糸口
「…彼から何も訊かなくて良かったの?」
「はい。今回の事件について、彼、バジル・ホーキンスの持つであろう情報は既に、私達も手に入れていますから」
ホーキンス捕縛の連絡を、海軍ではなく国王軍に取った海兵さんはそう言って私達に向き合った。
「なんだ、煙男の方で調べでもついてんのか?」
「正確にはスモーカーさんではなく、内部協力者からの情報です」
スモーカー大佐、だったかしら。そういえば、レインディナーズの檻で見かけた時に大きな十手を持っていたような。ゾロが煙男と呼んだのは彼のことだったのね。
アラバスタの手柄は彼が貰っていたようだけれど、政府に封鎖されて海兵も引き上げた国で、部下すらほとんど連れず行動しているなんて思いの外熱いところのある男なのかしら。
「連れ去られた子供達の解放はスモーカーさんとその協力者が担当されていますが、秋水はこちらで取り戻す必要があるかと」
「その過程で、同盟を組んでいる他の二人と戦う可能性もあるのかしら?」
「いいえ。でも…」
「でも…なんだ?」
歯切れの悪い彼女に、手ぬぐいを腕に巻き直したゾロが声をかける。海兵さんは少しの逡巡の後、遺跡の奥を見つめるトゥールに向き合った。
「ヤーナムは、四皇との繋がりがありますよね」
「オイオイそりゃ初耳だぞ」
「四皇…どいつだ?」
今度は肩をすくめたトゥールにフランキーとゾロの視線が集中する。
その噂は、私も二年間行動を共にした革命軍で耳にしたことがあるわ。
「全ての、いえ、現四皇では『黒ひげ海賊団』提督、マーシャル・D・ティーチを除く三人が協定を結んでいる…そうよね?」
「…むしろあなた以外が知らなかったことに驚かされています」
赤髪のシャンクスが四皇と呼ばれるようになってすぐに結ばれた、四皇同士の不可侵協定。ヤーナムの街では、敵船の幹部同士がすれ違ったとしても絶対に争うことは許されない。それどころか、街を脅かす者は彼ら全てを敵に回すことになるのだと。
"現実のエレジア"に都合よく赤髪海賊団がやって来た時から確度は高いと思っていたけれど、やはり本当だったのね。
「てっきり、ビッグ・マムの追跡を逃れるためにここまで戻って来たのかと」
「戻ってくりゃ追って来ねえのか?」
「協定により、ヤーナム近海では戦闘行為そのものが禁止されている。ドレスローザはヤーナムの玄関口だ。皆好き勝手はできんよ」
首を傾げたゾロにすかさずトゥールが答え、ふうむ、と顎に手をやった。
「もしやこの騒動は、四皇が起こしたものなのかね?それで入り口の警備をしていた君が、私の監視のために同行した」
あっさりと言及してのけたトゥールに、海兵さんは困った顔を返している。
あら分かりやすい。
「監視という意味では、政府の協力機関に属するあなたよりも麦わらの一味の動きを見る意味合いの方が大きかったのですが…」
「では言い方を変えよう。私がそれを知るにせよ知らぬにせよ、狩長殿が君達の追う誘拐事件、ひいては今回の騒動に関与していると考えているのだろう」
「…そもそも本来、七武海が四皇と関りを持つなんて許されないことです。新世界の均衡を保つため暗黙の了解となってはいますが、加盟国での犯罪行為に加担するのであれば見過ごすわけにはいきません」
上背のあるトゥールを真っ直ぐに見上げる彼女は、アルバーナで何度も立ち上がり挑みかかってきたあの時と同じ表情をしていた。あなたはまた、理不尽と戦おうとしているのね。
私だって今でも、政府の人間なんて大嫌いよ。だけどもう、それだけじゃない。
「相手が四皇であっても、七武海であったとしても、私達は目的を果たすだけよ」
「そういうわけだ。行くぞ、たしぎ」
「私の名前、覚えてたんですね」
バカにしてんのか、正直な感想ですよとまた言い合いながら歩き始めた二人に、込み上げてくるのは苛立ちなんかじゃない。
私にはもう、信じられる仲間がいる。
だから今なら、仲間の信じるあなた一人のことくらいなら、嫌いにならずにいられそうなの。
勝手に脇道に逸れようとするゾロを手で誘導しながら、暗い遺跡の更に奥を目指す。しゃあねェなァあいつらとこぼしたフランキーは、振り返りざまに笑顔を見せて歩き出した。
「おれの刀、返してもらうぞ」
奥へ奥へと進んで辿り着いたのは、盗品が雑多に積まれた宝物庫だった。
鯉口を切ったゾロに、トンタッタ達が負けじと声を上げる。
「だ、ダメなのれす!赤目の病気を治すために、"べりー"がいっぱい要るのれす‼︎」
「子供達の治療もしなくちゃいけないのれす!」
「…それは、"M"の指示ですね」
赤目病の薬を開発したとされる医者の名前を挙げ、海兵さん、たしぎは足を止めることなく彼らの前へ歩み出た。
「あなた達が"M"と呼ぶ男の名は、シーザー・クラウン。危険思想で政府を追われた犯罪者です」
「なるほどそりゃまた…タチが悪ィな」
たしぎの言葉に、フランキーが眉根を寄せて呟く。どよめくトンタッタよりも、その名をよく知っているようね。
「何モンだ?」
「あのベガパンクの部下だった男だ。まさかこんな場所に潜んでいやがったとはな」
「えっ?でも…でも…」
「残念ながら、彼に赤目病を治療する意思はありません。むしろその元凶こそ、あの男の実験なんです。子供達も皆、違法な実験のために集められているのでしょう」
「彼女は海兵だ。情報に間違いはなかろうよ」
たしぎとトゥールの言葉に、ざわめきが膨らみ広がっていく。
"M"が、でも狩人さんと海兵さんが、迷いを見せる彼らに、ゾロが動いた。
小さなトンタッタを避けることもせず、ずんずんと刀のもとへ進んでいく。
「あっ、その刀は大事な…」
「大事な、おれの刀だ」
赤い刃を持つ三本目の刀、秋水が、再びゾロの腰巻きに収まった。
まるで、刀の意志がそう望んだかのような滑らかさで。
その時だった。轟音と共に、遺跡を激しい揺れが襲う。
遺跡の核となるコロシアム直下の方角から、崩落が始まっていた。
「なっ…⁉︎」
「こりゃあただ単にどっかで誰かが暴れたってのじゃなさそうだな!」
「伏せろ‼︎」
直後、たしぎとフランキーの頭上を仕込み杖の刃が通り過ぎた。鞭のようにしなったそれは、壁を突き破って現れた影を切り裂き血を滴らせる。
「何だこの気配…!」
刀を構えたゾロの向こう、壁を壊して現れた巨大な赤目の獣が血を流し、低い唸りを上げていた。
「あれは我等狩人の狩るべき獣。相手は任せてもらう」
いつの間にか左手に握られていた連装銃で頭部を狙い撃ち、トゥールが素早く獣に接近していく。摩擦音と共に炎を纏った刃に、穴の近くまでにじり寄っていた他の獣達が怯むのが見えた。
なら、私がすべきことは。
「この場所の近くには、下水道に出るための通路があるはず。危険な箇所は私がしばらく支えるわ。その間に皆外へ‼︎」
轟音の近付く中慌てて盗品を拾い上げたトンタッタを、ゾロは足を止め振り返る。
小人達を見下ろす片目は、花畑の家でキュロスの話を、リク王とトンタッタの約束を聞いたその時の温度で彼らを射抜いていた。
「テメェらが"約束"を破ってまで信じた相手の正体がこれだ。…そのツケを払うつもりがねえなら、ここで全員斬って行く」
たしぎに急かされながらも、ゾロはそのまま動かなかった。
厳しい言葉を、心優しく、正直で誠実だと言われた彼らは噛み締めるように俯いて。
それから小さな戦士達は、覚悟を宿した瞳で顔を上げた。