結晶と煌めき

結晶と煌めき


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音が聞こえる。

 

ピシリ――ギシリ――

 

誰にも聞こえぬ音が体の中で反響する。

いつからこうなってしまったのだろうか?

それを問うことに、もはや意味はない。

 

「おいしい、ああ……これでしばらくは耐えられる」

 

守月スズミという人間の体は、既にどうしようもないほどに変わり果てているのだから。

 

突如として出現した『砂漠の砂糖』という麻薬。

知らず知らずのうちにそれを摂取したものは数え切れぬほどいて、表面化した時には蔓延してしまっていた。

砂糖による快楽は多くの人間を魅了し、中毒によって逃がさなかった。

スズミもその一人である。

しかし大多数の中毒者が砂糖の快楽のみを追求して砂糖を欲するのに対し、スズミは違った。

 

「う、くぅ……またですか、必要量が増えていますね」

 

今までは足りていた用量では満足できないようになっていく。

これが麻薬の恐ろしい所だ。

 

音が聞こえる。

 

ピシリ――ギシリ――

 

誰にも聞こえぬ音が体の中で反響する。

砂糖が足りぬ足りぬと体が悲鳴を上げていた。

それだけではなく、奇妙なことに体が変化しているのだ。

砂糖を摂取するごとに、体を構成する肉が、骨が、血が作り変えられている。

滑らかだった体の動きが鈍くなり、砂の挟まった歯車のように動くたびに軋み、体を削っていく。

それは端的に言って苦痛であり、通常の鎮痛剤では消し去ることのできない現象だった。

砂糖による快楽のみが、この苦痛を和らげる。

 

「スズミ、さん……? どうして、しまったのですか?」

 

「……? ああ……レイサさんですか。来ていたのですね」

 

砂糖を摂取していたスズミに声を掛けて来たのは、同じ自警団に所属していたレイサだった。

靄が掛かったような微睡む思考の中それを認識して、スズミは気だるげに返事をする。

 

「そんな、砂糖は……食べちゃダメだって警告してくれたのは、スズミさんだったのに……」

 

「そういえば……間違って食べないように取り上げたりしましたっけ」

 

「そうですよ! スズミさんが処分しておくからって、そう言っていたから!」

 

「あんなのは自分で食べたいがための出まかせですよ」

 

「う、嘘ですよね? だってスズミさんなら、同じ正義の心を持つスズミさんがそんな!?」

 

「もういいですか? なら……」

 

「待ってください! まだ話は終わっていま……え……?」

 

信じられぬ、と声を上げたレイサが手を伸ばしてスズミに掴みかかる。

猪突猛進気味であったレイサにしては、やや穏当な対応だっただろう。

相手がよく知るスズミだからこそ、その真意を聞き出したいと呼び止めただけだからだ。

 

「痛っ……」

 

だがしかし、聞こえてきた小さな悲鳴にレイサの声が途切れた。

軽く掴んだだけにもかかわらず痛みに悶えて悲鳴を上げるスズミに、問い質そうとしていたレイサは目を丸くするしかない。

レイサに強く掴まれたスズミの腕、ダラリと垂らしたその袖からバラバラと白い粉が落ちてくる。

ある意味当然かもしれない。

レイサが触れたスズミの腕から伝わる感触は肉や骨ではなく、まるで砂山を握りしめたかのような感触だったのだから。

 

「す、スズミさん、それはいったい……?」

 

「ばれてしまいましたか。割と隠せていたと思っていたのですが」

 

スズミが服の袖をまくり上げると、今しがたレイサに掴まれた腕の痕がくっきりと残っていた。

滑らかであったはずの腕は粉を吹いたかのようにざらついており、粉が落ちた後の腕は白い結晶のようになっていた。

 

「ご、ごめんなさい! そんなことになっていただなんて」

 

「いいえ、いいんですよ。私だけがこうなっているのですから、想像しろだなんて無茶な話です」

 

「スズミさんだけ? いえそれよりも一刻も早く救護騎士団の所へ行きましょう!」

 

「駄目です、あそこは既に満杯なので。トリアージなら私は黒ですから、助けられる人を優先すべきです」

 

黒。

レイサですらその意味は知っている。

トリアージでの優先順位は最下位で、死亡及び最早助けられぬと匙を投げられたもの。

結晶化する己が体の現状を省みて、今のスズミは自らをそう位置付けていた。

 

「どうして……どうしてスズミさんだけが……」

 

「きっと、耐性が無かっただけなんです。他の人なら美味しい楽しいだけで済むものが、私は快楽のままで終わらせられるだけの許容量がなかった。きっとそれだけのことなんです」

 

アレルギーと同じなのだと、スズミは語った。

ほとんどの人間には問題の無いものでも、免疫機構が正常に働かず暴走して体に害を与える。

世の中には皮膚が樹木のように硬くなったりする奇病もあるという。

それと同じで、スズミの体は耐えられず砂糖の結晶へと変化した。

それでこの話はおしまいである。

 

「ふふ……いっそのこと、もっと強く握って手足を砕いて達磨にした方が良かったかもしれませんね?」

 

自嘲気味に今の有様を語るスズミ。

結晶化の苦痛に耐えきれず砂糖を摂取し、さらに結晶化が進む悪循環。

終わらぬサイクルで死への道行きを突き進むのが、今のスズミなのだ。

スズミの言う通り、達磨になって砂糖を摂取する手が無くなってしまえば、これ以上中毒が進むこともないだろう。

 

「……だ、です」

 

「え?」

 

「まだです! まだ終わっていません! 私が認めません!」

 

「レイサさん、認める認めないではなく」

 

「だって、だってスズミさんはまだ生きています。なら間に合うはずです!」

 

どうにかなるはずだと、まだ間に合うとレイサは声を上げる。

スズミがこんなことで死んでいいはずがないとレイサは信じているからだ。

 

「友達を助けられなくて何が自警団のスーパーヒーローですか! 私は諦めませんよ!」

 

「威勢がいいのは結構ですが……具体的にどうするつもりですか?」

 

いくらレイサが諦めないといったところで、何も方法がなくてはどうすることもできない。

スズミを救うだけの知識や医療技術を、レイサは持ち合わせていないのだから。

 

「……アビドスへ行きます」

 

「アビドスへ?」

 

「杏山カズサが言っていました。元凶はアビドスにいるって。だから直談判しに行きます!」

 

「……ふふ、そうですか」

 

「はい!」

 

力強く頷くレイサに、スズミは微笑を零す。

麻薬を広めた元凶が治療法も持っている、なんて甘い夢を信じているのだろう。

すぐに壊れる夢だとしても、それに水を差すような真似はスズミにはできなかった。

 

遠からずスズミは死ぬ。

愚直なまでに突き進むレイサでも、それは理解できるだろう。

だがそれでも、もしかしたらそんな愚かしさを抱えたままでも駆け抜けた先に、一筋の救いがあるかもしれない。

鈍い砂糖の結晶が齎す輝きとは異なる、純粋であるが故の煌めき。

みんなのスーパースター、宇沢レイサとはそれを信じさせてくれる少女だった。

 

「私と一緒に行きましょうスズミさん。貴女を助けさせてください!」

 

「ならお願いします。私を助けてください」

 

「はい!」

 

レイサの差し出した手にスズミが自らの手を重ねる。

先ほどの力任せとは異なり、キュッと僅かに触れるだけの、痛みを伴わない力で握り返される。

苦痛ばかりで感覚が鈍くなったこの手でも、まだ熱は感じられるのだな、とスズミは心が温かくなるのを感じるのだった。

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