第三幕(みんなの感想編その③-1)

第三幕(みんなの感想編その③-1)


『海賊の名は、X・バレルズ』

その名を聞いた瞬間、浮かんだ父親の顔はどこかぼんやりと不鮮明だった。

そのことに驚いたのはドレーク自身だ。近年はあまり見なくなったとはいえ、あの頃の日々は頻繁と夢に見ていたと言うのに。

「…………」

ドレークは眉間にしわを寄せる。

決して良い思い出とは言い難かった。父が自分にした所業は間違った事だと認識しているし、許さない気持ちも少しだけ芽生えるようになったが、今となってはその感情もどこか遠いものに思える。

ただ、その父親の記憶が薄れてきている事実だけは、なんとも言えない気分になる。

そして、そんな風に思う自分自身にも、少し戸惑いを覚えるのだ。

ドレークは静かに目を伏せた。


コラソン達がミニオン島に上陸した。辺りは一面の銀世界。ちらちらと舞い降る雪が、木々や岩肌を白く染めている。

コラソンは丘の上、標的の海賊がアジトにしている建物が視認できる場所でローを降ろし、濡れた服を交換するために脱がせた。

その体はもう、本来の色がほとんど無くなっていた。髪も、まばらに白く染っている。

あちこちで息を呑む声が上がった。それほどまでにローの体は珀鉛病に冒されていたのだ。その身を覆い尽くしていく「白」が、彼の余命が幾許もないことを指し示していた。

コラソンが目に痛ましい色を一瞬だけ浮かべて、新しい服を着せてやる。最後にコートを巻き付けてやって、立ち上がった。

『きついだろうが…ここで待ってろ』

不安そうに見上げているローを、これ以上不安にさせないためにコラソンは優しい声音で言い聞かせ、

『すぐ戻る。…オペオペの実を手に入れて!』

笑顔でピースサインをしてみせてやれば、ホッとしたようにローが笑った。

走っていくコラソンを見送って、ローが立ち上がり、戸を開けて入り口に座り込む。視線を動かすと遠くに走っていく黒い塊が見えた。

『ドジって転んだりしないといいけど…』

体を苛む高熱と倦怠感にはぁはぁと息を吐きながら、ローがかじかんだ手を組んで祈りを捧げていた。

一緒に皆もコラソンが無事帰ってきますようにと祈る。

「コラさんドジるなよー!」

「転ぶなよー!」

遠くで黒い塊がズルッと足を滑らせるのを、ハラハラしながら見守っていた。


しんしんと降り積もる雪がローを白く染め上げる。寒さと発熱で頬と鼻を赤くしたローが、コラソンが走って行った先を見つめて何度も手を組んでいた。

本当は、熱がこれ以上上がらないために小屋の中に入っていて欲しかったが、コラソンの帰りを待ち望むローの姿を見ると何も言えなかった。

(無事に帰ってきてくれよ、コラさん)

だから、祈ることしか出来なかった。彼がどんな結末を迎えるのかを知っていても、ペンギンは祈り続けていた。


突如、銃声が静寂を引き裂いた。一同の心臓が凍り付く。音がするということは、コラソンの能力が適応されていないということ。コラソン以外の、敵による発砲である可能性が高い。

そして、コラソンの身に危険が迫っていることも意味する。

ペンギン達は顔を見合わせた。

ただ、無事を祈ることしか出来ない。歯痒い思いを抱えながら、彼の帰還を待ち望んだ。

『コラさん…っ』

ローが立ちあがろうとして、よろめいて座り込む。体力が限界を迎えたのか、画面がどんどん暗くなっていき、暗転した。


暫く画面は闇に包まれていた。息を詰めて見守る一同の耳に、ザク、ザク、と雪を踏みしめる音が聞こえてくる。

ふ、と画面が明るくなった。一面の銀世界に足跡を残していく脚が映る。画面が徐々に上に移っていき、黒いコートを着た男が映った。

コラソンだ。その腕に大事そうにローを抱えている。

「よかったあああああああ」

シャチが詰めていた息を吐ききるように漏らした。ホッと胸を撫で下ろす。無事に帰ってきたということは、オペオペの実の手に入れたのだろうか?

コラソンはそのまま町の外れまで歩いていき、ローをそっと下ろす。

『ロー、ロー』

目を開けたローに微笑みを浮かべて防音壁を張った。

『見ろ、ロー!!オペオペの実だぁ!!』

ぱぁぁと顔を輝かせたコラソンの手にハート型の果実が握られていた。

「うおおおおぉ!!!」

「コラさあぁぁぁぁん!!!!」

館内で歓声が上がった。喜びのあまり、思わず涙ぐんでいる者さえいる。

しかし、ローの表情は暗いままだ。悪魔の実の力をまだ信じきれていない様子だった。

『でも…おれがそんな物食ったからって、病気が治るとは…』

どこかハイテンションに叫ぶコラソンに対して、不安になったローはどんどん俯いてしまう。

その肩をいささか乱暴にコラソンが掴んだ。

『何言ってる!!治るさぁーー!!!』

ローが驚いて顔を上げると、必死な形相の彼がオペオペの実を口に突っ込んできた。

結構大きいから口の中に入り切らない。ローが拒否するように首を振るも、コラソンは無理矢理突っ込もうと更に実を押し込んでくる。

『ぶぇっぷ!!何すんムガ!!モガ!!…おェっマッッッズッ』

『さぁ食え!!早く食え!!』

オペオペの実を無理矢理口に突っ込むコラソンに、館内の能力者達はドン引きしていた。

「嘘だろ…あんな不味いヤツを丸ごと…」

「うわぁ…」

「流石にそれはどうかと思うぞコラソン…」

実が口の中に半分入った所で、今度は顎を押さえて強制的に飲ませようとしていた。しかし大きすぎてなかなか喉を通過しない様子。

一同はあの所業の所為で死期が早まるのでは、とさえ思った。

苦しそうに藻掻くローに、ダメ押しと言わんばかりにコラソンが口を覆うように手で押し込んだ。

カッと目を見開いたローが凄い形相で嚥下した。明らかに喉の許容量を超えた大きさの塊が食道を強引に通過して行く。

やりやがった…、と一同は思った。

地獄のような苦しみから解放されたローがぜろぜろと荒く息をついている。

ゾクッと体を震わせる彼の隣で達成感に口元を緩ませたコラソンが、ふらりと傾いて雪の上に倒れ込んだ。

「!?」

倒れた彼の体からじわじわと雪を染めていく色が見えて、気付いたローがコラソンを仰向けにひっくり返すと体の至る所が赤く染まっていた。

ローと一緒に館内のあちこちから悲鳴が上がる。

『コラさん!!!撃たれたのか!!?』

『あー……ちょっと、ドジった』

荒い呼吸を繰り返しながらコラソンが苦笑した。

どうしようどうしたらと考えている時、ハッと気付いたローはバッと彼の上に手を翳す。

『治れ、治れ、……治れ〜〜!!』

強く、強く念じるも、彼の体に変化は見られない。

『止まれ!止まれ!血ぃ止まれ〜〜!!』

『オペオペの力で全部治れ〜〜!!』

必死に念じるローの姿が痛ましかった。

現在の、能力を自在に使いこなす彼の姿を知っているからこそ、使い方が分からずどうすることもできない彼の姿が、とても痛ましかった。

泣きそうな顔で必死に手を翳すローの頭に、コラソンがぽんと手を置いて慰める。

『ハハッ…バカだなぁ…そんな魔法みてぇな力じゃないって言ったろ』

『じゃあどうしたらいいんだ…!これ、おれのために撃たれたんだろ…ッ!?』

無力感に歪むローの目に涙が盛り上がり、溢れてコラソンのコートに落ちてゆく。悔しさに唇を噛み締めるローの頭をぽんぽんと撫でて、コラソンは微笑みかけた。

『…弱っているお前を使って悪いが、頼みがある』

『島の西の海岸に、海軍の監視船があった……彼らに、これを届けてくれ…』

そう言って差し出したのは小さな筒だった。南京錠が付いていて開けられないようになっている。

『海兵なら、この筒を見れば、全員理解出来るようになってる…この筒1つで、遥か遠い国のドレスローザという王国を救えるんだ』

コラソンの口から出た自国の名前に、ドレスローザの者達が目を見開いた。それと同時に理解してしまう。憎きドフラミンゴがそれほど前から、ドレスローザ乗っ取りの計画を立てていたのだと。よろめいたヴィオラの肩をリク王が支えてくれた。しかし彼の手も小さく震えているのが分かって、ヴィオラは顔を伏せる。

ドフラミンゴの弟がドレスローザを救おうと動いてくれていたことは、衝撃であると同時に嬉しくもあった。彼はドフラミンゴの魔の手から救うために尽力してくれていたのだろうと。

しかし、結果としてドレスローザは奴に支配された。その事から、あの文書は何らかの理由で海軍に渡らなかったのだろう。

彼を責めることはお門違いではあるが、もしあの文書が海軍に渡っていれば、ドレスローザに悲劇は降りかからなかったかもしれないと、思わずにはいられなかった。


コラソンに説得され、ローは海軍の監視船目指して歩き出した。左手に情報文書を握り締めて、ざくざくと雪降る中を歩いてゆく。

『コラさん……コラさん…』

歩きながら悪い想像でもしたのか、何度も立ち止まりそうになりながら、それでも歩んでゆく。泣きそうに歪んだ顔に、じわりと涙の浮かぶ眦に、震える口元に、ローの不安が手に取るように分かって見ている方が辛い。

やがて海岸に到着すると、海軍の監視船から海兵達が出てくるのが見えた。無事に辿り着いてホッとした様子のローが、物陰で息を整え彼等の元へ駆け出そうとして、びくりと足を止めた。

再びローの顔がくしゃりと歪む。ローの目線の先にあるのは、海兵の象徴たる制服。ローの脳裏に故郷を滅ぼした兵士の、その防護服の下の姿が過った。

『こわい……』

ぽつりと零れた声は震えていた。あの日、ローを壊した存在と同じ格好をした人間達が恐くて恐くて堪らない。ガクガク震える脚が、怯えて引き攣る表情がそれを物語っていた。

コビー達海兵の顔が悲痛に歪む。

画面の中で、ローが可哀想な程ガタガタ震えて、引き攣った呼吸を繰り返していた。

しかし、ローは折れなかった。ぎゅっと目を瞑り、恐怖を振り払うように頭を振って地を踏みしめる。キッと見据える眼差しには、コラソンを助けたいという想いが溢れていた。

丁度その時、1人の海兵が通りがかった。ローが意を決して飛び出し、その海兵に情報文書を差し出す。

誰もがホッと息をついた。これでローとコラソンは助かるのだと。

しかしローが声を掛けた人物を見て、たしぎとスモーカーは声を詰まらせた。

「あっ…」

「…っ!」

たしぎが声を漏らしてぽろぽろと涙を零し、スモーカーが激情のままに十手を抜こうして、強制的に動きを止められる。

あんまりだと思った。これは、あんまりだ。

なんて不運。なんて不幸。なんて、残酷なのか。

『誰かに頼まれたんだな、ありがとう。…私が預かる、安心してくれ』

ローから文書を受け取った相手が安心させるように頭に手を置いた。

ダメだそいつだけは……!!

止めに行きたいのに体が凍り付いたかのように指一本も動かせない。

尋常ではないたしぎとスモーカーの様子に、事情を知らない者たちは怪訝な目つきになるが、今はそんなことに構っている場合ではなかった。

ローは相手を信じようと思ったのか、泣きながら助けを求めた。男は驚いた顔をしていたが、その要望も快く引き受ける。

だから、スモーカー達の反応が分からなかった。何故あんなにも絶望に満ちた顔をしているのか。

ローを連れて男がコラソンの元へと急ぐ。彼らがコラソンの所に辿り着いた時ハッとサンジが息を呑んだ。

「待て、アイツは確か…」

『ヴェルゴ…!』

言いかけたサンジの上にコラソンの驚愕に染った声が被さった。不穏さを孕んだ空気が館内に流れる。

『ヴェルゴって、あれ…?』

ローの脳裏にコラソンとの会話が蘇った。極秘任務のためにファミリーを離れているヴェルゴという男の存在が。

一同の表情が凍り付いてしまう。ローが助けを求めた海兵は、ドンキホーテファミリーの人間だったのだ。

『…理解したよ、ロシナンテ』

文書の中身に目を通したヴェルゴが地を這うようなおどろおどろしい声で言うと同時に、コラソンの顔面に強烈な蹴りを放った。コラソンが壁をぶち破って地に倒れる。

『コラさんッッッ!!!』

「コラさん!!!」

ローとベポ達の悲鳴が重なった。

センゴクが振り上げそうになった己の右手を左手で必死に抑えていた。

『やめろッッ!!!』

ローがヴェルゴに飛び付いた。ろくに力も入らない手で必死に殴り付けるが、ヴェルゴに首を掴まれて持ち上げられてしまう。ギリギリと締め上げてくる指に口からか細い苦鳴が漏れる。

ハートのクルーとナミ達が悲鳴を上げた。

「いやああ、キャプテェェェェン!!」

泣き叫ぶベポ達の声が響く中、ローが投げ飛ばされて硬い雪の上を何度も跳ねて転がっていく。

痛みに動けないローを尻目に、情報文書を破り捨てたヴェルゴは全身を武装色の覇気で染め上げた。

ローを庇うように立ち上がったコラソンに、容赦のない攻撃が叩き込まれてゆく。

ヴェルゴの拳が、蹴りが炸裂する度に重い打撃音と骨の軋む音、コラソンの苦鳴が響く。真っ白な雪原にパッと赤が散った。

見るからに、行き過ぎた暴行だった。コラソンはその前にも銃で撃たれて出血していたというのに、更に血が失われていく。

「やめろヴェルゴ!!!コラさん死んじまう!!!!」

「コラさん逃げて〜〜〜!!!」

どれだけ叫ぼうが、シャチ達の声は彼等には届かない。

「ロシナンテ………ッ」

血に塗れていく息子の姿に胸が張り裂けそうだった。目を背けたかった。だが、これは、罰だ。

(私が奴の正体を見誤ったから……、私が、あの作戦に奴の配置を認めたからだ…)

だから、これは、罰なのだ。自分の所為で息子は今、死に追いやられている。

『……っ、……いやだ、……』

ローが弱々しく喘いだ。

『やめてくれよ…っ、コラさん…っ、死んじまうよ……っ』

ローがか細い声を漏らした。あまりの無力感に両目から涙が溢れ出す。そのまま、込み上げる嗚咽と共に声を振り絞った。

『やめろ〜〜〜!!!ヴェルゴ〜〜!!!!』

その瞬間、ピタリとヴェルゴの動きが止まった。その視線がローを捉えて、ゆっくりと近付いてくる。

近付く程に増していく威圧感と恐怖にローは蛇に睨まれたカエルのように動けなかった。凍り付く表情がヴェルゴにどれだけ恐怖を感じているか物語っている。

ヴェルゴがゆっくりと拳を振り上げて、勢いよく振り下ろすのを見ていられなくてレベッカがぎゅっと目を瞑った。

『ガッ…ぎ、ぃ…っ!ぁぐッ…っ、っっ、……ゔ、…、っ』

鈍い音が響き渡る。その度に上がるローの悲鳴と苦鳴、パッと涙と血が飛び散って雪を染める。

ろくに抵抗できないローを、執拗にヴェルゴが殴り続ける。

「やめなさい!!!このゲス外道ッッッ!!!!」

耐え切れずナミが飛び出した。天気棒を振りかぶった所で、先ほどのスモーカーのように動きを強制的に止められる。

「フーッ…フーッ…!」

動きを止められてもナミの怒りは止まらない。食い縛った歯から獣のような荒い息が漏れ、天気棒を握り締める手がぶるぶると痙攣する。際限なく込み上げる怒りにどうにかなってしまいそうだった。

怒り狂った形相のナミが睨み据える先でヴェルゴがローを殴り続けている。

もうローは、呻き声すら上げることが出来なくなっていた。

「ふっぅぅぅ……! ううぅぅぅぅ〜〜!!!!」

動け動けとどれだけ念じても、ナミを戒める“意思”が、激情の噴出口を塞ぎ続ける。代わりに行き場を失った怒りが吊り上がった眦から溢れ出した。

悔しくて、悔しくてたまらない。喩えそれが過ぎ去った事柄だとしても到底見過ごせる訳が、ない。

せめてもの反抗に大きく口を開けて、声を張り上げようとして、肩から生えた手がその口を塞いだ。

「ナミ、戻れ」

静かに諭すルフィをギロリと睨みつける。誰であろうと邪魔する者は……ッ!!

「ナミ」

茹だった頭を醒ますような、静かな声。彼の握り締められた拳から血が滴っていた。強い眼差しが真っ直ぐナミを見つめる。睨み合いの末、目を伏せたのはナミだった。

「……っ、……っ……」

唇を噛み締めて行き場のない怒りに震えながら、それでも懸命に堪えるその手から力が抜けた。拘束する必要性が無くなったと“意思”が判断し、ナミがその場に膝を着く。

「……ッ、……ううぅ〜!!」

込み上げる感情を奥歯で噛み締めて呻き泣くナミを、ロビンが包み込んだ。

「ありがとう、ナミ。…怒ってくれて」

「……う、うぅ……っ」

ナミはロビンに抱き着いて泣きじゃくった。その頭をロビンが優しく撫で続けていた。

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