私たちは最強/溶けて、消える
思い出しても、なるべく考えないようにしていた。
私があの長鼻のとんでもない顔を見て気絶してしまったせいで、若様の「ドレスローザ」を支配する計画が根幹から崩れかけている。
この失態を拭うためには長い時間がかかってしまうだろう。
だから、若様に逆らう奴ら全員をオモチャにしてからやり直さないと。
まずは忌々しい長鼻、そしてその仲間である”麦わらの一味”。トラファルガー・ローもだ。
次々と”頭割り人形”を作り出し、命令を下しながら標的を探している時に彼女と出会ってしまった。
意識して思考しないようにしていたのに。
目につかなければ、見逃してしまおうと思っていたのに。
歩くことにも苦労しているフラフラな姿で、口から出る言葉も呂律が回っておらず上手く聞き取れない。
でも、その眼はここから先には行かせないと強い決意を感じさせるものだったから。
無視することも、温情をかけることもせず、ただ敵として排除するしかなかった。
そうして覚悟を決めた瞬間、
彼女の口から漏れ出る旋律を聴いた私は、先ほどまでいた場所とまるで異なる空間にいた。
何処までの広がる空。空を映し出す海。
遮るものが何もないその場所は自分のちっぽけさを実感させられるような、そんな恐ろしさすら感じられた。
そんな景色に困惑していると、ふと自分の視点がいつもと違うことに気付く。
普段より目線が高い。視線を下に向けると明らかに立っている水面が遠い。
四肢はしなやかに伸び、平坦だった胸には確かな膨らみが見える。
「何、この姿……」
”ホビホビの実”を食べ能力者となってから止まっていた成長。
もし、そのまま成長していたらという想像を形にしたかのような姿でシュガーは立ちすくんでいた。
「私、ずっとオモチャだから今の姿だとうまく動けないの」
「そっちもずっと子供の姿で、その姿には慣れてないでしょ?」
困惑するシュガーに向けてウタが静かに語り始める。
随分と流暢に喋るものだ。先ほどまでは満足に言葉も話せていなかったというのに。
シュガーはウタを睨みながら現状を推察する。
変化した自分の姿。突然流暢に喋り出したウタ。
恐らくはウタの思考が反映される何らかの異空間に取り込まれたか。
切欠があるとすれば、ウタの紡いだ旋律、歌声。あれが鍵だったのだろう。
「これで、おあいこ」
そんなシュガーの様子を知ってか知らずか、ウタは言葉を続ける。
「喧嘩しようよ。シュガー」
「私、一回あんたをぶん殴りたかったの!!」
本当は戦うのは嫌いだ。大好きな人たちが傷つく姿なんて見たくない。
でも、これだけは譲れない。避けちゃいけない。
シュガーが全ての始まりなんだ。決着は絶対に付けないとダメだ。
ルフィと共に旅立って、避けてはいけない戦いがあると知った。
自分にとって、それは今だ。
そんな決意を込めた視線をシュガーに向ける。
「……バカじゃないの?」
呆れ顔でこちらを見返すシュガー。
「私に拒否権なんてないくせに」
そう答えつつも、その眼には目の前の相手を逃がさないという闘志が燃えていた。
どの道、ウタを倒さなければシュガーはここから出られない。
シュガーの眼を見つめて笑みがこぼれる。
そうこなくちゃ。
笑うウタの顔を見てシュガーが顔をしかめる。
その顔は悪戯が成功したような、それでいて獰猛さを感じさせるものだった。
♪さぁ 怖くはない 不安はない
ウタの歌が響き渡る。腕を広げ指先で空間をなぞる。
その軌跡から様々な音符が出現し、次々と兵士の形へと変化していく。
「へェ」
興味深げにシュガーはその様を観察する。
周囲に現れた音符兵士はあっという間にシュガーを囲むほどの数となった。
兵士たちは武器を構え、次々とシュガーに向けて突進を開始する。
「無駄」
一斉に襲い掛かる音符兵士たちをシュガーは冷静に見定める。
そしてユラリと身体が揺れた次の瞬間、
「能力だけに頼るような奴が若様の……”王下七武海”の幹部なわけないじゃない」
シュガーに迫った兵士たちは一人残らずオモチャの兵士に変化させられた。
例え肉体の成長が止まろうと、曲がりなりにも自分はドンキホーテファミリーの幹部の一人なのだ。
この程度の連携しかできない雑兵に後れを取ることはない。
♪あなたの声が 私を奮い立たせる
「『”契約”よ。死ぬまでこいつらと戦いなさい』」
「ッ!!」
自分の生み出した音符兵士たちが次々とオモチャ兵士に変えられていく。
先ほどまで存在していた数の有利はあっという間に互角にまで押し返された。
もっと音符兵士を出すべきかと考え、その作戦を却下する。
第一の問題として、先ほど見せたシュガーの身のこなし。
襲い来る音符兵士たちを逃さず素早く正確にオモチャに変える身体能力は、徒に数を増やすだけで捉え切れるものではない。
第二の問題は、ウタ自身がこれ以上の音符兵士を出すのが難しいことだ。
この”夢の世界”ではウタの想像をそのまま具現できるとはいえ、本人の想像力が足りなければ当然その範囲は狭まる。
数に限りがあり、更にその連携もウタの想像力では稚拙なものにしかならない。
或いは、もっと長い期間を”夢の世界”で過ごしていれば文字通り無限の軍勢すら生み出せたのかもしれないが……
そこまで考えて思考を打ち切る。まず考えるべきはシュガーの打倒方法だ。
それこそ、ウタがシュガーを無力化させようと思うだけで決着自体は容易だろう。
だがそれでは自分の気が済まない。だからこの方法を取るのも却下だ。
生み出す兵士たちではシュガーを捉え切れない。
”夢の世界”の力をただ振るうだけでは納得のいく決着にはならない。
ならばやはり、自分自身がシュガーに近付きケリをつけるしかない。
自分に果たしてできるのだろうか。
一瞬浮かんだ弱気はすぐに振り払われる。
大丈夫だ。だって私の胸の中には仲間たちがいる。
ずっと一緒で、ずっと見てきた強い人たち。
あの人たちがいる限り、私は絶対に負けないのだ。
ウタはシュガーに向けて一歩ずつ足を踏みしめていく。
「……? 『あの子を襲いなさい』!!」
近付いてくるウタの姿に気付いたシュガーがオモチャ兵士を差し向ける。
♪さぁ握る手と手 ヒカリの方へ
迫りくるオモチャ兵士。それを見据えるウタの手の中には杖が握られていた。
ウタが剣を抜くような動作で柄に手をかけた。そして、杖の中から煌めく刃が顔を覗かせる。
――”鼻唄三丁”……
「”矢筈斬り”!!」
一瞬の交差の末、ウタが刃を納刀したと同時にオモチャ兵士は一刀のもと切り伏せられていた。
「!?」
シュガーの顔が驚愕で染まる。
なんだその戦い方は。あまりにも似合わない。誰かを真似ているのか?
目を見開くシュガーを置き去りに、命令を遂行しようとするオモチャ兵士たちがウタへと迫る。
いつの間にか手に持っていた仕込み杖を消したウタは両腕を胸の前で合わせる。
――”フランキー”……
「”ラディカルビーム”!!!」
瞬間、煌めいた光がオモチャ兵士たちを貫き無数の爆発を引き起こす。
♪その温もりで 私は最強
「何なの……」
群がるオモチャ兵士の勢いは止まらない。
倒された兵士の身体を踏み越えウタへと殺到する。
――”六輪咲き”……
「”クラッチ”!!!」
突如身体から生えた無数の腕が兵士たちを拘束し鈍い音を響かせた。
「何なのよその技……!!」
困惑と怒りを綯い交ぜした表情でウタを睨む。
規則性がない。デタラメすぎる。
繰り出される技の数々にシュガーは完全に混乱していた。
♪回り道でも 私が歩けば正解
――”刻蹄”……
「”『桜』”!!!」
渾身の力で叩きつけられた掌底が兵士を跳ねさせ、多数の兵士たちを巻き込んで吹き飛ばす。
「……!! 『あの子を止めなさい。今すぐに』!!!」
その姿に言い知れぬ恐怖を感じたシュガーは周囲のオモチャ兵士たちに改めて命令を下す。
――”孔雀一連”……
「”スラッシャー”!!!」
ウタの両手から小さな刃が連なる武器が射出される。
それは無数の兵士をなぎ倒し、遂にシュガーに続く道が開いた。
♪いつか来るだろう 素晴らしき時代
「この……!!」
止まらぬウタに焦れたシュガーは周囲の兵士たちに次々と接触する。
そうして無数の巨大な”頭割り人形”を作り出していく。
「『行きなさい』!!!」
♪いざ行かん 最高峰
――”反行儀”……
「”キックコース”!!!」
強烈な蹴り上げが覆い被さるように襲い掛かって来た”頭割り人形”を纏めて上空へと跳ね飛ばす。
♪さぁ 怖くはない? 不安はない?
まるでごっこ遊びだ。どの技も本物にあるキレがない。威力もまるで足りてない。
それでも、技を使うたびに私の心は奮い立つ。
”夢の世界”で思うまま力を振るうには、私はあまりに未熟だ。
だが、仲間たちの戦う姿はずっと目に焼き付けてきた。
足りない想像力を、胸に刻まれた仲間たちが補う。
私の仲間は強い。彼らがいるから、私は負けない。
私たちは最強なんだから。
――”火の鳥”……
「”星”!!!」
前に立ちふさがる人形に向けて、手に出現させた巨大パチンコから鳥の形を成した炎が放たれる。
放たれた火の鳥は”頭割り人形”を貫き、その全身を焼き尽くした。
それでも、まだ”頭割り人形”は無数にいる。
一体ずつ相手にしたのではキリがない。一気に倒さなければ。
そう判断したウタは頭上に巨大な雲を生成する。
手には仲間の武器の一つ。それを振るい、電気泡を雲に向けて飛ばす。
――”サンダーボルト”……
「”テンポ”!!!」
電気泡に触れた雲は雷雲へと変化し、轟音と共に雷の雨を降らせる。
その攻撃は”頭割り人形”の殆どを撃破することに成功したが、まだ僅かに生き残りがいる。
♪歌唄えば 霧も晴れる
「……ッ!!」
止まらない。何をどうしてもウタは止まらない。
絶対に自分の元へ辿り着くとシュガーは確信してしまった。
――”獅子”……
「”歌歌”!!!」
最後の”頭割り人形”が、刀を手に持ったウタの居合で切り捨てられる。
もはや周囲にいる兵士以外、ウタとシュガーを阻むものは何処にもない。
(でも触れれば……!!)
確かにデタラメすぎる戦い方だが、触れてしまえば問題はない。
何より、ウタは戦い慣れていない。
人間の身体にも未だ不慣れで、時折ふらついてるのが見て取れる。
動きにも無駄が多い。付け入る隙はいくらでもある。
ほら、今まさに周囲の兵士たちに気を取られて隙を見せた。
その隙を突き、シュガーは一瞬でウタとの距離を詰める。
♪さぁ 握る手と手 ヒカリの方へ
「!!」
「これで……」
終わり、と続くはずの言葉は出てこなかった。
「熱ッ!?」
ウタに触れるために伸ばした手が突如感じた熱に引っ込められる。
何が起きた。シュガーはジクジクと痛む腕からウタに目線を向ける。
そこには左手から煌々と燃え盛る炎を出すウタの姿があった。
♪最愛の日々 忘れぬ誓い
――”火拳”……
所詮は自分のイメージだ。この炎も本物には遠く及ばない。
それでも、今はもういない”あの人”が自分を守ってくれているように感じた。
「……!!」
燃え盛る炎の中に、シュガーは確かに見た。
不敵な笑みを浮かべる男の姿を。
♪何度でも 何度でも 言うわ
「ッ!!」
驚愕により動きの止まったシュガーを見つめる。
燃える左手から五線譜を出し、再び動き出す前にシュガーを拘束する。
♪「私は最強」
「!? しまっ…」
「これで、終わり!!」
右手を強く握りしめる。
想起するのは彼の十八番。”この世界”で一番強い拳の一撃。
――”ゴムゴムのォ”……
♪「アナタと最強」
「”銃(ピストル)”!!!!」
それはシュガーの鳩尾を正確に捉え、彼女を遙か後方まで吹き飛ばした。
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「ねェ……」
吹き飛ばされ、虚空を見ながら地面に転がっている少女に近付いたウタが声をかける。
周囲の兵士たちは姿を消しているし、ここまで至近距離に近付いても少女は動こうとしない。
決着はついた。ならば、ずっと聞きたかったことを聞くのならここしかない。
「なんで、私をオモチャにしたの?」
「…………」
見下ろされている少女はゆっくりとウタの方に顔を向け、互いに見つめあう。
揺れる瞳は、記憶に残るあの頃のままだ。
少女は静かに口を開き何かを伝えようとして、
――じゃあ、私そろそろ行くね!! シャンクスたちが待ってるんだ!!
――予定より早いけど、次は「音楽の島」に行くんだって!!
――…………あ、
そう言って背を向けようとする女の子に、どんな感情を抱いたのか。
言葉が喉につっかえて出てこない。ちゃんと言わなければならないのに。
たとえこれが束の間の出会いだったとしても、しっかりと言葉にして伝えないと。
ちゃんと、別れの挨拶を……
――(まって)
そして私は、その手を伸ばして……
「さァ……」
少女は薄く笑う。
「どうしてだと思う?」
何を思い笑うのか。きっと誰にも理解できない。
ウタは困ったように眉をひそめる。
「口にしてくれないと、分からないよ……」
「…………」
ウタの言葉に少女は閉口する。
その姿をウタは黙って見つめるが、少女の口が開く気配はない。
これ以上語る言葉はない、という意思表示だとウタも理解した。
「私の勝ちだから……もう行くね」
そう言いながら、背を向けるウタ。
周囲の景色が徐々に揺らいでいく。
「なんでわざわざ私に言うの?」
投げやりな口調で少女は答える。
「何処へなりとも行きなさいよ」
「もうあんたは、自由なんだから」
少女の言葉にウタは答えない。
背を向けたウタの表情は地面に転がる少女からは見えない。
だから、彼女が何を考えているかなんて全然分からない。
「…………」
それでもきっと、この子は不格好でも歩き続けるのだろうと根拠なく確信する。
ならば今度こそ告げよう。
「じゃあね、さようなら」
あの時言えなかった別れの言葉。
これだけは、伝えずにはいられなかった。
「うん……」
ウタが短く答える。表情は見えない。
「またね、シュガー」
「…………」
その言葉に果たして何を思ったのか。
揺らぎ消えていく世界の中で静かに目を閉じ、少女は意識を手放した。
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先に行かせた仲間たちと合流するために「ドレスローザ」より出航した麦わらの一味。
その助けとなるべく協力したルフィ非公認傘下”バルトクラブ”の海賊船「ゴーイングルフィセンパイ号」。
そこでは恒例となっている麦わらの一味の新たな手配書が話題となっていた。
「5億だやったー-っ!!!」
「へへ!! おい酒あるか」
あるものは懸賞金の増額を純粋に喜び、
「もう一声~!!」
「ギャー---!! 素顔でドエライ額出たー--っ!!!」
あるものは悔しさや恐れ、しかしその中に確かな嬉しさを紛れさせる。
「あれ、ウタの懸賞金たっけェ!!?」
「え?」
「あの歌で目立っちまったせいなんじゃねェか?」
「うおおおおー-っ!! 流石だべウタ先輩ー---っ!!!!」
「え? え?」
そんな賑やかな喧噪から離れた甲板上、麦わらの一味以外の手配書が雑多に処分されたゴミ箱から一枚の手配書が風に吹かれて舞い上がる。
大空へ浚われていくそれは、誰にも気付かれることはなかった。
『”人形姫”シュガー 懸賞金 ×××××ベリー』