私にとっても大切な
レイレイ呪いは解けた。
12年間、私を囚え続けた呪い。私の大好きなお父さんも、家族のように思っていた海賊団の皆も、共に遊び、競い合った幼馴染も、皆私のことを忘れてしまった。
大好きな歌は歌えなくなった。声を出そうとしても、出てくるのは“キィキィ”“ギィギィ”という壊れたオルゴールの音色だけ。
眠れなくなった。寂しいとき、いつもの逃げるように籠もっていた私の心の世界にも、入れなくなっていた。
小さなぬいぐるみの体は、眠ることも食べることも出来なくて、痛みを感じることも誰かの温もりを感じることもできなかった。
誰も私の名前を覚えていていなかった。でも、幼馴染の彼はそんな私を、「ウタ」と名付けてくれた。偶然かもしれなかった。でも、彼が名前を呼んでくれるから、そのたった一度の奇跡にすがって、必死に生きてきた。
希望なんて無かった。いつこの脆い体が動かなくなるのか、ずっと不安だった。でも、私の幼馴染はそんな私を仲間と呼んでくれた。船出して、仲間が増えて、だんだん過酷になってゆく航海の中でも、彼はずっと私を側に置いてくれた。
一味の仲間達も、私を船員(クルー)の一員だと認めてくれた。
だからいつしか、寂しく無くなっていた。私は海賊麦わらの一味のマスコット『ウタ』。いつかこの身体が壊れて動かなくなっても、それでもこの思い出があれば、私は幸せだった。
でも、奇跡はもう一度おきた。
「ヴゾッ…ブ、アリが…ど…う」
SOP作戦は成功した。トンタッタ族と、彼らに協力した私達はホビホビの実の能力者であるシュガーと彼女を護衛するドフラミンゴファミリーの最高幹部の一人、トレーボルの力に圧倒され、ボロボロにされてしまった。特にウソップは血塗れで立ち上がることもままならないくらいに痛めつけられ、作戦の切り札であるタタバスコを食べさせられてしまった。だがそれを食べた時のあまりの苦悶の表情を見たシュガーが、驚きのあまり気絶したことで、ホビホビの呪いは解かれたのだ。
人間に戻って、一番はじめに感じたのは痛みだった。9歳の時にオモチャになってから12年、久しく感じていなかった感覚に戸惑い、同じくらい喜んだ。何故か身体が12年分、ちゃんと成長してたせいで服はボロボロ、靴も合わなくて裸足になっちゃったから、足が凄く痛かった。でも、その痛みが私がおもちゃではなく人であることを、何よりもはっきりと教えてくれた。
合流したロビンが慌てて何処からか調達してくれた服を着せてくれたけど、ただでさえボロボロのウソップが鼻から血を吹き出して酷いことになってたな。
ロビン「ウタ、ウソップ、ゾロから連絡があったわ。今ルフィ達と合流して王の台地にいるそうよ。」
ドフラミンゴの鳥カゴが発動して、ウソップやロビンが『受刑者』として追い立てられる中で、ゾロと子電伝虫で連絡を取ったロビンが、私達をルフィ達のいる王の台地へ誘導する。
ウタ「る、ふぃ…」
早くルフィに会いたい。でも、それと同じ位に不安になる。オモチャから戻れたけど、ルフィは私のことを覚えていてくれているだろうか。人形のウタのことは仲間と思っていても、もう昔遊んだ女の子のことなんて覚えてないんじゃないか。ロビンに支えてもらいながら歩くうちに、不安はどんどん大きくなっていく。
一味の皆も、人形ウタのことは仲間と思ってくれていても、12年前のフーシャ村でルフィと共に遊んだ赤髪海賊団の音楽家「ウタ」のことは知らないんだ。もう、あの頃の私を知ってる人なんて…。
不安が震えになって、私に肩を貸してくれるロビンに伝わる。
ロビン「ウタ?大丈夫?」
無言で首を振り、苦労して笑みを浮かべる。仲間に心配をかけちゃ駄目だ。ただでさえ。こうして足手まといになってるんだ。これ以上、負担をかけたら駄目だ。
何とか王の台地まで辿り着くと、王宮へ向かおうとしているルフィと、彼の肩を掴んで引き留めているゾロ、あと何故か地面に転がっているトラ男君がいた。
ロビンもルフィ達に気が付き、彼らに声をかける。
ロビン「ルフィ!」
何かを言おうとしていたルフィは口をつぐみ、一瞬だけこちらを見た。遠目ではっきりとは分からなかったけど、その目には喜びと驚きと、微かな怯えが感じられた。
ルフィはこちらに声をかけることも無しに、まるで逃げようとするように、立ち去ろうとした。ゾロが肩を掴んで引き留めてくれなかったら、そのまま何処かへ行ってしまいそうだった。
立ち去っていくルフィに、何故だか“あの時”のシャンクスの後ろ姿が重なった。私の存在を忘れて、私を置いて行ってしまった大好きなお父さん。あの時の私は、壊れたオルゴールの音色しか奏でられなかった。シャンクスが行ってしまったのはそれが理由じゃないと解ってる。けど、あの時私が声を出せていれば…!
ウタ「ルフィ…?」
人間に戻れても、12年間使っていなかった喉からは片言の言葉しか出なくて、歌どころか話すことも上手く出来なかったのに、何故かこの時だけは、はっきりと彼の名前を呼べた。でも声も張れて無いし、周りの喧騒でかき消されて、本来なら距離の離れた彼に、声が届くはずなんて無かったのに…。
立ち去ろうとしたルフィはピタリと足を止めて、こちらへ踵を返した。表情は見えない。彼のトレードマーク、異名の由来でもある麦わら帽子を目深く被っているせいで、遠目からだと正面からでも表情が伺えない。
ルフィが近くまで来て、ようやく顔が見えた。唇を噛み締めて、今にも泣きそうな顔をして、でも凄く嬉しそうな、懸賞金4億の海賊には相応しく無いけど、私が出会った頃から変わらない、寂しがり屋で泣き虫だった幼馴染の顔だ。
だから分かった。ルフィは私のことを思い出してくれた、と。
沢山、伝えたいことがある。あの時、名前を読んでくれてありがとう。仲間に誘ってくれてありがとう。今日まで私を守ってくれてありがとう。私を、救ってくれてありがとう。そんな沢山の感謝の言葉を伝えたいのに、私の口はまだ、うまく動いてくれなくて。
「る、ふぃ…」
出てきたのは、大好きな幼馴染の名前だけで。
ルフィはそんな私を見て、私を安心させるように微笑んだ。その笑顔はいつもの太陽のような明るい笑顔とはちょっと違って、少しぎこちなかったけど、まるで昔の、泣いている私を元気づけようとするシャンクスやベックマン達みたいだった。
そして私の頭にポスン、と麦わら帽子が載せられた。
普段のルフィからは想像出来ないくらい優しい手付きで。
「ウタ、帽子預かっといてくれ」
優しく私の頭に手を載せながら、私に大切な帽子を預けてくれた。私にとっても大切な帽子。シャンクスからルフィに預けられた、彼の宝物。
ルフィ「今からドフラミンゴをぶっ飛ばして来るからよ。それまで、もうちょっとだけ、待っててくれ」
そうだ、まだ何も終わっていない。私が人間に戻れても、まだこの国での戦いは終わっていないんだ。あのドフラミンゴを倒さないと、私もこの国の人達も本当の意味で開放されない。だからルフィは、泣くのを我慢して、私にこう言ってくれたんだ。
だから私も泣いちゃ駄目だ。いつもみたいにルフィがすぐに、あんな奴らぶっ飛ばしてくれるから。だから笑顔で送り出さないと。何も出来ない私だけど、せめてルフィの邪魔をしないために。
ウタ「うん、わがった…」
上手く笑えていたかな。泣きそうになるの、バレてないかな?
そんな私を見て、今度こそ嬉しそうにルフィは笑った。
でもすぐに真面目な、真剣な表情になってロビンとウソップの方を見た。
ルフィ「ロビン、ウソップ、ありがとう」
ロビン「ええ」
ウソップ「おう」
二人共、特に気負いの無い、まるで当たり前のことをしたような返事をする。そんな二人を嬉しそうに見て、ルフィは改めてこちらに背を向けて、トラ男君を抱えて王宮へ向かおうとする。何やらトラ男君と楽しそうに言い争ってるみたいだけど、なんだかちょっとだけ、無理してるように見えた。
ルフィ「ロビン!ウソップ!
ウタを頼む」
こちらを振り向かないまま、ルフィが二人に声をかける。その言葉は、信頼する仲間へ向けた、真摯な頼み。本来なら自分が守りたい、でもルフィにはドフラミンゴを倒す役目があるから。だから仲間に、自分の大切な幼馴染を託すための言葉。
その言葉を残して、ルフィは王の台地から飛び降りた。ドフラミンゴを、この悲劇の元凶を撃つために。ようやく取り戻した幼馴染を、二度と失わない為に。