科学者教師は恋慕している
黒澤 影「……セカイ、またこんな所に」
「………………先生」
目線の先には俺が恋した少女がいる。食堂は騒がしいしなー、と思い昼食を食べに生物準備室を訪れたらいたのだ。
俺の声に反応し、少女が振り返った。黒い髪を高い位置で一つで纏めた、水色の瞳の彼女はとても可愛らしい。ああでも電脳体でない時はどちらかというと凛々しい方に分類されるのだろうか? まあ、俺は外見などどうでもいいが普通なら好かれる側の人間だろう。
「ここ、埃っぽいだろ。せめてもっとなんか……あるだろ」
「………………他の所は、騒がしいから嫌い」
俺の教え子であり恋慕相手でもあるこの少女は、本来騒がしいのは嫌いではない。それでは何故嫌っているのか。答えは簡単、ひとえに彼女の特異性にある。簡潔に言うと、彼女は持病持ちだ。それも、一つの発作が命の危機に繋がるほどの。まあ滅多に発作は起こらないが。しかしそれでも人は気遣いたくなるものだ、過保護な気遣いの目線が嫌がられるくらいには。
「……クラスメイトは、嫌いか?」
「…………嫌いじゃ、ない」
その言葉に思わず肩を竦めてしまう。呆れたのではない、少し嫉妬しただけだ。ストレートに感情を彼女の口から言葉にしてもらえることに。悪く思われてはない……どころか、好かれているとは思うが、正直言って分からない。こんな経験は彼女と出逢わなければ出来なかっただろう。それは嬉しい。こういうことを考えてしまうのは気持ち悪いから辞めたいのだが。俺の属性スロットはもう一杯なんだ、変態とか新たに追加しようとしないでくれ。
「持病持ちだからって、そんなに気遣う必要ないのに、目線が鬱陶しい」
『私は気の毒なんかじゃない。私は可哀想なんかじゃない。私は、私は――』
きっと、こんな感じに思っているのだろう。彼女については分からないこともあるが、それ以上に解ることの方が多い。今までの長い人生の中で、こういう思考回路の奴とは何度も接してきた。
――それなら、その先は俺が紡いでやるよ。
「――そうだな。セカイは普通の、1人の人間だな」
実際にはそんな筈ないけれど、これが一番この少女を堕とすには効果的だと俺は知っている。持病のことも、異能についても、そもそも俺が惚れたという時点で普通ではない。
そこまで考えたところで、少女が目に涙を溜めていることに気が付いた。その泣き顔も愛らしいが、俺の好み的にはもうちょっと恐怖や痛みに歪んでた方が――おっと、これ以上は良くない。
自分の思考を誤魔化しながら、慰めるように少女の頭を撫でてやる。父親は幼少期に事故で死亡したが日常的にDVを行っていた上母親は娘が深刻な持病持ちなのに放置気味。ならその親の立場、俺が乗っ取ってもいいよな。
「せん、せ……」
「どうした?」
「なんで、なんでわたしってこうなのかな? わたしって何かわるいことした? ぜんせで人をころしちゃったりしたのかな?」
嗚呼、本当に愛おしい。可哀想に、何も悪いことはしていないのに生まれ持った環境とカードがあまりにも悪すぎた。その上俺に惚れられるとかいう貧乏神まで着いてくるとは運が悪いにも程がある。手放すつもりも諦めるつもりも微塵も無いが。
「……セカイは何も悪くねぇよ。逆に何かしたのか? 俺はお前が校則違反とか法律違反とかしてんの見たことねーけどな」
「……いまも、せんせにこうやってめーわくかけてる」
「馬鹿。迷惑じゃねぇよ。で? したのか?」
迷惑じゃないのは紛れもない事実。寧ろ大歓迎だ、お前がこうして俺に懐いてくれるのだから。
「……して、ないっ」
目元をゴシゴシと擦ってそう言う少女の声は何処かキリッとしていて、そんなところも素敵だ、と思う。少し前の俺ならそんなこと思わなかっただろうに、何て変化だ。
「おー、そうだろ? 自分のことを一番信じれるのは自分なんだ、それなのに自分で疑ってどうする」
「ごめ、なさ」
「謝んな謝んな」
研究で忙しい合間を縫って少女に構うのは実に楽しい。今まで生きてきた中で一番と言える。これだけで長く生きてきた価値があるというものだ。
「………………それに、人殺すくらいじゃ……」
――こんなことにはならねぇよ。だって俺は今まで何人も殺してきたけれども、流石にこんな不幸なことにはなっていない。この少女が特別不運なだけなのだ、可哀想に。そんなところが特に愛しい。勿論笑顔も好きだ。俺の元々の好みに合うのが其方というだけであって。
「……?」
聞こえてきたのかこちらを振り向いてきたので、思わず目を逸らしてしまう。俺も随分と人間らしくなったものだ。
「いや、何でもない。……そういや、弁当学校に持ってきてるか?」
「……持ってきてない」
「持ってこいよお前……食堂も行くつもりじゃないんだろ?」
いや本当にマジで弁当はもってこい。どうせ「昼食べなくても平気」とか思ってるんだろうな、と思いながら呆れた目を向けるとキッと睨まれた。流石にウザかったか?
「……なら自販機でパン買ってきてやるから、一緒に食べよーぜ。チョコの奴でいい?」
「…………それ先生の好きなやつでしょ。メロンパンがいい」
「はいはい」
別にチョコが好きな訳ではないが、確かにチョコはよく食べる。変な所を見ているのだな、と思いながら生物準備室を出る。さて、さっさと買って戻らなければ。時間が勿体ない。生徒に捕まらないといいな、なんて考えながら俺は足早に廊下を歩いて行った。
――――科学者教師は恋慕している
――十年程経った、今でも