異世界の冒険(レイちゃん救出編・前編)

異世界の冒険(レイちゃん救出編・前編)


ここは、"世界の歌姫"ウタが作り出した、何もかもがウタの思い通りになる世界、ウタワールド。その身に宿したウタウタの実の能力で作り出した世界だ。


この世界にいるのは能力者であるウタと、現実世界でウタの歌声を聞いた人がこの世界にやって来るのみ……の、ハズだった。

この世界を作り上げたウタがウタワールドで出会ったのは、自身と同じようで、色々違う自分自身。それも一人や二人では無く、十数人は下らない。


あるウタは、幼馴染みの少年、モンキー・D・ルフィと共にフーシャ村を旅立ち、今や新世界を往く"四皇"麦わらの一味の大幹部。

あるウタは、海賊嫌い極まって、ライブに襲いかかる海賊や悪人を片っ端から鎮圧しつつ、未だ大きくうねり熱狂する大海賊時代への怒りと憎しみを燃やし続ける。

あるウタは、ホビホビの実の能力で生きる人形に変えられてしまった。たった一つの希望をくれたルフィと共に海へ旅立ち、紆余曲折を経て見事元の姿を取り戻すに至る。

またあるウタは、大海賊時代とは無縁の近未来世界の住人。"音楽の国"エレジアを滅ぼした魔王"トットムジカ"を炊事掃除洗濯に身の回りの世話まで、便利な執事感覚でこき使っていた。


とどのつまり何が起きたのかと言うと、ウタワールドを作り上げた際、何かの手違いで"能力者のウタ"以外のウタが存在するありとあらゆる世界が繋がり、その世界のウタが集まってしまったのである。どういう訳かその数は今も増え続け、ウタワールドには様々な世界からやってきたウタ達がこの現状を割とあっさり受け入れ、それぞれ自由気ままに過ごしていた。

元の世界では極悪無比な存在だったウタも何人かいたし、それ故初めの頃は相容れないウタ同士での戦争じみた戦いも勃発した。

が、あるウタは別世界のウタ同士で妙な化学反応を起こして毒気を抜かれ、死への恐怖すら無かったハズの狂人的なウタはテレビゲームで失敗して恐らく生まれて初めて結構な精神的ダメージを負い、またある時には喧嘩両成敗とばかりにまとめてぶっ飛ばされて鎮圧されたりと、それぞれ痛みを伴う出来事を経験していた。

おかげでこのウタワールド内において、戦争じみた大事件や乱闘騒ぎはここの所起きていなかった。だが────


「あっいた! パワーちゃん大変! 大変だよ!!」

「ん~? 何じゃ、騒々しい……まさかと思うがあの頭新時代の呼び出しじゃったらワシは具合が悪いと言って誤魔化せ。ヤツにぐいぐい詰められるのはもう御免じゃからな……」


酷く慌てた様子で駆けてきた一人のウタに対し、"パワーちゃん"と呼ばれたウタが面倒くさそうに頭を掻いた。しかし、そんな彼女に駆けてきた方のウタが叫ぶように告げる。


「それどころじゃないよ! レイちゃんが……!!」

「レイが……? まさかワシの娘に何かあったのか!?」


それまで面倒くさそうに身体を横たえていた"パワー"が飛び起きると同時に、駆けてきたウタが息を切らしつつ答えた。


「それが……レイちゃんが別世界に飛ばされちゃったの!!」

「……ハァ~~~~~!!??」


ここに、一人のウタを巡る大事件が幕を開けるのだった。



「それで、ワシの娘はドコに飛ばされたんじゃ!?」

「……あそこに見える裂け目に吸い込まれてったの。ごめん、私達が近くに居ながら……」


"パワー"に事情を説明していたウタが空の方を指さすと、ウタワールド特有の美しい空の真ん中に、光を放つ裂け目のようなモノが浮かんでいた。つい先程まで"レイ"という幼少期のウタを囲んで複数人のウタが一緒に遊んだりそれを見守ったりしていたのだが、突然の揺れと轟音と共に空にあの裂け目が現れたのだという。

現れた裂け目は一気に広がり、その中から目映い光を放ちつつ竜巻のように辺りを吸い込みだした。周辺に居た大人のウタ達はそれに何とか耐えたが、子供のレイの小さな腕ではそれに耐えられず、裂け目に飲み込まれてしまったのである。風が収まると同時に光の裂け目は少しずつ狭まり、今は一先ず静かに佇むのみだ。

事の顛末を聞いた"パワー"が口惜しそうに空の上の裂け目を睨む。


「何という事じゃ……!」

「今、トットムジカの私にあの裂け目がどうなってるのか調べて貰ってる。どう? 何か分かった?」


その問いかけに、裂け目の真下付近にいたダボダボのシャツを着たウタが気怠げに首を振った。空へ向かってガー、と一声掛けると、裂け目の付近にいたウタが心底イヤそうな顔をしながら降りてくる。降りてきたイヤそうな顔のウタと一言二言交すと、気怠げなウタが近づいて来た。


「……やっぱり難しそう。裂け目に手は通るから、広げればあたし達も通れると思うんだけど、ちょっとやそっとじゃ開きそうにないね」

「そっか……」

「そもそも、あの裂け目はなんじゃ? 別世界がどうとか聞いたが」


"パワー"が裂け目を指差し聞くと、気怠げなウタが目線だけを向け答える。


「……あの裂け目の先がここじゃないウタワールドって事は確かみたい。別世界のウタが作ったウタワールドと、あたし達がいるウタワールドが繋がっちゃったって事ね」

「つまりはあの裂け目を通ればレイの飛ばされた世界に行けるんじゃな?」

「それはそう。けど、通る為には広げなきゃ。でも広げ方が分からない。あれは、ウタワールドに現実からやってくるのとは違う……例えるなら、別世界同士の接触事故で急に開いちゃったような扉だから、どう開けば良いか分からないんだ」

「そっか……ありがと、取り敢えずそれで十分。あっちには帰って貰って」


労いの言葉を受け、気怠げなウタは後ろに控えていたイヤそうな顔のウタに合図を出す。そのウタはギリ、と歯を噛みしめると、いつか絶対に殺してやる、と物騒な捨て台詞を残しその場から消え去った。それを見送り、労いの言葉をかけたウタが腕を組み、ため息をついた。


「さて、困ったな……」

「……まあ、取り敢えずはここのウタワールドを作ったあたしを待つしかないんじゃない? 呼んでるんでしょ?」

「何を悠長な! あっちの世界がウタワールドだとしてもじゃ!! あっちに広がっているのがどんな世界かもわからんじゃろう! ここも大概じゃが、酷い環境だったらどうする! ワシの娘に何かあったらどうするつもりじゃ!!」

「分かってるよ、まずは落ち着いて」


声を張り上げる"パワー"に対し、まくし立てられたウタは冷静に"パワー"に向き合った。

"パワー"も"レイ"も、元は別々の世界に存在するウタである。当然、縁も所縁も存在しない。それが何故"パワー"がレイを自身の娘と呼んで憚らず、これ程までにレイの為に声を上げるのか。それには二人のそれぞれの世界での出自が関係していた。

"パワー"は自身を世界の創造主たる天竜人……の更にもっと上、事実上の世界の頂点を自称して憚らず、本来なら民衆が恐れ敬う天竜人を大声で散々にこき下ろす程度には頭のネジがぶっ飛んでいるウタである。余りに自分勝手で暴力的な振る舞いを皮肉ってか、誰とも無く"パワー"と呼ぶようになった。

"レイ"は、元いた世界ではその"パワー"が自称した"世界の頂点"の娘という出自を持つウタだった。元の世界での余りにも悲惨な境遇からココにやって来たのは如何なる奇跡か、あるいは天の導きだったのだろうか。レイはこの世界で、自身を世界の頂点、すなわちレイの親と同じ人物を(勝手に)名乗る"パワー"に出会った。

勝手に自称しているだけ、それでもレイはそんな"パワー"を自身の母と慕うようになった。"パワー"も初めは困惑したものの、そんなレイを受け入れ、自身の娘として不器用ながら優しく接するようになったのだ。不思議な縁が結んだ絆を、二人はゆっくりと育んでいく。例え目が覚めれば消えるウタワールドの中だけの繋がりであったとしても、そこには確かに母子の絆があった。

故に、突然レイが別世界に飛ばされたと聞かされては、"パワー"が冷静でいられないのも無理もなかった。


「急に子供が居なくなる辛さなんて、普通は想像できないし、したくもない。あなたの気持ちは、よく分かってる。お願い、まずは私の話を聞いて」


"パワー"に対峙したウタは決して怒鳴らず、静かに、しかし芯のある声で言葉を結ぶ。元の世界ではルフィと結ばれ、大勢の子供達と強く健やかに生きる母であったが故の強さなのだろう。覇気にも似た言い知れない気迫を目の当たりにして、"パワー"の感情も一旦落ち着きを取り戻したようだった。それを察してか、母のウタが言葉を続ける。


「よく聞いて。あの裂け目が閉じる直前、レイちゃんを追って私が二人、あの裂け目に飛び込んだ」

「!!」

「こっちの世界からじゃダメでも、あっち側から何かの拍子で開けるか通るかできるかもしれない。それか、ここがウタワールドだって事を考えたら"あの楽譜"と同じようにお互いの世界で同時にあの裂け目に向かって何かをするって事も考えられる。いずれにせよ、幸か不幸かここには色んな世界の私がいるから、これから頼み込んで色々試してみるつもり。とにかく、希望はあるハズだよ。助けよう、一緒に」

「……っ」


母のウタの言葉に、"パワー"は思い切り息を吸って、吐いた。ようやく冷静になれたのか、母のウタに向き直る。


「分かったわい……で、誰が飛び込んだんじゃ? あんな得体の知れないモノに咄嗟に飛び込むからには強いヤツなんじゃろうな」


その問いに、母のウタが力強く頷く。


「うん、強い。一人は新世界でロメ男くんの船に乗ってる子。ルフィを追って"偉大なる航路"どころか"新世界"まで旅して見せた。"あの楽譜"も使いこなせる。もう一人は、あの世でルフィのお兄ちゃんとルフィの辿った道を知って、自分を鍛えた子。恥ずかしい話だけどあたしも一回あの子にぶっ飛ばされた事がある。あの二人ならきっと……いや、必ずレイちゃんを連れて帰って来るよ」


そう言って、母のウタは目線をその二人がさっきまでいた場所に向けた。そこには、ルフィの活躍を記した雑誌と単行本が山積みにされて残っていた。



ウタワールドに突如現れた空間の裂け目の向こうには、あちらと同じく、夢の世界特有の美しい空が広がっていた。しかし、肌に感じる雰囲気や空気はまるで別物だ。ホイップましましのパンケーキのように甘くとろけるようで、それでいて息が詰まるような、重苦しいような、説明し難い独特の空気が流れていた。

そんな不可思議な空気を切り裂くように、衝撃音と叫び声が響き渡る。続いてウタの悲鳴が聞こえたが、何人ものウタが悲鳴を上げているようだった。もっと言うならば、それは悲鳴というより嬌声と言う方がしっくりくるような妙に色の濃い声だった。それらが収まると、喧噪の中心に立っていた二人のウタがふう、と息を付いた。


「……あの裂け目に飲み込まれたレイちゃんを追って咄嗟に飛び込んだは良いけど……」

「肝心のレイちゃんは近くにいない。代わりにいたのは……」


今まさに地面に転がした者達へ目線をやると、そこには恍惚とした表情を浮かべ、気を失った複数人のウタの姿。何人かは瞳孔が明後日の方を向き、時折魚のように身体を跳ねさせた。また何人かは一糸まとわぬ姿で転がっている。麦わら帽子を被ったウタが思わず顔をしかめる。麦わら帽子は、本人曰く最推しのルフィの他、推しの麦わらの一味の自作グッズで綺麗にデコレーションされていた。


「……コレ、ホントにあたし? 見た目がそっくりなだけの別人ってか別変態じゃないの?」

「正直、あたしだとしてもあたしだとは思いたくないなあ」


麦わら帽子を被っていない方のウタも大きなため息をついた。考えてみれば無理も無い話、如何にそれなりの無茶が罷り通るウタワールドとは言え、突然全裸の自分自身に襲われるなど、誰が想像出来るだろうか。

だがそれでも周囲に自分達と襲ってきたウタしか居ない以上、背に腹はかえられない。レイを救い元の世界に戻るためにも、まずここが"どんなウタワールドなのか"。それを知る必要があった。


「こっち見るなり襲ってきた連中だけど……しょうがない、他に誰もいないし、このあたしから色々と聞き出そう」


帽子を被っていない方のウタがそう言って今さっき気絶させた自分自身を叩き起こそうとすると、不意に声が響いた。


「ちょっと待った!」


二人が驚いて声の方に目を向けると、幼少期の姿のウタが険しい表情で二人を見ていた。辺りを異様に警戒しつつ、手招きで2人のウタ達を自身のいる方へ誘う。


「そいつらに話を聞くなんて無駄だよ、起こしたらまたさっきみたいに襲って来る。そうでなくてもそいつらは異常な回復力ですぐに起き上がってくるんだ。そいつらには構わず早くこっちに!」


二人のウタは、互いに見合って頷き一つ、直感的に彼女を友好的なウタだと判断し、隠れながら移動する彼女の姿を追った。



「まずは、助けてくれてありがとう」

「あたし達は襲われたからぶっ飛ばしただけだけど」

「あいつら、あたしを追ってたんだ。食料を調達して戻るところで見つかってね。その途中にあんた達が割り込む形になったから、標的をあんた達に切り替えたんだよ」

「……素っ裸のあたしが襲ってくるのが日常茶飯事、って事?」


その問いに、幼少期の姿のウタはまあね、と自嘲気味に笑い、二人に水と懐から取り出したビスケットを手渡した。


「あんた達、別の世界から来たんでしょ? 時々いたんだ、別世界から来たあたしが紛れ込んで、そのままあいつらに襲われてここに取り込まれて、最後にはあんな風になる。その繰り返しだったんだよ、この世界のあたし達は。最近は新しいあたしが流れ着く事もなかったんだけどね」


見た目には幼少期のウタだったが、口ぶりからして随分とこのウタワールドで長く過ごし、かつ幾度となく死線を乗り越えてきたようだ。彼女の隠れ家は先程襲われた場所からは見えないが、それでも彼女が警戒を怠る様子も無い。常に目線を動かし、危険を察知するセンサーを周囲に張り巡らせていた。

幼いながらも頼りになりそうな佇まいに感心しつつ、今度は二人が問いかける。


「ねえ、ここは別世界のあたしが作った"ウタワールド"なんでしょ?」

「けど、普通の世界じゃない事も分かった。ここがどういう世界なのか教えてくれない?」

「……聞いてどうするんだよ? 言っとくけど、びっくりするくらい碌な世界じゃないぞ、ここは」


俯き、重い口ぶりの幼少期のウタだったが、二人は怯まず続ける。


「あたし達と一緒にここに来た子がいるんだけど、その子を探し出して、元の世界に帰りたいの」

「その子のお母さんが、元の世界で待ってる。だからあたし達がここに来た」

「……なんだって?」


幼いウタは顔を上げ、目を見開いて成長した二人の自分自身を見つめる。そして、しばし逡巡。


「……あたしが帰れって言って素直に元の世界に帰った奴は一人もいなかった。それに、逃げようとしたヤツは結局、捕まった」


幼少期のウタは、二人の目に並々ならぬ決意が宿っている事を悟った。けれど彼女はその決意が折れる所を何度も見てきた。

────それでも。


「……この世界に迷い込んだ奴を助けて連れ帰る……この世界に立ち向かおうなんて言い出したあたしは初めてかもね。分かった、この世界の事、教えてあげる」

「ありがとう、えーっと、小さいあたし!」

「安直すぎない? でもめっちゃ強いし頼りになりそうな感じする。ほら、ワイパーとかパウリーとか……"裏主人公ウタ"とか?」

「何言ってるのか分かんないけど……まあ、なんでも良いよ」


ルフィの活躍と冒険、そして出会いを知ったウタがやや興奮気味に話す様子を軽くあしらいつつ、幼少期のウタは改めて目の前の二人の自分に向き合った。


「二つ言っておく。改めてハッキリ言うけどあんた達が想像するよりずっと碌でもない世界だからね。下手すればあんた達もさっきのあたし達みたいになる。そこは覚悟しておいて。それと……」


そこで言いよどんだ幼少期のウタは、またもしばし逡巡した後、ふ、と一息吐き出すと、決意を秘めた瞳を二人に向けた。


「……あんた達の言ってたその子を助けるの、あたしも手伝う。だから、帰る時あたしを一緒に連れてってくれないか!?」


成長した自分自身に襲われ続けるという尋常では無い死線をくぐり抜けて来たのだ。如何に逞しくても、彼女は子供だ。どれ程精神をすり減らし続けたのか、その過酷さは想像を絶する。それでも、彼女はずっと戦い続けた。そして、彼女はその戦いからの解放を望んでいる。

助けを求めるかのようなその言葉に、2人はどこぞの大海賊よろしく、笑顔で頷いた。



「あれあれぇ? どこに行っちゃったのかなぁ?」

「怖がらなくていいんだよ~? こっちに来て一緒に楽しもうよ~」

「久しぶりのちっちゃいあたしだもん、どう仕込んで美味しく食べてあげようかなぁ……」

「うふ、うふふふ……あぁ、楽しミィ……」


何人もの蕩けた表情のウタが自身を探し徘徊する中、レイはたまたま見つけた木箱の中に潜り込み、息を潜めていた。

突然飛ばされた異世界で恍惚とした表情の大人の自分自身が突然、何人も襲い掛かってくるなど、この世界を知らない幼いレイにとってどれほどの恐怖か、想像に難くない。過去、凄惨な境遇にいた上、未知の恐怖に襲われた彼女が、それでも心を強く持ち、悲鳴一つ上げずにいられたのは母と慕う"パワー"の存在があった。


「(私は、最強……私が……一番偉くて……一番強い……!)」


"パワー"が常日頃から大声で言って憚らない言葉を、何度も心の中で繰り返す。そうすれば、お母さんの手が、すぐにでも自分の手を取ってくれるような気がして。

だが、刹那。木箱を破壊する音と共に頭上から光が差し込む。そして、光の差す場所から次々と大人のウタが顔を覗かせた。


「ひ……っ!!」


ついに悲鳴を上げたレイを、ある種悍ましい微笑みが取り囲んでいた。それらはにんまりと笑みを浮かべ、口々にレイに迫る。


「みぃつけた」

「かくれんぼはもうおしまいだね」

「さ、あたし達ともっと楽しいことしよ?」

「一緒に気持ちよくなろ?」


言葉と共に、無数の手がレイに伸びていく。レイは、震える身体を両の手で思い切り押さえ込み、目をつむって叫んだ。


「助けて!! お母さん!!」


心の底から、助けを求める声。もしもこの場に"彼"がいたら、どう答えただろう。少なくとも、その声に導かれるようにこの場に飛び込んできた二人のウタは、その答えをよく知っていた。


「────当たり前だ!!!」

「ウタウタのォ!!」


絶望を切り裂いて耳に届いた声に、レイが息を呑む。甘ったるくて怖い声じゃない。力強く、芯のある声。


「"銃"!!」


技の叫びと共に、レイに伸びていた手が一瞬で吹き飛んだ。それから、木箱の中のレイからは見えなかったが、次々と破壊音と、周囲にいた大人の自身の悲鳴が響き渡る。数分後、ついにそれらが収まると、レイは勇気を出してそろりと顔を出した。すると、周囲を囲んでいたウタたちは一人残らず地に伏せ、その真ん中で、二人のウタがニッと笑った。


「確かに聞いたよ、助けを呼ぶ声」

「麦わら大船団傘下・バルトクラブ音楽家、ウタ。推しの名の元に只今参上。なんてね! 待たせてごめんね、レイちゃん」


見た目は同じでも、その二人はレイも良く知る大人のウタ達だとすぐに分かった。レイはパッと笑みを浮かべると、木箱を飛び出し、両の手を広げた二人の許へ飛び込んだ。

安堵の涙を零すレイと、それをしっかり抱きしめる二人の様子を物陰から伺いつつ、あの幼少期のウタが現れた。


「この世界の事を聞いて怯むどころか、この数のあたし達をまとめてぶっ飛ばすなんて……あんた達相当強いね。恐れ入ったよ」

「こう見えてちゃんと鍛えてるから! まぁ、鍛えたのはあの世に行ってからだけどね! ヨホホホホ!」

「は? え? あの世?」

「まあまあ、細かい事は気にしないで。ほら、次は早いとこ出口を目指さなきゃ」


麦わら帽子のウタの言葉に、幼少期のウタがハッとしたように頭を振った。改めて険しい表情で三人に向き直る。


「そうだったな……ここからが本番だよ。さっき倒したあたし達は、この世界に落ちたあたし達のほんの一部。ここを支配する住人達に落とされたウタはまだまだ沢山いる」

「で、その上であんたの言う所の"大幹部"もいると……」

「どんな世界であっても推しの一味を傷つける訳にはいかない。って訳で"大幹部"はそっちに任せた」

「任された。ってちょっと! 丸投げしないでよ!」


幼少期のウタの言う所の"大幹部"との戦闘を軽く丸投げされ、思わず麦わら帽子のウタにツッコミを入れたウタだったが、内心ではこの"大幹部"と言われた面々にどう対処するかについて、ずっと考えていた。エレジアでのライブで麦わらの一味と対峙し、更にはルフィの足跡を記した本を読み漁った事で、幸か不幸か相手の能力は知り尽くしている。だからこそ、敵対したときの強力さと厄介さはこの場にいるウタの誰よりも知っていた。悩ましい表情のウタをよそに、レイが幼少期のウタに歩み寄る。


「ねえ、あなたも私達と一緒に来ない? 多分……いや、絶対、もうここにはいない方が良いと思う」

「勿論よ、そのつもりでそっちの二人に着いてきたんだ。たまたま助けられた上にわがままかもしれないけど……あんなあたし達に永遠に追いかけ回されるなんてもうたくさんだからね」

「うん、私も! それじゃあ、私とあなたは今日から友達! 私はレイ! よろしく!」


先程まで恐ろしい目に遭っていたハズなのに、今は一切の怯えも無い。きっと、助けを求める声に応えてくれた二人が、必ずこの世界から自身を逃がして、再びお母さんに会えると信じているのだ。この状況においてウソのような真っ直ぐな瞳に、幼少期のウタは一瞬呆気に取られたが、ふ、と笑みを浮かべ、レイに向き直る。


「……ご存じ、ウタ。よろしく。と言っても、こっちじゃもっぱら"バカウタ"なんて言われて通ってたんだけどね……」

「バカちゃんっていうの? よろしくね!」

「違うわ!! 天然か!! せめてウタって呼べ!!」


思わず突っ込んだ幼少期のウタに、レイは笑顔で応える。レイにとって、元の境遇ではまず手にする事が出来なかった友達を得る事が、どれだけ嬉しい事か。笑顔を取り戻したレイを見守る二人のウタも、仲間や友達の大切さはよく分かっている。故に、にぎやかな二人を瞳に映しつつ、感慨深く微笑んだ。


「レイちゃんに新しい友達が出来て良かった」

「そうと決まれば、急いでここを出よう! 早くしないと、こいつらすぐ起き上がってきちゃうからね!」


二人のウタは、幼少期のウタ二人をそれぞれ背中に背負い込むと、元来た方へと一気に駆けていった。



レイ達三人が飛ばされたこの世界は、"多種多彩な世界線のウタが何かの間違いで集まってきてしまっているウタワールド"という点では、レイ達3人がいた世界と共通している。大きく違う所があるとすれば"能力者のウタ"がウタワールドを作った動機だ。三人が元いたウタワールドはエレジアでのライブのリハーサルで生まれたモノだが、こちらのウタは何を考えたか、"麦わらの一味"の船員であるナミとロビンを自分の思い通りになるウタワールドに連れ込み、狼藉を働こうと考えたのである。

しかし、例え自身の思い通りになるウタワールドの中で迫ったところで、場数が違いすぎるナミとロビンに世間知らずの小娘が挑んでどうなるかなど火を見るよりも明らかだった。

結局、こちらの世界の"能力者のウタ"はあっさりナミとロビンに返り討ちにあい、ついでにコマそうと目を付けていた女性達にまで片っ端から抱き潰され、今やこの世界でのウタとウタ以外の人物の立場は完全に逆転してしまっていた。時折別のウタがこの世界に紛れ込む事もあったが、こちらの世界に蔓延るウタに捕まり、落とされ、また次のウタが現れたら同じ事を繰り返し、今や幼いウタ・大人のウタの中でマトモなのはレイを探しに飛び込んだ二人が最初に出会った幼少期のウタだけとなったのである。


そんな世界なので、この世界に飛ばされてきた3人も"ウタ"である以上、既に落とされたウタ達が"仲間"にしてやろうと襲って来るのは不思議な事ではなかった。元の世界へ繋がるあの裂け目へ向かう為の道のりでも、この世界に落ちたウタが次々と襲って来た。自身が"ウタワールドを生み出したウタ"でない以上、音符の騎士のような自由に動かせる配下戦力を生み出す事も出来なかった。

しかし、方やあの世でかの"火拳"ことポートガス・D・エースとの修行で身に着けたオマージュ神拳を駆使し、片や推し活の過程で無理矢理従えたトットムジカと、新世界でも通用する、もっと言えばルフィの力になれるまでに鍛え上げた戦闘力を駆使してそれらを難なく退けていた。

ウタワールド内で襲って来るとは言え、所詮はこの世界に紛れ込んだだけのウタだ。その上身体も精神も落とされているので、主に捕獲を専門とする彼女達の身体能力は通常のウタと殆ど変わらない。元いた世界で鍛え上げ、更には呼び出されたウタワールドで一癖も二癖もあるウタ達に揉まれた二人の敵ではなかった。

問題があるとすれば、事実上こっちのウタワールドの支配者に成り代わっているナミやロビン達に目を付けられる事だ。既にこっちの世界でそれなりに暴れまわっている以上、存在を察知される可能性は時間が経つほどに高くなる。だが、一行は幸運にもそう言った面々に出会う事は無かった……ここまでは。


「なるほどね、ここまで一度も姿が見えないと思ったら出口付近に戦力を集めてたって訳か……こりゃ、推しの一味とは言え、何もせず通れそうにないなぁ……」

「かと言って実際推し相手だと拳も鈍るでしょ。あっちはあたしが相手するから任せといて。幸い他の"大幹部"とやらは一人だけで……げぇ……」

「ハンコックだ……」


出口付近で骨のある侵入者を待ち構えていたのは前述のナミとロビンの他、王下七武海"海賊女帝"ことボア・ハンコックだ。あんな大物にまで手を出そうとしていた辺り、この世界を作ったウタは相当な胆力の持ち主と言うか、それとも世間知らずと言うべきか。"大幹部"の中でも圧倒的上位となる錚々たる面々を前に、片方のウタがルフィの缶バッチでデコレーションした麦わら帽子を深く被った。


「ここまでかぁ」

「ちょっと、勝手に諦めないでよ。でもまあ……マトモに相手したらハンコック込みのあの三人なんて勝てるわけない。最初の一撃が勝負だ」


そう言って、帽子をしていない方のウタが掌から丸い音符の塊を取り出した。見た目には、ウタがウタワールドで生み出す音符と同じものに見える。幼少期のウタが背中から不思議そうに問いかけた。


「それ、何の音符?」


背中の声に、ウタは不敵な笑みと共に応えた。厳しい状況でも、希望はあると思わせるような力強い笑み。その様は、どこか"彼"に似ていた。


「あたし自慢の必殺の音符だよ。バキバキに練って練って練り込んでため込んだ音を衝撃波にして何もかも全部吹き飛ばす。二発しかない隠し玉だけど、まず一発使って良いよね?」


許可を求められた方のウタはデコレーションした麦わら帽子を更に深く被り、ため息をついた。


「……今回だけだからね。周りのあたし達はともかく、ナミさんとロビンさんとハンコックを突破するのに手段は選んでられない。それはあたしもよく分かってるから」

「ありがと。そんじゃ……飛び込むよ。二人はあたし達の背中にしっかり掴まってて。派手に突破するから、ヘッドフォンの遮音機能をONにしといて。それでも結構効くけど」


それを聞いた幼い二人のウタも、ここに来て臆する事は無い。方や大好きなお母さんの許へ帰るため、方やこの世界から脱出するため、互いに顔を見合わせ頷くと、今度は二人に向かって力強く頷いた。それを見た大人の二人も、互いに目で合図を取る。


「よーし、それじゃあ……321!!」


勝負の掛け声と共に、大人の二人が一気に駆け出した。目標、空の上の空間の裂け目。立ちはだかるのは最強の女達。

敵陣が飛び込んできた二人に気付くのとほぼ同時に、帽子をしていない方のウタが、掌から音符を撃ち放った。音符は二人を捕獲しようと構えを取ったナミ達三人へに向かって真っ直ぐに飛んでいく。

不意打ち気味に飛んできたその音符は、突っ込んできた二人のウタに対する三人の意識を一瞬だけそらす事に成功した。特に、察知と能力発動=捕獲がほぼ同時であるロビンの動きを一瞬、ほんの一瞬遅らせる事ができたのは、殆ど奇跡と言っても過言では無い。三人が、その音符が何であるかを理解する前に"それ"は炸裂した。


「ニキュニキュ風オマージュ神拳!!"音の衝撃(ムジカショック)"!!」


ありとあらゆる音を取り込み、一気に解放する必殺の音符の大爆発。戦いの火蓋を切るには過剰すぎる威力だった。

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