空谷跫音 参(続)
こっそりと扉を開き、顔をそーっとだす。絹糸のように艶のある長い髪が外の空気に触れ、風に吹かれ一本一本が意思を持つように揺れ動く。
扉の前にじっと立っていた右足を力強く上げ、前方にある地面に着地させる。そのまま片方の足も動かすと少女は歩き出す。結界に守られていた住処から抜け出すと少し寒気がして、なんとなく確認がしたくなった。
後ろを振り返ると、自分が暮らしていた家が見えなかったのだ。
「え……?!」
結界の効果で透明に見えているだけで近づき、触れると確かにそこにある。少女は慌てて戻ろうとする時に踵を絡ませ、土とゼロ距離になってしまう。
「……と、危な……い」
咄嗟に腕をだして顔面に直撃はしなかったけど袖などは土が染み込んでしまった。
バレないように今すぐ洗濯をしてしまおう。
このまま探しに行っていたら、帰る場所が分からずに迷子になっているし、最悪の場合他の人に見つかっていたかもしれない。誰かに見つかったあと、何が起こるのか想像もしたくないので、大人しく言いつけを守る為に家に戻る。
☆
「あなた、外に、出たわよね?」
「で……てませんよ?」
少女は自分が外出したことを問いただされると身体がビシリと動きを止める。じきに表情は固まって、視線は人と合わずに瞳は横にそれている。柔らかい唇はもごもごと動いて落ち着きがない。
「……責めたいわけじゃないの。危ない目にあってほしくないだけ」
家に帰った時に一瞬髪飾りを家の前に落としたと勘違いしたけど、よく下を見ると踵を返した足跡が一つついていて、明らかに他人がいた証拠になっている。人気のない場所とはいえ、感のいい奴は気づくかもしれない。そうなったら私が何も知らずにあなたの事を守れずに終わっていた。そう考えると、無事だった筈なのに途方もない怒りが静かに湧いてくる。
(あなたを町に帰せば、私の事を忘れてしまう)
(その後は何があっても干渉はできない。でも、あなたが生きていると。そう祈る事は出来るから)
少し汚れた赤い髪飾りを握りしめただただ途方もない気持ちだけを呟く、声は震えていて彼女の血のように赤い瞳は悲しみに染まった青い炎を幻視した。
「嘘つきました、本当は少しだけ……すぐに家には戻りました」
「帰りたいのは分かってる。
焦らなくてもいいのよ。明日には町に送るから。
家で大人しくしていて欲しいの。
欲しいものがあれば持ってくるから」
「……はい」
(あなたが私の忘れ物を届けたくて出たのは分かってる。それなら私の責任だ。……閉じ込めているのも本当だから)
(……もう少しだけ、触れたい。自分に足りないものもきっと、わかるはず)
「最後の夜には一緒に料理を作りましょう」
1492年6月3日
またあした。