白雪姫のそれから

白雪姫のそれから

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昔々あるところに、それはそれは美しいお姫様がいました。

唇は薔薇のような紅色、髪は黒々と輝き、肌は雪の白さ。白雪姫と名付けられた彼女は、その美しさゆえに継母の女王に妬まれ、命を狙われました。

猟師に逃がされ、七人の小人にかくまわれたものの、老婆の姿に変身した継母によって毒の林檎を食べさせられ、覚めない眠りにつくこととなったのです。

けれど、そんな彼女のもとを訪れた王子が、愛を込めた口づけをしたことによって継母の呪いは解かれました。愛こそは、あらゆる邪悪の魔法を打ち消す最強の魔法だったからです。

継母は天の罰か、雷によって撃たれて国からいなくなっており、白雪姫を害する者はもういません。

 

白雪姫は七人の小人に祝われながら、王子と結婚式をあげました。

 

めでたしめでたし。

 

これは、その後で起こった小さな物語。

 

 

式を終えた後、白雪姫たちには仕事がありました。

継母がいなくなった後、残されたさまざまな魔法の道具を掃除するという仕事です。

怪しげな薬品、使い込まれた大釜、籠の中のカラス、不気味な書物などなど。

そのままにしておくには、危険であろう品物がいくらでもあります。

 

「全部焼いてしまえばいい!」

 

手伝いに来てくれた七人の小人の一人、短気なおこりんぼうが怒鳴ります。おとぼけがうんうんと頷いて賛同します。

 

「いやいや、乱暴に片づけて呪われでもしたらことだ」

 

先生が慎重に反対します。おとぼけがうんうんと頷いて賛同します。

 

「魔法に詳しい奴がいればいいんだが……うう……こう埃っぽいとクシャミが、ハァ、ハァ、ハーックション!!」

 

くしゃみが放った特大のくしゃみが、そこらの道具や本をまとめて吹き飛ばしました。テーブルも鉄の大釜もひっくり返り、籠が壊れて中のカラスが鳴いて窓から逃げ出していきました。

 

「とりあえず、カラスは片付いたな」

「そうかも」

 

ごきげんが前向きに言い、てれすけが小さな声で同意します。

しかし、前より更に散らかった魔女の部屋は、前より更にどこから手を付けていいのかわかりません。

 

「ふわ~、早くどうにかしないと日が暮れちまうよ……。おぉ、眠いはずだ。窓の外を見ろ、もう真っ暗だ」

 

ねぼすけが部屋の壁を指さすと、確かに向こう側が真っ暗なガラスらしいものがありました。しかし、

 

「いや、こいつは窓じゃない。鏡だ」

「そうみたいだわ。でもどうして、真っ暗なのかしら」

 

王子と白雪姫が、壁にかかった鏡を眺めていると、

 

『――それは、魔法の鏡だからです』

 

真っ暗な鏡に、奇怪な顔が浮かび上がりあました。男の顔でありながらどこか非人間的で冷たく、顔以外は手足も胴体もない何者か。

 

「きゃあっ」

「何者だ!」

 

悲鳴を上げる白雪姫をかばって前に出る王子に、鏡に現れた顔は答えました。

 

『私は魔法の鏡……女王は【鏡に閉じ込められし男――鏡の中の奴隷(Slave in the Magic Mirror)】と呼んでいました』

「ど、奴隷? それは……酷いわね」

 

白雪姫はその呼ばれ方に眉をひそめ、鏡の顔に同情の目を向けます。

 

『私はこの鏡の中から多くのものを見ることができ、それを教えることができます』

「ははぁ……女王は何でも魔法でわかると噂されていたが、そのタネはあんたか」

 

先生の推測は合っていました。

 

『そうです……どんな質問にも答えられる魔法の鏡、それが私です』

「ということは……あっ、さてはお前が女王に白雪姫の居場所を教えたな!」

 

おこりんぼうは気づきました。白雪姫が毒林檎を食べさせられたとき、どうやって女王が小人たちの家を知ったのか。

 

『その通り』

「このっ!」

 

おこりんぼうを筆頭に、七人の小人たち全員が顔を険しくして今にも鏡を打ち壊そうとしそうになった時、

 

「待って!」

 

白雪姫が止めました。

 

「その、鏡さん。貴方は自分から女王の部下になったの? それとも女王に無理やり働かされていたの?」

 

奴隷とは呼ばず、白雪姫は鏡に問いかけました。

 

『部下……いいえ、私は道具です。そのような関係とは言えないでしょう』

「道具か……ううん、それなら持ち主の責任であって、道具に罪はないともいえるが」

 

王子はやや納得しかねる様子でした。

 

「だが、道具と言っても君には自分の意思があるように見える。悪い命令に逆らうことも出来たんじゃないのか?」

 

愛する女性が危険な目にあった原因の一つを簡単に許すわけにはいかず、王子は問い詰めます。小人たちも頷き、睨みました。

 

『……確かに、私は意思があります。その意思によって、相手が誰であろうと問いには答えると決めているのです』

 

その答えには、強い決意のようなものが感じられます。機能として、そのように出来ているのではなく、鏡の顔の判断でそうしているというのです。

 

「なぜ? 悪いことだと思っていても、教えるということでしょう?」

『はい。しかし、悪い願いかどうかは、私が判断してはいけないことです』

「それはおかしいわ。貴方には心があるのに、誰がいけないなんて言ったの?」

『……遠い昔、もう薄れ、擦り切れた記憶、まだ私が鏡の中に入る前に』

 

顔の声に悲しみを感じた白雪姫は、その優しいまごころから、この顔に寄り添ってあげたいと思いました。

 

「良かったら、話してくださらない? 貴方の身の上を」

『……かつて、私は魔法使いでした。他者の願いを魔法で守り、叶えてやることを務めとしておりました。多くの願いを叶えるうちに、願いを叶えてほしがる多くの人々のために国をつくり、私は王となりました。しかし……私は王として、国のためにならないと思われる願いを叶えるのをやめました。願いを叶えると言って預かりはしても、その願いの記憶を忘れさせ、叶えてやらないことにしたのです』

「……王の判断としては、理解できないわけではないが」

 

王子は難しい顔で評します。

 

「俺は、それは嘘をついてることだから良くないと思うけど……」

 

くしゃみは別の意見を口にしました。どちらの意見も正しいことです。

 

『しかし願いを叶えないことに不満を抱いた者はいました。その者は国の法を破って反乱を起こし、私も対抗するために攻撃し……結果、民を傷つけてしまいました。争いに敗れた私はこの鏡に閉じ込められ……それからどうしても出ることが出来ず、私はしばらくの間、心を閉ざし、何もしませんでした。その間に私の国がどうなったかはわかりません』

「お気の毒に……」

 

安易に誰が悪いとは言えずとも、顔が完全に悪いとは思えない白雪姫はいたわりの言葉をかけます。

 

『それから長い年月がたち……ある日、私の前に誰かが立って、些細な疑問を口にしたのが聞こえました。私は鏡の中にいても遠くのものが見えて、ものごとを知る魔法は使うことができましたので、気まぐれにその疑問の答えを出してやりました』

 

鏡の顔は、長いこと誰とも話さずにいて、心を閉ざしながらも人との繋がりに飢えていたのでしょう。

 

『急に鏡から答えが出たことに、その人は驚きながらも喜んでお礼を言ってくれました……。そうお礼を……感謝をしてくれました。その時、長い間冷たい闇の中にいた私はようやく……少し暖かいと感じました。それからというもの、私は『魔法の鏡』となり、質問に答えることにすると決めました。そしてもう不満に思われないよう、どんな願いであれど選り好みせずに答えることも……。女王の問いに答え、貴方を危険にさらしたのはそれが理由です。白雪姫よ』

「まあ……感謝してほしいというだけなんてそんな……」

 

白雪姫はなんだか酷く悲しい気持ちになりました。おそらくは誰もが欲しがるでしょう魔法の鏡が、そんな殊勝な思いで勤めを果たしているだなんて。鏡に閉じ込められ続けるなどという、どんな罪があったにせよ重すぎると思える罰を受けた人間が、ただそれだけの報酬で満足しているだなんて。

 

「そいつは……ちょっと無欲すぎじゃないかい?」

「ああ、俺たちだって白雪姫をかくまう代わりに掃除や料理をしてもらったんだ。もっと貰ってもいいと思うぜ」

「大体、あの女王が感謝なんてしたのか?」

 

てれすけ、ごきげん、おこりんぼうも言います。

 

『ああ、確かにあの女王は感謝してくれたことはありませんでした。いい主人ではなかったですね……』

「あの……鏡さん。貴方、何かお好きなものはない?」

 

自分に苦難を与えた元凶の一つであることも忘れ、白雪姫はこの苦労を重ねたらしい鏡の顔をねぎらってあげたくてたまらなくなりました。

 

『好きなもの……ああ、こうして人としゃべるのは好きだったように思います。あとは……お茶が好きでした』

 

確かに話し出すと、鏡の顔はよくしゃべります。身の上話までしたのは、人との会話を求めていたこともあるのでしょう。

 

「お茶……ここにはある?」

『……その後ろの棚にあるヤカンや器は、魔法の薬をつくるためのものですが、洗っていて奇麗です。茶葉は……右の箪笥に調合用の紅茶があります。あまり質の良い葉ではないですが』

 

教えられた白雪姫は、小人や王子にも手伝ってもらい、水を入れ、火を起こし、てきぱきと温かいお茶を用意しました。

 

「お口に合うといいのだけれど」

『ああ……嬉しいのですが、鏡の中から出られない私は、そちらのお茶に触れることはできないのです』

 

茶を差し出した白雪姫に、少しうろたえながらも鏡の顔は茶を断ろうとしました。

 

「考えたのだけれど貴方の鏡に、このお茶を映したらどうかしら。こちらにあるお茶は触れられなくても、鏡に映ったお茶なら飲めるかもしれないと思って」

『……え?』

 

考えてもみなかったことに顔は間の抜けた声を上げました。あまりにも素人考えな思い付きでしたが、確かにやってみたことはありません。

鏡の顔はまさかと思いながらも、自分のいる鏡に茶が映り込むにしてから、カップの縁に口をつけてみました。

 

『……触れられる! これは、熱い!?』

「まあ良かった! 飲んでみて、火傷に気を付けて」

 

我がことのように喜ぶ白雪姫の前で、呆然としながらも顔は茶を少しすすってみました。すると確かに、紅茶の香りと味が感じられました。

 

『……温かい、味だ。紅茶の、香りだ。もう何年? 何百年? 飲んでいなかった……そうだ、まさかこんな、なんと……なんと……』

 

やがて鏡の中に、顔のほかに手が現れました。手でカップを持ち、ゆっくりと傾けて紅茶を飲んでいきます。紅茶は更に現れた喉を通り、新たに生み出された胴体へと流れ込んでいきました。紅茶が飲み干されたとき、鏡の顔は、五体全てを備えた鏡の男となっていました。

 

『うう……くうっ……ありがとう、美味しかった……ああ!』

 

鏡の男は泣きながら天を仰ぎます。

 

『そうだ、これだ。願いを叶えるとは、慈悲とは、優しさとは、感謝とは……自己満足のためではなく、心からの……ただ相手を想う気持ちが……これが、『愛』というものか!』

 

世界のどんなものでも魔法で見て、知ることが出来た魔法の鏡は、今、自分が知らなかったことを、否、忘れていたことを思い知ったのです。

 

その瞬間、鏡全体が怪しい緑の光に染まり、次の瞬間には目もくらむような白い光によって緑の光が吹き飛ばされました。

 

白雪姫たちが眩しさに目をそらし、そして視線を戻した時、鏡の前に品のいい身なりをした、壮年の男性が立っていました。

泣いたことで目を腫れさせてはいましたが、大分ハンサムな面持ちの男。しかし、その顔には面影がありました。

 

「……ああ! まさか、まさか鏡の中から出れる日が来ようとは!」

 

男は万感の思いを込めて喜びを叫びました。

 

「鏡さん、なの?」

「ああ! 姫! 白雪姫! そうです、私は鏡の男……ああいや……」

 

男は視線を上に向け、自分の記憶を探り、

 

「マグニフィコ……それが両親からいただいた私の名前です」

 

マグニフィコと名乗った鏡の中にいた男は、優雅な動きで白雪姫の前にひざまずきました。

 

「白雪姫……貴方のおかげで、私は鏡の闇から解放されました。ありがとうございます。心から感謝します。どうか、どうか貴方に仕えさせてください」

「えっと……そんな突然のことで……どうしましょう」

 

白雪姫が助けを求めるように王子を見ます。王子は力づけるように頷き、

 

「白雪姫の騎士になりたいということかい?」

「従者でも執事でも、御恩を返せるのならどんなことでも」

 

王子がした質問に、マグニフィコは実直に答えます。

 

「ならひとまずは……僕らの相談役になってもらおう。姫の国は女王が急に消えて、それは良かったことだけど、別の仕事も色々増えている。王としての経験があるというなら、それを生かしてほしい」

「失敗した経験でよろしければ、喜んで」

「だから……君が悪いと判断したことは、ちゃんと言ってくれよ?」

「……はい。かしこまりました、旦那様」

「旦那様……ふーん、結構悪くないなぁ」

 

白雪姫の夫であるという栄光をくすぐられ、王子はマグニフィコのことを大分気に入ったようでした。

 

「ふふ……わかりました。人が増えるのはいいことですわ。お給料はどれくらいにすればいいのかしら?」

 

白雪姫も機嫌よく受け入れることにし、ひとまずの待遇をどうするか考えることにしました。

 

「給料などそんな。私は少しの感謝の気持ちさえあれば……ああ不味い。長い目で見れば、タダ働きは双方にとって良くない。そうですな……常識的な賃金と、あとは……紅茶とクッキーあたりを支給していただければ」

「いいわ。では部屋の片づけがひと段落したら、お茶の時間にしましょうか」

 

お茶とお菓子を食べれそうだと聞いて、七人の小人たちは喜びを目に浮かべます。

 

「どうやら丸く収まったようだし、仕事に戻ろうか」

「そうだね」

 

先生とねぼすけが言い、おとぼけがうんうんと頷いて賛同します。

 

「ふんっ、おい新入り! サボると承知しないぞ!」

「うん? はは、了解だ。先輩」

 

口は悪くとも、マグニフィコを受け入れたおこりんぼうに、マグニフィコがついていきます。

 

白雪姫は、これからは今までよりもっと素晴らしい日々になると思いました。

 

その考えは正しいものでした。

 

白雪姫と、王子と、仲間たちは、それからも幸せに暮らしました。

 

めでたしめでたし。

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