砂漠のキルケー 急

砂漠のキルケー 急


 ここの猛獣たちは飼い慣らされた犬のように従順で、よそ者にも無関心。人を襲うこともあるというクロコダイルの話は信じがたい。ならば、行方不明者はどうなったのか? クロコダイルが殺したにしても理由がない。怪しいのは“従順な猛獣たち”だ。おれはヒョウの姿になることができるが、野性のヒョウとは違う。ここの猛獣にもそんな違和感があった。おとなしいのはともかく、獣の匂いがしない。かと言って能力者でもない。通された部屋で、あの男は常にワインから目を離さないようにしていた。確証は得られないままの賭けだったが、どうやら上手くいったらしい。あのワインを飲むと奴の悪趣味なペットにされてしまうというわけだ。

 クロコダイルを始末すれば解決するのだろうが、証拠はない。相手は王下七武海の一人だ。手を下す前に何かしらの物証を手に入れておきたい。


 着いた先は天蓋付きのベッドが鎮座する寝室だったが、おれが中に入ったことには構わずクロコダイルは扉を閉めた。そのまま服を脱ぎ始めたので、視線を床に落とす。灯りはサイドテーブルに置かれた小さなランプのみで、光の届かない床などは夜の闇の中に沈んでいる。やがて衣擦れの音は止み、ベッドが軋む音がした。頭を上げると、ベッドの天蓋から下がった薄いカーテンが手招きするように細く開けられている。その隙間に歩み寄り、おれはベッドに飛び乗った。

 裸同然の無防備な姿で横たわり、隣にやってきたおれを抱き寄せる。背中から尾の付け根までを丁寧に撫でられ、頭の奥がじんとした。おれにすっかり気を許して、これから何をされるか分かっていないのだ。逆らえないように深手を負わせてやらなくては。仰向けになった裸体の上に乗りかかる。頭の後ろで蠢く指に促され、露わになっている胸に顔を埋めた。もう相手は充分に油断している。さっさと噛みついてしまえばいい……

 気づけば、組み敷いた態勢のまま元の姿に戻っていた。流石に驚きを隠せずに、こちらを見る瞳は見開かれている。ワニのそれにそっくりだ。

「動物系か……飲んだふりをしていたんだな」

 出てくる言葉は冷静なのが憎らしい。結局肉体的ダメージは何一つ与えていないが、形勢はこちらが有利なことに変わりはない。瞳を見返す。

「お前はいつもこうして寝床に……獣を連れ込んでいるのか」

「いや、ここへ“獣”を入れたのはお前が初めてだな」

 触れた腕を冷たいと感じるほどに自分の手が熱を帯びているのが分かる。獣を入れたことがない? あのライオンもか?

「……ワニが多いようだが、豚やライオンになった者がいるのは、何か意味があるのか」

「豚はお前のお仲間たちだ。ライオンは豚どもが来始める前に迷いこんできた男で、何だか知らんが出奔してきたらしい。家に戻りたくないから獣になってここで暮らしたいだのと言って聞かねェから、何になりたいのかと……」

「もういい! そいつを今すぐライオンから蛆虫に変えてこい。ねじり潰してやる……」

 胸に額を押し当てる。こんな話をしている場合じゃないのは分かっているが、体が言うことをきかない。顔が熱い。昼間の光景が目に浮かぶ。幸せそうに撫でられるライオン。甘え切った顔。

「……お前こそ何だ? 行方不明の連中を捜しに来たんじゃねェのか?」

 そうだ……仕事として処理すればいいことだ。この男を片付ければ終わる。それだけのことが何故できない。

「これ以上、行方不明者が出なければ問題ない。もうペットを増やさないと約束しろ」


 ひとまず当初の問題は解決した。城は無人で、棲みついた猛獣が人を襲っていたことにし、凶暴なものは始末済みと報告した。しかし、砂漠のキルケーを野放しにすることはできない。

「おかしな男だ。あれほど手際よくおれを欺いておきながら、あんなライオンごときに嫉妬するとはな」

「獣になった連中などどうでもいい。おれの目的は被害の拡大防止だ」

「お前との約束をおれが守るとでも?」

「これだけいて、まだペットが必要か?」

「最後に一頭、豹が欲しくなった」

 表向きは無人の城だが、中は砂にまみれることもなく、立派な調度類に彩られている。オアシスには獣たちが行き来し、時々城の中を覗きこむ。中に入れないペットどもはキルケーの影を見ることも叶わないまま、渇いた体を潤しに泉へ戻っていく。


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