第四幕〜となりまち〜反応編その①

第四幕〜となりまち〜反応編その①


涙声のローのモノローグの後、ゆっくりと画面が暗転していく。

やがてスクリーンが黒く染まり、フツっと音声が途切れて沈黙が訪れたが、館内の嗚咽と泣き噦る声が途切れることはなかった。

皆、涙を流していた。悲しみに溢れる雫は今は亡き男への悼みであり、独り遺された少年への憐れみだった。

そして、そのどちらもを等しく胸に抱く“息子”を亡くした父親は、ない混ぜになった感情で震える唇からひたすらに嗚咽を洩らして肩を震わせていた。

張り上げていた声は枯れてしまった。まだ息子の勇姿を讃えるには、あの子を亡くした痛みを吐き切るには到底足りなかったが、それでももうこれ以上何かを叫ぶ気力も残ってはいなかった。

滂沱の涙で濡れてしまった眼鏡を袖で拭い、ふと顔を上げると周囲の者も自分と同じように泣いているのが目に入って、センゴクは場違いな感情を抱いていた。

(ああ。こんなにも、お前を悼んでくれる者が居るのか)

この場に集う者の中には、息子が知らない者も大勢いるだろう。

生まれも、立場も、重ねてきた年数も何もかも違う者達だ。

それでも、ここに居る者達は確かに息子の死を悲しんでくれているのだ。そう思うだけで、センゴクの心中に僅かばかりではあるが温かなものが込み上げて来るような気がして、震える唇にそっと笑みを乗せた。

前方を見やる。視線の先、館内でひときわ悲しみを響かせる集団が近くの者と抱き合って号泣している。

彼等をセンゴクは優しい眼差しで見つめた。

あの者達は息子の忘れ形見が選んだ仲間だ。あの少年が海賊団として旗揚げしたのは、確か10年前のことだった。しかしセンゴクの息子が死んだのは13年前。

であれば、この空白の3年の間、あの少年はどこでどのように過ごして居たのだろうと疑問が頭を擡げた。

その答えもきっと、これから分かるのだろう。さらに前方のスクリーンに光が灯り、微かにカタカタとフィルムを巻き取る音が耳に入ってきて、センゴクは表情を引き締めて画面を見上げた。


スクリーンに映像が流れ始めた。

すすり泣く声も上映の再会に併せて小さくなり、映像が流れる頃には皆息を詰めて画面に見入っていた。

『…っ、ひっ、ぐ、……ぅっ』

映像が始まると、一同の耳に聞こえてきたのは嗚咽だった。深い悲しみに彩られた声は、先程まで泣き叫んでいた少年ローのものだ。

ハートのクルー達が泣き出す寸前のように顔を歪める。

涙で滲み、不明瞭な視界の中でローはすすり泣きながら、手を前後に動かしていた。一同の耳に届くのは寄せ打ち引いていく波の音と、擦れ合う木材が軋むギイギイという音。ローが何度も瞬きをして視界が晴れると、ぼやけていた像がはっきりしてきて灰色の海原が映った。

一体あの病弱な体でどこに向かうつもりなのだろうかと皆が思う中、画面越しのローの視界がぐらりと揺れた。そのまま景色が横倒しになり、少年の微かな嗚咽をBGMに映像が暗転して場面が変わる。

次に映し出されたのは真っ白な雪景色だった。地は雪に覆われ、囲うように空へと伸びる針葉樹にも降り積もった白で化粧を施されている。

どこかの島に上陸したのだろう。白い息を忙しなく吐きながら一面の白の中を歩くローは、寒さにかじかんで赤くなった指先をぎゅっと丸めてひたすらに前へと急いでいた。

「…………」

その光景を一同は息を詰めて見守っている。辺りはすっかり夜になっていたが、月明かりのお陰で足下が辛うじて見える程度には明るかった。

ローは時折方角を確かめるように上空を見上げながらも、足を緩めず真っ直ぐに進んでいく。しかししばらくすると足取りが重くなってきて、徐々に歩みが遅くなった。

やがてその場に立ち止まってしまい、荒い呼吸を繰り返して苦しげに肩を上下させた。額には玉のような汗が浮いて流れ落ち、震える唇からはひゅーひゅーと喉が鳴る音が漏れている。

『ーーーぁ』

額に浮いた汗を袖で拭い、再び歩きだそうとした時、目の焦点がぶれて立ちくらみを起こしたかのように頭が大きく揺れた。

「キャプテンッ!」

倒れかけるローにベポ達が叫ぶ。その声が届いたのか、小さな体が雪の上に倒れ込む直前に足がしっかりと雪を踏みしめて体勢を立て直した。どうにか持ち堪えた少年はふーッふーッと息を切らせながら腰の辺りをまさぐった。

外套の下から取り出したのは鈍色に光る子供サイズのメスだ。そして一同が見つめる中、ローは大きく息を吸って止め、手に持ったメスを左腕に勢いよく振り下ろした。

『ああああああッ!!!』

響き渡るローの悲鳴。刃が突き立てられた腕からは真っ赤な血が滴り落ち、白い地を赤で彩った。

しん、と館内が静まり返った。しばしの無音の後、は…、と誰かの呼気が途切れたと同時にハートのクルーから悲鳴が沸き上がった。

「キャプテェェェェエエン!!!!」

ローは歯を食い縛って痛みに耐えている。額に脂汗を、目尻に涙を浮かべ、必死の形相で痛みをやり過ごそうとする姿はとても痛々しい。だが、その瞳には決して諦めないという強い意思の光が宿っていた。

一体何が彼を突き動かすのか。

『となりまち…となりまち……、コラさん…コラさん…ッ』

それは命を賭してローを守ったコラソンとの口約束。コラソンがローを逃がすためについた優しい嘘を、彼は嘘だと分かっていながらも約束を果たそうと歩き続けていたのだ。


その後も、ローは倒れそうになる度に腕にメスを突き立てながら足を動かしていた。ローの苦鳴に併せて館内のあちこちで悲鳴や息を呑む声が上がった。

『よしっ』

「よしっじゃねえんだよローさん〜〜!!!」

強烈な眠気覚ましの度に、掛け声と共に歩き出すローにペンギン達がべしょべしょに泣いて抗議する。

そうして彼の頭上を太陽が三度通過した頃、前方に灯りが見えてきてローの顔がぱっと輝いた。目の前に現れた希望に走り出したローに一同の表情も明るくなる。

『……』

しかし町へと足を踏み入れようとした瞬間、少年の表情が凍り付いた。

その脳裏に蘇るのはコラソンとの旅路で投げかけられた数々の言葉の暴力だ。迫害の記憶が少年の心を恐怖と不信感で覆い、踏み出そうとする足を引き留めていた。

それでも、ローは一歩を踏み出した。恐怖を振り払うように頭を振って、入り口付近にいる女性に近付いていく。

『あ、あの…っ』

『おや、あんた、その顔…』

しかし女性から白い痣を指摘され、ギクッと肩を強張らせたローは衝動的にその場から逃げ出していた。

「キャプテン…」

「トラ男…」

走るローの顔が泣きそうに、それでいて悔しげに歪んでいるのを見て、ベポ達も悲痛に顔をしかめた。


辿り着いた先は海岸近くの洞窟だった。本日はそこで野宿をするつもりなのだろう。手早く火を起こして体を温めた彼は即席の釣竿で釣った魚を焚き火の傍に置いて焼き始めた。

『……』

ローは岩に座ってじっと火を見つめている。その頬は僅かに血色が良くなったことで白い痣との対比を際立たせていた。

揺らめく炎を見つめる表情からは何を考えているか読み取れない。やがて程よい焼き色になった魚に目を遣り、手を伸ばそうとした時だった。

『が、あああああッッッ!!!!?』

突然胸を押さえて絶叫するローに館内は騒然となった。

「どうしたんだ!?!!」

「キャプテン!!!!」

「まずい…また発作が始まったんだッ」

険しい顔で呟くチョッパーに一味たちの表情が強張る。

「そんな……ッじゃあトラ男は…!!」

「落ち着いて!! トラ男は生きてる! きっとこの発作も乗り越えたはずよ!!」

「でも、珀鉛病の発作は間隔がどんどん短くなっていくんだ…どこかで治療しないとトラ男がもたないよ…ッ」

混乱しかけた一同をナミが一喝して落ち着かせるが、チョッパーの言葉が全員に重く圧し掛かり沈黙してしまう。

『あ、ぐぅう……! かは、ぁあぁあ あ!!!』

画面内では痛みに叫びながらローが地をのたうち回っている。あまりの痛みに痙攣し始めた彼を見守ることしか出来ないことにもどかしさが募っていった。

『……だ…、…んで、…まるかよ…』

苦しみ悶えるローから小さな声が聞こえてきた。

『ぜった……ぃ、しなねぇ……ぞ……おれ、は……、……コラさん……と、の、やくそく……まもり……っ!』

『……ッ、……ァ、さ……ん……、こら、さ……』

次第に意識が遠退いているのか、ローの声は掠れていき、焦点の合わない瞳からぼろりと涙が流れ落ちた。降りていく瞼に誰もがもう無理かもしれないと諦めを滲ませたその時、

『……ッ!!、おれが生き延びないと!! コラさんの命が、願いが、無駄になっちまう!!!』

閉じかけた瞼をぎゅっと瞑って、ローが声高に吼えた。瞬間、ブーンと音を立てて薄青いドームが彼を囲うように広がっていた。

「…っ!! “ROOM”だ!!」

ペンギンが叫んだ。

「オペオペの能力か…!! やっぱりトラ男は能力で治療を!!」

「キャプテン…ッ!!」

ギリギリの所で発動した能力に一同は歓喜で沸き立った。このまま能力を使って治療すれば彼の命は助かるのだろう。安堵に胸を撫で下ろした皆は彼のオペの様子を固唾を飲んで見守った。

能力で体中の珀鉛を集め、“メス”で肝臓を抜き取り、半透明のキューブに包まれた臓器を見下ろして熱したメスを構えたローが映る。

「え、待ってキャプテン…麻酔は…!?」

「うそうそうそまさか!!?」

「そのままやるつもりなのかトラ男ォ!?!!」

ペンギン達の悲鳴が上がる中、ローは躊躇なくメスを振り下ろした。

『ぎ、ぃああああああああ!!!!』

鋭い刃先が膜を裂いた瞬間口から絶叫を迸らせてローの顔が苦悶に歪んだ。しかし彼は止まらなかった。全身を駆け巡る痛みに息が詰まっても、涙が溢れても必死に歯を食いしばり刃を滑らせ続ける。

『ひぐ…ううううううう!!!!』

上がる苦鳴はあまりにも痛々しい。聞いているだけで体が裂かれるような錯覚を覚えてしまうほどに。幾人かは耳を塞いで顔を背けていた。

「キャプテェェェェン!!! もっとゆっくり!! ゆっくりでいいから!!!」

「そんなに何度も突き刺したらもっと痛くなるってぇぇぇぇ!!!」

「お願いだからぁぁぁあああ!!!!」

前のめりで叫ぶベポ達を皮切りに、館内でローを心配する声と激励する声が広がり、映像越しにも関わらずまるでその場に居合わせたかのような手に汗握る空気に包まれていた。

「頑張れトラ男ぉぉぉぉおおお!!」

「負けんなトラ男!!」

「テメェはここでくたばるタマじゃねェだろうがトラファルガー!!」

「ロー…!!」

「あともうちょっと…!! もう少しだよキャプテン!!」

一同の声援に励まされながら、激痛に耐えて手術を続けるローの姿に、見ている者達も知らずのうちに拳を握っていた。

「頑張ってくれ……ッ」

祈るような思いでペンギンが呟くと同時に、ついにローの手が止まった。

そのまま、ポーチから取り出した針と糸で肝臓を縫い、キューブを腹に収めると彼の手からカラン、とメスが滑り落ちた。

『やった……』

呟き、後ろに倒れ込んだローの顔には達成感が広がっていた。

『コラさん…!!! コラさん、見てるか!!! やったよ!!! おれ、治したよ!!!』

興奮にばたばたと手足を動かして宙に拳を突き上げるローに館内で歓声が沸き上がった。

「ローさん……ッ」

「治したのか……ッ! 自分で…!! 治療法の無い病気を!! すげぇ!! すげぇよトラ男!!!」

「おっしゃあぁああー!!!」

「さっすがキャプテェェェン!!!」

「よかった…!本当に……!」

仲間達と抱き合い、肩を叩き合って喜ぶハートのクルーたち。ベポから喜びのガルチューを顔面に受けたジャンバールも微笑んでいる。その光景を視界に収めてセンゴクは喜びに目を潤ませた。

「見てるかロシナンテ…あの子はお前が与えた力で命を繋いだぞ…! お前のお陰で…!」

掠れ声で囁くセンゴクの近くでスモーカー達海兵の面々にも安堵と喜びが広がっていた。たしぎとコビーがボロボロと涙を零している。

拳を突き上げたローは大きく開けた口から笑い声を響かせていた。

『あはははは……!!! ざまーみろ政府!!! はははは!!! ははは……、はは……、ぅっ、ぐ、うぅ…ッ』

高らかに上げていた笑い声が萎んでいき、最後には嗚咽に変わった。ローの嗚咽に歓声を上げていた一同はピタリと口を閉じ、画面を凝視する。

『ごめ、なさ…っ、コラさ…っ、父様…母様…っ、ラミ…ッ』

救えなくてごめんなさい。守れなくてごめんなさい。せっかく救ってくれたのにその死を冒涜するようなことを考えてしまって、ごめんなさい。

聞こえてくる懺悔に言葉を失った。ローの泣きじゃくる声だけが響き渡る。

やがて、彼は力尽きるように眠りについた。能力を使った反動か、体力の限界だったのか、或いは両方かもしれない。

「……」

誰も何も言わない。ただ静かに暗転したスクリーンを見つめて痛みを耐えるように眉を寄せるだけだった。


***


しばしの沈黙の後、瞼が開くようにゆっくりと映像が映し出された。

最初に映ったのは木目調の天井だ。

視線が周囲に移ると、机と椅子、沢山の本が詰まった本棚、金魚の泳ぐ水槽、それから中で火が燃えている立派な暖炉が見えた。

「ここって…」

見覚えのある光景にペンギンとシャチ、ベポが目を見張る。

ローが慌てて起き上がった時、ドアが開いて老人が一人入ってきた。

『おう、やっと起きたか』

60代ほどに見える老人は、オールバックの白髪に真っ赤なサンバイザー、変な柄のアロハシャツに短パン、足元はサンダルと、どこからどう見ても胡散臭い出で立ちをしていた。

「うっわ何あの格好…」

「胡散臭いジジイだな…」

「ま、まさか…人攫いか!?」

散々な酷評が飛ぶ中、旗揚げ組の3人は目を潤ませて老人を見つめていた。

「じいさん…」

画面内でローは老人をドフラミンゴの手先か賞金稼ぎの人攫いだと疑っている様子。素早く老人の背後を取り、情報を引き出そうとするローを老人は慌てた様子もなく投げ飛ばした。

「何モンだあのじいさん」

慣れた動きに只者ではないと察して警戒を強める一同。床に転がったローも起き上がって警戒心顕に老人を睨み付けている。

老人が持ってきた木椀の中から温かそうな湯気が立ち上っている。スープの匂いを嗅いで、ローはぐうっと腹から悲鳴を上げるもスープと老人を交互に見て、それでも木椀には手を伸ばさなかった。

その人間不信とも言える警戒心は彼がこれまで受けてきた迫害の記憶によるものだろう。手負いの獣のようなその様子にペンギン達の表情が翳る。

警戒するローに老人は匙を手に取ってスープを一口、二口とすすってみせた。

『毒は入っとらんと分かったろう。……だいじょうぶじゃ、ワシはお前さんの敵じゃない』

それを見届けてから漸くローは匙に手を伸ばし、右手のメスは相手に向けたままスープを口に運んだ。

口に入れた途端、ギラついていたローの目が子供の目に戻った。温かく優しい味にいつしかぼたぼたと大粒の涙を零して泣いていた。

『ちくしょう…ッ、美味ェ…! 美味ェ…!』

泣きながら夢中で掻きこむローに、老人は微笑ましそうに笑みを浮かべている。

『すぐにおかわりを持ってきてやるわい』

まるで、拾ってきた野良猫がようやく懐いたかと言うように。

「良かったな…トラ男」

「ああ。いい奴に拾われたみてぇだな」

涙ぐむチョッパーにルフィが小さく笑った。


***


その後、ローは老人の勧めで風呂に入っていた。

『あ……』

鏡に写った自身の姿を見てローの表情が凍り付く。熱い湯を浴び血行が良くなって赤くなった肌と白い肌の違いが際立っている。珀鉛病は治っていなかったのかと絶望に膝を着くローだが、何かに気付いたように手に浮かぶ白い痣をまじまじと見つめた。

『これって……白斑か?』

呟かれた単語に意味を知らない者が首を傾げる。

「白斑ってのはな、皮膚の基底層ってところにあるメラニン細胞から作られる紫外線などを防ぐメラニン色素が、色んな原因で作られなくなる病気なんだ。メラニン色素は肌の色を決める要因だから、これが作られなくなると色が抜け落ちたみたいに肌が白くなるんだ。だから白斑って呼ばれてるんだよ」

チョッパーの噛み砕いた解説になるほどと頷くメンバーもいれば、それでも理解が追いつかずに頭を捻る者もいた。

後者に関してはどれだけ噛み砕いても理解してくれるか怪しい所がある。なのでそれ以上の説明を放棄した。

「ふーん。ま、不思議ビョーキってやつだろー?」

こんな具合に。しぱしぱと目を瞬かせるルフィの頭を半目のナミがスパァンと叩く。

「あんたは黙ってなさい」

「え、病気ならアレも治さなきゃいけねぇのか? …もうあんな痛そうなトラ男は見たくねぇよ…」

ビクビクと尋ねてくるウソップにチョッパーは首を振った。

「それは多分大丈夫。トラ男の場合、恐らく蓄積した珀鉛がメラニン細胞の働きを邪魔してただけだから、珀鉛が無くなればこれから少しずつ色は戻っていくはずだよ」

大体、肌は1ヶ月くらいで新しい肌に生まれ変わるからな。と締めくくると隣のウソップはへぇ〜と感心の息を吐いた。

それよりも。チョッパーはスクリーンを見上げる。

湯船に浸かってくて、と脱力しているローも溺れないように浴槽の縁に掴まりながら、色の抜けた肌を見つめて考え込んでいるようだった。

『まずはあのじいさんの目的を訊かねぇとだな』

ふう、と息をついてローは浴槽から出た。



風呂から上がり、老人が用意してくれた服に袖を通す。子供サイズに見えるが、ローには少し大きくてぶかぶかだった。

老人が待つ部屋のドアの前でローが立ち止まっている。彼はドアノブを握る手を少しの間見下ろして、意を決したように扉を開いた。

それからローは老人と話をした。

老人がローを助けてくれたのは純粋な人助けからだったと分かってチョッパー達はホッと胸を撫で下ろした。うすうす思ってはいたが悪人じゃなくて良かったと。

ハートの旗揚げ組だけは当然だろと言わんばかりに腕を組んでうんうんと頷いている。

『なら坊主。この世はギブ&テイクじゃ。何があったか話せ。……何か事情があるんじゃろう』

その言葉に促されるようにローはこれまでの経緯をポツリポツリと話していた。

話している内に思い詰めた表情が消えていく彼にたしぎがほっと表情を和らげた。

ローはオペオペの実についてだけは伏せて話していた。当時の彼が知っていたかは定かではないが、オペオペの実は50億で取り引きが行われるほど価値があるものだ。

真の価値を知る者がローが能力者であることを知れば、まず人道的な扱いは望めない。この老人がどこまで知っているかは謎だが、結果としてオペオペの実のことを話さなかったローの選択は正しいと言えるだろう。

信用したいという気持ちと不信感で揺れ動くローの表情を見つめて、ドフラミンゴは腑抜けやがって、と忌々しげに舌打ちをした。

『…アンタは何故おれを助けてくれたんだ? こんな見た目のおれを…。もう治ったとは言え、珀鉛病だと疑わなかったのか?アンタも珀鉛病の常識は知ってんだろう?』

恐る恐る尋ねるローにチョッパーも息を詰めて返答を待った。そうだ。白い痣と言えば珀鉛病を疑う者が多いだろう。北の海の人間なら尚更のことだ。

入浴前は体温の低下で白い肌は分かりにくくなっていたが、確実に見ているはずだ。現に部屋に入ってきたローの顔にはっきりとある白い肌に老人は眉を動かしもしなかった。

どうか彼がこれまでの医者のような人間じゃありませんように、とチョッパーは強く願った。

『まぁな。“白い町”の結末は北の海の者なら知らん者はおらん。……だが、ワシは別に構わんかった。目の前でお前のようなガキを見殺しにすることに比べたらそんなこと些細な問題じゃわい。結果として、珀鉛病は感染らない病気で、お前さんはもう治っとるんならそれでいいじゃろう?』

チョッパーが弾かれたように顔を上げた。

その時脳裏に過ったのは彼の恩人Dr.ヒルルクの顔だった。

「優しい人に逢えて、良かったな…」

良かった、本当に良かった。と何度も繰り返し呟いて、チョッパーは顔を手で覆って泣いた。

そんなチョッパーの背をそっと撫でながらロビンは違う見解を抱いていた。

(確かにあの老人は優しい人だと思う。でも、それだけじゃない)

あの眼差しは身に覚えがある。きっと彼はもしローが珀鉛病でも、それが感染症でも良かったのではないかと思うのだ。それで命を落とす結果になったとしてもよかったのではないか、と。

ああ。見覚えがあると思ったら、彼女もかつては同じ眼差しをしていたことを思い出した。

いつ死んでもいい、という目だ。

あの老人のこれまでは知る由もないが、結果としてローは助かった。

「本当に、優しい人に拾ってもらえて良かったわね。トラ男くん」

老人の言葉にうっすらと涙を浮かべているローを見て、ロビンは微笑んだ。


その後。

帰る場所もなく、家族もいないローに老人は目的が見つかるまで家に置いてやると提案してくれた。

『ただし! 人生は常にギブ&テイク! お前にはワシの労働力となってもらう!!……ワシは安全な暮らしを与え、お前はワシに労働力を提供する! それでかまわんな!!』

顔を赤くして怒鳴る老人に吹き出してしまうローと一緒にペンギン達も吹き出した。

「相変わらずだなぁじいさんは」

「だな」

苦笑するペンギンとシャチの隣で「じいさん変わんないなぁ〜」とベポが朗らかに笑っていた。

『耳をかっぽじってよぉく聞けい!! ワシの名はヴォルフ!! 稀代の天才発明家じゃ!!』

ドヤァと胸を張るヴォルフに一同も胡乱な目を向けてしまう。詐欺師の間違いではないのか?と。

『何を言うか!! ワシの偉大な発明品をいくつか見せてやるわ!! まずはこれ!!『どこでも温泉くん一号』じゃ! これがあれば冷たい水も一瞬でお湯に早変わり!!薪も火起こしもいらん画期的な発明品じゃあ!!』

『おお…』

「おお〜」

「マジか…! 名前はダッセェがすげぇ発明品なんじゃ…!!」

感嘆の声を上げるロー。ネーミングセンスを疑いながらも凄いと驚くウソップとフランキー。ルフィとチョッパーは目をキラキラと輝かせ、彼らと反対側にいるキッドがそわ…と身動いだ。

『ただし一つ欠点があってな。適温で止める機能がついとらんから、お湯があっという間に沸騰して蒸発してしまう』

『ゴミじゃねぇか!!!』

「使えねぇじゃねェか!!!」

致命的な欠点にローとサンジの鋭いツッコミが飛んだ。期待に目を輝かせていたルフィ達も途端にガッカリした表情に変わる。キッドが大きく舌打ちをした。

『まだじゃ!! まだ終わっとらん!! 次はこの『スーパーお掃除くん三号』じゃ!! こいつはゴミや汚れに反応して放っておいても家を綺麗にしてくれる優れ物じゃあ!!!』

「おぉ…っ」

『ふーん』

『…じゃが、こいつにも欠点があってな。3分以上稼働させ続けるとこの家を吹き飛ばす威力で爆発する』

『欠点どころじゃねェだろ!! ガラクタ以下じゃねぇか!!!』

「えぇ……」

その他にも数々の発明品を紹介されるが、どれもこれも致命的すぎる欠陥品揃いだったのでローと一同の評価は最低値まで下がっていた。

「あ、うん。ダメダメだなこりゃ」

ウソップが呆れ返った声で呟く。

ベポとペンギン、シャチの旗揚げ組はのほほんと笑っていた。

『よし。アンタはガラクタ屋だな』

ロー渾身の渾名に「じいさんより酷くなっとる!!」とヴォルフは抗議するが、一同もピッタリだとうんうん頷いた。

『とりあえず、改めて助けてくれたことには礼を言う。…正直ここに置いてもらえるのはありがてぇ。これから、よろしく頼む』

そう言って右手を差し出すローにヴォルフは鼻を鳴らして笑い、その手を握り返してくれた。

こうして天涯孤独の少年と発明家の老人の生活が始まった。


***


ローの生活は、朝は日が昇る頃に起きてヴォルフの発明や畑の手伝いをして、色んな本を読み漁り、温かい飯を食い、夜は笑いあったりして過ごしていた。

肌の色も少しずつではあるが色が戻り始めている。

日々を過ごしていく中で肝臓を切除したことの弊害で黄疸が生じたり、体に浮腫が出たりしてローを苦しめたが、それでも彼は医療の知識を活かして対処していた。

見守る一同も叫んだり励ましたり慌てたりと忙しかったが、少しずつ、順調に健康になっていくローの姿に良かったと安堵し、笑顔になるのだった。


もうあの子を苦しめる病はなくなった。彼自身の手で絶望とも言える困難を乗り越えたのだ。ロシナンテの願いの通り、日々を生きていくローにセンゴクは胸が温かいもので満たされていくような心地になっていた。


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