空を裂く
ミドガルを超えて英雄視される『白騎士』。
天下に並ぶ者無き強さと叡智を誇る盟主シャドウすら、本気を出さねば戦いを成立させられぬ男。
……彼とひょんなことから師弟関係を結ぶ事となった、シャドウガーデン最高幹部七陰が一人、『緻密』のイプシロン。
そんな彼女は、今。
「あっ…うぐっ!?」
その白騎士の掌底で吹き飛ばされ、樹木へしたたかに身体を打ち据えていた。
無論、何か良からぬことが起きた訳ではない。これも修行の一環……見たまんま、実戦式の稽古である。
「……」
吹き飛ばされたイプシロンを白騎士…ヒイロ・モーサは追撃せず、立ち上がるまで待つつもりか沈黙している。
(見えない…いいえ、見えているけれど、体が…!)
テレフォンパンチと一瞬の寸止めを得て尚、反応が追い付かない。
槍すら持っていない、本領では無い攻撃でこのレベル。
『本気のシャドウ様と戦いになる』レベルがどれほどのものかを、イプシロンは修行の中で嫌と言うほど実感していた。
遠い。
敬愛する主の背中が、その領域が、あまりにも。
そして憎い。
白騎士がではなく、自分が。嫉妬と優越を優先していた、あの頃の己が。
(随分と余裕だったものね、『イプシロン(私)』……)
過去の自分と今の自分、両方に叱咤し気合を入れ直し、次いで魔力を圧縮。
盟主より頂いた術と、白騎士から学んだ術をミックスさせ、叩きだした高速の走法で刹那の間にヒイロの斜め後ろを取る。
しかし『当たる』などという高望みも慢心も、既に彼女の中にはない。
(これは外れる…だから次、何処に移動するかを…!)
追撃と反撃を視野に入れて、ヒイロの動きを少しでもつかもうと……して。
「え?」
動きを見せないヒイロの身体を剣が『すり抜けた』事に一瞬呆けてしまい。
「ふぐっ!?」
残像を後ろから貫いてきた本体の一撃で、またもやイプシロンは吹き飛んだ。
それから少しして。
「休憩だ」
実戦の中で黒球と魔力圧縮移動のコツを少しでもつかみつつ、しかし形にならず幾度吹き飛ばされ、数えるのもおっくうになってきた頃。
ヒイロがふと、そうこぼした。
「で、もっ……!」
「これ以上やっても無駄骨だ」
ともすればキツく見放したような言葉だが、この数日でイプシロンは彼の『足りない言葉』を少し悟れるようになってきていた。
要するに『疲労した体で、閃きを掴まない内から無理に続けては、逆に何も積めず無駄になるだけ』と言いたいのだろう。
故にまだやれると言おうとしたイプシロンは、足りない部分を補えば一理も二理もある言葉に、閉口せざるを得なくなった。
「彼女らもだ」
「……分かったわ」
理由はそれ一つではない。
ヒイロが指差した木の下で、疲労困憊で倒れているイプシロンの部下……彼女に次いで弟子入りを志願して来たカイと、付き添いのオメガの事もある。
双方長物を得意とするナンバーズである他、ヒイロ自身も槍からハルバードのような武装に変えていた事もあり、ぱっと見でも理由はちゃんとある。
特にカイの言葉に込められた熱意はすさまじいものがあり、貴女達は下がって居なさい、と言う事すら憚られたのだ。
ヒイロも根本的に『それで誰かを一人でも多く救えるのなら構わない』スタンス故に快く……表面上は平坦だったがともかくとして、受け入れてはくれた。
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
「やりがい、あるけどぉ…しんどぉ…!!」
イプシロンですら膝をつく特訓だ。生来ちゃらんぽらんなオメガですらやる気を見せるほどに手ごたえを感じるのと同時、立てないほど疲弊するのも無理はない。
本来ならこのような醜態は敵に不意打ちされる可能性も考え叱責すべきだが、今はかの白騎士が居る。……ほぼ彼頼りな事自体どうかとも彼女は思えど、本人がそうしろと言っているのだから今は甘えるほかあるまい。
(黒球……シャドウ様とは別方向に伸ばした天才の基礎。なるほど、これを身に着けられれば、確かに次のステージが明確に見えてくるわ)
休憩の最中、イプシロンは『幼児体形に戻った』自身の身体に頓着する事なく、特訓で得た感触を何度も確かめている。
己を着飾る余裕すら割きたい。
煽り、煽られるその時間すら惜しい。
(充足感、って言うのかしらね……シャドウ様じゃなく、白騎士相手に覚えるなんて、あの頃からすれば意外だけれど)
少し前の自分では考えられない様な毎日に、イプシロンは苦笑する。
すると……そこで急に陽が陰り、稲妻の音が鈍く響いて来た。
「どうする」
「雨の中……続けて、どうなるかは分かってるわ。だから雨宿りを、するか、別の場所へ……」
とは言ってもこの調子だ。小雨はすぐに土砂降りへ変わるだろう。ならば一先ず木陰に避難し、少し待ってから場所を移すべきだ。
つまり修業は休憩関係無く一時的に、最悪長時間中断せざるを得ない。
空気の読めない天候に、イプシロンもカイも、そしてオメガすらも『ふざけないでよ』と空を睨みつける。
「分かった」
唯一何を考えているか不明なヒイロは……なぜかハルバードを握って立ち上がる。
「ま、待って……そりゃ貴方はっ、すぐにでも、降雨の範囲外に行ける、でしょうけど……私達は……」
「大丈夫だ」
何が!?
そうツッコミたいのに疲労がそれを許してくれず、最早どうやってこの白騎士を止めるか、彼女らは頭脳をフル回転させた。
そして、それがある意味無駄だったと、次の瞬間に悟る事となる。
「……」
ハルバードの掴尻近くを握り、黒球の応用でズレないよう固定し、武器と腕へ重点的に魔力を込め、何故かあらぬ方へ体を向けるヒイロ。
そんな彼がハルバードを大きく振り被り……。
「はああああぁぁぁぁっ!!!」
剛力を持って縦一閃。
巻き起こる爆風。
そして天を遮っていた鈍色の雲海が『左右に分かたれていく』様を前にして。
「うっそぉー……」
「……えっ…」
「あ、あがが……!」
二の句が継げなくなる三人を前にヒイロが口にしたのは、たった一言。
「よし、行くぞ」
ツッコミ待ちとしか思えない促しの言葉だった。
(((とっ、遠いにも程がある……!?)))