紺屋の白袴

紺屋の白袴



 ベッドに寝かせた少女の顔色は酷く悪かった。


 それは手荒な方法で連れてこられたからではなく、おそらくその体がこの虚圏の性質と相性が悪いからだろう。

 いや、寧ろ良いからなのかもしれない。どちらにせよその小さな体が何かしらの均衡を崩していることは明らかだった。


 細く息をする体はなんとも頼りない。百年生きてきたにしては小柄で、そこまで大きくなかった娘の母親よりももっと小さいだろう。

 血にまみれた姿を見ると、なんとなくあの夜を思い出す。あの人は血にまみれ土に濡れて地に伏せ、無様なほどに金に輝いていた。


 柔らかくうねる髪が寝台に金の波を作るのが、うっすらと不快に思えた。それは夜にだけ見ることを許されたあの色とあまりに似ているが故だ。

 似ているからこそ些細な差異が目に障る。それは姿であれ声であれ、百年たった今でも鮮明に私の中に残っているあの姿が原因だった。


「しかし、まさか……娘とは」


 一目見た時に平子真子の娘だということはすぐにわかった。母親の顔を知っていれば誰でもわかったことだろう。それほど似ていた。

 そして目が合った時に、もしやという感覚があった。その荒唐無稽で酷く馬鹿げたその想像は、どうやら事実であったらしい。


 心底憎いと思っている男の子供を、身を隠す上で足枷にしかならない子供を産むなんて。あの人は一体なにを考えているのだろうか。

 運良く母親似の娘であったから良かったようなものを、私に似ていたらどうするつもりだったのか。

 腹を痛めて産んだ子供の姿形で冷遇できるような性質をしていたのならば、私を懐に入れてあんな手酷い裏切りで地に伏すこともなかっただろうあの人が。

 私に似た子供を抱えて、それでも愛すると言うのかと思うと……あまりの愚かしさに目眩がするような気分になった。


「君は、父の名前を知っているのか?」


 あの人は、誰が父親だと語ったのだろうか。この娘は誰のことを父親だと認識しているのだろうか。

 案外と誰が父親だと語っていないのかもしれない。あの人はどうでもいい嘘はいくらでも吐けるくせに、おかしな所で正直で嘘の吐けないところがあったから。


 顔にかかった髪を指ではらってやると、眉間に皺を寄せて微かに唸った。それでも目を開けないのだから相当に体調は良くないらしい。

 憎々しげにこちらを睨んでくる瞳は、平子真子によく似ていたのに残念だ。これから先、いくらでも見る機会はありそうなのでそれで良しとしよう。


 血濡れの服のままでいさせるわけにもいかないので、なにか寝るのにも困らないような着るものを用意した方がいい。

 なにか食べさせるにしても、普通の食事は難しいかもしれない。霊子に満ちた虚圏ではそこまで食事の心配はいらないかもしれないが、現世で生きてきたならなにも食べさせなければ苦痛だろう。


「まるで父親のようだな」


 子供を部屋に寝かしつけて、服や食べるものを用意して。興味と実益をもって攫ってきた相手にする対応というよりは連れ帰った娘にするようなことをしている。

 事実娘ではあるのに、どうしてこんなに奇妙に思えるのだろうか。おそらくは私に娘を想う父親としての感情など微塵もないからなのではないか。


 平子隊長は「どうせ使わへんから」と私に卍解の能力を触りだけ教えていた。おそらくはそれで私の反応を見てなにか計ろうとしていたのだろう。無駄に終わったが。

 しかし彼女はそのせいで、娘一人のためにこちらにはやってこれない。私が娘を娘として認識して庇護しようとする可能性をあの人は捨てきれない。

 同士討ちを誘発する斬魄刀。あの人の精神性では十全に使うことなどほぼできまい。それでも単身虚圏に乗り込んでこられれば面倒だ。

 娘一人でそれが抑え込めるのならば、これほど有用なこともない。そしてこの存在がいずれ井上織姫や黒崎一護を動かしてくれるのだ。非常に親孝行なことではないか。


 そんな平子真子と娘が聞いたら激昂しそうなことを考えながら娘の目覚めを待つ。あの人もそうだったが、あまりにも寝ている姿が静かすぎて少しばかり不安になる。

 一度本当に息をしているのかと触れたら目覚めて、酷く不審げで怪訝な目で見られた覚えがある。あれは寒い冬の夜で、手も冷えていてまるで死体の様だったと言えばあの人は貶されたと思ったのか酷く不快に感じたようだった。


 娘が身動ぎして金の睫毛が震え、薄く目が開く。その奥に見える瞳の色は記憶の中にある琥珀よりも些か暗い。やはり平子真子と同じではなかった。


 そういえばあの人が目覚めるときに側にいた覚えはほとんどない。

 朝部屋から出ていく姿を見られて噂を立てられると面倒だとか、そこまで付き合う義理はないとか理由は色々あった様な気はするが、単純に朝一番に罵倒を聞きたくなかったからかもしれなかった。


「おはよう、よく眠れたようだね」


 少し黒目の小さい瞳がこちらを見る。それが嫌悪と警戒と少しばかりの恐怖で険しくなる様は、彼女の母親にとてもよく似ていた。

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