知りつつこうしてこうなった
普段は警戒して部屋に入れないだろうその人が、そういう目的で夜に訪ねていくときだけは素直に戸を開けるのがなんだかおかしかった。
他に被害を出さないためか、臥所でなにか探れることでもあると思ったのか、どちらにしてもその身を差し出すことに頓着が無いように振る舞う姿はそれでも淫蕩には見えなかった。
「お前も物好きやな、選り取り見取りちゃうんか」
「……隊長が仕事を押し付けるもので、中々機会に恵まれないんですよ」
「それでその隊長で発散しよう言うんやから、いい性格しとるわ」
あの人はいつも行為はあくまで性欲処理のためという態度を崩さず、事実その通りでもあった。愛し合うなどと言う言葉からほど遠かったというのに、あの行為そのものをそう呼ぶこともあるのは滑稽な話だ。
あそこにあったのは愛情や恋情という温度のあるものではなく、私にあったのはおそらく暴力的な征服欲だろう。誰のものにもならないものを一時でも屈服させたような達成感に囚われていた。
まるで新雪の丘に無粋な足跡を残すように、誰にも汚されないものを己の手で汚したいという欲求は本能的なものだ。たとえそれが本当に雪のように翌日には跡すら残さず一面の白に戻るとわかっていても、一時でも自らの手で汚すのは言いしれぬ高揚感がある。
あの人は私が心の内に踏み込むことをけして許しはしなかったが、それでも普段警戒し探るような目線を向ける隊長を組み敷いて女として抱いているというのは汚している気分に臥所での一時だけはなれたものだ。
なので、本当になにか残るものがあるとは考えていなかった。新雪に残した足跡が明らかな形となって眼の前に現れることになるとは、この私をしても想定外だったのだ。
考えてみれば子をなす行為をすれば子ができるのは当然で、あの人ならば望まぬ子とて殺すことは出来なかったのだろう。そういった詰めの甘さから、私に簡単に裏切られたのだから。
「オカンのこと嫌いやったから無理矢理したん?」
警戒心を顕にし、毛を逆立てる子猫のような娘はどうやらあの人のことを一方的に蹂躙された被害者だとでも思っているらしい。そんな風に思い通りになる存在であれば、今頃は娘諸共この世にはいないだろうに。
むしろあの人ならば、そちらの方がわかりやすく対応できるとでも言うのではないだろうか。掴んだ尻尾が随分とお粗末なものだったと鼻で笑うかもしれない。浦原喜助すら想定外だと唖然とするだろう。
「私が愛し合っていたと言えば君は信じるのか?」
「……ほんまやったらオカンは男の趣味悪いなとは思うわ」
「あの人は酷く不服なことだろうね、愛したことなどないのだから」
「そりゃそうやろ」
父だとわかっても敬うことすらしないのはいいが、言いつけを守らないのはよろしくない。人の過去を無意味に詮索するよりも、自分に迫るかもしれない危機に敏感になってほしいものだ。
娘が気にかけるべきはその特殊な体に興味を持つ破面や私が特別視することで狙う者であって、ありもしない母親の恋情などではない。
「聞きたいことというのはそれだけかい?これで大人しくなるのなら安いものだ」
「……オカンのこと嫌いやなかったなら好きでそういうことしたん?」
「まるで零か一かしか知らないようなことを言うな」
「だって、好きでも嫌いでもないのに、なんで子供なんか作るん」
「私は作った覚えなどなく、産んだのは君の母が……平子真子だったからだろう」
もしもあの人の胎に私との子供がいるとわかっていれば、もう少し計画を先延ばしにすることも考慮に入れただろう。おそらく優れた力を持った子供が産まれてくる。それを台無しにする可能性を考えれば数年の遅れくらいは誤差の範疇だ。
しかし裏切った男の子供を産んだのは、私にとっても理解が及ぶことではない。どういった心境だったのか、単純に自分と同じ苦しみを味わった赤子を殺すことはできなかっただけかもしれない。私の子であったことは、それほど関係はなかったのだろう。そうでなくては娘が愛されている理由もわからない。
「君の母はたとえ無理矢理その体を暴かれたとしても、君を産んだのだろうね」
「……無理矢理したん?」
「好きでもない男に抱かれるという行為のすべてが非合意ならばそうだろうな」
「答えになってへんけど」
真意を知ろうとしているのだろう、複雑な顔で考えているが子供に男女のことなどわかるはずもない。愛だの恋だのでなく利害と腹の探り合いで肌を重ねるような関係があるとは想像もできないだろう。
百年生きているとはいえ私や尸魂界に見つからないようにその人生の殆どを隠されていた娘だ。わからないのも無理はない。そういったこととは無縁の生活を送っているのだろう。
もう話すことはないと踵を返した私を、娘は引き留めようとはしなかった。これ以上聞いたところで望んだ答えは得られないと察したのだろう。それは懸命だ。できることならこれからも懸命でいてほしい。
「精々いい子にしていることだ、君を産んだ母のためにもね」
閉じる扉の向こうに見える瞳はわずかに不安に揺れていて、母娘だというのにこんなに違うものかと感心する。どんなときも私に向けて不安に瞳を揺らすことなどなかった睨みつける瞳の強さを思いながら、閉じた扉を背にした。