第一幕〜第二幕の間
『こうして俺の故郷、フレバンスは滅亡した…』
台本を読み上げるかのような声音でローの声が静かに告げる。
燃え盛る病院を前に喉を潰さん勢いで泣き叫ぶ少年の後ろ姿が徐々に暗くなっていき、やがて暗転した。
***
きいきい、ごろごろと車輪が回る音が小さく聞こえてくる。途中で音が途切れ、次いでドサッと何か重いものを乗せたような音が入り、再び車輪が回る音が響く。
それらが徐々に大きくなるにつれて、暗転していた画面にも徐々に何かが映し出されてゆく。一度目蓋が閉じるように暗転し、開かれると目の前に顔中から血を流す老人が映った。
「っ!!!」
咄嗟に上がりかけた悲鳴を押し殺したのは直感からだった。ここで生きているとバレてしまえば今度こそ間違いなく殺される。心をギリギリと締め上げてくる死の恐怖と眼前に広がる死そのものに少年は狂ってしまいそうだった。
彼らの肌を侵食するように拡がる珀鉛病の白の上を、赤黒い液体が全てを塗り潰すように覆い尽くしている。
凄まじい血臭と腐臭が広がっていた。
臭気の根源から離れようと後退ろうとするも死体が折り重なってローの行く手を阻む。逃れたい一心で腕を突っ張った先にグジュリと嫌な感触を感じてそちらに目を向けた。
誰のものかもわからない腕がそこにあった。ローはその腕の白く侵された部分を思い切り掴んで捻っていた。子供の重みに負けたのか、それとももう腐敗が進んでいたのか、掴まれた肉があるべき所を離れ、ローの掌に収まっていた。慌てて開いた掌からボロボロと屑が落ちるように白い肌が零れ落ちていく。
「ぁ…ぁ、ぁぁ……!」
堪えきれず喉から溢れた悲鳴は情けないほど震え、蚊の鳴くような大きさだった。幸か不幸か、そのお陰で兵士達に気付かれることなく運ばれていった。
もうどれだけ時間が経ったか分からない。
時折揺れる荷台に合わせてローの周りの死体達も揺れ動いて別の死体に折り重なってゆく。それらに押し潰されないよう合間を縫って移動し隙間に体を滑り込ませることだけが生き延びる術だった。
(花屋のおばさん…こっちは肺炎で入院してたじいさん…アイス屋のおじさん…父様の同僚の先生…おれとラミにいつもキャンディーをくれてたばあさん…)
次々に入れ替わる死体達はどれも知った顔だった。そこら中に見知った人達が、ほんの少し前までローに笑いかけていた国民達が見るも無惨な姿に変わり果てていた。
誰一人として安らかに逝けた人はいなかった。だって、みんな、みんな、苦しみと困惑と悲しみと恨みの綯い交ぜになった苦悶の表情でそこにいる。
どうしてこんなことになったのか。どうして彼らを殺したのか。何のために彼らは殺されたのか。
珀鉛病だから?珀鉛病が感染症だから?でも父様は中毒症だと言っていた。医療データにも感染を示唆する根拠はなかった。だったら何故?
何故、何故、何故、なぜ、なぜ、なぜ
疑問ばかりが頭の中でぐるぐると渦巻いて答えなど見つからなかった。
不意にぐらりと視界が揺れた。一際大きく死体達が揺れ動き、それに合わせてローの体も波に呑まれて押し流されてゆく。押し潰されないように突っ張った手が白い肌を押し千切り何度もあの嫌な感触を味わう。
そうして漸く揺れが収まった頃にはローは荷台の端の方まで流されていた。がらんどうの口から変色しかけている舌と血を垂れ流している老人の頭を押し退けると薄らと光が見えてきた。
馬鹿げた話だが、それが希望の光に見えてローはがむしゃらに光に向かって突き進んだ。行くな行くなと言うように目の前に落ちてくる死体を必死で掻き分けて、最後の頭を押し退けた時、差し込んできた明るさが目を刺して思わず目を瞑った。
ゆっくりと目蓋を持ち上げる。目に飛び込んてくる景色は最初は真っ白で何も見えなかったが瞬きを繰り返すと徐々に輪郭がはっきりしてきた。
「…」
所々に汚らしい物がうず高く積まれており、一言で表すならば廃棄場という言葉がぴったりな場所だった。
(ああ、そうか)
唐突にローは理解した。
(ここでおれたちを『処理』するんだ)
まるで粗大ゴミ、いやそれ以下の扱いかもしれない。それでも今のローにはそれに対して何の感情も湧かなかった。
ローは疲れ切ってしまった。一度にあまりにも多くを失い過ぎてヒビ割れた心は凍てついてしまっていた。
さっきまで生にしがみついていたというのに、このままここで死んでもいいとすら思った。そうすれば少なくとも、これ以上失うものはない。
正気の失せた目で、とても子供のするようなものではない目で周囲を一瞥する。ここに運んできた兵士の目の前にでも飛び出してやればきっと死ねる。
そうして向けた視線の先に、家族を、故郷のみんなを殺し回った兵士がいた。彼らは手頃なゴミに腰掛けて談笑しているようだ。彼等目がけて飛び出そうとしたローは、目に入ってきた信じられない光景に固まってしまった。
「あー…暑いなぁ…嫌になるぜ本当によ」
兵士の一人が防護服を脱いでいた。汗で張り付いた胸元を摘んでパタパタと仰いでいる。
どうして…?珀鉛病が感染症だからおれ達を殺したんだろう?脱いだら感染してしまうじゃないかどうして感染しないと分かっていたならみんなが殺される意味なんて無かったんじゃないのかどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして…?
どうして、防護服の下に海兵の制服を着ているんだ…?
海兵は市民を、おれ達を守る存在じゃないのか?
正義の、味方じゃないのか?
混乱するローを他所に、海兵の制服を着た兵士が再び防護服を着込みその場を離れていく。その姿を見送ることしか出来なかった。
「な…んで…」
茫然と呟くローの心に徐々に、徐々にドス黒い感情が降り積っていく。怒り、憎悪、怨念、ありとあらゆる負の感情が一気に爆発し、ローを覆い尽くしていった。
「…………やる」
荷台から飛び降りて、着地し損ねて転ぶ。口の中にじゃりじゃりと広がる砂の感触も気にならなかった。
「…ろ……やる」
擦りむいた膝から流れる血をそのままに前を見据えて歩き出す。一歩踏み出す度に、どろりとした液体が流れ出る感覚があったが、もう痛みも感じなかった。
「殺してやる……!!」
その言葉がローの口から零れた瞬間、凍てついていた心が燃え上がるのを感じた。怒りで、憎しみで、怨みで燃え上がる炎はローを突き動かす燃料となった。
町の人を、シスターを、友人達を、両親を、妹を殺した奴等が憎い。
兵士が憎い。周辺国が憎い。政府が憎い。海兵が憎い。世界が憎い。全てが憎い!!
あいつらを殺すためならば悪魔に魂を売っても構わない。
この世の全てに復讐を!!!!
ドス黒く染まった思考のままローは走り出した。どこに行くかなど決めていない。
ただこのまま兵士達の前に躍り出てもむざむざ殺されに行くようなものだ。それでは気が済まない、許せない、許さない。
だから物陰に隠れて息を潜めながら移動した。
奴等に復讐するためには力が足りない。子供で、しかも珀鉛病を抱えているローの体は貧弱だ。そんな状態で、珀鉛病で死ぬはずだった人達を皆殺しにした兵士に勝てるわけがない。
ローは武器を求めて彷徨った。ここが廃棄場であれば何かしら武器になるような物が落ちている筈だ。
いいや、やるなら徹底的にしよう。その辺に落ちていたガラクタなんぞの殺傷力などたかが知れる。もっと強力な、もっと確実に奴等を仕留められる凶器が必要だ。
そうして探し回ってどれだけ時間が経ったのだろう。眠気も、空腹も吹き飛んでいたローは、ギラギラと殺意を目に宿らせて歩き続けた。
そして見つけたのだ。
「……!」
廃棄場の向こうに青い海が広がっている。そこに特徴的な船が停まっていた。帆に描かれているのは海賊の象徴。
海賊が根城にしている場所なら武器もあるだろう。
ああ、なんて運がいい。思わず笑みを浮かべてしまう。
見張りがいないか確認して、武器庫らしき倉庫に忍び込む。物色している内に目当ての物を見つけてローはほくそ笑んだ。
「これがあれば……」
手榴弾を手に取って、待てよ…と考えた。これを使っても精々数人しか殺せない。折角ならもっと、もっと殺して壊したい。
「……そうだ」
ここには海賊がいるのだ。海賊は殺人も平気で行う奴らだ。彼等の仲間に入れてもらえれば沢山殺すことが出来る。そうすればきっとあの海兵共だって……。
「おい、お前!そこで何をしている!?」
(……見つかった)
咄嵯にローは手に持っていた手榴弾を放り投げて、残りを全て体に巻き付けた。
「なんだこのガキ…!?」
下っ端らしき男が叫ぶと同時に、手榴弾が爆発した。爆風と共に大量の土煙が舞い上がり視界が塞がれる。
「うわっぷ……な、何も見えないぞ……!!」
男の叫び声を聞きながら、ローは素早く移動した。爆発に巻き込まれた所為で少しばかり体が痛むが構ってはいられない。
「おいお前、おれを船長の所に案内しろ」
爆風に紛れて男の側まで近付き、手榴弾のピンに指を掛けながら言い放つ。男はローの目付きから只の脅しではないと悟ると、何度も首を縦に振っていた。
「クソが…ッ、ついて来い…」
男の後について行くと、廃棄場の中でも比較的綺麗な建物に案内された。どうやらここが海賊のアジトらしい。
「……船長、少しよろしいでしょうか」
扉の前で男が中に呼びかける。少しして応答があり、扉が開かれた瞬間隙間に体を捻じ込んだ。
「あっこのガキ…っ!!」
叫ぶ男を無視して中に入る。先程と同じように手榴弾のピンに指を掛けながら部屋の中央のソファに座する人物に向かって堂々と歩いた。
「何だこのガキは!誰だ敷地にいれたのは…!!」
怒鳴る船長らしき男に近付いて行く。怪訝な表情を浮かべる男にローはニィ……と口元を歪めた。
「おれを海賊にいれてくれ」
「あぁ?」
「そのままの意味だよ。殺したい奴らがいるんだ。町も、家も、人も…!全部壊したい」
狂っているとしか言いようのないローの言葉を男は静かに聞いている。
「おれは…“白い町”で育った」
男の顔が驚愕に染まった。
「もう…長くは生きられねェ…!」
それが、ローの運命を大きく変える出会いであった。