空谷跫音 弐

空谷跫音 弐

魚目燕石編のSS続き

人間を照らすお天道様が顔を出す時間に私は起床した、布団を片付けている時に違和感に気づく。


 (そうだ、人を泊めているんだった。家に結界を貼ってるとはいえ、もう少し警戒して過ごしたほうが良さそうね)


 その結界の効果は外の音と中の音の遮断。中から外に漏れることはないし、外から中に聞こえてくることもない。屋内に一人でなにもなしは気が狂ってしまうと思い私は外から摘んできた花を家の花瓶に活けようと考えた。


 まだ布団で寝ている少女の横を通り、着替えて外の見回りに身体を動かす。地面は雨で濡れて靴にくちゃっとついてしまう。


 (これじゃ山を降りるのは危険ね。村を抜けたら一人で降りてもらわないと困るもの)


 どろどろになった土を踏みしめながら村の中を歩く、どこか自分の姿は機嫌がいいように見えただろう。




「おはようございます。お世話になりましたね」


「そうね、本当ならこのまま帰ってもらいたい所だけど。道が崩れて三日以上は整地に時間が掛かるの、悪いけどしばらく家に居てもらうわ」


「え……そうなんですか。迷惑じゃなければお願いします……」


「ええ」

「外に出られないと心寂しいでしょう。家に私物は少ないから花を摘んできたの、近くの花瓶をとってもらえる?」


「これですか?」


 少女は紅い柄の花瓶を手に持つ、私は手に持っていた花を三本、瓶に突っ込んだ。


「ガーベラ……」


 近くに咲いていたものを取ってきただけの彼女は何も知らず。


「ふふ、この花の三本の意味は知っていますか?」


「……なにか変な言葉でもあった?」


「『あなたを愛しています』ですよ」


「待って、私はそんな意味で摘んできたわけじゃ。ただなにもないから少しでも華やかに……聞きなさいって!」


 枡花色の瞳を持つ少女は思わず微笑みをこぼし、からかいながら活けられた花瓶を机の上に置く。あははっと鈴を転がす笑い声が一つ、

「気にしませんから、綺麗ですね。ありがとうございます」少女は感謝を述べて、混沌と化した二人の談笑は一段落ついて終わる。


「もう……あなたはいつ起きたの? 櫛で髪を梳いてあげるから座って、大人しくしてなさい」


「うん」


 漆黒の艶が歩く髪を丁寧に梳いていく、自分の髪は長いと刀の邪魔になるし癖があり梳いてもどうせハネてしまう。

 下の町についてはよく知らないけど、良いところの子なんでしょうね。早く帰さないと親御さんに心配されちゃうわ。


「私の髪って長いよね、お母さんが長い方が好きだから伸ばしてるんです」


 心地よさそうに目を閉じて、打ち明けていく。少女は自身の髪を触りながら話しかける。

 

「……あなたは長い髪が似合うと思います。昨日出会ったばかりの他人の言葉ですけど、本心から出た本音ですよ!」


「そうかしら……あんまり自分の容姿に頓着はなくて、それにこの村じゃ伸ばしても意味がないの」


 申し訳無さそうな声が相手の耳に響く、村で髪を伸ばすことは儀式の供養に使うことを意味する。男女共に髪は短い人が多かった。


「……えっと、いきなりごめんなさい。名前……教えてもらっても良いですか?」


 「月読焔」

「……私のことは焔ってそう呼んで欲しいの」


「私はひの――「言わなくても良いわ」えっと……では、焔。貴女はこの村が嫌い?」


 この村にいる理由、それは私が月読家の相伝術式を持っているから。逃げようと思っても巫女としての責任、村の放置による周りの被害、様々な感情でずっと停滞を続けている。


――本当は逃げたい。逃げ出したい、普通の人間で居たかった。


「そうね。嫌いよ、こんな村は滅ぶべきだと思ってる。でも変えられる事は出来るかもしれないから」

「逃げることはないと思う」


 嘘をついた。希望を持っても無駄だけど、余所者に話しても意味を見出だせなかった。顔を背ける相手の目を見れない、自分の硬くなった手のひらを撫でる。もう随分と刀を握ってるその手を見ると普通の女性になれるとは思わなかった。

 以前、少女の柔らかい手に触れた。包丁を握る手にそっと重ねられた数秒の時間だけど、自分と少女は違う。自覚するには十分な時間で。


「そうですか……じゃあ、私に出来ることがあれば言ってくださいね」


「……ええ。お願いするわ」




1492年5月31日

 呪霊と戦わない初めての日だった。



 生贄の日まであと七日



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