第十話『窓ガラスをぶっ壊して』
「一体何が起こっているの?」
一方、測量室に居たナミは不安げな声をもらしていた。彼女の元にまで、戦闘の音や振動が伝わっていたからだ。その常ならざる気配に彼女は戸惑う。
部屋から出ようかとも考えて立ち上がったが。海図を書き終わるまでは基本的に退出を許された事がなかったので、諦めて椅子に座り直した。
いつまでこの生活が続くのだろうか。ナミは机の上の海図と向き合いながら、表情に影を落とす。約束のお金はまだ六割に差し掛かった所。段々集める事に手慣れてきたものの、まだ数年はかかるだろう。
「…………ベルメールさん」
ナミは大好きな人の名前を呟いた、折れそうな心を奮い立たせるために。
そんなナミから少し離れた場所の窓ガラスが、突然、窓枠ごと音を立てて吹き飛んだ。
「えっ?」
「ヤベェッ!! やり過ぎた!! 怪我してねェか?!」
窓があったはずの場所はポッカリと穴が空いてしまっていて、その穴から焦ったように顔を覗かせる青年。
ありえない状況に、ナミの脳みそは追いついていかなかった。
「ここまで粉々にするつもりはなかったんだがな。力の調整ミスった……」
口を開けて呆けているナミを置き去りに、青年はボリボリと頭を掻きながら部屋の中に入ってくる。
「で、あんたがアーロンの所で無理矢理海図を書かされてるっている、ナミって奴か?」
「は?」
「おれの名前はエース。よろしくな!」
「……よろしく」
自分のペースで話を進めていくエースに流されて、ナミも思わず返事をするが。
「おれ、腹減って行き倒れてたんだけど、お前の義姉のノジコに助けられてな。メシの礼にお前を助けに来たんだ」
「……助けにって。無理に決まってるじゃない……」
まるで簡単な事の様に言い放つエースに、ふつふつとした怒りが込上がってきたナミは、声を震わせた。
「アーロンが居るのよ?! 他の魚人達も!! それに私だけ逃げ出したら村の人達はどうなるの?!」
耐えきれない怒りを滲ませて、感情のまま彼女は叫ぶ。
「アーロンってアレだろ? もう倒した」
「えっ??」
だがエースは、冷静に自らが破壊した窓だった場所から外を指差した。ナミがその指の先に恐る恐る視線を動かせば、全身を焦げ付かせたアーロンが倒れている。周囲を見れば門は破壊され、アーロンの仲間達も、何故か海兵達も倒れていた。
「えっ?…… えっ??!!」
信じられない光景にナミは思わず目を擦る。もしかしたら夢を見ているのかもしれないと、頬っぺたもツネってみるが、ちゃんと痛い。
痛む頬を押さえながら、信じられない顔で倒れ付しているアーロンを見つめるナミ。そんな彼女に、大きく空いた穴から差し込む陽の光を浴びながらエースは笑った。
「言ったろ? 助けに来たって」
こうしてナミはアーロンの呪縛から解き放たれる事になったのだ。
「……ありがと」
まだ夢の中に居るようだが、段々状況を把握し始めたナミはエースへ感謝をこぼした。
「いいってことよ。メシもみかんも美味かったしな」
とてもじゃないがそれでは釣り合わないだろうに、エースはただの礼だと言って聞かない。
「所であそこで倒れてる海兵達は?」
さっきは動揺して気が付かなかったが、海兵がこの島に居ることに疑問を覚えたナミ。島を助けに来てくれたのだろうか? それにしては何故倒れているのだろう?ナミは不思議そうに首を傾げた。
「……アイツらアーロンから賄賂受け取ってたみたいだぜ」
「なっ!!」
顔を顰めたエースが重苦しく伝えた真実に、彼女は顔色を変える。
「海兵が、魚人の味方をしてたって言うの?! この島の現状を知りながら!!」
ワナワナと肩を震わせながら、ナミは苦しげな声で叫んだ。エースを責めても仕方ない事は分かっているのだが、溢れ出した感情は抑えきれない。
「世の中には腐った連中が山ほどいる。それこそ海兵の中にもな……」
「信じられない!!」
ベルメールから海軍や海兵の話を聞いていたナミは、今まで海軍の善性を信じていたと言うのに。彼女が悔しさで唇を噛み締める姿を見ながら、エースは話しを続ける。
「けどな、全部が全部そんな奴らじゃない。人間の中にも魚人中にも、良い奴もいれば悪いヤツもいる。おれは島の安全を守って、人々から感謝されてる海兵や魚人、それから海賊だって知ってる」
そう、エースの記憶の中、白ひげがナワバリとする島の人達はいつも笑っていた。善も悪も、決して特定の種族や立場だから起こすのでは無い。
「…………」
ナミは納得出来ない表情をしながらも、大人しくエースの声に耳を傾けていた。
「長い間魚人に苦しめられたアンタにしたら、魚人や海賊は全て同じに見えるかもしれないが、そういう奴も居るって事だけは知っておいてくれ」
この話はここでおしまいだと、言葉を切ったエースにナミは渋々頷いた。
この時のエースの言葉はずっとナミの心の奥底に残ることとなる。