異界の祭日
一人の少女が窓の外を見て、薄暗い森の中に陽光がちらつくのを確認して首をかしげる。
普段ならばとっくに採集に出ているはずの時間。だというのに、なぜかのんびりしている同居人に、少女は声をかけた。
「ねえデル、採集に行かないの?」
「そりゃ、今日は死に日だし……そっか、茜は初めてか。死に日」
「……何それ?言語自動翻訳でわかるけどなんか物騒な呼び名の日じゃない?」
「毎度言ってる気がするけど言語自動翻訳便利だね~~!同じ発音の音楽の日と区別できるんだ?!」
「意図的にだまそうとしない限りは伝えたい意図込みで翻訳してくれるっぽいよ」
「いいな~。前例のないスキルの中でも特に大当たりじゃん」
「それよりも、何よ?死に日って」
まだこの世界に転移して日が浅い茜に問われて、彼女を保護しているエルフの青年デルは椅子に深くもたれたまま解説をはじめた。
「治癒の神の祭日だよ。治癒の神が起きていろんな祭事を一気に片付ける日。治癒の神については覚えてるかな?」
「うん、最初に魔法教えてもらう時ついでに教わったよね」
そう言いながら、茜は頭の中で軽く治癒の神の事を思い出す。
個人としての名は固く封じられており、常に寝ていて夢から世界中あちこちからの願いに広く応える治癒の神。
威光が届く場所に傷や病は存在できなくなるほどの強力な神故に、夢と現実を隔てながらも確実な治癒を与えてくれるのだという。
「……治癒の神って夢の中にいるから世界のどこにでも加護与えられるんだったよね?つまり、起きてる今日は治癒魔法効かないってこと?」
「ほぼ正解。あとどうしても仕事片付けるために本殿に籠るから、病魔たちがめっちゃ活発になる」
「ヤバくない?」
「ヤバいよ?だから治癒の神の守り札のある場所に籠ってなきゃいけないんだよ。ほら、窓の外をよく見てみるといい」
デルに言われた通りに、茜は窓から外を覗き見る。
先ほどは陽光の具合しか見ていなかったから気づかなかったが、あまり快く感じない色合いの靄があちこちに漂っていた。
「うわ、モヤモヤしてる」
「病魔だね。普段はここまで視認が簡単になるほど濃くならないんだけど、死に日はどうしてもね……」
「こんな明確に病気が居るの、ちょっと不思議な感じ」
「君の故郷にはいなかったのかい?」
「うーん……別の形で認識してたかな。少なくとも神の威光で払うもんじゃなくて、もっと物理的手段が効くもんだったよ。手洗いうがいで病気の素を体の中に持ち込まないようにしたり、悪くなった食べ物に火を通したり、そもそも悪くなりすぎてるものは食べないとか……町の事思い出してちょっと気持ち悪くなってきた」
治癒の神の加護を使えば、味はひどくても腐肉すら食べることが可能というのは茜にとって最も大きなカルチャーショックだった。
この世界の人々でもさすがに虫が湧いたものは食べないが、それはただ単に虫部分には肉を対象にした治癒魔法が効かないからである。
転移直後はこの世界のそこそこ栄えた都市に出たものの、日本出身の茜はその都市の衛生観念に耐え切れず森へと逃げだしてきたのだった。
「新鮮さで言えば森のものを採取したり、自分で畑を作るほうが確実だからね。エルフも正直人間の都市の治癒の神だよりはあまりいい気分じゃないかな」
「……もしかしてだけど、治癒の神が起きる日が死に関する日って言いだしたの人間種だったりしない?」
「よくわかったね」
「わかるよ。病魔がうろうろしてる上に水も食料も汚いのしかない中で丸一日すごすんでしょ?滅茶苦茶弱って魔力も目減りして、いざ翌日魔法使おうとしたら治療分の魔力を差し出せない……なんて流れが想像できた。デル、やっぱ普段から物理的にもきれいにしておくべきだわ。治癒の神だよりは危ない」
「もっといろんな神にバランスよく頼れとはよく言うけど、物理にそこまで信頼置いてる奴は多分この辺じゃ茜ぐらいだよ」
「そもそも神との距離感が遠い世界出身だし。あ、信仰心とかが無いわけじゃないけど、生活必需品みたく扱わない感じ」
そういわれて、デルは興味深げに「ふむ」と声を出した。
そのままなにがしかの思索に入り込んでしまったデルに一言声をかけて、茜は鳥と野菜の世話に向かう。
渡り廊下で家と接続された小さな農園に踏み入ると、張り巡らされた結界にベッタリと病魔が張り付いてるのが見えた。
「ぅぇっ 普段よくわからないけど、結界ってちゃんと結界やってんのね……なんで渡り廊下があるのかもわかったわ」
普段農地の世話は早朝の採取が終わってから行うので、いつもと少しずれた時間の活動。
茜は野菜や果樹に水やりをして、目につく範囲の雑草を取る。そしたら雑草と鳥の乾燥餌を混ぜてから鳥小屋に入る。不可思議そうに茜を見る鳥たちを横目に餌箱に餌を入れてやり、餌箱に鳥が集まる隙に模様で無精卵を識別して回収する。
そして治癒魔法をかけようとして、彼女は今日が死に日であることを思いだした。
「うーん……異世界のタマゴも洗うの厳禁なのかな……今度鳥の健康祈願しに行くときについでに神託料払って鳥神に聞いてみるか」
茜がそう独り言を言いつつタマゴを入れたかごをもって家に戻ると、デルが顔を赤くして苦し気に浅い息をしているのを見つけた。
「……ぅう゛……」
「えっ?!ちょっとの間になんでそんな体調崩してるの?!」
「あ、あぁ……茜。すまない、知恵熱が……今日は死に日なのにいつものように考え込んでしまって」
「知恵熱で?!」
これもまた死に日にはよくある事。
多少の不調でも病魔は容赦なく牙を剥く。それを避けるため些細な事でも治癒の魔法を使ってしまうため、つかえない時に大げさなまでに調子を崩すのだ。
「うーん……いや、うん。前の世界にもあったよ。そういうかんじのやつ」
ソファにデルを寝かせ、タマゴでスープを作りながら茜は彼の気を紛らわすように喋る。
「南極っていう、特定の生き物しか存在できないような場所に長期間いるとね、ここで言う病魔が一切いない土地だから病気に耐性なくなっちゃうんだって」
「その……たいせい、という言葉は、こちらにあまり概念が浸透していないな」
「でしょうね。つまり何が言いたいかって言うとね、慣れてないと直面した時に大ダメージになるって事。今のデルみたくね。ほい、スープできたよー。飲みなー?」
「うぅむ……恵みに感謝いたします。あと作ってくれた茜にも感謝します」
「いただきますに圧縮してもいいんだよ?」
「なんか慣れないからヤダ……やっぱ新鮮なタマゴで作った食事は美味いな……」
そう言って普段と違い静かに食事するデルを見ながら、茜はふとした疑問を口にした。
「……何をそんなに考え込んで熱出したの?」
「こちらと君の世界の、神の近さの違いについて。前々から研究してたことではあったから」
デルが森の中の集落から離れて過ごしていたり、異世界からの迷子の茜を保護している理由のほとんどがそこにある。
神について称賛以外の事を考えるだけならともかく、文書や会話などで形にすることは不敬になりうると恐れられる行いである。故にデルは集落から離れた場所に個別に家を建てて暮らし始めた。
そこに、森の外からこの世界の神を敬っていない異界の人が来たのだ。研究対象として保護するのは彼にとって自然な流れだった。
「言ってたね。現状の研究だと、子供の方が神様と近いんだっけ?一応大人も声ぐらいは聞こえるけど、子供だと加護伝いで姿もくっきり見えるとか」
「ああ。見える強度は人によるけど スープおかわり」
「はいはい、まだあるから沢山お食べ」
「わーい」
茜がさっと注いだ二杯目のスープを渡されたデルは、再びカップに口をつけながら考えていたことをこぼしていく。
「神が遠くなるのは、神が力を貸さなくなるからと言われてるんだ。子供が近いのは、子供は弱くて命の危険があるから、たくさん神に頼る必要があって近い。大人になるほど成長して強くなるから神の助けが要らなくなる。なら、君の世界と俺らの世界での距離の違いは何なんだろうと思って」
「そう言われてるって前提があるとドツボにはまるのわかる気がするわ」
「だろう?君の世界が神に見放されたとも考えられるし、君たちの方が成長してるとも考えられる」
「そもそも世界の仕組み違うっぽいから気にしてもしょうがなくない?って思うけど」
「それで済めば俺は研究者なんかになってないんだ おかわり ついでに君の見解を聞かせてくれ」
二つ返事で、三杯目のスープが供される。
茜は何を言うか少し考えて、やはり考えるだけ無意味だなと思った。
「そもそも神様との触れ合いがあまりないとこから来たからなーんもいえんわ。デルの出した2択のどっちともいえない……けど、子供の方が神様に近いみたいな考えは私のいたとこにもあったよ」
「ほぅ?」
「幼い子供が死に安いっていうのもあって"7歳までは神の子"なんて言われてたし、小さい子供が何か不思議なものを見聞きする話も胡散臭いオカルトの範囲だけどよくあったよ」
「明確な加護はないんだったよな?それでもそういう話はあるんだな」
「うん。あとそもそもだけど、人が神に祈願する事自体は別に珍しい事じゃなかったよ」
「……余計わからなくなってきた」
「私も自分で言っててよくわからん……なんか宗教的にも私の故郷は世界的に見て特異らしいから……」
茜は自分の言葉で頭を抑えたデルに、氷魔法で冷やした布をあててやる。
そうして当たり前に魔法が使えている現状をみて、茜の口からぽつりと疑問が湧いて出た。
「なぜ私が異世界転移してきたんだろ?こんなに神様と近い世界なら、小さい頃神様と近かった人の方が良かったんじゃないかな」
茜には幼少期、そうした不思議に遭遇した記憶はない。
「忘れてるだけじゃないか?どの世界でも子供はまだ仕上がる前の存在なんだろ?作りかけの船に積み荷を乗せられないのと同じだよ」
「だったら、申し訳ないなあ」
「そう思えるならきっと君がここにきて正解だったんだよ。少なくとも俺の世話してくれるの茜ぐらいだし……他の人たぶん里とか街で暮らしちゃうから……」
そう言って弱ったところを見せられては、茜も勝手にセンチメンタルに陥るわけにはいかなかった。
病魔がべしべしと靄のまま窓をたたくのを威嚇しつつ、デルの世話を焼く。
茜にとって初めての異界の祭日は、初めてのことだらけながら日常としてゆっくり消化されていった。