百合花

百合花



 住宅街から少しだけ離れたところに小さな森があって、そこにひっそりとカフェがあったと知ったのは、ごく最近のこと。

 背負っていたものを下ろしたわけではないけれど、友人たちのおかげで少しだけ軽くなった気がするこの頃、周りを見渡す余裕もできて、それで気がつけたのだと思う。

 そのカフェは古民家を改装したもので、木造のシックな内装と、広いテラス、その周りに広がる静かな森の景色は、すぐに私のお気に入りになった。


「いらっしゃいませ」


 今日の客は私だけ。

 店員の少年が私をいつもの席へ案内し、注文を聞かずに奥へと下がって行く。

 私は別に呼び止めもせず、読みかけの文庫本を開いて続きを読んだ。

 店内に音楽は無い。でも開け放たれた窓から、外の森の葉擦れの音や、木々の間を飛び回る小鳥たちの囀りが聴こえていた。

 しばらくして、店員の少年がハーブティーとシフォンケーキを持ってきてくれた。

 いつも「店員さんのオススメをお願いします」としか言わない私に、彼もすっかり慣れてくれたみたい。

 アルバイトの高校生かしら。きっと私よりも歳下だと思うけれど、落ち着いた物腰で口数も少なく静かに接してくれるのは有り難かった。

 でも、今日のオススメはいつもと少し違っていて、だから私は思わず彼に声をかけてしまった。


「珍しいお茶なのね」

「ええ、工芸茶って言うんです」


 私が問いかけるのを予想していたのか、彼は席から少し離れた位置で佇んだまま待っていてくれた。


「工芸茶?」


 問いかけながら、そういえばこうして会話らしい会話をするのは初めてだと気がつく。


「花を茶葉で包んだ中国のお茶です」


 近くに専門店があり、そこで作り方を習ったのだという。


「あなたが作ったの?」

「はい。ですがこれは試作品でして……もしよろしければ、お客様にご評価頂きたいんです。もちろんお代は結構ですし、お断りなさっても構いません」


 そう言われて、私はテーブルに目を戻した。

 ガラスのティーポットに注がれたお湯の中に、丸く固められた茶葉が沈んでいた。

 お湯にまだ色はついておらず、香りもほとんど無い。

 でも、工芸茶という珍しさに好奇心をくすぐられたこと、そして常連客として彼への信頼感から、私は頷いた。


「ありがとう、頂くわ」

「ありがとうございます」


 ホッとしたように笑った彼に親しみを覚えて、私はまた言葉をかけた。


「花が包まれていると言ったけれど、何の花かしら?」

「百合の花です」

「まあ」


 思わず声をあげてしまった私に、彼の目が不安に泳いだ。


「お嫌いでしたか?」

「あ、いいえ。そうではないわ。…偶然の一致に驚いてしまったのよ」

「偶然?」

「私、あなたに名乗ったことあったかしら?」


 質問の意味が分からず眉を寄せた彼に、私は少し笑いながら言った。


「ゆり、というの。月影ゆり。私の名前よ」

「あぁ、それで」


 納得して、ホッとして、そして彼は少し緊張した面持ちになった。


「これで良いものが出せなかったら、却って失礼に当たってしまいますね」

「考え過ぎよ。でも、どうして百合をお茶にしようと思ったの?」

「その……実はこのお茶、百合花というんですが、あなたをイメージして作ったんです」

「私を?」

「ええ、工芸茶を店でお出しするとしたら、最初に飲んでいただくのは誰だろうって考えたら、あなたの姿が思い浮かびまして……あ、でも名前は偶然ですし、っていうか、そもそもこんなのちょっとストーカーみたいで気持ち悪いですよねすいません!」


 慌てて頭を下げた彼に、私は気にしないで、と微笑みを向けた。


「むしろ嬉しいわ。……せっかくだから、あなたの名前も教えてもらっても良いかしら?」

「え、あ…た、シナダタクミです。品と田で、品田」

「タクミは、師匠とかの匠かしら。それとも拓ける海の方?」

「拓ける海で、拓海です。親が漁師なので」

「そう、お父さまの想いが込められた良い名前ね」

「ありがとうございます。ゆりさんも、ぴったりな名前だと思います」

「そうね…」


 父のことを思い出すと、どうしても目に翳りが浮いてしまう。

 翳りを彼に気づかれないように、私はテーブルに視線を戻した。

 ティーポットの中で、丸い茶葉の塊がうっすらと開きかけていた。

 カララン、とドアについたベルが軽い音を立てて、新たな客が店にやってきた。


「え〜るぅ〜♪」

「拓海先輩、こんにちわです!」


 入ってきたのは、赤ちゃんを抱えた快活な少女だった。

 店員、拓海くんの知り合いみたい。


「ソラ、お前がここに来るのは珍しいな。それにエルちゃんまで連れてきたのか?」

「はい、ご迷惑かと思いましたが、エルちゃんがパパに会いたいって泣き続けるもので」


 困ったようにため息をついた少女・ソラさんの腕に抱かれて、赤ちゃんが「えるぅ♪」と可愛い声をあげながら拓海くんへ手を伸ばした。


「えるぅ〜、ぱぁぱぁ〜♪」

「仕方ないなぁ、エルちゃん。はいはい、パパですよぉ〜」

「えるっ♪」


 ……あなたがパパ?

 ここの店長さんの子供とかじゃなくてあなたがパパ!?

 どうみても私より歳下で高校生ぐらいの君が!?

 ……あなたも苦労しているのね、拓海くん。


「ぱぱ〜💕」

「エルちゃ〜ん💕 ……あ!?」


 盛大に親バカをやっていた拓海くんが私の視線に気がついて、固まった。


「あ、いや、これは、その!?」

「いいわ、気にしないで………人生色々よ」

「そこまで込み入ってないですから!?大した事情じゃないですから!?」


 慌てる彼の横で、ソラさんもこちらをみていた。


「あの…もしかして、キュアムーンライトさんですか!?」

「え?」

「私です、キュアスカイです!」

「え? ええ!? あのヒーローガールの!?」

「はい!広がるスカイのソラ・ハレワタールです。先日はお世話になりました!」

「そう、あなただったの」


 以前、とある事情で共闘したプリキュアの一人が、あなただったなんて……

 というか、それを堂々とここで言ったということは、拓海くんも、もしかして?


「まさか、拓海くん、あなたがブラックペッパー?」

「はい…いやまさか、ゆりさんがあのムーンライトだったなんて、俺もビックリです。…むしろソラ、お前はなんでわかったんだ?」

「えーっとですね…………匂い?」


 匂い!?

 そんな、私そんなに匂っているの!?

 思わず自分の着ている服の袖を嗅いでしまった私に、拓海くんが慌ててこう言った。


「あ、大丈夫です! こいつの嗅覚が犬並みに凄いだけですから!」

「えへへ、拓海先輩に褒められちゃいました💕」

「褒めて──褒めてるけど、そこじゃない!」

「えるぅ〜?」


 服の匂いを嗅いでいた私の鼻腔を、爽やかな香りがくすぐった。

 顔を袖から上げると、テーブルの上のティーポットの中で、大輪の花が咲いていた。


「うわー、綺麗ですね!」


 ソラさんが目を輝かせながらそばに寄ってきた。

 その瞳は拡がる青空のように澄み切っていた。

 その横に、エルちゃんを抱いた拓海くん。若いのに、父親としての愛に溢れているその姿。


 広がる空と、拓けた海、そして開いた百合の花──


 昼下がりの、お気に入りのカフェで、私は自分の世界がまた拡がったことを知った。

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