象牙の舟

象牙の舟


『探せ、この世の全てをそこにおいてきた』

         ――ゴール・D・ロジャー


象牙の舟


 ほたほたと、小さな紫色の海から塩辛い雫が体表の上に降ってくる。

 降り注ぐ塩辛い涙を、彼はじっと潮騒を聴きながら放っておいた。どうせ次から次へと降ってくるのだから、拭う意味がない。

 少女はほたほたと、声も出さずに泣いている。雨に降られた白磁器の人形のようでもあり、夜露をたっぷりと含ませた白い花韮のようでもあった。

 彼は暫く考え込んでから、唐突に少女の膝からするりと滑り落ちた。そのまま触腕を力強く伸ばし、チャプチャプと海にその体を浮かべる。ぷか、と水面に浮いた彼は、そのまま触腕を伸ばして絡み合わせ、編み上げたそれを帆のように掲げた。そうすると彼はまるきり、丸い筏のようだった。

 そのまま触腕の一筋を伸ばして、彼は友達を自分の背中に載せた。彼女が海を泳げないのを彼は知っていた。彼女は水に触れると沈んで浮かないのである。

「え、ちょ、ちょっとアンタ何?これ、イカダ?舟あそびするの?」

 戸惑う少女に、彼は触腕で二度、少女のてのひらを叩くことで返事をした。それから、今度は海の彼方を指さす。

「うみのむこうに、いくの?どうして?」

 何で?と当惑する彼女にどう伝えたものかと悩んで、彼は触腕で砂浜に喜ぶ少女の顔をかいてみせた。それから、いろんな棒人間に囲まれた少女を描いた。棒人間の一人に麦わら帽子も描き足す。

「……ぼうし、麦わら帽子……シャンクス?海を渡って、シャンクスに会いに行く、って、こと?」

 正解した少女に、彼は触腕で彼女の手のひらをぺち、と一回叩いた。そのとおりだ。寂しいなら会いに行けばいいし、会えば少女も泣かない。明快な結論である。ここは夢の中。そして人の夢というのは、どこにでもつながるものである。何処まで泳げばいいかはさっぱりわからないが、まあ泳ぎ続ければたどり着きはするはずだ。

 養親も終わりそうにない悪夢をこつこつと踏破したのだから、彼にだってやってやれないことはない。

 じゃあいくぞと元気よく触腕をつかって海水を漕ぐ彼の耳に、少女のちょっと待って、話を聞いてってば馬鹿なの私シャンクスに捨てられたんだってばという言葉は届かない。何故なら友人を泣き止ませるのが優先だからである。

 友達が悲しいのは良くないという前提のもと大海原に漕ぎ出す彼に止まるという文字はなかった。場所は分からないがとりあえずウタの大好きな麦わら帽子を目指せばきっとどうにかなるだろうという大雑把な指針のもと、少女の制止を聞くことなく出航する彼を止めるものは居ない。

 何しろ普段彼をそっとたしなめる養親は養親で現在、悪夢で獣狩ったり実兄と話をつけてきたり養父に人間卒業する旨と別れの挨拶したりとか色々忙しかったのである。間が悪いとしか言いようがなかった。


海は青く、潮騒はどこまでも響く。


話を聞きなさいってば!!と額に青筋を立てる少女の瞳は、夜明けの空のように澄んで、まぶたが赤くなってはいても、涙をこぼすことも、絶望に濁ることもなく。


ただ、まっすぐに世界を見る眩しい光が差し込み始めていた。











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