だに測りかねている。

こうしているのは、ラウダがグエルの弟だからなのだろうか。それとも、……父さんを殺した、負い目からなのだろうか。あるいは別の何かか。それすらも、わからない。説明してはくれない。勝手に理解して、全てを与えてくれる。それは心地よくもあり、もどかしくもある。それを言い出す手段を、ラウダは逃し続けていた。

思考に耽っていたところで突然甘ったるいものを与えられて、ラウダははっと目を見開く。脳髄が、どろりととろける。まずい。ラウダがはっとしたのと、グエルが気づくのは同時だった。

「……お前は食事をしながら盛るような、行儀の悪いやつだったのか?」

声は、からかうようにも、引いているようにも聞こえる。食器を置く音が、やけに鋭く耳を穿つ。ラウダは目を見開いたまま、グエルが次にラウダに与えるものを選別するのを、見ていた。

そして、恐る恐る自分の下半身に目を向ける。全身を強張らせる緊張感に、理解はしていた。だが、こうも正直に主張されると、どうにも行く瀬がなくなってしまう。腕が重くて、顔を覆うことすら、できない。

「ちが、……僕は……」

「ただ食事をしているだけなのに、どうして……そういえば、最後に処理したのは五日前か。溜まっていたのか?」

グエルがそう言うなら、たぶんそうだ。グエルはただの医療行為一般としてこれをしていたのに、短絡的な反応をしたラウダは愚かしいのだ。「ごめんなさい」と謝れば、グエルは「何故謝る」とため息をつき、布団を捲り上げると、ラウダの下履きを脱がせた。

「は、……」

「ただの生理現象だろう。ただでさえお前は、食事すら満足にとれないほどの重態なんだ。……ラウダ、腕が動かせないだろう」

「ご、ごめんな、ごめんなさい」

「だから謝るなと言っている。手で……いや口も、今は汚れているな。すまない、前と同じでいいか? 目を閉じて、好きな女の顔でも思い浮かべてくれ。俺のことは忘れろ」

ラウダは言われた通り、目を閉じる。

忘れられるものか。ずっと探していたんだ。ずっと、会いたかったんだ。だから、どれだけ頭から、今自分に触れているのは兄なのだ、と、追い出そうにも。脳裏に浮かぶのは、ようやく再会したときのグエルの顔だ。ラウダに食事を流し込み、目を開け、そうして、どうやらラウダが目覚めたらしいと気づいた瞬間の、ほっとしたような笑顔なのだ。

だからラウダの感情は、全部間違いなのである。

祈るように、手をぎゅっと握った。ほんとうは腕なんてとっくに動かせるようになっている。だけど、言い出せずにいた。……ラウダの肉が、今さっき咀嚼され、与えられたものよりも、ずっと柔らかい肉で包まれる。息が、か細く震えた。目は、開けられなかった。「どこでこんなことを覚えてきたの」とも、問えなかった。だってそれをしてしまったら、きっと止まれなくなってしまう。

「あ、あう、あ、……」

気持ちいい、すき、と。

不意にこぼれてしまった言葉に、グエルは何も言わなかった。ただ、柔らかな指先がラウダの髪を撫で、くちびるにあたたかなものが触れたのを、絶対に、「勘違い」してしまわないように。ラウダは必死に、つなぎとめている。

濡れた声。グエルのくちびるから微かに溢れた呼気に、わけのわからない涙が溢れそうになる。ああ、ああ、最愛の人。ラウダの大切な『兄さん』。あなたは誰より気高くて、誰より美しくて、誰より正しい。

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