祖父との決別(Dead End)

祖父との決別(Dead End)


「弱いっ! 弱すぎる!」


 鬼の形相で殴り掛かるカープは、血を吐くように怒鳴った。


「わし如き老いぼれに後れを取るような貴様が‼ どうして世界政府と戦えると思った! 天竜人に逆らうということはそういうことなのだぞ!!」

「……!」

「もはや誰もお前たちを助けん! 弱いお前たちがっ、それで生きていけるとでも思っているのか! まともな未来があると……思っているのか!」


 拳と拳がぶつかり合う。

 腰の入っていないパンチはじりじりと押し込まれていく。


 朦朧とする意識の中、ルフィは思った。

 自分はどう反応を返せばいいのだろう。


 祖父の言う通りなのだ。

 攻撃が届かない。防御が間に合わない。いくら叫ぼうが、こっちの訴えなど誰もききやしない。


 ガープがここに来た時点で、この道を通ることは絶望的になった。

 勝てもしない相手に挑んで負けていてはどうしようもない。


 ここは退くべきだ。

 また密林に戻って、体勢を立て直した上で機会をうかがうべきだ。

 ガープを乗り越えられないのであれば、それしか方法はないだろう。


 まだ、一回思い切りジャンプする程度の余力はある。

 ウタを連れて後ろの森に飛び込んで、逃げることができるのだ。


「……っ! ウタ!」


 自分ではガープを突破できない。

 そう考えたルフィは、隣の島までの道を断念し、後ろに大きく跳躍した。


 後ろを固めている海兵たちはいるが、彼らの強さはガープとは違う。

 ルフィならば容易く突破できる。


 このままでは祖父の前で一人残されるウタに手を伸ばし、共に離脱しようとして……


「——愚か者がァ!!!」


 致命的な衝撃が腹部を貫いた。

 ルフィの跳躍よりも速く、ガープは隙を晒したルフィの懐に飛び込んだのだ。


 ガードは間に合わない。

 意識を後方に割いてしまっていたことで、その反応は振り切られてしまっていた。


 剛力は腹を伝って脳を激しく揺らし、平衡感覚をぐちゃぐちゃに乱れさせた。

 そして、その体は天高く空へと打ち上げられる。


 断絶した意識。

 ルフィの視覚が遥か下にある島と島を繋ぐ道を知覚した時。

 遅れて脳がダメージを理解した。


「がはっっっ!?」


 選択を誤った。

 後悔しても後の祭り。


 鮮血が口から溢れ出す。

 蒼ざめた顔で天を仰ぐウタの姿。

 口元を覆う両手から己の名が聞こえた気がした。


「ル、フィ——」


 時間が動き出す。

 雲にも届きそうなほどに打ち上げられていた体が、重力に従い地面に迫った。

 今に激突しようかという瞬間、腕を弓のように引き絞った祖父の姿に思考が固まる。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!」


 再度急襲する衝撃。

 ルフィの体は直角の軌跡を描き、元来た道に巻き戻される。


「か、回避ぃぃいいいっ!?」

「巻き込まれるぞぉ!!!」


 海兵たちの声が遠い。

 三度迫る拳が視界を占拠する。

 潰れた鼻から血を噴き出し、終わらぬ空の旅に圧倒される。


「うわ゛あああ゛ああ゛ああ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!?」


 島の木々をなぎ倒し、進路上の岩を粉砕しても止まらない。

 首が鷲掴みにされる。

 まるでボールでも投げるように、ルフィの体を島の中心に向けて投げつけた。


 砕く。へし折る。微塵と化す。

 全身を生暖かい血に包みながら、吸い込まれるような浮遊感を味わう。

 そして、その瞬間はやってきた。


 島を二分する岩壁に激突する。

 その威力は瞬時に罅を全体に走らせる程で、ルフィは力なく地面に倒れ伏し……


「ぬああああああああああああああっ!!!」


 雪崩のような激音が最後にルフィを襲う。

 全身に走る雷が落ちた錯覚。

 喉に詰まる血を弱弱しく流しながら、肺の中の全ての空気を吐き出す。


 崩れ去る。

 全てが、圧倒的な暴力の前に為す術なく。

 島の地形ごと、ガープはルフィを粉砕した。


「……」


 仰向けになるルフィは、僅かな間意識を失っていた。

 だから判断が追い付かない。

 じわりじわりと敗北の実感が心を蝕むだけ。


 世界が赤い。

 全身から絶えず流れる血が、目を覆っているのだろうか。


 指一本動かすことすらできそうにない。

 殴られた衝撃で体中の神経が抜けてしまったみたいだ。

 役立たずの体を動かそうとするルフィは、やがてある恐ろしいことに気が付いた。


「ゥ、タ……」


 ガープが自分をここまで殴る中で。

 その進路には自分が背に庇っていたウタがいたはずだ。


 まさか、彼女も攻撃に——


 見聞色を使う。

 千々に乱れた心で制御に苦心しつつも、半身の気配を辿った。


「……っ!」


 気配はまだあった。

 しかし、弱弱しい。

 虫と間違えてしまいそうなくらい、その気配は小さかった。


 やはり巻き込まれていたのだ。

 あの破壊の暴風に。


 ウタの気配はどんどんと弱くなっていく。

 それはつまり、その命の灯が潰えようとしていることを意味する。


「うご、け……っ!」


 行かねば。少女の元に。

 一人ぼっちにはしないと約束した。


 なのに、体はこれっぽっちも動かない。


「う……ごけっ、うごけ、うごけっ、うごけっっ」


 小さく。小さく。

 時の流れは止まってくれない。


「ぁ……」


 当然の帰結として。

 ウタの気配は完全に消えた。

 どれだけ探ろうとも、もう見つけることはできない。


 ルフィは彼女を看取ってやることすらできなかった。


「ぅ…………ぅぅ゛……………………っ」


 ボロボロと涙を流す。

 失ってしまった最愛に。

 目の前で流してやれなかったありったけを、無意味に浪費する。


 高まっていく。

 奪われた心の中心を埋めるように、煮えたぎる何かを伴って。

 歪なリズムを刻むドラムの音が。


 世界に鳴り響こうとして……


「——がっ」


 気が付けば胸に腕が突き刺さっていた。

 ドラムの音がピタリとなる。

 どれだけ息を吸っても、その鼓動が蘇ることはない。


 赤く染まった視界に男は映った。

 正義のコートを翻す、巌の顔が。


 破滅の歌・解放の戦士

 二つの厄災があろうとも関係ない。

 力でそれらをねじ伏せることができるが故に、男はこう呼ばれたのだ。


 海軍の英雄と。


「カフッ…………ぁ……ぁぁ…………ぁ゛ぁ゛っ‼」


 胸からこれまでにない血の川を作っても。

 ルフィは必死になって男の腕を抜こうとした。

 もう力など込められず、子猫よりもか弱い力で引っ掻くのが精々。


 それでも欠けた歯を食いしばって。

 噛みつくようににらんだ視線には、無意識に覇王色の覇気が込められていた。


 男はじっと、ルフィを見つめる。

 赤に染まった世界で、その中でも一層際立つ赤い液体を両目から流しながら。


「ルフィ……」


 腕が引き抜かれる。

 滴る液体が顔に垂れても、ルフィはまるで気にしない。

 貫かんばかりに男を最期まで睨み続けた。


「もし、次があるなら」


 ゴキゴキと拳が音を立てる。

 責務を果たすため、それは振り下ろされた。


「二度とっ、わしの孫に産まれるな……!!」


 額が割れる感触とともに、今まで激しく変化を繰り返していたルフィの意識はあっさりと断ち切られた。

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