笑顔とドーナツ

笑顔とドーナツ



朝起きて、髪をセットする為に鏡の前に立つ。セットを終えた後、じぃっと鏡に映る自分をウタは見た。

大して何か考えて見たわけでもない自分の顔は当たり前に無表情だった。ふと、その口の両端を指で持ち上げる。作った笑顔がそこにある。


「……」


人形だった時、自分の顔は糸に縫われた笑顔しか出来なかった。それ以外の表情をする事は出来なかった。その口部分の糸が解れて直してもらった事もある。

喋れない、食べれない、当たり前に歌えもしない自分に存在してるお飾りの口が、ウタは嫌いだった。


人に戻ってから、取り戻したと言うのが正しいが…人形だった時間の方が長かったウタからすれば感覚としては【変わった】と言うのが近かった。

大好きだった歌を歌えて、大好きな人達に言葉を伝えられて、物を食べ咀嚼して飲み込む事も出来る。

そしてなにより、本当の意味で、笑う事が出来るのだ。涙だって流せるのだ。


「ウター、朝ごはん食べに行くわよ…何してるの?」

「んー、なんでもない!今いく!」


なんとなく感傷に浸っていればナミに声をかけられたので指を離した。最後に鏡を見れば、また何も考えずに見たので無表情の自分がそこにいた。


…今まで、何もしなくても、あっても紡がれた笑顔があった自分は、ふとした時、ちゃんと表情が心についていけているのか、ウタは少しだけ不安だった。

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何故かビックマムの息子とかいうカタクリに「ママに言われてな…お前は俺と結婚してもらう」などと言われ拉致られ、軟禁されたウタは困惑していた。能力への警戒で鍵のついた口枷はされたが…それ以外では割と扱いが丁寧なのである。

カタクリはウタの一切タイプに引っかからないしそもそもこんな目にあわせる奴と結婚なんぞするか!!と思ってはいるから警戒は怠らないが、それ以外では割と許されてる行動範囲が広いし、別に拷問して服従とかもなさそうなので驚いた。

ただ、口枷は頂けない。喋れなかった人形時代を思い出す。


「ウ〜…」


だがまぁ、一味に何か有力な情報でも集めないとだな〜と歩いた時、社の様なものを見つけた。

ファンシーな空間であまりに異質だった。


「…?」


好奇心が勝った。モチモチした戸を無理矢理開けた先に人がいたのは驚いたし、なんなら自分と結婚するとか言った相手だからもっと驚いた。


「あー!甘い!!美味し!ドーナツ美味い!!今日の出来も最高だ!!」

「……」

「は〜紅茶とドーナツを交互に食べて口が幸せ過ぎる!無限にいける!……!?」


やば、気付かれた。そう思ったが…それ以上にウタはある物をじっと見ていた。


「見たな…!!…って、お前はどこを見て……」

「……」グゥ…


ウタの目線を追うのは簡単だった。だってドーナツを穴が開くほど見てる…いやドーナツは元から穴が空いている物だが。

そしてウタから聞こえただろう腹の虫の鳴き声で確信した。そういえば連れてきてから口枷を外せてない。つまり物を食べれてないのである。


「……食いたいのか」

「!…ウゥ」コクコク


ウタは人に戻ってすぐは胃がついていけなかったが、慣れるとルフィ程ではないにせよよく食べる方だった。特に甘いものは大好きだ。つまるところ夢のようなサイズのドーナツに目が眩まない訳がなかった。

一方、カタクリもかなり動揺していた。メリエンダ中の自分を見られた事もだが、それを一切気にせずドーナツに目をキラキラさせる女に…だから


「少し待て…」

「?」


それはそんな動揺故の気の迷いだとカタクリは自分を納得させた。


カチャ


「プハッ…え?」

「飲み物はアイスティーしかないがそれでいいか?」

「あ、うん…」


今度はウタが動揺する番である。拉致って能力を封じてきた相手に普通に口枷を外されたしお茶と半分にされたドーナツを差し出されているのだから。

だが、目の前の相手は強いのをウタは理解している。自分が歌おうとする前に喉を潰すくらいはしてきそうだからこその余裕かもしれないと納得した。ならせめてこの目の前にあるドーナツを堪能しよう。

開き直り、ドーナツにかじり付いた。

ピョン!!と彼女の髪が跳ねる。


「うわ美味しい!!」

「…だろうな」


自分を満足させるドーナツなのだ。当たり前だとカタクリは頷く。その後も美味しい美味しいとドーナツを堪能しているウタを見ていたが…とうとう堪えられず、聞く。


「お前は俺の口をなんとも思わないのか」

「へ?ふひ??」

「…飲んでから喋ろ」


慌てて紅茶でドーナツを流し込んだウタはあらためてカタクリの口を見た。


「えっと…??」

「……」

「う、うーん?いっぱい頬張れそうな口だね?とか??」

「それだけか?」


キョトンと二人で首を傾げた。

片や「恐ろしくないのか?」という意味で

片や「他に何を言えと?」という意味で

最初に口を開いたのはカタクリだった。


「…裂けてて、気味が悪いとかはないのかと聞いてるんだ」

「え、ないけど…?」

「は?」

「いやだから、ないって…それで口隠してたの?」


流石にウタも察した。自供した様なものだからカタクリもやや気まずそうに「まぁ、そうだ」と肯定する他なかった。


「ふーん。目は口ほど…っていうけど、口が見えないって表情が伝わりにくい気がしない?」

「何が言いたい」

「いや、貴方は兄妹達と仲が良さそうだから…折角笑ったり出来るのに見せないの勿体ないとかないのかなぁって」

「勿体ない…?」


ス…とウタから表情が消える。

カタクリは内心動揺はしたものの態度には出さなかった。


「私は前まで人形でさ、顔にはボタン二つに糸の口で縫われた笑顔がずっとあった」


一応、知ってはいる情報だった。そして人間に戻った彼女が初めて人として撮られた手配書に載っている笑顔とはあまりに目の前のソレは落差があった。


「人に戻って、歌も歌えるし、大事な人達に感謝も伝えられる。笑う事が出来る…嬉しいけど、私は時々、不安」


楽しい時の笑顔がちゃんと出来ているか、深い悲しみに身が裂けそうな時、激しい怒りに身が燃えそうな時に…間違っても笑ってはいないか。

そもそも、自分の笑顔は…どんなものだろう?鏡の前で作ったソレは当たり前に偽物だ。仲間の前で見せてる笑顔は本物だがその場じゃ確認しようがない。


12年間置き去りにされた身体が心にちゃんとついていけているのか…ずっと不安だ。


「そんなことが無いんだから、貴方の口が隠れてるのは…勿体ないと思うよ。人として笑う事が最初から出来てるんだから」

「人として…」


この口で、化け物の様に罵られた事のあるカタクリに随分とその言葉は甘く感じてしまった。


「…ハイ!しんみりした空気はおしまい!折角のドーナツが湿気っちゃう」


パンッと手を叩き、改めてドーナツを頬張るウタ。その顔は、敵である自分といるとは思えない程、随分幸せそうだ。


「…悪くないぞ」

「ん?」

「お前の笑顔も…悪くないと言った」


ポカンとした表情は口にドーナツの食べカスが付いてる為に余計に間抜け風に見えたが、その後


「ニシシッ、ありがとう!ちょっと自信持てた!」


そう笑うウタに、口に付いたドーナツ含めて愛嬌なのかもなとカタクリは少し口元を緩める。


「お前の旦那になるからな。嫁のフォローくらいするさ」

「タイプじゃないんだよねェ…あと多分、私とは無理矢理でも結婚は出来ないよ」

「ほう、何故だ?」

「んー、だって…」

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「ウタは渡さねェ!!!おれの仲間だ!!!!」

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「うちの強い船長と、仲間が助けに来ちゃうから」

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…負けた。地面に背をつけ、カタクリは去る麦わら帽子の男に声をかける。


「…せいぜい、自分の宝は守れ。誰にも渡さないでいて見せろ」

「…ニシシッ、当たり前だ」


振り返り笑うルフィに、あの日のウタの笑顔を思い出す。

ああ、なるほど。ずっと近くにいると人は似ると良く聞くが本当だったか。これはますます勝てないわけだ。


今度のメリエンダには、彼女の好きなパンケーキでもと思ったが……きっと、あの男の隣の方が、あれはもっといい笑顔をするのだなと、ルフィの知らないところで、カタクリはもう一つ敗北を重ねた。

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