知らぬが仏

知らぬが仏

バレないようにしないと不味いな

 なんで恋人になってしまったんだろう、という冷静と混乱の狭間の思いが扉間の頭に浮かんだ。恋の魔法が解けて冷静になったとかではない。いや、ある意味恋の魔法が解けたとも言えるかもしれない。前世の記憶なんてスピリチュアルなことを扉間は信じていなかったが、寝て起きたら自分の頭の中に自分らしき人間の記憶があるとなれば話は別だ。ありとあらゆる精神疾患の可能性を瞬時に扉間は考えたが、解離性同一性障害になる程のストレスやトラウマがあったわけでもなく。統合失調症の陽性症状にしては冷静過ぎる自分に違う、という判断を下す他なかった。素人判断なので違う可能性は大いにあるが、病院に行くのは日常生活に支障をきたしてからで良いと扉間は判じた。

 それに扉間の目下の問題は、横に寝ている男との関係である。そもそも扉間は前世からの運命だったのね!なんて恋愛脳甚だしいことを考える男ではない。むしろ対極に居ると言ってもいい。だが、何の因果で、この男と恋人に……?ということは考えなければいけないとは思っていた。主に、前世で扉間と男の関係が冷え切っていた所為で。扉間の結論は決まっている。過去を今に持ち出さない。それで終わりだ。終わりなのだが、横の恋人には前世の記憶があるらしいのに自分との交際を求めた件だけは扉間には解せなかった。

 横の恋人、もとい、マダラと扉間が出会ったのは扉間が高校生のときのことだ。道端に寝転がっているマダラに扉間が話しかけた。元々肝の太いタイプな扉間は明らかに堅気ではなさそうなマダラに話しかけることを厭わなかった。単に扉間の目が弱い所為で、マダラの見た目がよく見えていなかっただけなのもあるが。ともかく、扉間は寝転がっているマダラに邪魔だから退くか、動けないなら救急車を呼ぶからじっとしていろ、と言った。マダラはその呼びかけにうるせぇと言いながら、自分に話しかけたらしい男の方を向いた。そして固まった。目立つ容姿の扉間はマダラの反応をいつものだな、と処理して、動けるなら早く退いてくれ、と言った。今にして思うと、前世の仇と出会った所為だが、当時の扉間の知ったことではない。立ち上がったのを確認して、その横を通ろうとした扉間をマダラが引き留めた。それが、二人のファーストコンタクトである。

 強引にマダラは扉間と連絡先を交換した。この時点で、前世の記憶からは考えられないと扉間が苦笑しながら横を見る。寝ている。そのことを確認して、扉間は再び回想を始めた。

 連絡先を渡されたものの、扉間は登録だけしてそのまま忘れていた。扉間が無視していたのではなく、普段顔を合わせない人間の連絡先なぞ誰しも忘れがちというだけである。一か月以上たったころ、登録はされているものの、見覚えのない番号からの電話を扉間は受けた。当然、マダラである。マダラは、扉間に明日会えるか、と訊いてきた。それに深く考えず会えるぞ、と扉間は答えた。時刻は深夜で、扉間は眠気に襲われ思考能力が低下しきっていた。そうとは知らないマダラが、具体的な日時と場所を言って切った。言われるがままにメモをしていた扉間は朝になって、誰との約束か忘れていた。それでも、扉間は待ち合わせ場所に約束の時間よりも十分程早くに来ていた。遅刻寸前でマダラは来た。大慌てで来たらしいマダラに扉間は、ハンカチを渡した。夏の夕暮れ時のことである。

 マダラの用事は、扉間をモデルに写真を撮らせてほしいとのことだった。それに扉間はフラッシュを焚かないのなら、と答えた。扉間の答えにマダラは瞬きを幾度かしたあと、ハッとした顔で、悪い、と謝った。まるで、扉間がアルビノであることを失念しているような謝罪。扉間がマダラに好感を抱いたのはここからである。常に付きまとってくるアルビノという事実を忘れるような男。記憶のない扉間からすればマダラはそういう男だった。前世の記憶が戻ろうが、そのときの喜びが薄れるわけではないが。マダラは頼み通り、フラッシュを焚かずに扉間の写真を撮った。場所はスタジオではなく、夕日が見える砂浜だった。散々撮られてから、扉間は思い出したかのように写真なんて撮ってどうするんだ、と訊いた。マダラはそれに、決着を付けるんだよ、と言った。どういう意味か、今でも扉間には解らない。マダラは写真家ではなく筆を取って言の葉と向き合うことを生業としていた。前世絡みだとしても、写真という手段でどう決着がつくのか、恨んだ側ではない扉間には分からない。

 マダラが寝返りをうった。向かい合う形になる。それによって、扉間が思考の海から連れ戻される。少し魘されているマダラの髪を扉間がその白い手で梳く。それでも不快そうに眉を顰めるマダラに扉間が少しの間考えるような顔をした後、子守歌を歌いだした。日本語で言うところのきらきら星である。幼少期も海外で過ごした扉間にとって子守歌はこれだった。魘されるマダラの背を叩きながら扉間も瞼を下ろした。

























 寝ている扉間の髪を撫でる。服によって隠れるか隠れないかのところに昨日自分が付けた赤が覗いている。夢現に聞いていた子守歌が頭に響く。まだ高校生のときに見つけた前世愛した弟の仇。記憶がないのを良いことに、自分のものにした。例え記憶が戻ったとしても逃がす気はなかった。扉間と出会ってからの一か月、オレは悩み続けていた。前世、愛を隠して恨みぬいた“マダラ”を慮って何も知らない扉間を弟の仇として殺し自分も死ぬか、何も知らぬ同士として、愛を隠さず扉間を手に入れるか。

 夕焼けに染まる扉間を血に塗れた死体に見立てて写真を撮った。現像した写真を見てオレは、渡せない、と思った。前世の自分なんかに、今の扉間を渡すなんて許せるはずがない。そうと決まってしまえば、オレがやることは簡単だった。頭が良いと言っても、何も知らない未成年の扉間を自分の元に引き寄せるのは簡単だった。

 本当に運が良かったのは、扉間が大学は海外に行くつもりだったことだ。扉間の頭ならどこにでも行けるだろうとこっちからそれを勧めるつもりだったのが、手間が省けた上にオレも自然な形でついて行けた。地元だと別れを切り出されたら分が悪いが他所ならどうとでも言いくるめられる。実力行使も可能だ。

 起きたらしい扉間がオレを見た。眠そうに瞬きをした後、ちゃんと眠れたか?と訊いてくる。お前の子守歌のおかげでな、と返し、起き上がろうとする扉間の腕を引っ張りベッドに引き戻した。

Report Page