端切れ話(雨と雨具と相合い傘)
地球降下編&監禁?編
※元は別に書いていた2つの話を合体させています。後半はリクエストSSになります
エランと一緒に地球の地へと降り立ち、列車での移動を開始してから数日後。
その日、スレッタは初めて見る光景に息を呑んだ。
初めは、飲んでいたお茶が跳ねたのかと思ったのだ。
その時ちょうどスレッタは窓から目を離していて、視界の端を掠めた水滴に気付いたのは偶然だった。
ぽつり、水滴が列車の窓へ落ちて来る。
一瞬焦って自分の持っているコップを覗き込み、特に中身が波打っていない事を確認するとスレッタは首を傾げた。───と、同時に次々と水滴が窓へと引っ付いてきた。
目を丸くして見つめていると、ごとん、ごとん、という列車の音の他に、ざぁ、ざぁ、という音がだんだんと紛れ込んでくる。
「雨が降って来たね。というより雨が降っている地域に列車が追い付いたのかな」
エランの言葉に、遅れて気付く。
雨。
空から水が降って来る自然現象。
これがそうなのか、とスレッタは感心して。窓そのものでなく窓の外の景色に目を移して息を呑んだ。
視界に映るすべてが水に濡れている。水を吸うと色が変わるのか、列車が進むごとに地面や植物、建物の色が濃くなっていく。
空を見れば雲は黒く、昼間だと言うのにどことなく暗い。夜とも夕方とも違う、不思議な色合いに辺りが染まっている。
地球はフロントとは違い、遮るものがなければどこまでも視界が広がっていく。列車の外もちょうどそんな風に開けた地形だった。
そのすべてが、水に───雨に濡れているのだ。
「すごい…」
気付けばスレッタは感嘆するように呟いていた。
ごとん、ごとん。ざぁ、ざぁ、ざぁ。
列車と雨の音を聞きながら、窓にそっと手を触れる。冷たい。きっと水に触れて冷えたのだろう。
外の世界もすべて、冷えているのだろうか。雨に濡れた、すべてのものが。
「すごい…です」
聞けばこの雨という自然現象は、まったく珍しいものではないらしい。1年に何日も何十日も降り、時には降りすぎてうんざりされる地域もあるようだ。
けれどこの時のスレッタには、初めて遭遇する不思議な現象だった。
地球に降りてからまだ数日。けれどスレッタは、急速に心が惹かれていくのを感じていた。
「列車から降りたらレインコートを買おうか。雨の中歩くのは気が進まないけど、このままじゃ止みそうもないからね」
レインコート、それを着れば雨の中でも平気なのだろうか。
外の景色の仲間入りをする自分の姿を想像して、スレッタの目はわくわくと輝いていた。
ざぁ、ざぁ、ざぁ、ざぁ、雨が降る。
初めての自然現象を目撃してから1時間ばかり。少し大きな駅で降りたスレッタとエランは2人で雨具を見に来ていた。
お土産物も取り扱っているらしいお店は、色々な商品が限られたスペースに工夫されて置かれている。とりあえずここで急場を凌ぎ、後で丈夫な雨具に買い替えるらしい。
目的の物は雑貨コーナーの近くにあった。手のひらに乗せられるくらいに小さく纏められたレインコートだ。
エランが手に持ったそれを、スレッタは覗き込む。そうして、近くに知っている物が置いてあるのに気が付いた。
「あ、これって傘…」
コミックで見た事がある。雨が降った時に使う道具だ。
地球には雨という自然現象がある事はスレッタも知っていた。けれど実感が伴う事はなく、今日初めて驚きを持って体験したばかりだ。
スレッタが見たコミックでは、この傘を男の子が持って主役の女の子と2人で雨の中を歩いていた。相合い傘、と女の子は言っていただろうか…。
そのシーンが何だかロマンチックで、読んでいた当時のスレッタは雨そのものよりも傘の方に注目していたのだった。
「え、エランさん。こっちは、か、買わないんですか…?」
思い切って聞いてみる。心の中では、傘を持つエランに寄り添って歩く自分の姿が浮かんでいた。
「旅の間は荷物をなるべく少なくしたいんだ。傘は嵩張るし、使う時は動きも制限されるから…。小さく纏められて両手が自由になるレインコートの方が効率がいいよ」
「そ、そうですか…」
とても冷静かつ理論的に、断られてしまった。スレッタはがっかりしながら、エランの言う事が正しいと認めて諦めることにした。
それからしばらくは、相合い傘のことは忘れていた。
景色が色を変える雨の中。雨粒に体を叩かれながらも外を歩いて進むのは、思いのほか楽しいものだったからだ。
近くにはエランもいてくれる。相合い傘などしなくても、十分ロマンチックだと言えるだろう。
その時は、そう思っていた。
初めての雨に遭遇してから一月以上が経っていた。違う地域に流れて来たスレッタは、今現在も雨に降られている。
「スカーレット、そんな端にいたら濡れてしまうよ。…こっちに来て」
「ははは、はいッ…!」
緊張に声が引きつる。なぜならば、一度は諦めたはずの『相合い傘』をエランとしているからだった。
この地域は突発的に大雨が降る。スコール、という自然現象だ。
あまりに突然降っては突然止むので、この地域では着るのに時間が掛かるレインコートより、サッと開ける傘の方が好まれている。エランもきちんと傘の方を持って来ていた。
自分用の傘もいつもは荷物の金具に引っかけて持ってきているのだが、今日に限って忘れてしまった。
だからこそ発生した、『相合い傘』だった。
「食事の後でよかったね。場合によっては傘を差しながら食べるところだった」
「ひゃいっ、そ…、っですね…」
傘に水滴がぶつかるせいで、ザーザーバシャバシャと辺りはすごい音がしている。それに負けないように声を伝えるには、大声を出すか、耳の近くで声を出すしかない。
普段からあまり大きな声を出さないエランは、当然後者を選択した。スレッタの耳元に彼の吐息と声が届くたびに、背筋から首筋にかけて何故かゾクゾクと寒気がしてくる。
ぷるり。とうとう我慢できなくなって、スレッタは謎のゾクゾクを振り払うように小さく震えてしまった。
「もしかして寒い?ごめん、もう少しで店に着くから」
心配したエランがスレッタをそっと引き寄せてくる。彼は普段、スレッタの体に必要以上には触ろうとしない。けれど今は、体温を分けようとしてくれているのか、ピッタリと半身を触れ合わせてきた。
反対の箇所にもエランの腕が回されて、まるで抱きしめられているようだった。
「~~~ッ!!」
スレッタは訳が分からなくなる。
相合い傘とはもっと穏やかで、甘酸っぱいひと時を楽しめるものではなかったのだろうか。いざ体験してみると、全然違っていた。…もっとすごい何かだった。
エランの囁き声や体温に動揺しつつ、また自分は傘を忘れてしまうかもしれない、と茹だった頭でスレッタは思っていた。
───相合い傘、すごい…です。
雨という自然現象を、すっかり好きになってしまったスレッタだった。
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