真贋判定、着かず
朝の日差しに包まれて目を覚ました少年は、自身の枕元にきらきら光る、大好きな太陽を見つけた。座っているその人は自分に背を向けているようで、少年は、いつもと違う距離に不安になって手を伸ばす。
「ひらこ、たいちょう⋯⋯?」
髪を掴まれたその人は、驚いて口を開いて、次いで自分の髪を摘み上げ、それから『平子隊長』そっくりの笑顔を浮かべた。声は似ていなかった。
「ん?すまんな少年、僕キミの母さんとちゃうで⋯⋯ア、イッタァ!何すんねん真子ィ!」
「誰が母さんや、誰が。保護しただけや」
「おんなしやろ、何言うとんねん」
ぽんぽんと軽口の応酬が飛び交う空間で、少年は混乱し目を白黒させることしかできない。
「⋯⋯平子、隊長???ひらこたいちょうが二人⋯⋯」
「あぁもう、自己紹介くらいちゃんとしたらどうだい真生くん。『平子隊長』が二人に増えて困ってるだろう、彼」
「そうすけ?まさきくん?」
「やめてや惣右介くん。僕は隊長にはならんし大体真子とそない似とるわけでもないやろ。はじめまして少年、僕の名前は平子真生。平清盛の平に花見団子の子、真性包────」
「やめなさい教育に悪い」
容赦なく後頭部を叩かれて畳に沈んだ男が、恐る恐る言葉を付け足した。
「因みに、因みに言うとくとな惣右介くん。因みにやで、この自己紹介思いつきよったんは真子の方やからな」
なんか居るなぁーって思て近づいてみてみたら子供でな。近くに親も居らんみたいやったし、暫く家で保護しよ思て連れて帰ったやけど結局迎えが来んかったから名前つけて育てることにしたんや。
端的に述べた妹の手前、平子真生はア、そおとだけ返して、友人に引っ付いたまま警戒するように瞳をギョロつかせる子どもを見つめる。
「ホラもう僕んこと完全に警戒してもうてるやん。惣右介くんが雑にバカスカ叩くから、外敵認定されとるやん。あーあー、惣右介くんのせいやー」
帰ってもいいだろうか、と藍染惣右介は早くも疲れ果てて虚空を見つめていた。「子供拾た」という上司から悍ましいナニカを見せられて、一月と少し経つ。昨日、ふとその存在を思い出し、何気なく話題に出してみると「折角やし見に来るか?元気にしとるで」と信じられない言葉が飛び出した。それに対して彼は困惑をおくびにも出さず、では伺わせて頂きます、と答えた。興味はあったが同時にあの冒涜的な恐怖が上回り、一晩熟考した末耐えきれなくなった彼は早朝八番隊隊舎の寮へ突撃し、寝惚け眼を擦る友人を引き摺り出した。
尚、プライドの高さが邪魔して素直に怖いなどと言えない彼は平然と、「隊長が子どもを拾ったと言うんだけど、僕にはどうもね⋯⋯───」と困ったような心配そうな顔を浮かべてみせてた。日頃から妹の行動に振り回されている彼を見慣れている真生は、しゃあないなあと腰を上げる。最も、今朝の奇行に等しい訪問に惣右介くんも珍し、何やめっちゃ動揺しとるな、とバレていたが。
閑話休題。
ともかくその恐怖の源にしがみ付かれて、目の前の友人からは言外にそれを揶揄われて、藍染惣右介は、ため息を吐くことだけは耐えたものの遠い目をする他無かった。
「ちゅーか何で真生も来とんねん。いや別にええけど、ウチがこの家移ってから全然寄り付かんかったのに」
来客相手に湯呑みを乗せた盆を持って現れた平子真子は、当然の疑問を口にする。幼い頃はどこに行くにも一緒だった彼らだが、同じ護廷の仲間といえど隊が違えば離れる時間も長くなる。彼女は兄に実に三月は顔を会わせておらず、一月前から家に置いている少年のことを伝えていなかった。
「何でって?かわいい妹の家に、たとえ乳児でも幼児でもオトコが転がり混んどるとか、兄ちゃんそんなん許されへんよ。あかんよ、真子そんなふしだらは兄ちゃん許可できません」
「何が兄ちゃんやサブイボ立ったわ!!何やその変なテンションお前キショいぞ今日!?」
「大声出すなや寝不足やねん」
「寝不足てお前、八番隊何かあったんか」
「いやオマエの家に赤子やろうが死体やろうがオトコが住んどると思たら殺意が湧いてきて⋯」
「天丼せんでええわ、何遍この下りやるつもりやお前」
「あ、因みに惣右介くんなら可」
「⋯⋯嘘やろお前、ウチは嫌やぞ」
「そうはっきりと言われると悲しいです、隊長」
「お前もやかましわ、惣右介」
進む大人たちのじゃれあいの会話に、少年がきょろりと視線を彷徨わせる。
「おう、すまんなあ少年。ちょっと巫山戯すぎたわ」
「ううん、だいじょうぶ⋯平子隊長じゃないんだよね?」
「そ、僕はヒラコタイチョウの兄貴や。⋯あー、兄貴言うんは⋯⋯」
「まさき」
「おう」
「よろしく!あのね、おれたちはね⋯」
大事だから名前はこっそり教えてあげる、という幼子に笑って傍に寄る様子に五番隊の二人は意外な光景に目を開いた。
社交的で軽薄に見せて人に心を閉ざしがちな兄と、自分以外の存在を初めてみる拾い子に真子は双方心配をしていたが、どうやら杞憂だったらしい。
「ほなな、少年。また会おね」
笑顔で手を振って、藍染と連れ立って平子邸から足を踏み出した真生の温度が急激に下がる。隣を歩く藍染と視線は合わない。彼にしては珍しく今更ながら、口元におざなりな笑みを浮かべた友人が今日一日、少年の名前は呼ばなかったことに漸く気付く。
「惣右介くん、あの子、『普通の子ども』やんか」
「キミが、僕の妹がよう分からん虚モドキ拾た言うからちょーっと見に来てみたら⋯⋯なァ惣右介くん。キミは『アレ』が何か検討付いとる?」
「先に君の見立てを聞いてもいいかな」
「斬るべき霊。以上」
「⋯⋯随分と手厳しいな」
「キミこそなんや、絆されたか?」
「真逆」
やや嫌悪感を滲ませた藍染の声に、悪びれもせずに真生は降参のポーズを取った。だらんと勢いよく手を下げため息を付いて、俯いたまま続きを語る。
「や、期待させたなら悪いねんけどな?僕も判断付かんねん。僕かてあんなん『知らん』し。」
一拍置いて、藍染の表情を伺うと、嫌に真剣な表情を浮かべているのが目に入った。何故この友人はこんなにもアレを気にするのだろうか、と真生の心に疑問が生じる。警戒?違う。興味、が近いのだろうか?それとも、と思考を続けようとしたが、無言で先を促され、本筋に意識を戻した。
「それこそ、曳舟隊長なんかの方が余っ程判らはると思うで⋯⋯最も、今のアレじゃかなり警戒して見いひんとフツウの魂魄にしか見えんけどな」
「不定形だったんだ。だったんだけど⋯⋯平子隊長は、一体何をしたんだろうな」
宙で指先をくるりと回した藍染は、矢張りその先を口にするのを憚ったのか、ちいさく頭を降って、結局その指でメガネをカチャリと上げて先を歩き出した。
「さぁ、な」
案外、ホンマに何の警戒もナシに、抱き上げて家揚げて名前称げたただけやろうし、ええ子に育つと思うで。
片割れの思考を読むことくらい、彼にとっては文字通り朝飯前だったが、結局、その内容を友人へ告げることは無かった。
そうして、数十年後、彼はこの選択を後悔することになる。
一方。
霊王の記憶の、その知覚外の存在。使えるかもしれないな、と藍染惣右介は思考を巡らせる。死神を虚に、虚を死神に。垣根を越える研究を続けている彼にとって、降って湧いた謎の存在は恐怖であると同時に興味でもあった。
後ろを歩く男が語る通り、アレは死神というより、虚の性質に近しい。とすれば、────と思考する藍染のその優秀な頭脳は、既に利用方法を見定めつつあった。