第三幕〜コラソン〜その①
「うわーーーーー!!!!!誘拐だーーーーー!!!!!!」
変声期前の子供の声が響く。しかしここは海上。その声は誰かに届くこともなく、犯人の耳にしか入らなかった。
「なんとか言えよコラソン!!!おい!!おれをどうするつもりだ!!!!」
必死に声を張り上げるも電伝虫を弄っている彼は何も喋らない。ただ黙々と準備を進めるばかりであった。
「この野郎……!ぶっ殺してやる!!」
「…………」
「無視すんなこらあああ!!!!」
じたじたと自由な脚をばたつかせてやれば、コラソンがチラリとローに視線を移した。
「……」
「……」
しばし無言で睨み合う。だがそれも長く続くことはなく、すぐに電伝虫の方へと向き直ってしまった。
「クソッタレめ!」
ローは再び脚をばたつかせる。その拍子にバランスを崩し、ひっくり返ってしまった。悔しさにげしげしと甲板を蹴り付けるも小舟のくせにビクともしないのにますます腹が立った。
「くっそおおおぉぉ!!絶対許さねえからなあぁ!!」
ローの声だけが虚しく響いた。
数時間後──。
暴れ疲れたローが夢現を彷徨っている中で、電伝虫を操作する特徴的な音が聞こえてきた。
ハッと飛び起きてローは力一杯声を張り上げる。
「ドフラミンゴ〜〜〜〜!!!!助けてくれ〜〜〜〜!!!!」
しかし電伝虫の向こうからはドフラミンゴの声ではなく、嗄れた男の声が聞こえてきた。
「お〜〜か〜〜き!!」
「あられ、俺です」
「おお!ロシナンテか、どうした?」
電伝虫の相手がコラソンを別の名前で呼んだ。恐らくそれがコラソンの本名なのだろう。
相手とコラソンは親しい間柄のようだ。相手の声音やコラソンの雰囲気からそれが伝わってくる。
「少し、私用で任務を離れます。…詳しい報告は文書で」
多くは聴き取れなかったがコラソンは確かに「任務」と口にした。
海賊団に侵入することが任務になる職業などほぼ一つしかない。
「今どこに電伝虫してたんだ!任務って言ってたよな!?…お前、まさか海兵かなんかじゃないだろうな!?」
「海兵は嫌いか?」
「政府に関わる奴は吐き気がする!!」
横目で訊いてくるコラソンにローは間髪入れず吐き捨てた。
憎しみが篭った目を見て、コラソンは一呼吸の後口を開く。
「…海兵じゃねぇ」
「本当か!?」
どうにも胡散臭くはあったがその後いくら問いかけてもコラソンは答えなかった。
小舟が岸に到着し、コラソンがローを縛っていた縄を解きにかかる。解かれた瞬間に逃げ出そうとしたが、背中をガシリと掴まれ持ち上げられてしまった。
まるで荷物みたいな持ち方じゃねぇか、ふざけんなチクショウ!
抵抗しても圧倒的な体格差で全て無駄に終わってしまう。そのまま舟から降ろされ島に上陸させられた。
コラソンはローをぶら下げたまま街の中を進んでいく。
「おい!どこ行くんだよ!」
「お前の病気を治しに行く」
まさかの回答にローは固まった。珀鉛病の治療法など無いと以前言ったはずなのに…。ふと嫌な予感が過った。
…まさか。
「病気を治すなら病院に行くに決まってんだろ」
思った通りの答えを口にしたコラソンにローはこれまで以上に抵抗した。それも効果は無かったが。
「おいやだ!病院は!」
「普通のガキみてえなこと言ってんじゃねえ。俺はお前の病気を治す。そのためにあらゆる病院を回る」
嫌がるローを連れてその街で一番大きな病院に入った。順番になり、さっきまで騒いでいたのが嘘のように静かになったローを連れて病室に入る。
担当になったのは優しそうににこにこ笑う中年の医者だった。経験を多く積んでそうな雰囲気だ。
「それで、本日はどのような症状で?」
椅子に座ったまま俯いて黙り込むローにも「どこか悪いところでもあるのかい?」と優しく話しかけていた。これならきっと信用できる。
答えないローに代わって珀鉛病の治療について尋ねた。
「もう時間も経った、いい薬は出来てねえのか?先生」
途端、医師の表情が凍りついた。
「す、すまんが、君。出身は……?」
震える声で尋ねる医師にローは小さな声で答えた。
「フ…フレバンス」
様子がおかしいとコラソンが疑問に思った時にはもう、手遅れだった。
「ギャーーーーー!!!!“白い町”ーーーーー!!!!珀鉛病ーーーー!!!!」
医師と看護師が絶叫した。まるで化け物でも見たかのように怯えている。
「いや〜〜〜〜!!!!ホワイトモンスター!!!!!助けて〜〜〜!!!伝染る〜〜〜!!いや〜〜〜!!!」
「き、君ぃ!!すぐに消毒液とガスマスク!!!あと、警備員及び政府に連絡を…!!」
彼等の尋常ではない反応にコラソンが動けないでいると、耐えきれなくなったかのようにローが椅子から飛び降りた。
「もういい…ッ!!」
「ロー!」
「見ろ!!おれはもう、人間じゃねぇ!!!」
悲鳴のような声で叫んでローは診察室を飛び出した。あまりの衝撃に動くことすら出来ないコラソンにガスマスクを着けた医者が詰め寄る。
「おいお前!!よくもあんなガキをつれてきたな!!!!ここに一体何百人の患者がいると思ってるんだ!!!?」
呆然としているコラソンの耳に院内放送が聞こえてくる。
《緊急連絡、ただいま珀鉛病の少年が院内に侵入…》
…何を、何を言っているのだ。ホワイトモンスターだと?まるで、害虫か化け物かのように言いやがって…。
ふつふつと怒りが込み上げてくる。
後ろで医師が聞くに耐えない暴言を吐いている。それも、患者であるローに対して。看護師が喧しく泣き喚いていた。その声が酷く耳障りだった。遠くの方で悲鳴が聞こえてくる。
その何もかもに腹が立った。
衝動的に目の前の医師を殴り飛ばし、ローを追いかけた。
背後で更に喧騒が酷くなり、爆発音が響いた。それに構うことなく、ローを追いかけた。
病院を出て、捜し求めた姿を見つけた。入り口の脇にしゃがみこんで帽子で必死に顔を隠している。その小さな体が震えていた。しゃくり上げる声が耳に届く。
「ロー…」
「……っ」
どう声をかけるか迷ってその名を呼ぶと、ビクリと肩が跳ね上がった。
病院の中から複数の駆けてくる足音が聞こえてきて、ローを持ち上げ、足早に病院を離れた。
《全館至急消毒します》
聞こえる放送に胸糞悪さを感じてコラソンは悪態をついた。
「最悪の病院だ!…悪かった、昔のことを思い出させてしまったか…」
「だから言ったろ!!病院なんか行きたくねぇ!!!!」
帽子を必死に押さえて叫ぶ姿が痛々しく見えた。
「…今のは酷かった。だが次は良い医者がいるはずだ!!」
「もう嫌だァ!!!」
コラソンの慰めにもならない言葉にローが叫んだ。それを半ば無視して次の病院に入っていく。
「珀鉛病〜〜〜!!!!誰か来てくれ〜〜〜〜!!!!“白い町”の生き残りだぁ〜〜〜〜〜!!!!」
しかし結果は変わらなかった。
「次行くぞ!次はきっと治る!!」
「もういい!行きたくねぇ!!」
その次も、その次もまるで変わらなかった。
その後数件回った先でもこれまでと同じ対応だったため、逃げるようにして街を出た。
「もういいだろ……。珀鉛病は治らねぇよ」
疲れ切った様子で呟かれた言葉にコラソンは声を詰まらせる。
「そんな事ない!きっと珀鉛病を治してくれる医者がどこかにいるはずだ!…だから、」
諦めるなと続けようとしたコラソンを遮ってローが叫んだ。
「治らねぇって言ってんだろッ!!!みんな珀鉛病は感染症だと思ってる。世界政府がそう発表したんだ!!!治療法なんか存在しないって!!!……おれは死ぬべきなんだッッッ!!!!」
血を吐くような叫びだった。ローの言葉がコラソンをズタズタに引き裂いていく。
「ロー…」
「そうだろ…?おれは生きてちゃいけないんだろ…?珀鉛病だから…ホワイトモンスターだから…ッッ!!」
「違う…っ」
「違わねえよ!!現にこうして伝染病扱いされてるじゃねェか!!」
コラソンの否定の言葉はそれ以上の絶叫をもって捩じ伏せられた。
ローが泣いていた。顔中を涙でぐしゃぐしゃにして。
「……もう、死にたい…っ」
「……ッ!!」
コラソンの中で何かがブチ切れた。
「……あ……?」
ローの視界が突然真っ暗になった。同時にコラソンの大きな手が頭を包む。抱き締められていると理解するのに時間がかかった。
「…………駄目だ」
絞り出すようにコラソンが囁く。その声は低く掠れていた。
「死んじゃ駄目だ、ロー」
「なにを……」
「それだけは、死にたいってだけは言うな……」
「なんでだよ!!おれが死んでも誰も悲しまねぇ!!むしろ喜ぶ奴ばっかりだ!!」
「…っ」
「世界中がおれが死ぬことを望んでるんだ!!!…おれも、みんなと一緒に『駆除』されてればよかったんだッッッ!!!」
「駄目だッッッ!!!!」
ローの絶叫にそれ以上の絶叫でコラソンが返した。
その声の大きさに驚いてローが黙る。恐る恐るその顔を見上げると、燃えるような眼差しでローを見下ろしていた。
「ロー。お前が死ぬなら俺も死んでやる」
「……は……?」
ローの思考が停止した。何を言われたのかよく分からなかった。混乱して何も言い返せないローに重ねてコラソンが続ける。
「お前が死んだら、必ず俺も後を追うぞ。俺も珀鉛病だと言って惨たらしく死んでやる」
「な、何言ってんだよ……」
やっとの思いで出たローの声は震えていた。
「ふざけんな!!!お前が死ぬ理由なんてどこにもねえだろうが!!!」
「ある。お前を死なせるなら俺に生きる価値なんてない。だから俺はお前の後を追って死ぬ」
「だ、駄目だ!!」
震える声でローが叫んだ。ファミリーにいた時にも誰かが死ぬ所なんて何度も見てきた。でも、目の前のコラソンが死ぬことを考えたらすうっと心が冷えていった。あれ程復讐を望んで一度は殺そうとまでした相手なのに、彼が死ぬことをローの心は望んでいなかった。
もう、関わりを持った人間が死ぬことが怖くなっていた。
「そんなことしたらタダじゃ、」
「なら、生きろ」
再び言葉を失うローの肩を痛いくらい掴んで続ける。
「俺を死なせたくなかったら、生きろ」
コラソンは懇願するように言った。
その言葉にローの目が大きく開かれる。
「……いいか?ロー。お前は絶対に死んじゃいけない。俺のためにも、お前自身のためにもだ。分かったか?」
ローは呆然としながらもコラソンに気圧されるように小さくコクンと首を動かしていた。
それを見て、コラソンはローを解放した。今まで触れていた温もりが急に離れていって少し肌寒かった。
「…今日はこれまでにしよう。宿は取れそうにねえからここで野宿だな」
先程までの態度が嘘だったかのように調子を変えたコラソンがそう言って荷物の中から毛布を取り出した。それを地面に敷いて寝床を準備していく。
言われるがままに横になった。コラソンからできるだけ距離を取ろうとしたが有無を言わさず彼に抱き込まれてしまった。小さく藻掻くも強く抱きしめられて動けない。
「…おやすみ」
頭上で囁かれた声にせめてもの反抗で爪を立てたら抱き締める腕に更に力が込められた。
全身を包む温もりと聞こえてくる鼓動の音にいつしか眠りに引き込まれていた。
翌日、朝早くから二人は街を出た。
小舟に乗って、次の島へ移動する。
そこの病院でも対応は変わらなかった。
迫害にローが涙を零し、激昂したコラソンが医者を殴り飛ばす。
繰り返す度に怒りを募らせていくコラソンに対して、ローはあまり反応を示さなくなっていった。しかし病院に入る前には激しく抵抗しコラソンに引き摺られ、病院を出てからは帽子で顔を隠してひっそりと涙を零す。ローの心がどんどんすり減っているのが分かってコラソンに焦りばかりが募った。
病院巡りを始めて数ヶ月が経った、ある日のことだ。
コラソンは次はきっと、今度こそと励ましを口にするが正直期待できない部分が大きかった。それでも、ローのためと病院に入る。そこでも今までと同じく迫害を受けてローが診察室を飛び出し、コラソンが医者を殴り飛ばす。
コラソンがローを追いかけていると廊下で立ち止まっているローが目に入った。どうしたのかと声を掛けようとした時。
「っ!!」
ローに向かって瓶が投げられた。一直線に飛んだそれが彼の頭に当たって中の液体をぶちまける。コラソンの心臓が凍りついた。
「この疫病神め!!出ていけ!!」
「早く死んでくれ!!ホワイトモンスターめ!!」
患者達から口々に浴びせられる罵声と次々に浴びせられる液体に濡れていくローの姿にコラソンの頭の中が真っ白になる。
ツンと鼻に付く臭い。それはアルコールだった。
ローが走り出した。追いかけるようにその背に消毒液の瓶が飛んでいく。
コラソンにも飛んできた。流石に患者を殴るわけにもいかず、ローを追いかける。
そうして病院を出る頃には二人してずぶ濡れになっていた。
病院を出てもローは走った。街を出て人気の無い場所まで来ると、堪えきれず声を上げて泣き始めた。
「ロー!!」
慌てて駆け寄って小さな身体を抱き締める。その体は冷え切っていた。
「もうやだ…っ、もう、やだぁぁぁ……っっっっ」
ぐしゃりと顔を歪ませて泣くローの背を撫でさすりながらコラソンは歯噛みする。
「もう死にたい…っ、死なせてくれよぉ…っ、お願いだから……っ」
「駄目だ……!絶対、許さねぇ……!」
コラソンの声は悲痛なものだったが、ローには届かない。
「なんでだよ…っ、おれは生きてちゃだめなんだ……っ、みんなそう言っているのに…っ!」
そう叫ぶローの顔は絶望に染まっていて、コラソンは彼をきつく抱き締めることしかできなかった。
「死なせてやるもんか……、絶対に死なせないっ」
自分に言い聞かせるようなその言葉にローは何も返さなかった。
ただ、泣きじゃくり続けた。
しばらくしてローがコラソンを押した。その意思に従って腕を解いてやると一歩後ろに下がる。すんすんと鼻を啜る彼に何か声を掛けなければと口を開く前に、ローがコラソンを見上げた。
「…さっきの病院に、兄妹がいたんだ」
唐突な言葉に話が見えてこない。コラソンが黙ったままでいるとローは更に続ける。
「おれと同じくらいの兄貴と、妹がこっちを見てたんだ。兄貴は怯える妹を守るように立って必死におれを睨んでた…」
「……」
「なぁコラソン。おれ、妹がいたんだ。生きていればあの妹くらいの歳になってたと思う」
ローが何を言いたいかなんとなく分かってコラソンは息を呑んだ。
「考えてしまったんだ。もし、おれがあの兄妹と同じ立場だったら、きっと、おれもああしてたんだろうなって」
「でも、お前の病気は感染しないだろ…っ」
コラソンの言葉にローは首を振る。
「あいつらから見ればおれは得体の知れない感染症を持ち込む病原菌だ。だから、妹を守ろうとするあいつの行動がよく分かるんだ」
それに、とローは続ける。
「医者達の反応も間違ってない。医者は患者を治療するだけじゃなくて危険から遠ざけて守る義務もある。だからアイツらの反応も行動も間違ってないし分かるんだ。…おれだって同じ立場ならきっとそうしてると思う」
ぽつぽつと話すローに胸が強く、強く締め付けられる。子供にこんなことを言わせてしまっているのに何も返せない自分が情けなかった。
「なぁコラソン。おれ、死んでいれば良かったのかな…」
今にも消え入りそうな声で呟くローをもう一度ぎゅっと抱き締めて、コラソンは断言する。
「いいや、違う。それだけは違うぞ、ロー」
「でも、」
「世界中の人間がお前の死を望んでも、俺は、俺だけは違うって叫んでやる。生きろ、死んじゃダメだってよ」
そう言ってコラソンが無理矢理笑うとローの表情が歪む。
「俺は、お前に生きてほしいんだ。生きて、色んなものを見てほしい。色んなことを体験してほしい」
「……そんなの、無理だよ」
「無理じゃない。俺がそうさせてやる。俺がお前の病気を必ず治す。だから、もう少しだけ諦めないでくれ」
コラソンの言葉にローは俯いた。少しの間そうしていたが、やがて小さく分かったと返す。
それから二人は無言のまま野宿の準備をして、夕食をとって、寝床に入った。
「なあ、ロー」
隣に寝転んだコラソンがパチンと指を鳴らす。
「“サイレント”。……“お前を安眠させるの術”だ。これで今日はぐっすり眠れるぞ!」
おどけたように話すコラソンに返事をする気力もなくて背を向けた。
旅が始まってから度々悪夢を見てしまうためローは寝不足気味だった。しかもなかなか寝付けない。
周囲の音が消えたくらいで何になるんだと思っていたが、気が付かないうちに瞼が重くなってすとんと眠りに落ちていた。
完全に眠りにつく寸前に聞こえてきた声は、酷く優しかった。
「……おやすみ、ロー」
翌朝。パチリと目を開けるとコラソンがにこにことローを覗き込んでいた。
「な?安眠できただろ?」
確かに信じられないくらい気持ちよく眠れた。悪夢も見なかった。でも素直に言うのはなんだか癪に障るので得意げに笑う彼につんと素っ気ない態度をとってしまう。
「おいロー、聞いてるかー、なあなあローってばー」
「…もうわかったよ!」
仕方なく渋々と答えてやるとコラソンの顔がぱぁぁと輝いた。
「だろ?だろ?安眠において俺の右に出る者はいないんだ!」
嬉しそうにはしゃいでいるコラソンを横目にローは溜め息を吐く。
(……なんでコイツの方がガキみたいなんだよ)
その日一日、コラソンはずっと上機嫌でローの相手をしていた。
「見てろよ〜ロー!“俺の影響で出る音は全て消えるの術“だ!!」
カーム!と言って自分に触れたコラソンがいそいそと花瓶を持ってきて、それを地面に叩きつけた。
しーー…ん
何も音がしない。にぱっと笑ってピースサインをしてくるその顔がうるさい。
「顔…」
次はバズーカを持ってきた。目線をローに向けてピースを決めたまま放たれた弾が岩場に当たって爆発するもやはり何も音がしない。
その目線がやかましい。
「目線…!」
最後はドヤッとピースを決めたまま腰を突き出した。踏ん張るような表情になった後、ぷんとあの臭いが鼻を付く。
「くさっ!」
鼻をつまんで顔を背ける。パタパタと顔の前で手を振ってるとドヤ顔のコラソンが近付いてきた。
「どうだ!何の音もしなかっただろ!」
「何の役に立つんだよそんな能力!!」
突っ込むように叫ぶとコラソンがショックを受けたような顔になってローを見つめてきた。
「カッコよくもねぇし!」
「ぐっ…」
「まだベビー5のブキブキの方がいいよ!!」
「ぐぅぅ…!」
ダメージを受けたように仰け反ったコラソンがなおも言い募る。
「くそぉ確かにあれは羨ましいが…!!だが、安眠において俺の右に出る者は、」
「どうでもいいよ!!」
遮って叫んだローの言葉が完全にトドメを指した。打ちのめされたようにしくしく泣くコラソンがちょっと可哀想になってきたが、チラ、チラ、と窺うのが見えて呆れ返った。
ぷいとそっぽ向くと泣き真似をやめた彼が構い倒してくる。
「ロー、ロー、おーい、ローくーん?応答願いまーす」
「……」
「なぁローってばぁ!無視したら俺泣いちゃう!」
本当に泣きが入ってきた声に仕方なく振り向いてやるとその顔がぱぁぁと輝く。
「…あんたいくつだよ」
「26だな!」
胸を張って答えるコラソンにローは頭を抱えたくなった。
「……はぁ。もういいよ、分かった」
更にコラソンが顔を輝かせる。呆れた顔でそれを見上げながら大きく溜め息を吐いた。
でも、彼と一緒にいるのが少しだけ楽しいと思うようになってきていた。
その後も成果は芳しくなかった。その頃には病院に入れれば良い方でほとんど門前払い、酷い時には街に入った瞬間兵士を呼ばれることもあった。
「お前ら全員ぶっ殺してやろうかぁーーーー!!!!」
ローとコラソンの姿を見ただけで怯えて逃げ惑い、消毒液を投げつけてくる住民とガスマスクと防護服を着て完全武装した兵士達に怒りが収まらない。
今にも彼らに飛びかかりそうなコラソンをローが必死に制止していた。
2年前には全てを壊して殺したいと願った少年が。
「やめろよコラソン!!!コラソォォォン!!!」
ローの悲痛な叫びが街に響いた。
***
病院巡りの旅を始めて半年が過ぎた。
ローの珀鉛病は更に進行し手足の指先と顔の大半まで白く染めあげている。
今日も迫害を受けた。もうそれにも慣れてきて涙も流れなくなっていた。
コラソンが必死に励まそうと色々やってドジ踏んだりもしているが、それになんの感情も湧かなくなっていた。
重い空気のまま、夕食をとって寝床に入る。コラソンが安眠の術を掛けようとするのを止めて毛布に包まった。
目を閉じる。そうしていればいつかは眠れるからわざわざ能力を使ってもらう必要もない。
(もう、おれのことなんて放っておけばいいのに…)
そうすれば一緒に迫害を受けなくて済むし、苦しい思いをしなくても済むんだ。もうすぐ死ぬおれなんか気にしないで自由に生きればいいのに。
どうやって諦めてもらうか考えているうちに、いつの間にか眠っていた。
遠くでパリン!と硝子が割れる音が聞こえて意識が浮上した。振り返ろうとした所でこちらに近付いてくる気配を感じて咄嗟に寝ているふりをした。
コラソンが覚束ない足取りでこちらに向かってくる。何かぶつぶつと言っていた。
「…お前にしてみれば、自分を傷つけるだけのこんな馬鹿に偉そうなこと言われたかねぇだろうが…」
傍で膝を着く音がした。膝まで蹴り飛ばしていた毛布が肩に掛けられる。その手がそっと頬を撫でてくるのに少し驚いて拒絶するように顔を背けてしまった。幸い、目が覚めていると気付かれている様子はない。
「まだ幼いクソガキがよ…。おれはもう死ぬなんて…可哀想で……」
コラソンの声がだんだん掠れていく。合間に鼻を啜る音も聞こえる。
…まさか、泣いてんのか?
「あの時、お前、俺を刺したけど…痛くも無かった…!痛ェのはお前の方だったよなぁ?かわ"いそうによォ…!ロ"ォー!!」
彼の涙が帽子に降ってきて、ポタポタと濡らす。頭が徐々に湿っていく感覚も全く気にならなかった。
非常に大きな衝撃を受けていた。思わず寝ているふりも忘れて目を見開いてしまうほどに。
じわじわと目に熱いものが込み上げて、止める間も無く涙が流れ落ちた。それは止まることを知らずどんどん溢れてくる。
嗚咽を漏らしながら離れていったコラソンが滑って転ぶ音も耳に入らない。
彼の言葉が、涙がローの心をこれまでに無いくらい強く揺さぶった。胸に込み上げる激情が、何度も何度もローの心を掴んで揺さぶった。
この感情に名前を付けるなら、『嬉しい』の一言になるだろう。
嬉しい、嬉しかったのだ。ここまで自分を思っていてくれたことが。そして彼の本音を知ることで、今までの言葉全てが本当に自分のために言ってくれていたことが分かったのだ。
涙が、溢れて止まらない。口から漏れそうになる嗚咽を必死に抑えた。
明日、目が覚めたら彼に感謝を伝えよう。守ってくれてありがとうと。おれのために怒ってくれてありがとうと。おれのために泣いてくれてありがとうと。そして、おれに生きてほしいと願ってくれてありがとうと。
ありがとう。…コラさん。
ローの凍りついていた心がコラソンの愛によって溶けていった。