第四幕その①変更箇所のみ
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その後老人に言われるがまま風呂に入っていると、
「あ………」
鏡に映る体には未だあの忌々しい白が広がっていた。頭をガンっと殴られたかのような衝撃が走り、体から力が抜けて膝をついてしまう。
そんな、珀鉛は全部取り除いたはずなのにどうして…!?
混乱する頭に併せて呼吸が浅く速くなっていくのが分かる。呆然と床についた手を見つめているとあることに気付いてハッとした。
「あれ……?」
手に広がっている色にふと違和感を覚えた。手を持ち上げて凝視してみると、間違いない。僅かに血の色が透けて見える。
慌てて腕から足まで全身隈なく確認したが、やはり体の至ることろにある白い痣がうっすらと薄桃色になっていた。まるで、瘡蓋が剥がれた直後の新しい肌の色のような。ありえなかった。
これまで珀鉛病に冒された箇所は体温の変動で色が変わることは無かったのだ。正に陶器のような白、無機物のような人らしさの欠けた肌が余計に珀鉛病患者を不気味に見せる一因だった。
それが、色が変化するということは珀鉛は除去出来ていたのだろう。だとしたら、何故肌の色が元に戻らないんだ?
「これって…白斑か?」
白斑とは、表皮の基底層にあるメラニン細胞から産生されるメラニン色素が様々な要因で産生を阻害されることによって生じる皮膚疾患だ。
珀鉛病を発症してからは珀鉛が邪魔をしてメラニン色素が産生されていなかったため、原因を取り除いた後も皮膚の色は白っぽくなっているのだろう。これもメラニン細胞の機能が生きていれば肌の色も徐々に元の色を取り戻していけるが……。
そこまで考えてローは頭を振った。恐らく大丈夫だ。肌には一定の周期で新しい皮膚が生まれ変わるターンオーバーがある。正常なら少しずつだが確実に色は戻っていくはずだ。
「……よし」
気持ちを切り替えて湯船に浸かる。温かいお湯に全身を包まれてほうっと息を吐くと、何となく肩の荷が下りたような気がした。熱い湯船に浸かっていると、くて、と全身から力が抜けていく感覚に襲われる。
そうか、おれ能力者だから。
これから致命的な弱点を負うことになったが、今はそれも気にならなかった。
ただ久しぶりの湯のあたたかさをたっぷりと堪能した。
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用意されていた服に手を通し、老人と話した。
老人がローを助けてくれたのは純粋な人助けからだった。
ドフラミンゴの手先や賞金稼ぎなんかじゃなかったと知って、疑ったことが申し訳なくなってしまった。
「なら坊主。この世はギブ&テイクじゃ、何があったか話せ。……何か事情があるんじゃろう」
その言葉に促されるようにポツリポツリとこれまでのことを話していた。
故郷のことや病気のこと、海賊団に身を寄せていたこと、そこから恩人が救い出してくれたが、その恩人は殺されてしまったこと。
話している内に心がすっと軽くなっていくのを感じた。もしかしたらずっとこうやって誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。
オペオペの実のことだけは話したらどんな反応をされるか未知数で、態度を変えられてしまうことが怖かったので話せなかった。珀鉛病のことは腕の良い医者に治してもらったとだけ伝えておいた。
そして、風呂に入っていた時から感じていた疑問を老人にぶつけた。
「…アンタは何故おれを助けてくれたんだ? こんな見た目のおれを…。もう治ったとは言え、珀鉛病だと疑わなかったのか?アンタも珀鉛病の常識は知ってんだろう?」
「まぁな。白い町の結末は北の海の者なら知らん者はおらん。……だが、ワシは別に構わんかった。目の前でお前のようなガキを見殺しにすることに比べたらそんなこと些細な問題じゃわい。結果として、珀鉛病は感染らない病気で、お前さんはもう治っとるんならそれでいいじゃろう?」
あっけらかんとした口調で言う老人の言葉には裏表のない優しさが滲んでいた。
それにローは再び目頭が熱くなってきて、必死で涙を堪えた。
老人は手元のコップの中身を啜って、ほうと息をつく。
「つまるところ、お前さんは天涯孤独で行く宛も目的もないということじゃな?」
老人の言葉に考え込む。確かに目的はない。珀鉛病を治して生き延びることはほぼ達成しているし、コラさんを殺したドフラミンゴへの怒りはあるが、だからといっておれに出来ることなど無いも同然だろう。
答えに窮していると老人は目的が見つかるまでここに置いてやると言ってくれて、目を見開いた。
正直有難かった。見知らぬ土地で寝床も食事の確保も難しい中、その提案は心底助かる。
「ただし! 人生は常にギブ&テイク! お前にはワシの労働力となってもらう!!……ワシは安全な暮らしを与え、お前はワシに労働力を提供する! それでかまわんな!!」
なんだこのじいさん。こんな理屈をつけないと好意を表せないのか。
吹き出してしまうローに、老人も表情を和らげた。
そう言えば、このじいさんは何を仕事にしてるんだ? というか、おれはこのじいさんのこと何も知らねぇな。
「耳をかっぽじってよぉく聞けい!! ワシの名はヴォルフ!! 稀代の天才発明家じゃ!!」
ドヤァと胸を張るヴォルフに胡乱な目を向けてしまう。こんな胡散臭い出で立ちでよくそんな肩書きを名乗れたもんだな。詐欺師の間違いじゃねぇのか?
そんなローにヴォルフは目を剥いて怒鳴ってきた。そして次々に紹介される発明品だが、一見凄そうでも致命的な欠点だらけのものばかりだった。
よし、アンタはガラクタ屋だな。
そう呼んでやればヴォルフは「じいさんより酷くなっとる!!」と嘆いていた。
何でだ。ピッタリだろうが。
「とりあえず、改めて助けてくれたことには礼を言う。…正直ここに置いてもらえるのはありがてぇ。これから、よろしく頼む」
そう言って右手を差し出せばヴォルフは鼻を鳴らして笑い、その手を握り返してくれた。
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それから、ヴォルフとの生活が始まった。
朝は日が昇る頃に起きてヴォルフの発明や畑の手伝いをして、色んな本を読み漁り、温かい飯を食い、夜は笑いあったりした。肌の色も少しずつではあるが色が戻り始めている。
そんな生活が始まって1週間が経とうとした頃。
「ん? ロー。お前さん肌が…」
ヴォルフの言葉に心臓がギュッと絞られたかのような心地になって、急いで姿見がある部屋に走った。
まさか、珀鉛病が再発したのか…!?
コラさんとの旅で何度も味わった迫害の記憶が蘇って、不安と恐怖が体の中で暴れ狂う。
「はぁ…はっ…」
息を切らして鏡の前に立つが、なかなか顔を上げられない。もし本当に再発していたら? という恐れが、恐怖が頭から離れなかった。
「…っ」
意を決して顔を上げた。そして鏡の中の自分と対面して間の抜けたような声を漏らしてしまった。
「……黄色い……?」
思わずペタペタと顔に触れて確認する。肌はあの忌まわしい白ではなく、檸檬のような黄色に染まっていた。色の抜けた箇所と相まって醜いまだら模様を描いている。
待てよ、この症状は黄疸か?
鏡を覗き込めば、顔の皮膚だけでなく白眼の部分も薄く黄色に色付いていた。典型的な黄疸の症状だろう。
珀鉛病の再発じゃないと分かったおれは脱力して座り込んでいた。
良かった…。全身を包むのは途方もない安堵だ。
「どうしたんじゃ?いきなり走り出して」
「あ、ああ。なんでもねぇ。ちょっと、その、気になったことがあって……」
慌てて取り繕うが、じっと見つめるヴォルフに誤魔化しは出来ないと観念して説明する。
「…珀鉛病の治療で、肝臓を切ったからそれでこんな色になったんだと思う」
ついでに肝臓は再生するから問題ないこともしっかり話せば、ひたりと向けられていた視線から圧が和らいだような気がした。
「具合は大丈夫なんじゃな?」
念を押すような言葉にしっかりと首肯すれば、ヴォルフはふぅーっと長い溜息を吐いた。
「心配させるでないわ、まったく…」
心底安心したというように言うヴォルフの言葉がじんわりと心に染み渡った。
「……ありがとう」
「ふん、ワシの大事な労働力を失う訳にはいかんからの。当然のことじゃわい」
そう言いながらぷいとそっぽ向いたヴォルフの耳が僅かに赤くなっていて、それがおかしくて笑ってしまった。
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黄疸が現れて数日後には手足に浮腫みが出始めた。これも肝臓を切除した影響によるものだろう。今は1/3ほどしか残っていないため肝臓の機能が低下してしまっているのだ。
この浮腫みから引き起こされる痒みがどうしようもなかった。寝ても起きてもずっと痒みが続くため、ヴォルフに頼んで痒みに効く薬を調達してもらったり、自分で薬草を採りに行ったりして対応した。
ついでに利尿作用のある薬草も採っておいた。体に溜まった水分を排出しないと浮腫みは改善しない。
そして便秘にならないように生活を整えることに一番気を付けた。
肝機能低下で引き起こされる症状の中で、怖いのは肝性脳症だ。これを発症すると最悪、昏睡状態になる場合もある。
そんなことになればヴォルフに迷惑をかけるだけでなくコラさんの恩に報いることが出来なくなる。
それだけは避けたかった。
そうしてヴォルフの手伝いをしながら規則正しい生活を続けて1ヶ月が経つ頃には、おれの体は元の健康な状態に、肌の色も珀鉛病発症前の色に戻っていった。