第三幕(みんなの感想編)その①

第三幕(みんなの感想編)その①


海上にローの声が響き渡る。

鑑賞者達は暴挙に出たコラソンがまるで理解出来なかった。

電伝虫から聞き覚えのある声が聞こえてきて、一同がバッとセンゴクの方を振り向いた。視線を一心に浴びた彼は眉一つ動かさず画面を見つめている。

コラソンへの疑問が更に増えていく。

本人は否定していたが、海兵であれば何故ロー達子供に暴力を振るうのか。何故ローを誘拐したのか。

サングラスの奥の目に浮かぶ決意が皆を混乱させていた。


『政府にかかわる奴は吐き気がするッ!!』

その言葉に切り裂かれたような痛みが走る。市民の安心の象徴たる自分達をこうも真っ向から否定されると、特に子供に否定されるのは堪えた。同じく痛みに顔を歪めているコビーとたしぎを見ながら、この場に彼等がいて良かったとスモーカーは思った。背後の藤虎とセンゴクを窺う。スモーカー以上にこういったものを見てきた彼等程、自分は落ち着いては居られない。

本当は今にも膝を着いてしまいそうなくらい絶望が重くのしかかっている。だが、後輩達がいるからこそ折れる姿は見せられなかった。自分が折れてしまえば、ついてきてくれている彼等はきっと立ち上がれなくなるだろう。信頼する上司が折れる姿を見る時程大きな絶望はない。

だからスモーカーは意地でも立ち続けた。

どうか、これ以上あの少年に絶望を与えてくれるなと祈りながら。


コラソンの目的はローの珀鉛病を治すことだった。しかしそれを聞いてもチョッパーとハートのクルー達の表情は晴れない。

医療に携わる者や歴史に明るい者なら周知の事実として知られていること。珀鉛病に治療法は、無い。

現在でさえ珀鉛病は致死率が非常に高い感染症という認識なのだ。当時の医者に正しい認識を持つ者などいないと思うが…。

その読みは当たっていた。

ファミリーに来た当初のジョーラ達の反応からどのような反応になるのか薄々勘付いていた者も多かったが、予想以上に珀鉛病に対する迫害は酷かった。

耐えきれずローが診察室を飛び出して走り出す。その顔が辛そうに歪んで涙に濡れているのが見えて、見ている者達の胸を抉った。

「ひでぇよ…」

誰かの呟きが聞こえてくる。

それは心無い言葉を浴びせた医者達に対してか、はたまた知らなかったとは言えローの傷を抉るような真似をしたコラソンに対してか。

『見ろ!!おれはもう、人間じゃねぇ!!!』

ローの悲鳴のような叫びがチョッパーの心を深く抉った。トナカイにも成れず、人間にも成れず化け物と呼ばれた経験があるからこそ、ローの痛みが痛い程理解できる。

「もう…っ、やめてくれよぉ…っ」

チョッパーの口から弱々しい懇願が漏れる。病気を治したいというコラソンの気持ちは分かる。でも、そのためにローが傷付いていい理由には決してならない。

画面の中で、何度も傷付き涙を流すローが映る。でも、医者だから目を逸らしてはいけないと思った。珀鉛病のように真実を隠された病はまだきっと多くある。万能薬になると決めたのだから、見届けなければならないと。

けれど。

『おれは死ぬべきなんだッッッ!!!!』

血を吐くような絶叫が響く。顔を伏せてしまった。耐えられなかった。自分のちっぽけな決意も残酷な現実が嘲笑うかのように蹴散らしていく。

『…もう、死にたい…っ』

あぁ………っ

もうこれ以上は、耐えられない。


『…もう、死にたい…っ』

その言葉は一体どれだけの人数の心に響いたのだろう。中には、心を動かさない者もいるだろう。冷めた目で眺める者もいるだろう。

だが、一つだけ共通する認識があった。コラソンの対応があの少年を命運を左右するのだと。

『…………駄目だ』

ローをきつく抱き締めたコラソンの口から絞り出すように漏れる。

『駄目だッッッ!!!!』

ローの絶叫にそれ以上の絶叫でコラソンが吼えた。

しんと静まり返る館内。

ここだ。誰もが確信した。次の言葉で少年の運命が変わる。一体どんな救いの手を差し伸べるのだろうと固唾を飲んで見守って、

『お前が死ぬなら俺も死んでやる』

全員が絶句した。

『……は……?』

そう言うローの気持ちもわかる。意味がわからなかった。何もかもを壊したいと願った少年に、コラソンを一度は殺そうとまでして恨んでいる少年にこんなことを言っても逆効果ではないのか、と。

最悪、勝手に死ねばいいなどと言われて自害を図る可能性だって考えられる。

自分勝手とすら言えるコラソンの言葉に一同は唖然とするしかない。

そんなものが救いの手になるはずが、

『だ、駄目だ!!』

ローが否定した。その顔にコラソンが死ぬことへ恐怖すら滲ませて。

『なら、生きろ』

言葉を失うローの肩を痛いくらい掴んでコラソンが続ける。一同も言葉を失っていた。

『俺を死なせたくなかったら、生きろ』

懇願するような声音に少年の顔がぐしゃりと歪む。

『……いいか?ロー。お前は絶対に死んじゃいけない。俺のためにも、お前自身のためにもだ。分かったか?』

その言葉が少年の心にどれだけ響いたのかはその反応が物語っていた。こくりと頷く頭を一同は息を呑んで見詰めていた。

救えた。あんな暴論で自暴自棄になっていた少年を救った。

何故このような結果になったのかと疑問に思う者もいる中で、ローの内面をよく知る者だけは理解していた。

フレバンスでの生活や真っ当な両親からの教育。なにより、ローの医者を志す者としての矜持が目の前の死を認めなかった。それが巡り巡ってローの命を救ったのだ。

皆のコラソンへの評価が少しずつ変わっていくのを感じ取って、センゴクは微かに微笑んだ。


しかしその後の成果は芳しくなかった。

変わらず迫害は続き、ローは傷付き、コラソンは怒り狂う。

この上映が過去起きたことで変えようのない事実だとしても、もどかしかった。

二人が日に日に限界に近付いているのは火を見るより明らかだった。限界まで膨れ上がった風船を前にしているような嫌な緊張があった。

そして、懸念していたことが起きた。

パシャンッ

立ち止まったローに瓶が飛んできた。少年の頭にぶつかったそれが中の液体を彼にぶちまける。

『……アルコール…』

呟かれた言葉に全員の心臓が凍りついた。

『この疫病神め!!出ていけ!!』

『早く死んでくれ!!ホワイトモンスターめ!!』

それを皮切りに次々にローに消毒液が飛んでいき、浴びせられる。

それが意味するのは、『殺菌、病原菌の死』。つまり、感染症を持ち込んだ病原菌たるローの死。まるで汚物を消毒するかのような所業だった。ずぶ濡れになっていくローの顔が耐え切れないといった風にくしゃりと歪んで目にいっぱいの涙が溜まっていく。

耐え切れずペンギンが叫んだ。

「やめてくれええええええええ!!!!」

映像に向かって叫ぶ。

これ以上はもう見ていられない。こんなものはただの拷問だ。

ローが駆け出した。その背中を追いかけるように瓶が飛んでいく。

病院を出て、街を出て人気の無い場所まで来た所で、堪えきれず声を上げて泣き始めたローに決壊した。

『もうやだ…っ、もう、やだぁぁぁ……っっっっ』

『もう死にたい…っ、死なせてくれよぉ…っ、お願いだから……っ』

「もう…っ、もう…っ、やめてくれ……っっ」

これ以上敬愛する彼を苦しめないでくれと懇願するように叫ぶ。何故彼がこんな目に遭わなければならないのか。何故、救う立場のお前達は手を差し伸べてくれないのか!!!

『ごめんなさい…、ごめんなさい…』

ぽろぽろ零れる弱々しい叫びに喉を引き攣らせながら泣き叫ぶことしか出来なかった。そんなことしか出来ない自分が酷く惨めで悔しくて、無力さに胸が潰れそうだった。

「ああぁ…っっ、あああああっっっ、あああああああああああッッッ!!!!」

ペンギンの嘆きに引き摺られるようにベポ達ハートのクルーの泣き声が広がっていく。

チョッパーも蹲って泣きじゃくり始めた。その背を撫でてロビンは己の目に溜まる涙を拭う。

隣で顔を覆ったナミが泣いていた。その隣のウソップも、フランキーも、ブルックも。サンジとジンベエが顔を伏せて鼻を啜っていた。ゾロが険しい表情で画面を睨みつけていた。そしてルフィが、痛みを耐えるような表情で、それでも目を逸らさず見届けていた。

館内中で鼻を啜る音と嗚咽を漏らす音としゃくりあげる音が響いていた。

やがて泣き止んだローがぽつりと呟いた。

『…さっきの病院に、兄妹がいたんだ』

『おれと同じくらいの兄貴と、妹がこっちを見てたんだ。兄貴は怯える妹を守るように立って必死におれを睨んでた…』

サボとハンコックが声を詰まらせた。彼等にも守りたいと強く思う弟や妹がいるからこそ、ローの言葉に深く共感していた。そして、自分達が同じ立場だった時どんな行動をするのかも。

解ってしまうから、心苦しかった。

サボは奥歯を強く噛み締めて拳を握り、ハンコックは目を覆い唇を引き結んだ。その隙間から雫が零れ落ちていた。

『医者達の反応も間違ってない。……おれだって同じ立場ならきっとそうしてると思う』

「そんなことないッッ!!!!」

ペンギン達が叫んだ。自分の患者を守るためとは言え、同じ患者であるローにこんな酷いことをしていい道理など無い。アイツらは間違いなくヤブだ!!

『父様ならどうしてたかな…』

しかし続いて漏らされた心の声に泣き崩れた。ローの父親ならきっと見捨てる真似などしないだろう。だがそれを信じ切れなくなる程、迫害でローの心は傷付いていたのだ。

助けに行きたかった。今すぐその小さな体を抱き締めてどれだけローの父が偉大な名医であるか、そしてローがどれだけ素晴らしい医者へ成長するかを聞かせたかった。

それが出来ないもどかしさに、床を叩きつけることしか出来なかった。


その夜、二人が寝静まった頃。

むくりとコラソンが起き上がった。

コラソンは旅が始まってから続けていた儀式に入る。

『ロー…』

掠れた小さな声だった。耳を澄ませていないと聞こえない程の。

彼の手がはだけた毛布をその肩までそっと上げて、ローの頭の上に置かれた。そのままぎこちなくそっと往復する。

『…殴ってごめんな…』

呟かれた言葉に一同は息を呑んだ。

『痛かったよな…?ごめんな…あんなに殴って、蹴ってしまって…』

震える声で零される言葉は懺悔だった。頭を撫でていた手が移動し、腕や腹や足へと、これまで暴行を加えた箇所を労わるように撫でている。

『許してくれとは言わねえ……。お前にはきっと恨まれてるだろうけどさ……』

『でも、アイツの傍にこれ以上いさせちゃ駄目だったから、あんなやり方しか思い付かなかったんだ…ごめんな…』

『痕…残ってねぇか?もう、痛くねぇか?』

泣きそうな顔で、けれど決して泣かずに、ローの体を撫で続ける。

その姿に誰もが胸を打たれていた。

『あいつらにも悪いことしちまったな…』

次に呼ばれた自分達の名前にベビー5とバッファローはピクリと肩を揺らした。

『痛くなかったか…?特にベビー5は女の子なのに手ェ上げちまって本当にごめんな…。お前達は俺をコラさんコラさんって呼んで懐いてくれてたのに…』

「コラさん…」

小さく呟いたのはバッファローだった。

その声は震えていて、目尻からはぽろりと涙が溢れていた。

「違うわよ、コラさん…っ」

涙声でベビー5が言った。

「私は大丈夫!全然平気よ…!」

だってその手に労りがあったから。コラさんは痕が残らないように加減してくれてたことは分かってたから、子供を本気で殴れるような人じゃないって分かってたからちっとも怖くなかった。

「コラさん……っ」

口を覆って涙を零す彼女の肩を、そっとサイが抱いて引き寄せた。

儀式が終わり、小さく鼻を啜るコラソンが横になる。

彼を見つめる一同の心境は最初に比べて大きく変わっていることは明らかだった。

もう、コラソンを罵る怒りの声は無くなっていた。


次の日、コラソンがローを構い倒していた。

どこか子供っぽい彼の様子に本当にあのドフラミンゴの弟なのだろうかと疑問に感じてしまう。

振り返って彼を見てみると、ドフラミンゴはむすりと口を引き結ぶだけだった。

『見てろよ〜ロー!!』

楽しそうにはしゃぐ姿はどこか無理をしているように見えた。それ程ローを笑わせたいのだろう。傷付いた心が一時でも安らぐようにと。

残念ながらローが笑顔を見せることは無かったが、元来の彼らしさが徐々に出てくるようになっていた。

『ほらロー!今日はお前の好きなおにぎりだ!いっぱい作ったからじゃんじゃん食え!』

『………、っ〜〜!!』

『えっどうした!?』

『これ梅干しじゃねぇか!!!』

『えっ…』

そんな微笑ましい一幕もあった。


そして半年が過ぎた。ローの珀鉛病は更に進行し手足の指先と顔の大半まで白く染めあげている。

もうタイムリミットがそこまで来ていることが誰の目から見ても明らかだった。

画面の中、重い雰囲気で寝床に入る二人。しばらくしてローの寝息が聞こえてくるようになると、コラソンがむくりと起き上がった。またあの儀式をするのだろうか。しかし、その日はローの傍を離れ、海が一望できる岸へ向かった。その手には酒瓶と地図が握られている。徐にコルクを開けて中身をグイッと傾ける。パラパラと紙を捲る音が響いた。捲る度にバツ印がいくつも刻まれたページが顔を出す。

それらを上に放り投げた。舞い上がった紙はひらひらと海に落ちて、漂っていく。

コラソンはまた酒瓶を傾けた。飲み損ねた酒が首と服を濡らしていくがそれを気にする様子もない。ヒックとしゃっくりが漏れた。

『何やってんだ…俺は…』

漏れた声には自嘲の色が多く含まれている。

『悲劇の町に生まれたガキに、散々悲劇を思い出させて…結果少しも良くなりゃしねぇ…』

『“D”のためか。…いや、それはもうどうでもいい…』

語尾が掠れ、震えていた。ふらふらと立ち上がって手に持った酒瓶を地に叩き付ける。ガシャン!と大きな音がした。

『…俺は、ずっと同情してた。……ロー!!』

その背と食い縛った口がぶるぶると震えていた。千鳥足でローの元へ歩いていく。

『…お前にしてみれば、自分を傷つけるだけのこんな馬鹿に偉そうなこと言われたかねぇだろうが…』

膝を着き、蹴り飛ばされていた毛布をそっと肩まで掛けてやる。眠るローの頬に触れる手は、どこまでも優しかった。

『まだ幼いクソガキがよ…。おれはもう死ぬなんて…可哀想で……』

コラソンの声がどんどん掠れていく。合間に鼻を啜る音も聞こえる。

『あの時、お前、俺を刺したけど…痛くも無かった…!痛ェのはお前の方だったよなぁ?かわ"いそうによォ…!ロ"ォー!!』

彼は滂沱の涙を流していた。落ちた涙が次々にローの上に降っていく。

画面を見つめる大半の者が頬を濡らしていた。

何ということだろう、自分達は彼を誤解していた。彼は、コラソンは、こんなにも誰かを思い遣って泣ける人だったのだ。そんな彼を糾弾していた自分達が心底恥ずかしい。

「ごめんなさい…っ」

口を手で覆ったままナミが囁いた。隣で嗚咽を漏らしていたウソップがその背をさする。

勘違いとは言え酷い言葉を多くぶつけてしまった。例えそれが届かない言葉だったとしても、口から出た言葉には責任が宿るのだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

だからひたすら謝った。許してくれなくていい。でも謝りたかった。

近くでハートのクルー達も謝り倒していた。

「コラ''ざん、ごべんなざい〜〜〜」

「あり"がどうございま"すっそこまでギャプデンを想っでぐれ"て…っ!」

「「「「ごべんなざい〜〜〜」」」」

皆泣きながら頭を下げ続けた。

館内はしばらく啜り泣く声と謝罪の言葉で溢れていた。

泣く弟をドフラミンゴは静かに見つめる。

今なら分かる気がした。何故コラソンが自分の命を投げ打ってでもローを助けようとしたのかが。そして、何故ローがあの後ファミリーに戻ることなく海賊団を立ち上げたのかが。

画面の中、いつの間にか目を開けていたローの目から涙が溢れていくのを見て、確信した。

あの二人を引き裂いたのは自分だ。だからローは戻らなかったのだ。

だが、もう遅い。全ては終わってしまったこと。どんなifを思い描こうとも、起きた現実を変えることは決して叶わない。

両手首に嵌る錠がそれを物語っていた。


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