砂漠のキルケー 破

砂漠のキルケー 破


 懲りもせず、また人を送りこんでくるとはな。それほどこの獅子は大物だったのか? この男がやってきてからというもの訪問者が絶えなくなり、最近は面倒になって訪ねてくるやいなや豚に変えている。原因の男はここへ迷いこんできた挙句、自ら望んで逗留し続けているんだが……。

 人間というのは信用するに値しない生き物だ。愛だのという馬鹿げた幻想には興味がない。欲情丸出しで近づいてくる愚かな連中と気まぐれに遊んでやることもあるが、そんなつまらない相手はすぐに飽きる。いつまでも執着されては厄介だから、飽きたら毒を飲ませることにしている。といっても殺す訳ではなく、従順な動物に変えてここに住まわせてやっている。多くはバナナワニの姿をしているが、数が増えたので最近は別の獣にも変えている。

 兎も角、いま現れたこの男も獅子や豚どもを捜しにきた輩であれば、このまま帰す訳にはいかない。見たところ、これまでの男たちより精悍で腕も立つようだ。勘付かれる前に特製のワインを飲ませて、お仲間と一緒に豚小屋で眠っていただくとしよう。


 中庭から館の中に入り、奥の部屋へ通す。体が沈み込むほど柔らかなソファーを勧め、よく冷えたワインと毒を塗ったグラスをテーブルに運んだ。

「ここにはお前しかいないのか」

 ワインを注いでやったグラスを手に取り、揺れる液体を眺めた後で視線を寄越す。

「長く来られない時は別の者を雇って手入れさせることもあるが、ここは獣たちと静かに過ごすための場所なんでね」

「この付近で多くの行方不明者が出ている。心当たりは?」

「もし獣たちに危害を加えようとしたなら彼らの返り討ちにあわないとは言い切れない」

「そうか……」

 ワインを口にするその瞬間、窓辺で鳥の鳴き声がした。驚いて振り向くと、窓の外を白い鳩が飛び去っていくのが目にとまった。ここで鳩など見たことがない。何かの見間違いかと考えを巡らす間に、今度は部屋の中で派手な音がした。見れば床に落ちたグラスが割れ、ワインの水たまりができている。向かいのソファーからは男の姿が消えていた。代わりに豹が一頭、淡いターコイズブルーの瞳でこちらを静かに見ている。

 

 豚にしたつもりだったが、床に落ちた衣類を見るに男が豹の姿になったのは間違いない。薬を取り違えたか? そんなはずは……。あれこれ思案するおれをよそに豹はソファーを下りて近づいてくる。おれの足元までやってくると、そこで腹を見せて寝転がった。……何かの罠かもしれない。そのまま様子をうかがっていると豹は起き上がり、いきなりおれの着ている毛皮に噛みついた。凄まじい力で毛皮を引っ張られる。何事かと脱いでやれば毛皮はその場に捨て置いて、再びおれの側に歩み寄り、体当たりするように何度も体を押し付けてくる。訝りながらも頭の後ろを撫でてやると、満足そうに喉を鳴らし始めた。そのまま膝上に乗せられた頭からは、じわりと獣の体温が伝わってくる。

 ……考えすぎか。気づけば外には夕闇が迫っていた。砂漠では昼と夜の温度差が三十度以上にもなる。ここはオアシスのおかげでまだマシだが、それでも夜は凍えるほど寒い。せっかく新しい毛皮が手に入ったことだ。今日はこの斑の猫を抱いて眠ることにしよう。

 撫で続けていた手を止め、館の点検のために部屋を出ようとすると、豹はぴったりと足に寄り添ってついてきた。

「名前くらいは聞いておけばよかったな……」

Report Page