糸は辿れずとも
無間での修行を終えた平子撫子は、京楽春水と共に黒崎一護の友人たちに会いに現世へと来ていた。
「どうだった? 修行は」
「……やたらと指摘が的確でムカつきました」
「一度は教鞭を執っていたからねえ、彼」
本当は「あれの拘束一部剥げとりましたよ」と言いたかったが、藍染惣右介に教えを乞う際、“拘束の一部が外れていることを報告しないこと”を条件とされたため、撫子はそれ以上の言及を避けた。ちょうど、友人たちの姿が見えたのもある。
笠を少し下げつつ、京楽が友人三名に声をかけた。
「……ちょっとごめんよ」
**
浅野啓吾、小島水色、有沢竜貴に通魂符を渡した後、撫子は気になっていたことを友人達に訊いた。
「せや、雨竜はどないしてる? 学校来とる? もし出席しとったら後でノート借りよと思うねんけど」
——「あの滅却師の少年は、どちらに付くのだろうね」
——「撫子。君は滅却師である石田雨竜と相対した時、果たして戦えるのかな」
別にあの二万年男の修行中の言葉が気になった訳ではない。ないったらないのだ。
——「アタシ、雨竜のことはよォーく知っとんねん。信じられるくらいにはなァ」
撫子は信じている。石田雨竜という人間を。
だからこそ。
「石田君なら来てないよ」
「あんたと一緒じゃないの? 撫子」
友人に告げられた言葉を噛み砕くのに、少し時間が掛かった。
撫子の表情は、無色のそれへと変わっていく。
「……来てない?」
「そういや見かけないな、石田」
撫子は目を閉じて石田の霊圧を片っ端から探る。
馬芝、桜橋、黄松、笠咲、学園町、北川瀬。
——いない。
——雨竜の霊圧が、どこにも居てへん。
「——ごめん京楽さん! アタシ、」
「……いいよ、行っておいで」
「ありがと!」
一息に跳躍し、鬼道『曲光』を使用して姿を見せないようにした撫子は空座町の空を駆ける。
——どこや、どこにおるんや、雨竜……!
学校、手芸店、書店、病院。石田が行きそうな場所を巡れど、一向に霊圧を感じ取れない。
——空座町に居ない……⁉︎
撫子は更に駆ける。しかし、虚退治で共に戦って来たその心地よい霊圧を、何処にも感じ取れはしなかった。
**
平子撫子はあるアパートの部屋の前に立っている。
——……雨竜……。
その部屋の合鍵を撫子に渡したのは他ならぬ石田雨竜だった。
——「ええの? アタシに渡して、不用心やと思わんの?」
——「もし何かあっても責任は僕にあると分かっているよ」
ドアノブを回す。鍵が掛かっている。撫子は貰った合鍵を使い、扉を開ける。
「……雨竜? おる?」
恐る恐るといったように絞り出されたその声に、応える者はいない。
間取りは知っている。撫子は時折おかずタッパーを冷蔵庫に入れて、その内訳を書き置きとして残していた。
それと同じ様にテーブルに紙が置いてあることに気づき、紙を手に取った。メモ帳か何かから取った紙だろうか。
「『平子撫子様へ』……」
二つ折りの紙の表に、撫子の名前がある。見覚えのある几帳面な筆跡は石田雨竜のものだ。
「……」
二つ折りの紙を開く。中身もやはり、石田の筆跡で綴られていた。
「——なん、やねん……『ごめん』って、なんやねん……!」
じわりと視界が滲む。書かれた簡潔な三文字も、視界が滲んだせいか、あるいは紙に落ちた雫のせいか、滲んで見えた。
「っアホ、雨竜のアホ、『ごめん』なんて、謝るくらいなら——」
ぱた、ぱたと紙に雫が落ちる。三文字が少しだけ、滲んだ。
「——どこにも行かへんでよ……こんなん、残さへんでよ……!」
雨竜、と呼ぶ撫子の声は誰に届くこともなく、涙と共にこぼれて消えた。