第7話・交渉、ブラッドvsアジナシー

第7話・交渉、ブラッドvsアジナシー


(せー…のっ!)


 ゆいは口に嚙まされた猿轡をグッと噛み締めて、両腕に力を込めた。


(ふんぎぎぎぎぎ……うりゃああああ!!)


 そうやって数秒間、両腕を縛った縄を無理やり引きちぎろうと頑張ったが、


(ふしゅ〜………だめだぁ、腹ペコったぁ……)


 残念ながら、拘束する縄を引きちぎることは出来なかった。

 ……そもそも常人なら引きちぎろうだなんて思うこと自体まず無いだろうが、そこはそれ、和実ゆいとはそういう女性なのである。

 その様子を側から見守っていた赤装束の男・ブラッドペッパーも、覆面から目だけを覗かせたその顔に、微かに呆れのような色を浮かべていた。


 ここはおいしーなタウン郊外にあるとある廃工場の一画だ。

 灯りは無く、ガラスが抜けた天窓から月の光だけが中に差し込んでいる。その光はちょうどゆいが座らされている、この場にそぐわないほど状態の良いソファに降り注いでいた。


「無理に足掻くんじゃない。肌を傷めるぞ?」


 ブラッドの声にゆいは顔を上げた。

 柔らかい口調だった。それに、その声……いいや、まさか、そんなことはありえない。

 ゆいはブラッドに向けて声を上げた。


「ふが! ふがふがふが!」


 猿轡のせいで上手く喋れなかった。


「腹ペコってなけりゃこれくらい引きちぎれるもん? お前、本気で言ってるのか?」

「ふが!?」


 びっくりするくらい正確に通じた。同時にゆいの主張を裏付けるように、彼女の腹の虫が大声で鳴いた。

 ぐぅ〜。

 その音に、ブラッドが覆面の奥でクスリと笑った気配を見せた。


「待っていろ」


 彼はそう言ってその場を離れたが、すぐに戻ってきた。

 その手には、サランラップに巻かれた大きなおむすびがあった。


「作り置きで冷めてしまったが、勘弁してくれ」


 ブラッドはそう言いながら、ゆいに噛ませた猿轡を外した。


「ブラッドペッパー……あなた、いったい?」

「手足の拘束はまだ訳合って外せない。とりあえず食べると良い」


 ブラッドがおむすびのラップを解き、ゆいの口元に差し出した。


「………」


 ゆいは黙ってブラッドを睨みつけた。

 この男は、拓海を──愛する恋人を、傷つけた。

 許せない。そう思いたいのに……


 ……何故だか、その怒りは彼を見ていると行き場を失ったように、心の中で彷徨い出すのだ。


 憎もうにも憎みきれない、そんな自分でもわけのわからない感情に戸惑いながらブラッドを睨むゆいに、ブラッドは、


「毒は入っていない。ほら」


 そう言って、口元を覆っていた覆面を下げて、おむすびを一口、頬張った。


「──ッ!?」


 そのあらわになった素顔に、ゆいは言葉を失った。

 そこに居たのは、よく見知った顔。絶対に見間違えるはずもない男の顔。


 幼馴染で、恋人の──拓海の顔だった。


「な………なんで──あっ」


 ブラッドの手がゆいの顎にかけられ、上向いた唇に、ブラッドの唇が重なった。

 舌で唇を押し広げられ、米の味が口の中に広がる。


「ん……あっ」


 一口分のおむすびを口移しで食べさせられ、飲み込んだ後も、ブラッドはゆいの唇を奪ったまま、舌を絡ませてきた。


(嫌……こんなのっ……駄目……ッ)


 ゆいの理性が必死に抗おうとしたが、けれど、この優しくて柔らかい感触は、どうしようもなく体が覚えてる彼とのキスそのまま過ぎて、抗えない。

 いったいどれだけの間、そうして唇を奪われていただろうか。

 ブラッドが身を引く。


「あっ……」


 二人の唇の間に引かれた銀糸の名残惜しさに、ゆいは思わず声を漏らしながら身を乗り出してしまった。

 その彼女を宥めるように、ブラッドが優しくゆいの頭を撫でた。


「良い子だ。だけどお客が来てしまった。連中が帰るまでしばらく我慢してくれ」


 ブラッドはそう言いながら、ゆいに再び猿轡を噛ませた。

 ゆいは抵抗しなかった。抵抗できなかった。


(拓海……拓海だった……この人は……拓海なんだ……)


 理性は理解を拒んでいたが、それ以外のゆいの全てが、ブラッドペッパーと拓海が同一人物だと悟っていた。


 ソファで縛られたまま呆然とするゆいを残し、ブラッドは覆面で再び顔を隠しながら遠ざかり、工場の入り口から入ってきた男を迎えた。


「よおブラッド。お楽しみを邪魔したかな?」

「下衆の勘繰りだな、ナルシストルー」


 黒づくめの怪盗ナルシストルーは、ブラッドからの辛辣な言葉と視線を受けてくっくっと喉を鳴らした。


「前に話したとおり、彼らを案内してきた。貴様と手を組みたいそうだ」


 ナルシストルーはそう言って、入ってきた入り口に目を向けた。

 そこから三人の男が姿を現した。

 コメバーナレの首魁、アジナシー・ダーカラ・キーライ。そしてリーダーのイーモッチと、彼らの護衛としてやってきた近接格闘の達人カメームである。

 先ずはアジナシーが口を開いた。


「君がブラッドペッパー、だね。マイラ女王を捕らえたとこのナルシストルーから聞いた。君は女王をどうするつもりかね?」

「それを知ってどうする?」

「君と利害が一致するなら協力関係を構築したい。如何かな?」

「ふっ……」


 ブラッドが覆面の奥で嗤った。


「貴様らと手を組む、そのメリットが俺にあると?」

「君がプリキュアと名乗る女王の私兵と敵対関係にあるのは把握している。彼らを排除するのに人手は必要だろう?」

「必要ない。プリキュア二人程度など、俺一人で充分だ。既に一人は倒した」

「ほう、殺したのかね?」

「とどめは刺し損ねたが、重傷を負わせた。……まあ、性懲りも無く奪還に来るだろうが、始末するのは容易い」

「大した実力と自信だ」


 アジナシーは愉しげに笑った。


「では協力ではなく取引と行こう。マイラ女王の身柄を買い取りたい。君が望む条件で買い取ろう。いかがかな?」

「断る。あの女は俺のものだ。……だが」

「だが?」

「二度と表の世界には出さん。あの女の生死が世間に漏れることは決して無いと約束しよう」

「ふむ、それはありがたい話だ。しかし何故、君は女王に固執する? 君の正体と目的はなんだ?」

「惚れた女を攫うのに、理由が必要か?」

「惚れた?」


 アジナシーは大仰に目を向き、そして笑い出した。


「これは驚きの答えだ。面白い。本気かね?」

「本気さ。俺はあの女を攫い、この世界から立ち去る。誰にも邪魔はさせん」

「できればあの世へ連れて行ってくれると良いのだがね」


 アジナシーがそう呟いた、その瞬間、その背後でカメームが動き出していた。

 まるで瞬間移動のように、その姿が掻き消え、奥の離れた場所に座らされているマイラ女王──の格好をしたゆいに向かって鉤爪を振りかざしていた。

 あまりに速すぎるその動きに、ゆいは自分が襲われたことさえ気が付かなかった。

 彼女が自分の身に危険が及んでいたと知ったのは、ブラッドが放ったエネルギー弾にカメームが撃たれ弾き飛ばされた後のことだった。

 小爆発を伴うほどのエネルギー弾の直撃を受け、カメームの体が壁に叩きつけられる。しかしカメームはすぐに立ち上がり、再びゆいに鉤爪を向けた。

 そのカメームに対し、ブラッドは冷酷な視線と掌を向け、トドメのエネルギー弾を放とうとしていた。

 だが──


「──動かないで頂こう」


 イーモッチが、その言葉と共に拳銃を引き抜き、ブラッドの後頭部に銃口を向けていた。その銃把には輝石デリシャストーンが埋め込まれ淡く光を放っている。

 そこから漏れ出る波動をブラッドは感じ取り、エネルギー弾を放とうとする動きを止めた。

 アジナシーが嗤った。


「懸命な判断だ、ブラッド。話を続けても良いかね?」

「…………」


 ブラッドはカメームに狙いをつけたまま、目だけをアジナシーに向けた。

 その殺意の籠った睨みを、アジナシーは平然と受け流した。


「今一度訊こう、ブラッド。我々と協力関係を築く気はないかね?」

「……条件を言え」


 覆面の奥から呻くように言ったブラッドに、アジナシーは頷きながら答えた。


「君に頼みたいことはおおまかに二つある。一つは、我々が目的を果たした後、国外へ脱出するまでの護衛を頼みたい。もう一つは……」


 アジナシーは離れた場所で蹲るように座るゆいに目を向けた。


「……我々にはまだ始末すべき女が居る。マイラ女王の影武者だ。これの始末をつけるために、君にプリキュアを排除してもらいたい」

「……影武者など捨て置けばいいだろう」

「そうもいかん。同じ顔をした女がマイラを名乗れば、民衆にとってはそれが女王となる。中身など問題ではないのだよ」

「そんなお飾りでしかない王様の椅子が欲しいのか、あんたは?」

「戒厳令を敷く権利は国王だけが持っているんだ。歴代国王は誰一人使ったことはないがね」

「クーデターか」


 戒厳令を敷けば、全ての権限が国家元首に集中される。アジナシーはイースキ島に独裁政権を敷こうというのだ。


「あの女」


 とアジナシーはゆいに目を向けたまま言った。


「もし影武者なら、マイラを始末した後、君に預けても良い。我が国で二人仲良く暮らすのも悪くないと思うが?」

「貴様らに監視されながら生きろ、と?」

「娯楽は少ないが、気ままに女を抱いて生きるのも悪くない。我が国は、昼寝して過ごすのに適した気候だよ」

「………」


 ブラッドはしばらくアジナシーを睨みつけていたが、やがてその目をナルシストルーに向けた。

 そもそも、コメバーナレにブラッドを牽制できるほどの戦力を与え、かつブラッドに関する情報を流したのはこの男だ。

 しかしナルシストルーは、ブラッドの視線を受けても、自分にはなんの責任もないと言いたげに軽く肩をすくめた。


 しばしの逡巡の後──


「良いだろう。協力してやる」


──ブラッドは、カメームに向けていた掌を下ろした。

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