第二幕〜ファミリー〜
掛け声と共に金属が打ち合う音が響く。
手榴弾を体に巻き付けたローがドンキホーテファミリーの幹部、ディアマンテに必死に斬りかかっていた。
「こいつを倒せばおれを幹部にしてくれるか…!?」
勇ましく吼えるローをディアマンテの鋭い一撃が打ち据える。
悲鳴とともにゴミ山に突っ込んでいくロー。その拍子に巻き付けた手榴弾が外れてしまった。
それをドンキホーテファミリーのボス、ドフラミンゴが見下ろしていたが、決着が着いたことを悟ると部屋に戻ってしまった。ローと対峙していたディアマンテもトレーボルを引き連れて建物内に入っていく。その場にはボロボロのローだけが残された。
「…………」
無言のまま立ち上がる。全身傷だらけで出血している箇所もある。それでもなお殺意を漲らせた目で建物を見上げて奥歯を噛み締めた。
諦める訳にはいかなかった。海賊に入って出来るだけ多く殺して、壊さないといけないのだ。だって、時間はもう残されていないのだから…。
ローは痛みに耐えて再び建物の中へと入っていった。
「お前、長くねぇって言ってたけどいつ死ぬんだ?んね〜んね〜、いつ?なぁいつぅ〜?」
出迎えられた先に船長はいなかった。代わりに先程の二人がいて、ローを待ち構えていた。
二人のうち鼻水を垂らした不潔な男、トレーボルがねちっこく訊いてくる。
「…3年と2ヶ月後」
「医者がそう言ったのか?」
「…死んだ親が医者だった。医療データを見れば分かる」
淡々と答えるローを幹部達は楽しげに見下ろしている。腹が立った。こいつらだけでなく、何もかも、全てに。
「3年以内にたくさん殺して、全部ぶっ壊したい…!」
「ウハハハハ!!!頭のネジ飛んでんなコイツ!!!」
血走った目で言い放つローに二人は爆笑する。
「まぁ、ウチはガキでも受け入れはするが、これまで100人は来たガキが2日以内に泣いて逃げ出した」
「べへへへ〜お前は大丈夫かぁ〜〜?」
「…………」
煽ってくる彼等に負けじとローは眼光を鋭くした。
「トレーボルさま〜!!」
「ディアマンテさま〜!!」
子供の声が聞こえてきた。ローと然程歳の変わらない男の子と女の子が楽しげに笑いながら窓から入ってくる。
「コラさんが帰ってきた〜!!!」
女の子の嬉しそうな声と共に階段を昇る足音が聞こえてきた。やがて、ドアがギイと音を立てて開かれる。
入ってきたのはドフラミンゴと変わらないくらいの長身の男だった。
その男が長い足を踏み出して、一歩目で盛大に後ろにひっくり返った。
「こけたぁ〜〜〜!!!」
「やっぱりこけただすやーん!!!」
転んだ男がぶつけた頭をさすりながら身を起こし、不機嫌そうな吐息を漏らす。次の瞬間、はしゃぎ回る子供達に平手打ちを振るった。
倒れ伏す二人に目もくれず、男は億劫そうにソファに腰掛ける。
「コラさん、紅茶です。熱いです」
叩かれたばかりだというのに、女の子、ベビー5はニコニコと紅茶を差し出した。男はそれを無言で受け取って口に含み、盛大に中身を噴き出した。併せてソファごとひっくり返る男にベビー5はキャラキャラと笑みを零す。
それらをローは冷めた眼差しで眺めていた。
「ローつったか、今帰ってきたこいつも幹部だ。名前はコラソン、注意力の足りねえ間抜けだが血筋のせいか腕は立つ。船長ドフィの実の弟だ。昔ショックなことがあったらしく口が訊けない。…あと、」
つらつらと紹介するディアマンテの横で立ち上がったコラソンがローに近付いてきた。その大きな手がローの帽子ごと頭をがしりと掴んでローの体が持ち上がる。
「わっ!?なんだ!?」
「…子供嫌いだ、注意しろ」
つかつかと早足で窓に向かうコラソンにローは碌な抵抗も出来ない。付け加えるように軽く投げられたディアマンテの言葉が遠くで聞こえて、ローの体は宙に浮いた。
窓を突き破る衝撃と体を包む浮遊感とどんどん遠くなる建物に何が起きたか分からないまま、鉄ゴミの山に頭から突っ込んだ。
「ハァ…、ハァ…」
なんとか鉄の山から体を引き摺り出して身を起こす。こめかみ辺りからドロっと液体が流れる感触がして眼下にポタポタと真っ赤な血が落ちてゆく。見上げれば最上階から見下ろすコラソンと目が合って、漸く奴に窓から投げられたと理解した。
(なんだ…!?あのイカれた野郎は…!!!)
ローの中に怒りが湧き上がった。そのまま全身を染め上げ、際限なく怒りと憎しみが膨れ上がっていく。
クソッ…クソクソクソクソクソクソッッッッ!!!!
遥か上から見下ろすコラソンの口角が上がっていくのがはっきり見えた。
殺してやるーーーーーーー!!!!!
血走った目で睨み上げながらローは心の中で絶叫した。
『…これが、俺の生涯の恩人であるコラさんとの出会いだった』
懐かしむような声音で大人のローの声が囁く。
その背景で煙草に火を付けたコラソンがコートのファーに引火して火だるまになっている。
「コラさんが燃えてるーーーー!?」
ベビー5の絶叫とともにゆっくりと画面が暗転していった。
***
それから1週間が過ぎた。その間もコラソンはローと会う度に窓から投げ捨てたり、叩いたり蹴り飛ばしたりと好き放題だ。ローも反撃したかったが相手が大人なだけでなく何枚も上手な所為で毎日ボロボロだった。
寝床も食事も勿論用意などされていないため、生ゴミを漁ったり港で魚を捕まえたりして、鉄山の窪んた場所で体を丸めて目を閉じていた。
今日もまたコラソンに投げ飛ばされたローは奥歯を噛み締めて流れる血を拭っていると頭上から声がかかった。
「フッフッフッ…お前もよく粘るなァ」
声をかけてきたのは船長のドフラミンゴだった。ローはキッと睨み上げる。
その眼差しを暫く見つめて、ドフラミンゴは笑い声を響かせた。
「来い。お前に話がある」
それだけ言ってアジトに入っていった彼をローはじっと睨んでいたが、やがて意を決して立ち上がった。
ドアを開けるとファミリー達は食事中のようだった。食欲をそそる香ばしい香りがぷんぷんと漂っている。
「んね〜んね〜、ロォ〜。出ていく気になったか?ここに来てからずぅ〜っとコラソンにやられっぱなしだもんねぇ〜」
嘲笑するトレーボルに怒りで体が震える。その横で何食わぬ顔で飯を口に運ぶコラソンがただただ憎かった。
「ガキも大人も逃げ出すお陰でウチは精鋭揃いよ。能力もねぇガキがどこまで耐えられるか?」
「おれは出て行かねぇ!」
ディアマンテの言葉にローは怒鳴る。
「何をされても『血の掟』は忘れるな。幹部の権威を損ねたらファミリーは成り立たん」
「おれ一度ピーカ様を笑って拷問で死にかけた!」
「そんなもん怖くねぇ。おれは、地獄を見てきたんだ」
楽しそうに話すファミリー達にローは毅然と返した。今更だ。どうせ死ぬと分かっているんだ。それが早まった所で誤差でしかない。
「フッフッフッ…虚勢を張るのはお前の自由。だがコラソンは俺の大切な実の弟。傷一つでも傷付けた奴には…俺が死を与える」
凄むドフラミンゴにローは鼻を鳴らす。やり取りを見ていたファミリーがローの腹部が白く変色しているのを見つけて悲鳴を上げた。
「珀鉛病ザマス!!!伝染ったら大変!!!」
「ウェ〜〜〜!?!?伝染る病気〜〜!? 気味悪ぃお前!!で、出てけだすやん!!!」
騒ぐファミリー達にカッとなったローが言い返す前にドフラミンゴがテーブルを強く叩いた。
「ジョーラ!噂程度の知識を口にするな、見苦しい。…珀鉛病は中毒だ、他人には感染しねェよ」
彼の言葉をローは呆然と聞いていた。あれだけ外の者は感染症と信じて疑わなかったのに、真実を受け止めてくれる人がいたのだ。
その事実はローの心を強く揺さぶった。
「おい、“白い町”フレバンスには他にも生き残りがいるのか?」
「分からねぇ…逃げるのに必死だった」
「どうやって逃げてきた」
「死体の山に隠れて、国境を越えた」
ドフラミンゴの質問に淡々と返す。しかし内容の凄惨さに何人かは息を呑んでいた。
「…何を恨んでる」
声を低めてドフラミンゴが問う。
「もう何も、信じてない」
ローの答えにドフラミンゴの口角が上がった。まるで同志を見付けた時のような笑みだった。
「死ぬのだって怖くねぇ…おい、コラソン!お前調子に乗るなよ。おれは必ず復讐してやるからな」
はっきりと宣言する。ローの憎しみと恨みの篭った視線にも顔色一つ変えない奴に、苛立ちばかりが募っていった。
あの後「これで話は終わりだ」とアジトを追い出されたローはそれでもファミリーを出て行かなかった。復讐のためにこのファミリーの力が必要なことは以前と変わりないが、なによりドフラミンゴについていきたいという気持ちが芽生え始めていた。
初めてだったのだ。噂に踊らされず、真実を知っても政府の圧力に屈することなく真実を真実のまま受け止めてくれた人間は。
だから、何がなんでもこのファミリーに入ろうと思った。ここを逃せばきっとローを受け入れてくれる所など無いだろう。ファミリー達の反応からそれは確信出来た。それ程までに珀鉛病への偏見と忌避感は強い。
ここを逃せば、寿命より早く野垂れ死ぬ。復讐も何も出来ずに、死んでしまう。それだけは嫌だった。
けれど、奴だけは許せなかった。おれを邪魔者のように扱い、ゴミのように見下ろすサングラス越しの目が、故郷の人達を『駆除』していった奴らと重なって見えて仕方なかった。
コラソン。
奴だけは許さない。必ず、必ず、復讐してやる。そうしなければ気が済まない。
あれから数日が経った。
この日はファミリーの大半が出払っていた。幹部達も例外ではない。
ドフラミンゴも用事があるとかで早朝に出掛けていった。彼がいないのなら好都合だ。ローは機会を窺った。
昼頃になって、標的を捜して歩き回った。目的はただ一つ、奴を殺すこと。
(いた…コラソン)
鉄山の麓に腰を下ろす奴を見付けて、ローは武器庫からくすねてきたナイフをぎゅっと握り締めた。
(おれの親も、妹も、教会のみんなも死んだのに、あんな馬鹿が生きてていいわけがねェ……黙ってりゃいい。誰も気にしねェ)
ナイフを構えて地を蹴った。
(クズ一人行方不明になっても…!!)
狙うは心臓、確実に仕留める。
ローの全体重を乗せた一撃がコラソンを貫いた。ナイフが肉に食い込む手応えが確りと伝わってくる。それなりにある刃渡りの根本まで突き刺さったのを確認して、素早く引き抜いた。
これで失血死は免れない。ざまぁみやがれ。
コラソンが確実に息絶えるのを確認したかったが、ナイフを抜いた瞬間足元の瓦礫を踏み付けて音を鳴らしてしまった。
「あ、あいつ…!!ち、『血の掟』、破ったァ〜!!!く、串刺しの刑だすやん!!」
しまった!見られた…!!
運悪くその瞬間をバッファローに見られてしまった。悔しげに顔を歪めてローは駆け出した。ドフラミンゴに報告しに行こうとするバッファローを引き留めて、彼の好きなアイスで口止めする。
「これやるから黙っとけよ…」
「うーん……わかっただすやん。お前、強がってても串刺しの刑が怖いんだよな!」
カチンとくる物言いに言い返したくなるが、グッと我慢する。
あっさり買収されたバッファローは嬉々として去っていった。ひとまず胸を撫で下ろす。これで時間は稼げた。
しかしいくら買収しても、人の口に戸は立てられないもの。コラソンの死体が見つかれば、きっとバッファローは喋るだろう。
ドフラミンゴの元で死ぬまで沢山殺して壊すという計画が崩れてしまったが、他の方法を考えればいい。ローは自分を落ち着かせるように呟いて走り出した。
なるべくファミリーの者に見つからないよう気を付けて移動していたが、港付近で待ち構えていたかのようにジョーラとマッハバイスに捕まってしまった。
「離せ!離せよ!!」
がむしゃらに暴れるも両側から抑えられて抵抗が空回る。
そのままアジトに連れ戻されてしまった。
中にはドフラミンゴとその隣に、刺したはずのコラソンがいた。
(クソッ死んでなかったのか…!確かに刃は体を貫いたはずなのに…!!)
悔しさに地団駄を踏みたい気分だった。
コラソンは平然としている。きっと自分でドフラミンゴにチクったんだ。
ローの全身を諦めが広がっていく。ここでおれは殺されるのか。あの地獄を生き残って復讐すると誓ったのに、こんなクズ一人殺せないで犬死してしまうのか。
ドフラミンゴがニヤリと笑みを浮かべるのに体に緊張が走る。死への覚悟を決めるローを前に、ドフラミンゴは口を開いた。
「ロー、お前を呼んだのは他でも無い、お前を正式にドンキホーテファミリーに迎え入れることにした」
彼の口から放たれた言葉は想像していたものと全く違った。様子を伺っていたバッファローとベビー5も驚きに固まっている。
「最悪の体験からなる、その無類のクソみてェな目付き。お前には素質がある」
ローの胸中は混乱の嵐だった。ドフラミンゴの言葉も耳をすり抜けていく。
(コラソンの事、まだ知らねェのか?あいつ、紙に書いて報告出来るだろ?……どういうつもりだ…)
頭に置かれたジョーラの手を払って、ローは低く呟いた。
「…将来を見込まれても、どうせ3年後におれは、死ぬ…!」
ドフラミンゴは鼻で笑う。
「フッフッフ!!それはお前の運次第。…ウチは闇取引が専門でなァ、悪魔の実も取り扱ってる。お前の病気を治せる実もあるかもしれない」
「悪魔の実…!?」
「お前が運を持っていれば、リミット3年の間に流れてくる悪魔の実に命を救われる可能性がある。……俺はお前を、10年後の右腕として鍛え上げてやる」
ローは呆気に取られた。コラソンを殺そうとした事に何のお咎めも無かった事もそうだが、まさか自分を必要としてくれる人間が現れるなんて思いもしなかったからだ。
そこでコラソンが咳き込んだ。奴の左胸付近の服に血が滲んでいる。
(このタイミングで言う気か…!)
「…どうした?」
コラソンに問いかけるドフラミンゴにローは息を呑んだ。再び死を覚悟する。
しかし。
『てき』と書かれた紙をコラソンは見せた。ローは再び呆気に取られる。
「やられたのか。…始末はつけたんだろうな?」
ドフラミンゴの更なる問いにコラソンは『やっつけた』と答えた。
「…なら良いが。…手当しとけよ」
交わされる兄弟の会話にローは目を白黒させた。
(あいつ、おれを庇ったのか…?何考えてんだ、あいつ…!)
コラソンの行動が分からなかった。この場でチクらなかっただけで後からチクる可能性も考えた。しかし、それからいくら時が経とうともコラソンはドフラミンゴにこの件を報告することはなかった。
それが余計にローを混乱させた。
ローは正式にドンキホーテファミリーの一員として迎えられた。
それからの日々は目まぐるしくも騒がしいものだった。
ディアマンテからは剣術を、グラディウスからは砲術を、ラオGからは体術を叩き込まれ、鍛え上げられた。
そしてドフラミンゴからは将来の右腕として必要な教育をみっちりと受けさせられた。
その日々はローにとって確かに楽しいと思えるものではあった。しかし心の隅にある「どうせ死ぬ」という思いがローの心を凍てつかせた。
いくら気分が浮つく事があっても、広がっていく白い痣が確実に迫る死を突きつけてすぐ現実に引き戻す。
期待してもそれが叶わなかった時の絶望は凄まじい。だったら希望など抱かない方が良い。
そうやって、ローは諦めながら生きた。ファミリー達はそんなローに希望を持てなどと諭すようなことは一切しなかった。ドフラミンゴも将来の右腕にすると口にしながらも、諦めを口にするローを否定することは無かった。
ただコラソンだけがそんなローに暴力を振るい続けた。特に「もう死ぬ」などの諦めを口にした日はそれが酷くなった。
***
1年の歳月が過ぎようとしていた。
ある日のドフラミンゴとの勉強中、彼は頬を大きく腫れ上がらせたローを揶揄った。
「見事に腫れたな」
そう言ってつついてこようとする指を押し退けてローは睨み上げる。
「あんたの弟だろうが。兄貴ならどうにかしろよ」
非難がましく言えば、ドフラミンゴは肩を揺らして笑った。
「俺はあいつの好きにさせてやることに決めてんだ。なにせ実の弟だからな、甘くなるさ」
「……あんな野郎でもあんたにとっては大事なのか」
「フッフッフッ!口が過ぎるぞ、ロー。…そうだな。お前達ファミリーは俺にとっては家族も同然だが、血の繋がりってのはやはり特別になる」
「…………」
「…なら、あいつに何かあった時、あんたは守るのか」
「当然だろう?最初にも言ったが、あいつに傷一つでも付けた奴を俺は殺すと決めている」
即答したドフラミンゴをローはじっと見上げた。
「…おれは、死ぬ前にコラソンに復讐する」
真っ直ぐ見つめたまま告げれば、二人を包む空気がピンと張りつめた。
「……俺に殺されてもいいと?」
「ああ、どうせ死ぬんだ。病気以外で死ぬなら、あんたに殺されるのも悪くねェって思った」
ローの言葉にドフラミンゴは暫く押し黙って小さく笑った。
「ロー、いい事を教えてやろう。『弱ェ奴は死に方も選べねェ』」
眉をひそめる少年の頭にポンと手を乗せる。
「弱い奴には死を選ぶ権利すら与えられねェんだ。分かるか?…仮にお前がコラソンを傷付けたとして、俺がそのまま殺してやると思うか?」
思わず息を呑むローを見て、ドフラミンゴはニヤリと笑ってみせた。
「何も命を奪うことだけが殺しじゃねェ。殺し方にも種類がある。生かすこともまた殺すことになる。……きっと俺はお前を殺しはしねェよ。だが、死より耐え難い苦痛を与え続けるだろうな」
頭の上からそっと手が離れてゆく。気圧されたように動けないローはその手がドフラミンゴの元に戻っていくのを見ていることしか出来なかった。
「フッ…フッフッフッフッ」
ドフラミンゴが笑うと同時に息が詰まる程の重圧が霧散した。ローは詰めていた息を吐き出して額に滲んでいた汗を拭った。
「今日はここまでだ。続きはまた今度教えてやろう」
ドフラミンゴは椅子から立ち上がると、扉に向かって歩いていく。それをローは引き留めた。
「……じゃあ、あんたは守ってやれよ」
おれには、守れなかったから。
内心呟くローにドフラミンゴは振り返って口角を上げた。
「クソガキが。生意気言いやがる」
***
それから更に1年が過ぎた。
ローがドンキホーテファミリーに来て2年が経った。初めは服に隠れる程度だった珀鉛病の痣も手足や顔にも広がってきた。ローの命のタイムリミットは着々と迫っている。
「私たち本名教えたじゃない!」
「別に興味ねェよ」
「えー、ノリ悪い!楽しくない」
「楽しんだって……どうせ死ぬんだ」
その頃には「どうせ死ぬ」が口癖のようになっていた。ベビー5達もいつもの事なので特に言及はしない。
「だいぶ白い所増えてきたね」
「…あと1年持つかな。おれの計算より死期、早ェかも」
掌を見つめて小さく呟くローにバッファローは詰め寄った。
「それより本名あるなら教えろだすやん!2年前コラさん刺したこと若にチクるぞ!」
「チクるぞ!」
ウザ絡みしてくる二人に溜め息を吐いて答えた。
「トラファルガー・D・ワーテル・ロー。本当は人に教えちゃいけねェ名前なんだ。『D』は隠し名、『ワーテル』は忌み名でウチの家族は代々……」
「なーんだ、あんまし面白くない」
「ほんとだすやん」
折角秘密を教えてやったというのにその態度はどうなのだ。
「お前らがしつこく訊いたよなァ!?」
ローが凄むとベビー5がしくしくと泣き出した。これもこの2年で見慣れた光景だ。
突然、背後から迫ってきたコラソンに摘み上げられ、ローは連れて行かれた。
「あー、また虐められる」
「いつもより怖い顔してたぞ、コラさん」
二人の呟きがぽつんと取り残された。
「何すんだコラソン!おい!離せ!」
じたばたと藻掻くローを路地裏まで連れて来て放り投げた。
「なんだよコラソン…!やんのか!」
精一杯威嚇するローに背を向けて、コラソンは震える唇を開く。
「さっきの話は本当か…?」
「えっ!?誰だ!!」
初めて聞く声にローは辺りをキョロキョロと見渡した。しかしここにはローと話せないコラソンしかいない。
「隠し名『D』。それが本当なら、出て行け。ドフィから離れろ」
その声が喋れないはずのコラソンから聞こえてきてローは目を見開いた。
信じられないという顔をして凝視するローをコラソンが振り返った。
「ロー!!お前はあいつと一緒にいちゃいけねぇ人間だ!!」
決意の込められた叫びにローは息を呑む。コラソンは大きく息をつくとその辺の段差に腰を下ろして煙草を燻らせた。
「いつから喋れるんだ!!」
「ずっとだ」
「ずっと…ドフラミンゴを騙してたのか!!」
「喋れなくなったと説明したことはない。あっちが勝手に決め付けただけだ」
「なんだよ…!そんなの騙してるのと一緒じゃねェか!!!」
声高に非難するローにコラソンは「おいおいおい」と諌める。
「“サイレント”」
パチン、と彼の指が鳴らされた瞬間、周囲の音が一切聞こえなくなった。
「え…!?」
先程まで届いていた街の騒音も、人々の話し声も、何も聞こえない。それどころか明らかに喋っているのにぱくぱくと口を動かしているだけにしか見えなかった。
ロー達の近くを鼠を追いかける猫が騒がしく駆け回るも、やはりその音がこちらに届いてこない。
絶句するローにニヤリと笑ってコラソンが説明する。
「お前が騒ぐから防音壁を張ったんだ。ここから外の音は聞こえねぇだろ?外からも俺たちの声は聞こえねぇ」
思わず周囲を見渡すも、それらしきものは確認出来ない。
「壁は目には見えねぇよ。……俺は“ナギナギの実”の無音人間」
「悪魔の実の能力者……!!」
衝撃の事実に声を震わせるローにコラソンは笑みを深めた。
「なんだよ!!嘘だらけじゃねェか!!じゃあいつも馬鹿みてぇにドジ踏んでるのも…」
声を荒げて問うローにコラソンは得意げにフッと笑う。
「あぁ、当然。……全部演技だ」
ドヤ顔をキメるも煙草の火がコートのファーに燃え移って火が着いていた。
「嘘つけェ!!肩燃えてるよ!!」
反射で突っ込むローにわたわたと消火活動に移った。
消火が終わり、仕切り直すように二人は向き合う。
「ドジは昔からだ、治らない。……俺はドジっ子なんだ」
「うるせぇよ!!一番信じられねぇことが本当なのか!!何で仲間達にそのこと黙ってたんだ!?」
「仲間だと思ってねぇ」
糾弾するもぴしゃりと返すコラソンにローは言葉を失う。
「俺の目的は弟として、兄ドフィの暴走を止めることだ。心優しい父と母からなんであんな化け物が産まれたのか分からない。あいつは、人間じゃない」
実の兄に対して人間じゃないとまで言い切ったコラソンにローの顔が険しくなった。
「奴の真の凶暴性を知るのは俺を含めた幹部4人と先代コラソンのヴェルゴだけだ」
「ヴェルゴ?」
「極秘任務でファミリーを離れてる。内容は身内にも秘密。お前とは全く関係の無い男だ」
コラソンは続ける。
「お前は兄のような化け物になるな。出ていけ、ロー」
「出て行くわけねぇだろ!!俺はそうなりてぇんだよ!!」
コラソンの言う通りなら、ドフラミンゴはローの復讐の協力者としてはこれ以上ない人物だ。彼についていけばローの願いは叶うのだ。
「隠し名『D』。間違いない、お前は宿命の種族、Dの一族だ」
コラソンの話はさっぱり訳が分からなかった。
“D”はまた必ず嵐を呼ぶ?
神の天敵?
ローには理解不能な話ばかり聞かされていい加減我慢の限界だった。
「何言ってるのか分かんねぇよ!!!俺はどいつもこいつもぶち殺す為にこのファミリーに入ったんだ!!!お前の部下になったんじゃない!!ドフラミンゴの部下になったんだ!!!」
苛立ちをコラソンにぶつける。
「あと1年で死ぬのにここを出てどうしろってんだよ!!!」
「治療法を探せ」
「無ェよ!!!!」
そこまで叫んでローは駆け出した。どこまでも、どこまでも腹立たしい奴だ。治療法を探せだって?コイツは珀鉛病患者が何と呼ばれているのか知らないのだ。だからそんな楽観的なことが言えるんだ。
「お前が喋れること、能力、全部ドフラミンゴに喋ってやる!!」
「止せ!…んの、クソガキ…ッ!」
引き留めようと蹴り出されたコラソンの足を躱してそのまま下から掬いあげてゴミ箱に突っ込んでやった。
いい気味だぜ、ざまーみろ。
コラソンの防音壁を抜けて、路地裏から飛び出す。様子を伺っていたベビー5とバッファローにまた『血の掟』を破ったことを糾弾されるがアイスで買収して口止めした。これで完璧だ。
あのコラソンに一泡吹かせることが出来たことが嬉しくて堪らない。上機嫌になったローは軽やかな足取りで船に戻っていった。
あ、そうだ。
上機嫌ついでにローはニヤリと笑う。
船へと移る階段の近くでコラソンを待つ。どこかしょぼくれた雰囲気のコラソンがとぼとぼとやって来るのが見えていよいよ笑いが止まらなかった。
階段付近でビクリと足を止めた奴の前に脅かすように飛び出した。こちらの出方を伺っている奴にローは意地悪く笑う。
「へへへっ、言わねーことにした。よく考えたら2年前に刺したことを黙っててもらった借りがある。今回のでチャラだ」
呆然と見てくるコラソンに機嫌は最高潮になった。
機嫌良く階段を駆け上がるローを見上げて、コラソンは座り込んだ。その体に緊張から解放された脱力感と疲労感が広がる。そのまま、ドフラミンゴに急かされるまでコラソンは座り続けた。
これが彼らの運命の分岐点となった。