空の涙
光寄りさっちゃんの人「姫、何を……しているんだ……」
目の前に広がる光景に理解が追い付かなかった。驚きのあまり震えた歩きで隠れていた物陰から出てしまった。それどころか、近くにあったゴミ箱を倒し、音すら立ててしまった。普段なら絶対に侵さないミス、それに気づくことすら今の私にはできなかった。
「…………」
「さ、サオリ姉さん……」
「サッちゃん、久しぶりだね」
現れた私を見たミサキは二人の後ろへ隠れ、ヒヨリは気まずそうに顔を逸らした。
アツコは前とまったく変わらない微笑みを浮かべていた。だが場所と合わさってそれが私をより混乱させた。
ブラックマーケットの奥地。普段なら絶対にいないはずの場所で、アツコが、ミサキが、ヒヨリが――アリウススクワッドの仲間たちがいたのだ。
それもアビドスの腕章を付けた1人の商人との取引をしに。
そして私が現れたことで辺りはしばらく静まり返り、空気が張り詰めていた。
「……ねぇ、二人とも」
そんな静寂を破ったのは、アツコとヒヨリの後ろに隠れていたミサキだった。
「この人、誰なの?」
「――は?」
一瞬、その声が自分の口から出たことに気づかなかった。
自分の頭が言葉の理解を拒んでいた。改めてミサキの方を見ると、アツコの服の袖を掴み、怯えていることに気が付いた。まるで暗闇に恐怖を覚える幼子のように。
そうなれば、嫌でもミサキに何があったのか理解できた。理解、できてしまった。
「ミサキ、まさか……お前、記憶が……」
記憶喪失。どうしてそうなったのか、詳しい理由は分からない。どれほどの過去を忘れてしまったのかも分からない。だが、ミサキは確実にアリウスの記憶を失っていた。
ブラックマーケットへ秘密裏に行動していた3人、アビドスの腕章を付けた商人、記憶を失っているミサキ。ここまで情報が揃えば、答えは否が応でも導き出せてしまった。
3人は、仲間たちは――
「お前たち、“砂糖”を食べたんだな」
「うん正解だよ、サッちゃん」
酷い吐き気に襲われた。肯定したアツコの言葉が私の心を穿ち、風穴を開けた。
「…………お前たちを、制圧する」
ホルスターから銃を抜き出し、安全装置を解除する。
「うん、やっぱりサッちゃんはそうするよね」
照準を仲間たちへ合わせる。
止めなければ/撃ちたくない。
撃たなければ/撃たせないでくれ。
ごちゃ混ぜになる思考が身体へ流れそうになる。
狙いがぶれそうになる。
引き金に指をかける。
そして――
「そこまでだ」
ヘリのローター音と共に空から降ってきた人影が私と皆の間に割り込んだ。
入り込んだ影の姿を認識し、シルエットから全てが色づいていく。
狼の耳にアリウスの制服とガスマスク、そして狼を模したクレストの腕章。
それが意味するのは――
「…………猟犬部隊(ハウンドスクワッド)か」
「さすがは実働部隊の隊長様だ。よく覚えてくれていて、うれしいよ」
アリウス分校の追撃部隊であり、督戦隊。まさか他のアリウス生まで砂糖に落ちているのか。
「遅れてしまい申し訳ありません。姫様、お迎えにあがりました」
その声と共に上空のヘリが高度を下ろしていた。
あれで脱出する算段なのだろう、だが。
「行かせるはずがないだろう」
「そちらこそ、撃たせると思うか?」
引き金を引き切る瞬間、頭上から弾幕の雨が降り注いだ。
多少の被弾をしながら後退し回避する。射線を確認すれば、上階の窓際から移動しようとする敵の姿がいた。
(敵の数は3から4、既に展開済みか)
移動手段がヘリであること、目的がアツコたちの回収と仮定し、相手の兵力を分析する。だが、そこにグレネードの追撃が迫ってきた。
撃ち落とすには間に合わない。再び回避し、爆発の範囲から逃れ出る。
(まずい! このままじゃ皆が連れてかれる!)
弾幕を避けさせられ、完全に距離を離された。アツコたちの方を見やれば、ホバリングしているヘリにちょうどミサキが乗り終えたところだった。
その最後はアツコの番だ。
「姫! 行くな!」
声を上げる私に再び弾幕の雨が降り注ぐ。次は回避の精度すら落ち、より多くを被弾した。
「サッちゃん、ごめんね」
引き上げられる中、アツコの口の動きで言っていることは分かってしまった。
高度を上げるヘリに私を攻撃していた猟犬部隊のメンバーが建物の屋上から飛び乗る姿を見た。
そうしてヘリは飛び去った。ヘリが雲の中へ消えるまで、私は茫然と立ち尽くしていた。
そして――
「――ッぁあああぁああああああああ!!!!」
私は膝から崩れ落ちた。
雨が降る。数日間曇り続けた空から、決壊したように降り注ぐ。
頬を濡らすそれが、己を呪う涙か降り続ける雨なのかも分からない。
ああ、でも――
私は初めから全てを間違えていた。
最初に“砂漠の砂糖”の話を聞いた時、真っ先に仲間たちの元へ戻るべきだった。
心配のし過ぎだと言われたかもしれない。お節介だと言われたかもしれない。呆れらたかもしれない。だが、それでも、お前たちの元へ行くべきだった。
きっとそんなヘマを踏んだりはしないだろうなどと、おこがましい無責任な信頼があった。今の仲間が辛く苦しくとも何処かで懸命に、細やかな幸せを得ながら生きていると思っていたから。
そんなことを思っていたから、私はまた失敗したんだ。